元通り
忘れ物は……ないな。
小さな鞄を持って、部屋を後にする。
パタンっと、小さな音がして扉が閉まる。
振り返ることはしない。
なんだか未来ちゃんの気持ちが少しわかったように思う。
名残惜しいというか、不安というか。
さて、隣の部屋に行くか。
なぎさはお風呂に行っているので、部屋には誰も居ないのを知っている。
勝手に女の子の部屋に入るなんて、想像もしなかった。
まぁ、なぎさの部屋だから、罪悪感もなにもないんだけどね。
ノブを捻って、中に入る。
いつものように健康器具やら筋トレのダンベルやらが置かれている。
どこに置こうかな。
ベッドはさすがに潰されてしまうかもしれない。
せっかく、可愛くラッピングしたんだから、きちんとした状態で渡したい。
部屋を見渡した結果、化粧机の上に置くことにした。
『刹那君へ』
化粧机の上に置かれた手紙。
これは読んでもいいんだろうか?
もしかしたら、クリスマスパーティに渡すつもりかもしれない。だったら、今読むべきじゃない。
手紙を見ずに、俺はプレゼントを置いて出ていこうと振り返って……笑ってしまった。
だって、ドアに『手紙読んでね!』なんて、張り紙が張ってあったんだから。
なんだよ。
もうバレちゃってたのか。それとも、ずっと貼り続けて、置き続けていたのか。
だから、イタズラしてやろうと思ってしまった。
中身を写メに残して元通りにしておく。
そして、プレゼントはタンスの中にっ!
開けた引き出しにはパ、パ、パ、ンツ……。
スポブラに面積の少なめなセクシーなパンツ達。
そういえば、下着は面積の少ない物を選ぶって学院で話していたっけ。なんでも、そっちのほうが走っている時に違和感が少ないそうな。
って、なに冷静に観察してるんだよ!
両手でパンツを広げている自分。それが化粧机の鏡に映し出されていて……。
「なぎさのバカ……」
もっと大人しいパンツぐらい履いておけッ!
さぁ言いたいことは心の中にだけに詰め込んでおいて、なぎさの部屋を後にする。
また、今度ね。
パタリとドアを閉めて、雛の部屋に向かう。
階段を降りる足が少し重く、すれ違うお姉さま方や同級生達が挨拶をしてくれる。
みんな綺麗なドレス姿で、パーティーに向けて準備万端と言った感じで。
制服なのは俺だけかもしれない。
さぁ、早く行こう。
散って、枝と幹だけになった桜並木を越えて、中等部の寮へと向かう。
妹達はまだ疎らにしか帰ってきていないようだ。
「幸菜様」
確かこの子は中等部の1年生。
いつもと変わらな笑顔で、いつもと変わらないトーンで。
「はい。綺麗なドレスね」
彼女は満面の笑みで返事をする。
「ありがとうございます。それでですね、パーティーのダンス、私と踊ってもらってもいいですか?」
いつもの俺なら即答できたのだけど、今日の俺は即答できなかった。
「ご先約があるのなら」
後輩ちゃんが申し訳なさそうにこちらを見てくる。
身長が小さいので、上目遣いに瞳に聖水を溜め込んでいるように見えてしまう。
別に断るつもりはない。だか、彼女は俺と踊りたいのであって、幸菜と踊りたいわけではないのだ。
「ん~ん。大丈夫よ。一緒に踊りましょうね」
そうと知っておきながら、後輩ちゃんの申し入れを受けれいていた。
自分には、幸菜もスキンシップを覚えなくてはいけない。などと言い聞かせ、本当はもっと違う感情がそこにあって……
「よろしくお願いします! では失礼いたします」
彼女は嬉しそうに学院のほうへと進んでいった。
「ごめんなさいね」
あの子の願いは本物の幸菜が叶えてくれるから。
雛の部屋に到着。
猫グッズで埋め尽くされている雛の部屋は、物は多いのにきちんと整理されているからか、とても落ち着いた雰囲気を醸し出している。
なぎさの部屋と大違いだ。
「でも、居心地が良いのと、住み心地が良いは少しだけ違うんだよね」
雛がいつも眠っているベッドに座り込む。
プレゼントは枕元に置いておこう。
「お姉さま?」
もし、俺がこうして黄昏れていたら、心配した声で呼んでくれる。
そんな優しい義妹。
「お姉さま!」
朝起こしに来ては、俺の肩をワシワシと揺すり、なかなか起きない俺を、必死に起こそうとする雛。
頬を膨らませながら起こしているのが、とても可愛くてなかなか起きれない。
「お姉さま~」
お昼休み、お弁当を持って、俺の教室にやってくる。誇らしげな笑顔で。
もうこの笑顔も見れなくなるのか。
だけど、これも仕方のないこと。
こうなることは、ここに来た当初からわかていたことだ。
長くここにいたら戻れなくなる。
行こう。
「雛、ありがとうね……」
誰も居ない部屋に俺だけ残して俺は部屋を後にした。
「にいさん……」
俺の可愛い妹はげこおこぷんぷんまるである。
それもそのはず、俺は2人の取り決めを破り、待ち合わせ場所である駅にまでやってきたから。
上目遣いで俺を見るの……やめてもらません?
