あなたを守りたいから⑤
一世一代の大勝負。
もしかしたら、楓は戻ってこないかも。
それでも構わない。なにもしないで終わるよりも、なにかをして終わるのであればそれでいい。
後悔だけはしたくない。
でも、後悔するかもしれない。
負の連鎖は考えれば考える程、ドツボにはまっていく。
怖いんだ。手の届かない所に行ってしまうのが。
雛やなぎさの期待に答えてあげれないのが怖い。
車は此花ホテルに向かっていて、深夜というだけあって、物の数分で辿り着く。
心の準備などしている時間もないほどの距離を車で向かうのには訳がある。
俺達の素性は割れていると考えたほうが良い。その中でホテルの中に入っていけるのか。まずはそこが重要。
これは暴力団同士の抗争ではなく、俺と楓の勝負だ。
有栖川も花園も関係ない。
世間ではそうも行かないのだろうけど、世界がどうなろうと、日本経済が崩壊しようがどうでもいい。そう思わないと見えないなにかに押しつぶされてしまうのではないかと思うほどの重圧が襲い掛かってくる。
「なにも気にしなくていいのですよ」
隣に座っていた瑞希が俺の手を握ってくれた。
「花園が潰れてしまっても、有栖川が潰れてしまっても、誰も文句は言いません。私が言わせません。だから、楓のためだけに、刹那の進むままに向かって行って下さい」
握られていた手は、俺の頭に行き、瑞希の胸に頭を寄せていく。とても柔らかくて、とても良い匂いがして、心音が俺の耳を突いてくる。
針のようにチクチクと。
ドクン。ドクン。ドクン。
とても大きく、とても早く。それでいてリズミカルに突いてくる。
「きちんとノーブラですよ?」
きちんと俺を困らせることも言ってくるのは、自分の緊張をほぐすためなのか、それとも俺の緊張をほぐすだめなのか。
「楓は本当にお父さんもお母さんも大好きでした。大好きで大好きで大好きだったから許せない。楓はすべてを知っています。お父さんがブラジルでの契約があったことも。お父さんが帰ってこようとしたときに有栖川の邪魔が入ってしまったことも」
優しく髪を撫でてくれる。
「楓の中ではヒーローなんです。ヒーローは絶対に悪者をやっつけてくれる存在なのです」
もう和馬さんの手術は終わった頃だろうか。
桜花さんからメールがあり、今日、手術を受けたことだけが記されていた。
俺はメールに返信はしていない。
心配ではあるけれど、それよりも楓のほうが心配だから。
「楓は俺のことを拒絶するでしょうか」
初めて弱音を口にした。
雛だったら
「そんなことないのです! 絶対!! 絶対に受け入れてくれるのですよ」
と、いつもの笑顔で言ってくれると思う。
なぎさだったら
「そんなの私に言われてもわかんないよ。でも、やるだけやってみたら?」
って、素っ気なく言ってくるんだろう。
そして瑞希はこう言うんだ。
「拒絶するでしょうね。それは本心からではなくて、照れ隠しのようなモノなので、本音を聞き出して下さい。手を上げても構いませんから」
か細い指で何度も何度も撫でてくれて、そして俺の頬に冷たい水滴が落ちてくる。
「瑞希?」
さっきよりも強く抱きしめてきた。
「1番苦しんでいるのはあの子なんです……。もう私に出来ることは刹那に頼むだけなんです。神に祈るだけなんです。お願いします。……本当に」
誰よりも側に居てあげてたからこそ、悔しいんだろう。
なにも出来ない自分が不甲斐なく見えるのかもしれない。
怪我をしてまで守ろうとしてくれた。
それは楓のためであり、俺のためでもある。
「もしお姉ちゃんが居たら、こんな感じなのかな」
前に瑞希が言っていた言葉を思い出した。
ギュっと抱きしめていた手の力が和らぐ。
