其の漆:士官だって美味い飯が食べたい
ある晩1942年のガダルカナル島と、とあるコンビニエンスストア前の洞窟が繋がってしまった……。
この洞窟は通称「門」と呼ばれ、そこを通過するにはいくつかの条件があった。
・過去から現代には移動できるが、現代から過去には、来た者以外は移動できない。
・同時に「門」を通って現代にいられるのは生死を問わず最大3人まで。
・1人が持ち帰る事の出来る物資は、現代の金額で2000円程度までで、3人分まで。
・武器は基本的に移動させられない。
・歴史を変えかねない「情報」は記録媒体ごと移動させられない。
・この「門」は人為的に開けられたようで、上記制限は探せば抜け道が存在する。
「高級そうな弁当ありますか?」
俺の勤めるコンビニに、そう言って自衛官がやって来た。
何故かうちのコンビニの前に、1942年のガダルカナル島に繋がる「門」が出来た。
極秘にそこを使って、旧軍に食糧や医薬品の支援をしていて、
うちの店もそれに協力をしている。する事になってしまった……。
とは言っても、今は食糧や医薬品以外で必要な物資購入だけに使われている。
何故かは知らないが、「門」は一度に2000円以上の物資を通さない。
かつては食糧や水とおまけのタバコなんかを、2000円いっぱい買い込んで、
これも「兵士か下士官しか通過できない」制限があった為、彼等が運搬していた。
しかし「一回で3人までしか来られない制限はあるが、だったら3人ずつ、
こちらの世界で食事をしてもらい、交代でまた次の3人にも食事とした方が、
より多くの人が制限に引っ掛からずに食事出来る」と考えついた為、
食事と持参した水筒への水補給は専ら自衛隊が行う事となった。
うちのコンビニは、自衛隊が賄い切れない物資のみ「買い出し」で使用するようになった。
食事の面倒は見なくて良くなった筈だから、「高級弁当」の発言は意外だった。
自衛官が言った。
「こちらに来られない士官連中が不満を言っているそうです」
少尉、少尉候補生以上の士官は、何故か「門」を通過出来ない。
故に彼等は、「門」を通った兵士が持ち帰るおにぎりや菓子パン、調理パンを食べる。
だが、段々と
「兵士や下士官は暖かい銀シャリに味噌汁を飲んで帰って来るのに、
士官学校を出た我々は冷えた握り飯とかパンだけとは許し難い!
兵士や下士官も同じなら士官だけが我がままを言う訳にもいかんが、
明らかに下の者が贅沢をして、上の者が我慢を強いられている。
秩序的にも非常によろしくない!!」
と言い出したようだ。
「レンジでチンしておにぎり届けたらどうですか?」
「そういう問題じゃあないですね……」
彼等もたまには良い物を食べたい! 兵士や下士官より豪勢な物を食べたい!
毎回とは言わんが、一回くらいはいいだろ!!という事のようだ。
「そういう弁当はありますけどね…。2000円制限があるから、多くは買えませんよ」
「多く買えなくて良いです。士官は兵士に比べ、人数が少ないので」
「そういう事なら、統括部長に連絡入れて、高級弁当入れておきます。
今はあそこの棚にあるのが精一杯です」
まずは弁当。その中で和風から。
海苔弁当は安くて美味いが、士官たちはどう思うかな?
三食そぼろ弁当も安いが、これはサイズ的に小さい。
唐揚げ弁当はカロリーがあるが、油っこいのを嫌う昭和の軍人の口に合うか?
チキン照り焼き弁当が今のとこ一番豪勢だ。
次に和風以外の弁当。
中華三昧弁当は炒飯、焼売、青椒肉絲が入っているが、これも油っこい。
キーマカレー弁当は、カレー好きな日本軍だが口に合うかな?
バターチキン弁当も、彼等の知ってるカレーとは若干違う。
デミグラスハンバーグ弁当……、ハンバーグはドイツだし、これがいいかな?
麺類。
焼きそばだが、ソース焼きそばは当時も有ったか?
焼うどんなら大丈夫かもしれない。
天ぷらそばは、チンしないと食えない。
スパゲティ各種……、イタリアも同盟国だが、軍人さんたち好きかな?
台湾風焼きビーフン、台湾は当時日本領だが、食べたことあるのかな?