「ごめん……だけど、どうしても渡せなくて……」
「それもありますけど、約束でしたよね? きちんと皆さんには入れ替わる事を知らせてから入れ替わると」
「そうだね」
混乱を避けるための処置で、もちろん、俺が男だって知っている人だけに知らせておかないと、いきなり本物の幸菜だったらビックリさせてしまう。
その配慮から事前に報告しておく予定だったのだけど。
「手に持っている紙袋はなんでしょう? 刹那?」
怖い。
上目遣いならまだしも目元が笑っておらず、口元だけが笑っている。なんていうんだっけ? アルカイックスマイルだっけ?
「あはははは……」
「笑って誤魔化していいと思ってます?」
思ってないよ。
本当は直接渡したい。
でも、渡そうとしたらさ、もっとここに居たいって。ずっと一緒に居たいって気持ちが溢れてくるんだよ!
「心配だよ。また無茶するのかな。とかさ、朝はちゃんと起きて学院行くのかなって。幸菜以上に心配になっちゃうんだ」
俺の気持ちが溢れてこないよう、言葉を選びながら幸菜に言った。もし、あの人の名前を口にしてしまったら、もう後戻りができない。
同じ制服、同じぐらいの身長、同じ誕生日、同じ家で育った実の妹が目の前にいて、俺の初恋の人。
お互いにどうしたいとかこうしたいという意思の疎通は言わなくてもわかる。
「頑固な所は誰に似たのでしょうね」
「目の前にいる妹も頑固だけどね」
2人して笑い、幸菜の右手が俺に向けて差し出される。
「わかりました。渡しておきます」
女の子らしく、紙袋もおしゃれに気を使い、数百円を飾り付けに使う気遣いも忘れない。
幸菜に手渡して、そっと息を吐き出す。
これで、俺の役目は終わり。
「後はよろしく」
「では、行ってきます」
幸菜は俺に背を向けて、学院へと続く坂を上り始めていく。久しぶりに見た妹の背中はとてもたくましく、足取りも以前よりも軽そうだ。
「君達は本当に不器用だな」
声のしたほうを振り向くと、少し離れた場所にスーツを着た金髪のボディーバランスが整った女性が立っていた。もちろん、あの人である。あの人。
「私の名前を忘れたとでも……」
いやいや、忘れませんよ。
楓お姉さまのお姉さまで、完全無欠の花園グループの敏腕秘書で社長の右腕。
「忘れたくても忘れませんよ。というか、どうしてここに?」
「君に色々と言っておくことがあってね。まぁ瑞希がほとんど根回ししたんだが」
「嫌な予感しかしないんですけど」
「まぁそういうな、おちゃめなイタズラとでも思えばいいじゃないか。それに今回の話はそれほど悪くない」
そう言い、地べたに置いていた鞄のチャックを開け、なにかを探し始めた。やはり敏腕秘書だけあって、中身はA4サイズの紙の束が多く、今では珍しく手帳までも完備している。
どちらかと言えば、デジタル機器が極端に少ない。
「私は瑞希のようにデジタルデバイスには疎くてね。それにデジタルは漏洩の心配が常に付きまとう。心配するのは妹だけで十分だよ」
気苦労が絶えない人だなぁ……。
俺も楓お姉さまは心配だけど。
「これだ」
白く華奢な腕をこちらに差し出し、その手には便箋が握られていた。
「瑞希からのプレゼントだそうだよ」
飾りっ気もない便箋にセロテープで封をされている。
瑞希らしいのか、ただ忙しかったのか。
中にはコピー用紙1枚だけが入っていて、瑞希の直筆で、こう書かれていた。
『学校には行きなさいね』
まったく意味が理解できなかった……。




