あるはずの道が途絶える
扉を守る護衛騎士と少しもめた後、焦る気持ちのまま国王の執務室へと飛び込んだ。先触れもなく訪問するのは無礼な行為であったが、悠長なことを言っていられなかったのだ。
「父上!」
部屋の中には国王と弟である第二王子がいた。二人は何かの政策について話し合っているようで、テーブルの上に書類が広げられている。国王は血相を変えて飛び込んできた息子を見て、ほんのわずかだけ眉を寄せた。
「何用か。騒々しい」
「突然の訪問、お許しください。どうしても確認したいことが……」
本当はすぐにでも問いただしたい。しかし、ここには異母弟のジョセリンがいる。彼には聞かれたくないと反射的に思った。
グウィンは決して二歳年下の、異母弟が嫌いではなかった。現王妃の息子であるジョセリンはとても優秀で、グウィンはいつも比較されてきた。異母弟が優秀であること自体には、何も思わない。得意分野が違うだけだとその程度の認識だ。
だが、そう思っているのはグウィンだけで、周囲はそう思わない。ジョセリンを好ましいと思っている人間は彼を誉め、グウィンを足らない人間のように噂する。逆にグウィンにすり寄ってくる連中は、グウィンの素晴らしいところを褒めたたえ、ジョセリンなど気にするな、第一王子はあなたなのだからと慰める。
どちらもとても鬱陶しく、大抵は曖昧に微笑んでおく。追い払ったり、気分を害すれば、ますます厄介なことになることがわかっていたからだ。そんな生活をしていたためか、ジョセリンに対して悪感情はないものの、苦手意識があった。
ジョセリンはこれと言って表情を変えることなく、テーブルの上に広げた書類を手早く片付ける。
「陛下、どうやら異母兄上は急いでるようなので、私は一度戻ります」
「いや、そのままいても構わない。先触れもなくやってきたのはグウィンだからな」
いつものように優先されなかったことに歯噛みしたが、明らかに礼を欠いたのはグウィンだった。なるべくジョセリンを視界に入れないように父親だけを見据えた。
「先ほどネスビット侯爵からルエラとの婚約白紙を聞きました。理由をお聞かせください」
ここに来た理由を述べれば、国王は大きくため息をついた。
「なんだ、ようやく知ったのか。婚約白紙にしたのはもう一か月近く前だ。議会から正式な書類が届いているはずだが」
書類、と聞いて。ルエラと最後の茶会の後から、急ぎのもの以外は仕事をせずにいたことを思い出した。山のように積まれた書類はルエラが戻ってきたら処理してもらおうと考えていた。
気まずい思いを手を握りしめることで誤魔化す。
「申し訳ありません。他の急ぎに紛れてしまったようです」
「そうか。まあ、もう決まってしまったことだ」
言外に覆ることはないという意図を感じ、気持ちが焦る。
「どうして婚約白紙になんてなったのですか。ルエラだって婚約白紙など望んでいなかったはずだ」
「ネスビット侯爵からルエラ嬢の状態を聞いていないのか?」
「……聞きました」
「だったら、どうしてという言葉は出てこないと思うが。ネスビット侯爵夫人の回復魔法で何とか命の危機は脱したとは聞いている。その後も後遺症がひどく、一人で立つことができない。娘の治療に専念したいと言われてしまえば、議会も頷かざるを得ないだろう」
理路整然と説明されて、愕然とした。
「そんなにも酷い状態なのか……?」
グウィンの呟きに反応したのはジョセリンだった。
「異母兄上はどんな状態になるのか知らずに秘毒を使ったのですか?」
「ほんの少しなら、一月程度で治ると」
「それを信じたと。愚か者が」
冷たく言い捨てたのは国王だった。母が亡くなってから、国王には守られてきた自覚のあるグウィンは息を呑んだ。いつもと違う雰囲気に、嫌な汗がジワリと額に滲んだ。
「逆に聞くが、お前は気に入っているジェイニーとかいう女に毒を盛られても、忙しくて心配だから休んでほしいと言われたら笑って許せるのか?」
「それは」
「しかも何故、秘毒を使った。あれは確実に死ぬための、殺すための毒だ。お前が持っていたものはいざという時のために与えたもの。邪魔な婚約者を消すために使うものではない」
初めての厳しい物言いに、喉がからからに渇いていく。
始めから秘毒を使うつもりはなかった。確実に寝込むようになるものを、と話しているうちにジェイニーに指摘されたのだ。ルエラは婚約者になった時から毒物に体を慣らしているから、毒物が効かないのではないか、と。二、三日、倒れているだけでは駄目なのだ。自由になる時間はひと月は欲しかった。