「お姉ちゃんにお願いされるのってさ、やっぱり良い物かもしれない」
溢れ出ている涙を指で拭きとってあげる。
「お二人さん。もう着いてるんだが……」
助手席に座っている村雨さんが、バックミラー越しに言ってきた。
感動的な雰囲気が台無しだよ。
「それじゃあ行ってくるね」
「はい。いってらっしゃい」
最高の笑顔を向けてくれる瑞希。
そして、車から降りようとドアを開けた時だった。
俺の頬に瑞希の手が触れたので振り向くと、瑞希の呼吸を感じれるほど近くに顔があって……
チュっと頬にキスをされた。
「み! 瑞希!!」
驚いて大きな声を上げてしまう。
シィーっと人差し指を唇の前に出して、可愛らしくウインクしてくる。
「私が刹那にあげれるモノってこれぐらいですから」
なんて言って、俺を見送ってくれた。
なにか言おうとしたけど、村雨さんに腕を引っ張られ、手を振ってくる瑞希に、手を振り返すことしか出来なかった。
たたらを踏むながら、グイグイ引っ張ってくる村雨さんに必死に付いていく。
「ちょっと待って下さいよ」
確かに少しだけ時間は遅れたけどさ。
「有栖川に気づかれた。瑞希だけでも安全な場所まで移動させる」
引きずられる格好ながらも周囲を見渡してみる。
深夜ということもあって、均一に設置された街灯だけが周囲を照らし、その光に導かれるようにチラホラと人が居るぐらいで、特に変わった所は見受けられない。
飲み屋さんが少なく、此花女学院が近くにあることからも、治安はいいのかも。普段がどんな感じなのか、わからないから憶測でしかないけど。
って、あら? そういえば運転手さんの姿が見えない。
「あいつはこういうのを毛嫌いしてるんだよ」
そういえば、瑞希と村雨さんって学院時代の同級生ってことでいいのかな。今更、どういう関係かなんて訊けないし、そういうことにしておこう。
「仲いいんですね」
「まぁな。学院時代からの腐れ縁だしな」
ポケットからタバコを取り出し、火を付ける。
「やりたいこともせずに、ずっと血の繋がんねぇ、妹のためにせっせと面倒見て、自分の時間を捨ててきたのを知ってるから余計にお節介したくなるんだろうな」
ふぅっと口から煙を吐き出す。
「お前がその妹をなんとかすれば、あいつはあいつの道に進めるんだ。協力しない訳には行かない」
さっさと歩けっと、グイっとさらに引っ張る。
なぜだか、俺には村雨さんは少し照れているように見えた。
なんだか微笑ましく思える。
だけど、そんな穏やかな状況もすぐに終わりを告げる。
ビルとビルの間から柄の悪い連中達がゾロゾロと現れてきたからだ。
前から後ろから。
完全に取り囲まれる形になり、手には鈍器をチラつかせている。
暴力団。というよりはただの金で雇われたチンピラ。と言ったほうが正しい。
どっちも一緒じゃないかと思うだろうけど、村雨さんの組の人達は、俺達が敵ではないとわかると礼儀正しく挨拶をしてくれて、お茶やお菓子まで用意してくれた。
目の前にいる連中達はアロハシャツにキンキンに染まった髪の毛を無闇矢鱈に触り、なにかの中毒症状ではないかと。
違う言い方をすれば、某世紀末のあべしと叫ぶ雑魚キャラ。
時間が惜しいっていうのに!
人数ではこちらが負けている。それに村雨さんは女性なので、拳を血で汚すわけにはいかない。
どうしたものか。っと、言っても村雨さんの組の人達は、ここにはおらず、先にホテルを包囲している。
なにか神風でも吹かなければ、この状況は打開できそうにない。
「ちょっと分が悪いな」
村雨さんにも策はないようだ。
走れば抜けていけるだろうか。さすがに50人ほどの間を抜けるのは無理があるだろう。なら、なにがある?
