其の参:当時の部品を探して
ある晩1942年のガダルカナル島と、とあるコンビニエンスストア前の洞窟が繋がってしまった……。
この洞窟は通称「門」と呼ばれ、そこを通過するにはいくつかの条件があった。
・過去から現代には移動できるが、現代から過去には、来た者以外は移動できない。
・同時に「門」を通って現代にいられるのは生死を問わず最大3人まで。
・1人が持ち帰る事の出来る物資は、現代の金額で2000円程度までで、3人分まで。
・武器は基本的に移動させられない。
・歴史を変えかねない「情報」は記録媒体ごと移動させられない。
・この「門」は人為的に開けられたようで、上記制限は探せば抜け道が存在する。
「自衛隊に小型カメラの部品ってありましたっけ?」
「あるわけないだろ…」
とある日の「門」前自衛隊駐屯地での一幕であった。
何故か1942年のガダルカナル島と接続された場所にて、
「先人たちをなるべく助けるように」
という曖昧な指示の元、自衛隊と民間企業とで彼等に補給をしていた。
「一度に3人までしか現代に滞在できない」
「1人が持ち帰る事が出来るのは現代の価格で2千円、3人分まで」
「武器や重要情報の書かれた書類は輸送できない」
という制限があり、初期は中々難儀していた。
かつては近場のコンビニに必要な物を買いに行かせていたが、
望郷の念を起こした脱走兵が出てしまったことと、
食糧・水・医薬品・工具等の「必要と分かっているもの」なら最初から自衛隊で用意すれば良い、
と補給の形が変化した。
さらに「人体に入った物はノーチェックで通過する」という欠陥を発見し、
「3人目は死体」という罰当たりな輸送法で「書類」を通過させる事が出来た。
その書類で、必要な物を「門」が閉じている昼間に買い出しに行き、
翌朝の開門後に手渡すやり方に変えていたのだが、たまに厄介な私物の依頼が来る。
今回来たのはその類のものであった。
開門し、日本兵が3人ずつ現代に現れ、自衛隊駐屯地にて食事をする。
こちらで食わせて帰す、水も売り物でなく持参の水筒に入れて帰せば、金額制限を潜れる。
そのように食事しに来た兵士の1人が、食後に話しかけて来た。
「カメラの部品はありましたか?」
「貴方でしたか。いえ、残念ながら。
こちらの時代ではもうフィルムカメラは、ほとんど生産していませんので」
自衛隊は昼間に、電話をかけたりネットで調べて回った。
するとどこでも「型式は何ですか?」という質問で止まる。
それはそうだ、工業規格が統一されていないと、時に同一メーカー、同一ブランドでも
使用部品が異なったりする。
それ以上分からないし、カメラの部品は必要不可欠な補給物資ではない。
それで「無い」として断った。
だが、その兵士が言うには、カメラ自体は亡き兄の形見である為、捨てるには忍びないこと、
偵察情報は陸軍に報告するものであること、隊の入れ替えで明後日には「門」前を離れることを
嘆きがてら語っていた。
同情心も湧いたし、「司令部に提出すべき写真」ならこちらで現像して届けてやっても良い、
この人が生きて帰れる保証が無い以上、生きた証として撮った写真くらいは、という気が起きた。
「便宜を図ってみます。戻った後、しばらく待機していて下さい」
そう言って、一度帰した。
24時間連絡先になっている広瀬三佐に連絡を入れ、多少文句を言われながらも許可を得て、
人体を使った物資補給「仏舎利」輸送の本日第1便で手紙を送った。
『写真機修繕依頼の兵士を一日此方に滞在させ、写真の現像と部品捜索をしたい。
該当兵士と写真機実物を預かりたい』
そして「門」が閉じる寸前の午前4時58分、彼「ら」はやって来た。
「えーと、貴方たちは?」
「こいつが脱走しねえように、見張りだな」
「んだんだ」
「……本当のとこはどうなんですか?」
「俺たちもこっちでたまには羽伸ばしてえんだよ」
「大丈夫だぁ、小隊長殿の許可は取った」
「それは俺の見張りってことで取った許可だべ?」
自衛官は頭を抱えた。
見張りは自分たちがするものだと思っている、それは自衛隊だけでなく陸軍の方もだった。
そして、羽を伸ばしたいって欲求はあるだろう。
これでまた里心なんか出されてしまった日には……。
以前、「軍対軍の、もっと役所的なつきあいに変えよう」と双方が言ったものの、
双方がそのように出来ていない現実があった。
カメラを見せてもらった。
「ミノックスじゃないじゃないですか!」
「え? でも、小型写真機は全部ミノックスって聞いてましたが」
「アルファベットは読めます?」
「ひと通りは」
「これ、なんて書いてます?」
「レイサ?」
「……写真好きはお兄様で、貴方はその形見を貰って、撮影してるだけですね?」
「そうですが」
このカメラはバルナックライカ、どう見てもスパイカメラのミノックスとは違う。
「そういえば、ライカって聞いたことあるような」
「ミノックスってどっから出て来たんですか?」
「記念写真撮るようなでっかい写真機以外は、皆してミノックスだミノックスだって。
特に偵察に出る時にミノックス忘れずに持って行けよって」
『小型カメライコールミノックスって、そんなに一般でも理解されてたんですか?』
『いや、それはない。ここの部隊で誰かが誤って広めたんだろう』
とりあえず、ミノックスを探しても絶対に分からなかったことは理解出来た。
ミノックスのような特殊なフィルムではなかった為、防衛省の方で現像は出来た。
問題は本体の方だ。
ネットショップで扱っているとこはあるが、彼等は次の開門で戦地に戻ると、
