あなたを守りたいから⑧
驚きの展開にどうすればいいのか迷ってしまう。
桜花さんは拳銃で撃たれ、和馬さんはいきなり倒れて、楓お姉さまはそれを見て放心状態。
周りも「救急車を呼べ!」「応急処置が出来る人間はいないのか!」と、罵声に近い声がホールに響く。
学校で教わる応急救護を思い出そうと頭をフル稼働させる。
出血した場合は直接ガーゼなどで抑えるんだっけ?
他にもあったよな、紐で縛ったり、指で抑えたり、腹部の場合はどれをすればいいんだろ!
それに和馬さんはお腹を抑えて倒れている。
そういうときは無理に動かしちゃダメなんだっけ。
あぁもぉ! どうすりゃいいんだよ!!
「うーん。痛そうだよな。なぁ刹那」
桜花さんの前に屈みこんで、状態を確認する女性からの言葉。
見慣れた後ろ姿でも形容すればいいのか。
白衣を着ていないのは、ここは職場ではないからだろう。だったら、どうしてこんな所にいるんだ?
そう。俺の妹の主治医、門脇先生が私服姿でここにいる。
「痛そうとかじゃなくて、あなた医者なんだからどうにかしてくださいよ!」
世界でも名の知れたお医者さんで、難病と言われた幸菜の病気を治してくれた物凄い先生である。
言葉遣いや態度の大きさから『狂犬』と呼ばれていたりするが、手術室では『魔女』とも呼ばれ、腕前だけは確かな人だ。
「今日は休みなんだよ。どこかの誰かさんに言われて来てみればこれだよ。ったく」
頭をボリボリ掻きながら、今度は和馬さんの方へと向かう。
脈を測り、顔色を伺い、はぁ……っとため息を吐く。
「どっちも死ぬなこりゃ」
なんともあっさりと言ってのける。
目の前に娘がいるんだよ。もう少しオブラートに言えないかな。
「どうするよ。こいつら助ける必要あるのか?」
「あなた医者でしょ!」
俺は怒りに任せて、大きな声で言う。
「そうだけど? 今はただの一般庶民だがな」
と、平然と言ってくる。
頭が痛い。
医者なら、助けようと思わないのだろうか。
医者じゃなくても、倒れている人がいたら見過ごせないだろう。
「いいから早く助けて下さい!」
「てめぇに訊いてねぇよ」
門脇先生は真面目な顔をしていた。
「そこの馬鹿娘に訊いてんだよ。ほっときゃぁこいつら死ぬぞ? ここに救急車が到着するまで6分程度。そこからエレベーターが使えない今、下からここまで10分は見ておいたほうがいい。確実にそこの女は出血は致死量にまで届く。こっちの父親も数ヶ月前から手術を伸ばしているからな。今日なんざ、脱走してまでここにいるぐらいだ」
「そんなの嘘に決まってるじゃない」
呆然としていた楓お姉さまが声を上げた。
「嘘かホントかはお前が決めることだ。私だって仕事で来ているわけじゃない。だから助ける義理もない」
あっさりと言ってのける。
周りの警察官も唖然呆然。
怪我人、病人を前に死んでも構わないとか、医者の言う言葉じゃないよ。
「私だって、ただの人間だ。感情というモノを持っている。彼女だってそうだ。憎しみ。悲しみ。哀れみ。色んな感情を持って、こんな馬鹿をしたんだ。どうするかなんて自分で決めろ。なんでもかんでも最後は大人が後始末するなんて思われても困る」
どうすんだよ。
そんな眼で楓お姉さまを見てくる。
ここは俺が守ってあげ
「私は……このままい……なくなる……ほうが」
痛みに耐えながら喋る桜花さんを見ていると、とても辛い。痛みが込み上げてくるたびに「うぐっ!」っと、言葉になっていない声を上げる。
「楓お姉さま。助けてあげてください」
「どうすんだよ」
これ以上は待てない。
門脇先生も少し焦っているように思う。
実は助けたいんじゃないだろうか。楓お姉さまなんて放っておいて、今すぐ出来ることをしたい。そんな感じがする。
どんどん血溜まりは増えていき、和馬さんは床に倒れたまま微動だにしない。
警官達が容疑者達を連行していくだけで、こちらには興味がないように見える。
行末を見守っているかのように、誰も助けには来ない。
裏でなにかが動いているかのように……。
「お、お願いします」
「あ?」
聞こえない。そう言ってる。
「2人を助けて下さい」
楓お姉さまは項垂れるして懇願した。
「始めっからそう言えばいいんだよ。馬鹿娘」
グシャグシャっと楓お姉さまの頭を撫で、桜花さんの服を脱がしていく。
「あんたら、ボサッとしてないで上着脱いで、見えないようにガードするなりしろよ」
警察官にも容赦無い言葉遣い。だが、人命が掛かっている以上は、門脇先生の指示に従うのが正しいと思ったのだろう、すぐに上着で壁を作った。
それを見て、和馬さんよりも桜花さんのほうが緊急性が高いことがわかる。
項垂れる楓お姉さまを抱え、和馬さんの側まで移動する。
楓お姉さまも命が関わる事件にまでなるとは思っていなかったに違いない。だから、それだけショックが大きいのだ。
横たわる和馬さんの腕に手を置く楓お姉さま。
なにを言えばいいのか迷っているようだ。
「お、お、おと……」
「無理を……しなくていいよ」
振り返って楓お姉さまの手を優しく握る。