ポケットにはスマホが入っているぐらい。
左右に首を振っても、なにも見つからない。
気持ちはどんどん焦っていくばかりで、思考はすでに冷静さを失いつつある。
「落ち着け、後10分経てば、異変だと思って助けが来るはずだ」
絶対に間に合わない。
なにも言わず、ただこちらを威嚇してくる連中は、もうしびれを切らしているのか、鈍器を地面に叩きつけてストレス発散に努めている。
流石にこの人達、10分も持ちそうにないけど。
それに1分でも1秒でもいいから、早く楓を取り戻したい。
そんなことを考えていたときだ。
背後から大きな排気音と共に、とても眩しい光が襲い掛かってくる。また、敵の増援だろうか。嫌なイメージしか湧いてこない。
振り返って見ても光量が多いせいで、複数台の車種の異なる車のシルエットしか見えず、先頭の車両から人が降りたのがわかる程度。
「ピンチって感じやな」
聞き覚えのある声。
ゆっくりとこちらに進んでくる。
囲まれているって状況なのに、物怖じせず、ゆったりとしたペースで歩いてきた。
さすがのチンピラ達も止めに掛かるのだが、一瞬にしてノシてしまう。
そして、俺達の前にまで来ると立ち止まり、ある程度、この状況に慣れた眼は完全に、その人物を捉えた。
「あっ! えっと! ふんと!」
………………。
だれだったっけ?
記憶にはあるんだ。でも、記録には残ってないんだ。
俺のハードディスクの容量は少ないし、男の人を覚えるのには適していないようで、すぐに消去しちゃうんだよ。仕方ないんだと割り切っているからいいんだ。だって、俺。そっち系じゃないし。
「覚えといてぇな……」
と、しょんばりしたと思ったら
「けんや。豊島未来の護衛役っちゅうか」
「あぁ、露天商の人!」
「もうそっちで覚えてるんやったら、それでええわ。どうせ、最後は全然、出番なかったしのぉ」
と、さらにしょぼくれた。
まぁ、確かに出番はなかったね。
どう励ますべきかと考えて、今は励ますよりも目の前の状況をどうするべきかに、切り替えるべきだと脳は答えた。
「励ましの言葉もないんかいな! まぁいいわ。俺はそんなことしに来たんちゃうしな」
おいっ! っと大きな声を挙げると、複数の車からぞろぞろと人が降りてきた。
「ここは任せてけや。まぁ出番がまた少ないけど、影の立役者ってことで我慢しとくさかい」
そう言って、正面に特攻していく。
けんさんが動いたことで、大乱闘が始まった。
あちらこちらで怒声や罵声が轟き、金属音であったり鈍器の音が鼓膜を震わせてくる。
「おし、いこうか」
村雨さんは邪魔にならないスペースを見つけると、俺の手を引っ張り駈け出した。
とても違和感があった。
タイミングがすべてに置いて良すぎないだろうか。
村雨さんと行動することになったのは数時間前。それなのに、けんさんはピンチに駆けつけてきた。
しかも、俺と瑞希が予想もしていない場所だったというのに、なんの迷いもなく現れる。
すべてが出来過ぎでないか。
さすがに花園グループでも、わずか数時間で情報収集できるほど万能ではないだろう。でも、それを可能にしそうだから、否定もできない。
なにをどう結びつけるからで、今後の展開が大きく変わりそうだ。
走って数分で村雨さんの組の方達と合流。
みんな心配してくれたけど、なんとかなったことを説明すると、普段でも怖い顔をしているのに、さらに怖い顔をした。こう、気迫が伝わってくると言ったほうがいいかもしれない。
さぁ、予定時刻まであと5秒。
大型トラックのエンジンに火を入れる。
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トラックは無人のままホテルに向かって急発進。
「見ておけよ。これが私達の戦い方だ」
ガラスの割れ、トラックが支柱にぶつかり、猛然とぶつかったために、激しくホテルを揺らしたのを肉眼で確認できた。
ホテルにいるお客さん達、相当な恐怖を味わっただろうなぁ……。って、現在は有栖川と東条の人間以外、宿泊していないのは確認済みだけどさ。




