自由の終わり
自由な時間を満喫した。
気が付けば、ルエラと最後に会ってから、一月以上、経過していた。楽しい時間は早いもので、あっという間だ。
ルエラが城にいないせいなのか、いつもは煩い派閥の貴族たちが何も言ってこない。当然、公務は最小限になり、穏やかな時間を過ごすことができた。以前は休憩時間がないほど入れられていた仕事も緩やか。
ルエラ一人がいないだけでこれだけ仕事が少なくなるのなら、やはり派閥たちが余計な仕事を作っていたのではないかという疑問が浮かんでくる。
ルエラが休む前は、公共事業、他国との折衝、他にも貴族たちとの交流などやることは山ほどあった。積まれた仕事は手を抜いたことはないが、気持ちが追い立てられてしまっていたのは事実だ。だからこそ、休息が欲しいと心から願った。
忙しさから解放されてしまえば、あの生活に戻るのは非常に億劫だ。そろそろ王太子選定に向けて、ルエラを呼び戻さなければいけないのだが、腰が重い。あと数日ぐらいはこのままでいいのでは、と悩んでいた。
そんなことを考えていると、執務室のソファで寛いでいたジェイニーが顔を上げた。
「グウィン様、午後に散策に行きませんか」
「午後?」
「ええ。わたしを優先してもらえるのはあと少しだろうから」
少し寂しそうに言われて、グウィンは席を立った。そして、ジェイニーに近づき、横に腰を下ろす。彼女の寂しさを埋めようと、ぎゅっと抱きしめた。
「すまない」
「謝らないで。でも、グウィン様の心を貰うのはわたしだけにしてね」
「もちろんだ。君には辛い思いをさせるが、手放せないんだ」
「わかっているわ」
ジェイニーと愛を確かめ合う時間は心が温かくなる。二人でふんわり微笑み合っていれば、デリックが咳払いした。
「気持ちが穏やかなのはいいことだが、そろそろ本腰を入れないと」
「もちろんだ。ルエラを呼び戻すつもりだ。一か月もあれば、今まで休んでいた分を取り戻せるだろう」
甘い空気を取り払うと、グウィンは大きく頷いた。
「グウィン様が王太子……素敵ね」
ジェイニーがうっとりとした顔で呟く。どんなことを想像しているのかわかりやすい表情に、グウィンはこそばゆさを感じた。
「ジェイニーにそう言ってもらえるのなら頑張れるよ」
「ええ、わたしもグウィン様をずっと支えていくわ」
「一年だ。一年後には側室になれるようにするから」
この国で側室を持つには正妃に跡取りができない等、何かしらの理由が必要だ。グウィンはルエラを抱くつもりはなかったので、二人の間に子供は生まれない。王妃にはしてやれないが、未来の国母としての地位は与えることはできる。愛した女性を妻にできないのだから、そのぐらいの我儘は許してもらえるはずだ。
「一年で可能なの? ルエラ様になんだか申し訳ないわ」
「もちろんルエラも大切にするつもりだ。彼女は家族だから」
「えっと? 家族?」
「そうだよ。今までも、これからも。それは変わらない」
ジェイニーは理解できなかったのか、少し戸惑った顔になった。グウィンは気が付くことなく、デリックを見た。デリックは難しい顔で宙を睨んでいる。
「しかし、一年で側室か。議会がそう簡単に承認するかな?」
「させるんだ。やれないことはないはずだ」
「無視できないぐらいの大きな功績があれば、いけるかもしれないけど」
今まで取り組んでいた公務の中に、この一年で大きく花開きそうな取り組みがいくつもある。その実績から、根回しをしようとデリックは頭を巡らせた。今から気をもんでいるデリックがおかしくて、グウィンは小さく笑った。
「デリック、難しく考えなくても大丈夫だ。すでに種は沢山蒔いてある」
「確かに」
そんな会話をしていると、ロニーが変な顔をして執務室に入ってきた。
「ロニー、どうした? 元気がないな」
「元気はありますよ。先ほど鍛錬をしてきたばかりですし」
「だったらなんだ? いつも部屋に入るなり、騒々しいのに」
ロニーは護衛を兼ねているので、毎日鍛錬をしに騎士団へ出向いている。だが、今日は不思議そうな顔をして首をひねっているものだから、心配になる。
「大したことではないんです。こちらの派閥の貴族たちが第二王子派の貴族たちと何やら話していたのが気になっただけで」
「いつもの意見交換だろう?」