「楓を守るにはこうするしかなかった。牢獄のような場所に閉じ込めるしかできなかった。嫌われても仕方ない。だけど、いつも楓の幸せを願ってる」
優しく微笑む和馬さんにやっと決意したのか
「お父さん……ごめんなさい」
今までの蟠りが溶けていく。
日本経済に大きなダメージを与えたのだろうけど、それで家族の絆が戻ったのであれば、小さなダメージに過ぎないと、俺は思う。
お金とは存在するものは買えても、存在しないものはいくらお金を出しても買えない。
小学生でも知っていることを、あの有栖川朱雀という男は知らなかったのだ。
救急隊がやってきて、これで2人は助かった。そう思いたかった。だが……。
容体を伝える門脇先生。
それを追う楓お姉さま。
「桜花! ごめんなさい」
もうすでに気を失っていたようで、なにも返事はなかった。そして和馬さんもストレッチャーに乗せられ、下へと向かう。エレベーターも3階までは使えるようで、そこから歩いて下へと進んだ。
だが……
「病院が受け入れ拒否とはどういうことだ!」
門脇先生の罵声が飛んだ。
「そこらへんの病院がダメなのはわかる。だがな、救急もダメ、警察病院もダメってどういうことだよ! この状況わかってんだろうが!」
有栖川は最後の最後まで馬鹿なままだった。
どうする。このままだったら……。
ここに来て人脈の無さ、そして未成年であるということがとても悔しい。
楓お姉さまもスマホを探るが、ドレスにポケットなど無く、部屋に置いてきたみたいだ。
「こっちでなんとかする!」
そう言って電話をかけ始める。
すぐ近くの病院に知り合いでもいるみたい。
ガラス片が散らばっていている中、さすがにドレス姿は場違いのように思えたので、ブレザーを楓お姉さまの肩に掛けてみた。
なぜか驚いたような眼で見られ「ありがと」っと、恥ずかしそうに上着を掴む。
「楓!」
パリパリ言わせながら、こちらに歩いてくる瑞希。
表情は変わらないにしても、雰囲気がいつもと違っていた。踏み込みが違うというが正しいかもしれない。
ここにとあるスポーツの解説者がいたら「踏み込みがいいですねぇ。上位争い出来ますよ」と、言われそうなぐらいだった。
楓お姉さまもそれに気付いているようで、少し体を縮こめ、怒られるのを覚悟しているのだろう。
俺達の前にやってくると、ニコっと微笑んだ。
あ、何事も無く終わりそうだ。そう思った瞬間だった。
スパーンっと乾いた音が鳴る。
怪我をしていない手で思いっきり振りかぶり、頬を打った。
頬を抑える楓お姉さま。
「ごめんなさい」
素直に謝る楓お姉さま。
今まで見たこともない真剣な謝りに、少しだけ嬉しく思った。もっと見たこと無い楓お姉さまを見てみたい。そう言った好奇心。
「いえ、もう終わったこと、それよりも……」
桜花さんと和馬さんのほうを見る。
「まぁあの2人なら死ぬことはないでしょう」
なんとも拍子抜けな言葉を口にする。
腹部を拳銃で撃ちぬかれた桜花さん。手術を取りやめ、抜けだしてきたであろう和馬さん。そんな2人に、瑞希はあっけらかんと言い張る。
確かに、この2人なら……。
知り合って数週間というのに、そう思わせるのだから、そうなのだろう。
「おい刹那! 病院が決まった。此花女子医大病院だが、場所はわかるな?」
門脇先生が二人が搬送される病院を教えてくれる。
先生は桜花さんのほうに付き添わないといけないということで、救急車で向かう。
「私達は私の車で行きましょう。すでに用意してます」
「あ、俺はいいです」
俺が家族の輪の中に入るのは無粋というものだ。
後は2人が意識を戻してから、ゆっくりと話しあえばいい。
「なら、寮まで送りますね」
「いえ、楓お姉さまは2人が心配でしょうから、病院のほうに向かってあげてください」
そう言って先に歩き出す。
外は報道陣も多いようで、照明器具が壊れている場所も報道陣のライトで、しっかりと視界に捉える事ができた。
ここから歩いて帰るとなると1時間はゆうに超えるな。
まぁいいや。やることはやったし、すでにもう朝の4時を過ぎているから、学院生に見つかることもない。
すでに走り疲れて体力も残っていない。
でも、これでよかった。
表から出たら、報道陣に取り囲まれそうだな。
裏口を探して、そこから出るとしよう。
「瑞希。こいつは私が送り届けるよ」
肩に腕を回して、男同士がじゃれ合うように体重を預けてくる。さすがに女性だからとても軽い。
「ではお願いします。楓、行きましょう」
手を引かれていく楓お姉さま。こっちを見てなにか言いたそうに見えた。
「戻ってきたら、いっぱいお話しましょう! 雛もなぎさも待ってますから」
ふっと笑顔になる楓お姉さま。
「えぇ。ありがとう刹那」
ずっとこっちを見ながら引かれていく。お互いに見えなくなるまで見つめ合う。なんか引き裂かれた恋人同士のようだ。
「さっさと行くぞ」
耳元で囁かれてゾクっとしてしまう。
男らしいクセに胸は以外にある。だって当たってるし。
「わかりましたって」
グイグイ背中を押されながら、俺は帰路についた。