数日悩んで思い出したのは、自分に与えられていた秘毒。王族が成人の儀式を終えると与えられる自決用の毒で、ルエラでも飲んだことがない毒だった。
ぐっと拳を握りしめる。
「侍医が……侍医がちゃんと解毒できると」
そうだ。グウィンの専属侍医に相談したところ、解毒できるから問題ないと請け負った。だから、今までルエラの心配をすることはなかった。
「秘毒と言われるほどの毒物がどうしてただの侍医に解毒できるのですか。そもそも秘毒は解毒できないことで有名なのに」
「解毒できない?」
「そうですよ。成人の儀式のときに、説明を受けたではありませんか」
ジョセリンは冷ややかに指摘する。グウィンは忙しく記憶を辿った。成人を迎えた日、王族には何かあった時のために秘毒が与えられる。肌身離さず持っているようにと、中が空洞になった指輪の中に仕込まれていた。この指輪は特別なもので、本人の魔力でしか外すことができない。
「そんな……」
「まあ、異母兄上がやらかしてくれたおかげで、私が王太子になることが決まりました。今まで異母兄上を支えてきたルエラ嬢には大変申し訳ない気持ちがありますが、異母兄上にはありがとうございます、とお礼を言っておきます」
嫌味を乗せたセリフに、グウィンは眉をひそめた。
「お前が王太子? 何の冗談だ?」
「これもご存知ではない? 先日、議会で満場一致で私が王太子に選出されました」
「議会はまだ一か月も先じゃないかっ!」
ジョセリンは先ほどまで見せていた嘲りの表情を消した。そのかわり、気の毒そうなものにとって代わる。
「本来ならばそうでした。ですが、ルエラ嬢に毒を盛ったことで、緊急に議会が招集されました。そこで、異母兄上の婚約白紙と、私の王太子の決定がなされたのです」
グウィンは唖然として、ただただ異母弟を見つめた。その顔は嘘を言っているようには思えなかった。だから、父親の方へ縋るような目を向けた。
国王はため息をついた。その顔はどこか悲し気で、そしてとても疲れていた。
「お前がそれほどルエラ嬢を気に入らないのなら、もっと早くに気持ちを聞いてやればよかったと思っている。そうすれば、ルエラ嬢は無理をし続けることもなく、毒を飲まされることもなかった。お前も違う幸せがあったかもしれない」
「そんなことを今さら言われても」
「そうだな。だからこそ、後悔だ」
国王の苦さの滲んだ言葉を聞いて、グウィンは初めて取り返しのつかないことをしたと実感した。今まで、あらゆるものから守ってくれた父親が離れていく感覚に体が震えた。
それでも少しでも自分が悪意を持っていなかったことをわかってもらおうと、言葉を絞り出した。
「ルエラは……ずっと毒を体に慣らす訓練をしていたから、そんな大変なことになるなんて思っていなかった。僕は少しだけ、自由な時間が欲しかっただけで」
「大変なことになる、ならないではない。決してやってはいけないことだった」
国王の言っている意味が分からず、瞬いた。
「異母兄上、わかりませんか?」
「何を?」
「……ルエラ嬢は献身的に異母兄上を支えてきました。彼女の支えがあったからこそ、異母兄上は王太子になれる可能性があった。そんな一番の味方に毒を盛ったのです。身勝手な理由で一番信用している者を害する。貴族たちの信用を失うには十分な理由ではありませんか」
そう呆れたように告げられた。
「もうよい。処罰が決まるまで、部屋で謹慎するように」
「僕は」
「お前は最愛の妻が残した息子だ。誰よりも幸せになってほしいと思う気持ちが強くて、守りすぎたのかもしれない」
独白のような呟きに、グウィンは何も返せなかった。
ここまでお付き合い、ありがとうございます。
予想外に読んでいただいて、毎日の感想にビックリしています。
ストーリーの調整とストックの関係で、明日から朝8時の1回の更新に切り替えます。
完結まで書き終えたらまた更新回数を上げていくつもりでいます。
また、なろうに当てられる時間が感想欄の返信で溶けているので、書き終わるまで感想返信はとても遅くなると思います( ;∀;)
感想、皆さんが鋭すぎるのと、忘れてたー!という気づきがあって楽しいんですが、なんせ時間が……。返信は必ずしますので、お待ちいただけたらと思います。