別に陣営が異なっていても、付き合いがないわけではない。意見交換はよくしていることだ。
「初めはそう思ったんですけどね。なんというのか……言葉には言い難いのですが、いつもと違って見えて」
「気のせいじゃないのか? 貴族たちはおしゃべりが仕事だからな」
デリックが気にしすぎだと笑い飛ばした。グウィンは頷きつつも、嫌なシミが胸の中に広がった。
「……ルエラに明日にでも戻ってくるようにと手紙を出してくれ」
「そうですね。長い休暇は終わりにしないと」
「ええ? 数日後でもいいじゃない」
グウィンの指示に、ジェイニーが不満の声を上げた。グウィンはジェイニーの可愛い嫉妬に気分を良くした。
「そうだな。三日後にルエラに登城するように連絡してくれ」
「じゃあ、それまでわたしと一緒にいてくれるのね?」
「ああ、楽しい時間を過ごそう」
ジェイニーは嬉しそうな声をあげて、グウィンに抱き着いた。彼女の柔らかな体を抱きしめながら、それでも胸の奥にあるシミは消えることはなかった。
◆
三日後、グウィンの執務室にやってきたのはルエラの父であるネスビット侯爵だった。驚きに思わず立ち上がる。
「ネスビット侯爵。ルエラはどこですか?」
父親と一緒に挨拶に来たのかと、ルエラの姿を探す。ネスビット侯爵はそんなグウィンの質問に答えることなく、執務机の上に手紙を置いた。
「グウィン殿下。お久しぶりでございます。ルエラは連れてきておりません」
「……ルエラを呼び出したはずだが」
「承知しております。ご存知の通り、現在ルエラは療養のため領地に行っております。質の悪い毒で、後遺症が残るためしばらくは治療に専念すると連絡しているはずです」
「は?」
治療に専念と言われて、グウィンは表情を強張らせた。部屋にいたデリックとロニーも顔色を悪くする。
「驚くことでもないでしょう。王家の秘毒を使われたのなら、その効果のほどは理解していると思っていましたが」
棘のある言い方に、グウィンは狼狽えた。
「いや、あれは殺そうと思ったわけではなく。ルエラが心置きなく休める様にと」
「休暇を与えるために毒を盛る? ははは、どんな冗談ですか。そのおかげで手足がしびれ、ルエラは一人で歩くことすらできません。たまたま腕のいい治療師に出会えましたが、見つからなければ一生不自由したでしょうな」
歩くことができないと言われて、グウィンは息を呑んだ。
「どういうことだ?」
「おや、知らなかったのですか? ルエラは今も後遺症に苦しんでおりますよ。社交もできないような娘は殿下の結婚相手としては相応しくありません。なので一か月ほど前に婚約は白紙になっております」
頭が叩かれたような衝撃を受けた。グウィンはぶるぶると体を震わせた。
「婚約が白紙? そんな話は聞いていない!」
「そうですか? この一か月は殿下がとても楽しそうにしていたようでしたので、もしかしたらどなたかが配慮したのかもしれませんね。どちらにしろ、議会も満場一致で解消の運びとなりました。詳細は陛下にでもお聞きください」
退出の挨拶をして、ネスビット侯爵は扉へと歩いた。執務室から外に出る時になって、足を止める。彼は振り返ると、笑みを浮かべた。
「そうそう、グウィン殿下には我々の期待は重いものだったようで申し訳ありませんでした。我々は国王になることが殿下の幸せになると思っていましたが、心から愛する人と家庭を築くこともまたいいでしょうな」
言うだけ言って、ネスビット侯爵は出ていった。グウィンの言葉など聞きたくないと言わんばかりに。
「……ルエラ嬢との婚約がなくなったら、これからどうなるんだ?」
重苦しい空気を破ったのはロニーの呟きだ。デリックも顔色を悪くして、震えた。
「婚約白紙はあのお茶が原因だ。廃嫡で済めばいい方かもしれない」
「廃嫡? 冗談だろ?」
「いや、下手をしたら一族全員、処罰対象だ」
グウィンは聞いていられなくなって、勢い良く立ち上がった。頭の中はネスビット侯爵家の後ろ盾を失った恐ろしさでいっぱいだった。何があっても、彼らが自分から離れることはないと思っていた。血のつながりはなくとも、彼らはいつだって家族だったから。その思い違いに血の気が引く。
「父上の所に行く」
「え? じゃあ、先触れを」
「いや、いい。待っていられない」
グウィンは部屋を飛び出した。