冷やし麺系……、この辺は大丈夫そうだな。
こんな中から見繕って持ち帰って貰った。
「美味いもの食いたい!」とは言ってたそうだが、何を食べたいのか分からない。
「門」が明日開く時に返事は聞くことが出来る。
さて、統括部長にメールを入れて置こう。
『少尉以上が豪華な飯を食べたいとごねたそうです。そういうのを下さい』と。
朝・昼と休んでまた出勤。
部長からメールが返って来ていた。
『Re: 高級弁当の件
広瀬さんからも聞きました。
でも、あれは季節ものなので、今すぐは在庫はありません。
都心の店で出してる高級そうなのを手配しときます。』
そしてトラックが来て、色々置いていった。
統括部長が手配したのは「〇〇御膳弁当」系で、550円から1100円までの、
四角くて大きな容器に入った弁当だった。
……少ない場合は3個しか運べない、効率悪い弁当だな……。
そして開門時間。
自衛官が、直接来られない士官たちからの伝言を預かった兵士から聴取し、
コンビニにやって来た。
「えーー、なんといいますか、味は良かったそうです。
ただ、『美味いんだけど、これじゃないんだ』だそうです。
分かります?」
「分かりません!」
「ですよねー」
「広瀬三佐は何か言ってませんでしたか?」
「松花堂弁当みたいなのがいいんじゃないかって言ってました」
「うちにそれはありません」
「ですよねー……」
「でも、まあこの『御膳』シリーズならば豪勢なものですよ」
「はあ……そうですねえ」
煮え切らない態度だったので、俺は聞いてみた。
「なにか引っ掛かることでもありますか?」
「店長さんは陸軍と海軍の将校の違いを知ってますか?」
「いいえ」
「旧海軍は、兵士下士官が粗末な物を食っていても、将校は士官用食堂で洋食を食べてました。
兵士と上の方で差があったんです。
戦艦大和、武蔵なんて冷房も効き、食事が豪華な上に損失を恐れて泊地にずっと居たから、
『大和ホテル』『武蔵屋旅館』なんて陰口を叩かれていたみたいなんです。
一方の陸軍は、戦地で上官も兵士も同じ釜の飯を食う。
戦前の二・二六事件なんかも、窮乏地域の兵士に同情的な士官が決起したりしてます。
だから、彼等がそこまで豪勢な食事をと言って来てるのが不思議なんです」
「へーー。昭和の陸軍って、上が威張り散らしているイメージがありましたが、意外です」
「将官とかはともかく、少尉とかは兵士に近いですよ」
「でも、豪勢な食事って言ってる以上、これらを送る事になりますね」
「ですねえ。それしか無いですよね」
ここで今日の当番の野村さんが割り込んで来た。
「汁物はないんですか?」
「汁物??」
「豪勢なっていうか、テーブルでする食事には味噌汁とか欲しいですよね。
弁当だけだと、何か味気ないっていうか」
俺と自衛官は顔を見合わせた。
「それ、いけるかも」
「ええ、それ試してみます」
お椀はあいにくコンビニでは売っていない。
紙コップ型のインスタント味噌汁で我慢して貰う。
運搬する兵士の水筒にお湯を入れさせて貰い、弁当は安めの〇〇屋釜飯や△△屋おにぎりにし、
その数の分だけインスタント味噌汁を入れて約2000円とした。
兵士には、食事直前にお湯を入れて味噌汁にして貰うよう指示した。
結果は如何に??
翌日の開門時間、兵士が手紙を持参した。
自衛官がそれを持って来て、俺に見せてくれた。
「意を汲んでいただきありがとう。
大変美味しゅうございました。
それと我がままを申し、真に申し訳ない」
「あの時の弁当は、高いものではなかったし、量も多くはなかった。
でも、満足したっていうのは、やはり味噌汁ですね」
「日本人はやはり味噌汁ですか」
「今後は自衛隊の方で用意するんですか?」
「上申してみますが、きっとそうなるでしょう」
「だったら、紙コップでなくお椀の方が和むかもしれませんね」
「なるほど、それも上申してみます。
そうなるとインスタント味噌汁も、味噌だけのパックや乾燥粉末で、
もっと大量に運ぶ事も出来ますし、粉末だと『門』を離れても大丈夫ですね」
「本当は彼等も、こっちに来て、皆と一緒に食べたいんでしょうね」
「それがかなわず、いつも弁当ばかり。
心が温まるとまでは言わないものの、ちょっとは和む味噌汁を欲したんでしょうね。
素直にそうと言い出せず、豪勢な食事を寄越せ!と言い出した」
「どうして素直に言えないんです?」
「兵士の手前、味噌汁が飲みたいよ~!とは言えないんじゃないですか。
味噌汁はおっかさんの味、もしくは女房の味なんですから」
「ははは、あの上官は家庭を恋しがっている、なんて言われたくなかったんですね」
「多分そうじゃないかな、って思います」
そして数日後、ガダルカナル島の各司令部には、百均で買った安いお椀と、
味噌、出汁入り一食分味噌パックセット、乾燥味噌汁とヤカンが常備されるようになった。
そして
『食事ガ弁当ヤ握リ飯ダケノ者、
乾パンヤ缶詰ダケノ者、
階級ノ上下ニ関ワラズ椀ノ使用ヲ許可ス。
但シ、一人一食分ニ限ル』
と貼り紙がされ、時に兵士や下士官も味噌汁を飲んで、ほっとするようになったという。
ガダルカナル島はそろそろ1942年の12月を迎えようとしていた。
兵士、下士官限定で美味いもの食わせて来ましたが、
士官、特に中佐より下くらいのもたまには食いたいだろうな、と思いました。
大佐より上?
高級士官はどうにかなるっしょ。