「門」からは離れた場所に配置換えとなってしまう。
実機がそこにある店を探してみた。
中野と新宿と秋葉原にあった。
買い出しに行こうとしたら、3人とも着いて行くという。
そりゃそうなるか……そうなるよなあ……。
3人を現代人の服、ただしヤボったい服に着替えさせ、移動した。
今風の服は嫌がられた。
着替えはさせたが、何故か褌だけは頑として替えようとしなかった。
まずは中野に到着。
2店あり、1店は集合店舗内、もう1店は路地が入り組んだ場所にあった。
3人とも、集合店舗内のオタクグッズ店の数々に興味津々だった。
ここの集合店舗、戦前ものとかを扱ってる店もあったりして、侮れない。
「おおおお、すげえええ」
とか言ってる3人を引きずって、該当店に行く。
残念ながら、ここの店のは型が違っていた。
そのままアーケード街を歩いて2店舗目に行く。
「なあ、あれ食っていいか?」
回転寿司やらトンカツやらたこ焼きやら、よく食いたがる。
元々飢餓の状態としては悪くなかった部隊のようで、「門」近くに布陣した後も健啖だった。
……こっち来てからあまり舌がおごると、戦地の飯なんか食えなくなるぞ……。
1kmも離れていない筈だが、1時間かけて到着。
中古カメラのジャンク品が大量に売っていた。
その型は存在したが……ジャンク品で「動く保証は無い」という事だった。
一応予備パーツ、共食い整備用として、安く買っていった。
続いて新宿。
ここもディープな店が意外な場所に在ったりする。
3人は、とにかく人と車の多さに戸惑っていた。
そして、運が悪かった。
「先ほど売れました。次に入手した時に連絡しますよ」
電話かけて問合せた時も「取り置きはしていません」とは言っていた。
まあ、あまり売れませんから、来ればありますよとか言われたが、売れたのか……。
「最近はフィルムカメラとかオールドカメラの味のある写真が好きって人も増えてまして」
最後……秋葉原か……。
車を停めて、「あの」大通りを渡る事になる。
日本兵から聞かれる。
「まだ女子が身売りをしているのか?」
「いいえ、そんなことしていません」
「年端もいかぬ女子が、道端で給仕服を着て客寄せをしているが、あれは何だ?」
「商売です」
「商売だと?」
「彼女たちは親に売られたり、人買いが介在したのではなく、好きで働いてるんです。
あと、あれが可愛いから、わざと着ているのです」
「そうなのか?」
聞くと、戦争が始まる前、彼等がまだ子供だった時、第2師団の置かれた東北は不景気や
凶作の為に、娘を売る家が随分あったという事で、
「この豊かな日本で、まだそんな事やっているのか?」
と憤慨したそうだ。
ただ、誤解と分かった時から、付き添いの2人の鼻の下が伸びまくっている……。
店に着いた。
その型式のがあった。
十分動く。
部品だけ買って帰ろうとしたら
「そんな勿体ないこと出来ません! これを壊すなら、売れませんよ」
と言われた。
日本兵の方は、兄の形見である方を捨てて、乗り換えるわけにいかない、と言う。
付き添いの癖に、なんかソワソワし出した兵が
「お前の兄さんのは仕舞っておいて、その動く方使って撮ればいいべ」
と言った為、あっさり両者納得した。
兵は兄の写真機を大事に仕舞い、今後の任務は買ったものを使う。
何かあったら中野で買ったジャンクを使って整備する。
中野では整備用品も買ったし、後は本人次第。
これで用件は済んだ
………のだが………
「なあ、どこか女買えるとこ無いか?」
「今の日本では、(表向きは)ありませんよ!
一体何をしに来たんですか?」
「いや、秋葉原で女子の声を聞き、紙貰い、手に触れたらもうたまらない!
お願いします。後生だ。連れてってくれないか」
「俺も行きたい。ガ島に無いんだ。たまには、いいだろ。なあ!」
カメラの兵はそういう欲は無かったようだが、「見張り役」の2人が……。
広瀬三佐に連絡をしてみて、かなり文句を言われながらも、許可を貰った。
「若い娘、年配の女性、どっちにします?」
「若い娘!!」
「本当に良いんですね? おばちゃんの方が包容力ありますよ」
「若い方だ!!」
付き添いの自衛官にはオチが見えていた。
そのような店に連れて行き、一定の時間が経った後、彼等は憤慨しながら出て来た。
「なんだ、あの女子は!」
「褌を見て、ゲラゲラ笑い転げて、一戦交えるどころではなかったわい!」
「笑うだけならマシだ。俺なんか、褌姿になったら、臭いって吐かれたぞ」
「そういう事をする店の癖に、いきなり猛ったら、楼主や用心棒を呼ばれ、
『お客様、当店は本番行為は行ってないのですよ』とか言われた。
これではたまったものじゃない」
「俺は臭いから風呂に入れと言われ、鼻栓した女子がひたすら体を洗っただけじゃった。
ほぼ風呂だけで時間が来てしまったではないか!」
2人してプリプリ怒っていた。
まあ、現代の女の子に未練を残して、戦地に戻るのを拒否されても困るしね。
今生の名残というなら、その辺を上手く宥めてくれるおばちゃんの方が良かっただろうに。
こうして3人は、明朝の開門時間にガダルカナル島に帰っていった。
これより半月経たない内に、3人は史実にない「第三次総攻撃」で戦死する。
内地にいた写真機の兵の弟の元に、何故か3つに増殖した兄の形見が届けられるのは、
ガ島撤退後の事だった。
以前、田舎にあった昭和中期の機械類を修理しようとしたところ、
地元にはもうパーツは存在せず、秋葉原の電気街の「ジャンク品店」を探しまくって
ようやくそれっぽいのを探し出した時の経験談を、ネタにしてみました。




