あちら側の世界:アメリカ合衆国1943~2011年
1943年2月5日 ガダルカナル島:
満を持したM3中戦車、M4中戦車を投入した日本軍の「UFO基地(仮称)」攻撃は、
大量の物資を投入しての空振りに終わった。
かつて来たその場所は、野戦病院に数十人の重症患者がいるだけだった。
既に自殺をしていた者を除き、ほとんどは投降した。
話を聞くと、既に4日前に日本軍は陣地を放棄し、撤退したという。
病院で投降者に対し尋問が始まった。
「この薬はどこで手に入れた?」
「補給基地からだ」
「補給基地はどこにあるのか?」
「あの繁みの向こうに崖があり、そこにある洞窟の先と聞いている」
「無人偵察機は日本軍のものか?」
「詳しくは知らない」
「君は補給基地に行った事があるのか?」
「無い。自分は重病だった為、気づいたらこの病床に寝させられ、点滴を受けていた。
自分も物資の補給に関しては、人づてに聞いたのみだ」
ここの兵士たちは、そういう補給基地があると聞かされていたが、詳しくは知らないようだ。
一方、元の日本軍の陣地の周辺は、穴を掘って埋めた形跡が多数あり、
情報隠匿を悟ったアメリカ軍は掘り返した。
そこで内臓を抜かれた死体を見つけ、米軍は日本軍の狂気を感じた。
この体の中が何も無い死体、紐やテープで縛られた痕のある死体は一体何に使われたのか?
また、通信に使われたと思われる残骸も発見された。
暗号表は燃やされたのか、見当たらなかった。
この無線機らしきものは、奇妙な事に真空管がどこにも無かった。
「真空管だけ抜いて、持ち帰ったのではないか?」
と言われ、おそらくそうだろうという事で片づけられた。
いくつかの陣地では、自軍のM2重機関銃が発見された。
ボフォース40mm機関砲も見つかり、日本軍の装備について米軍は慎重になった。
彼等は思った以上に重装備であり、攻める際は慎重に攻めねばならない、と。
そして奇妙な事に2日後、それらの機関銃は台座も含めて消滅した。
米軍では理由を調べたが分からなかった。
「内通者がいるのではないか? 日本軍の残留物資を消して歩く存在がいる」
そう考えられた。
時は移る。
1943年8月、北アフリカのオランに日系米人部隊である第100歩兵大隊が到着した。
彼等は出征前、有刺鉄線が張り巡らされ、常に監視員が銃を構えている、
刑務所同然の日系人強制収容所を見て来た。
日系人は「抗生物質や重機関銃を日本に密輸した」という疑いを着せられていた。
(こんな扱いをされている同胞を救い出したい)
日系人部隊は、「門」の反対側の歴史以上に激しく、死を賭して激しく戦う事になる。
史実以上に過酷な待遇の日系人強制収容所を見た第100歩兵大隊、後に拡大されて
第442連隊戦闘団は、史実以上に勇猛で命知らずの働きをし、
ヨーロッパ戦線と戦後のアメリカ公民権運動に影響を与える事になる。
日本には辻政信という癖の強い男が居た。
アメリカでも、ダグラス・マッカーサーとアーネスト・キングという軍人は相当我が強かった。
彼等は前線から上がって来た「日本軍のUFO」という報告に激怒した。
マッカーサーは言った「だったら捕獲して来い!」。
だが、ガダルカナル戦以降、米軍の上空にUFOは現れなかった。
キングは吠えた「UFOなど臆病な心が見せたまやかしである!」。
だが、キングが否定しようと、かつて確かにそれは多くの人に目撃されていた。
否定すればする程、面白おかしく噂が駆け巡った。
太平洋のどこかに、日本を助けたUFOの基地がある。
そいつらにさらわれたら、内臓を抜かれ、実験に供せられる。
実際、ガダルカナルでは内臓を抜かれた日本人が居た。
日本軍は彼等を売る事で、その上空からの監視情報を得ていたのだ。
米軍の中にも彼等に捕まった者がいる。
その兵士は脱走に成功したが、まる1日記憶を失ってしまった。
等等。
情報部では妙な噂に頭を抱えた。
そこで打ち消す為に、別な噂を流した。
曰く
「ガダルカナル島で日本軍は飢えていた。
彼等は鶏と称して、病み衰えた自軍の兵士を共食いした。
連合国軍の捕虜も、生かしておくと食事をする為、
殺し、内臓を抜いて保存食としていた」
その噂は、別な時間に別な国で再流行する。
チュパカブラとかキャトルミューティレーションという名前で。
曰く
「日本軍は捕虜を殺し、人食いをしていた。
さらに人体実験を行い、内臓を抜いて調査をしていた。
日本陸軍は非人道的な軍隊であった」
時を変え、国を変え、何度かこのプロパガンダが蘇り、日本人を苦しめることになる。
人体実験用の特殊部隊がいたという設定となって。
その一方で「UFO」の噂も消えなかった。
1945年12月5日、既に戦争も終わった大西洋バミューダ沖合で、
フライト19と呼ばれるTBFアヴェンジャー雷撃機5機が行方不明となり、
捜索に向かったマリナー飛行艇も後を追って行方不明となった事から
「UFOに攫われた」と根拠不明の噂が立てられた。
そしてこの先ずっとアメリカ人は、軍事用語としての「UFO」は異なる
「エイリアンのUFO」「空飛ぶ円盤」という噂話を好み続ける。
1943年の南太平洋で、アメリカ海軍は苦しい戦いをしていた。
雷撃を受けた空母「サラトガ」の調子が良くない。
その調子の悪さは、本来大活躍をする筈だった1943年11月5日のラバウル空襲に影響した。
空襲こそ上手くいったものの、ラバウルの日本軍航空隊の反撃を受け、1弾を食らってしまった。
ニミッツがイギリス空母「ヴィクトリアス」のレンタルを延長していなければ、
更に大打撃を受けていたかもしれない。
5ヶ月レンタルが延長された「ヴィクトリアス」は、ドイツ戦艦ティルピッツを攻撃する
「タングステン作戦」には参加しない事になった。
ここでも「門」の反対側と違う歴史となっていた。
「UFOに攫われ、記憶を失った男」の元ネタとのトッド軍曹は、
戦争を生き抜き、無事にホノルルに帰郷した。
嫌な噂は戦地のみで、故郷に帰ってからは誰もそれに触れる者はいなかった。
1950年代のある日、戦友たちで久々に集まってパーティを行った。
賑やかなパーティの中、トッド退役先任曹長は戦友の戦利品を目にした。
なんでもガダルカナル島で拾った、戦車に踏まれていたのに動いていたタフな時計で、
ネジも無いのに今でもまだ動いている「全くクレイジーな時計だ」だった。
それを見せて貰おうと、時計に触れた。
トッド退役先任曹長の脳裏に、様々な記憶が蘇った。
まるで昨日の記憶のように鮮明に、「未来の日本」とやらが思い出された。
彼はその記憶を元に、日本の動向を眺めていた。
やがて彼は、日本に出店するアメリカ企業や、日本がアメリカからブランドを得て
開業する企業に、的確に投資をするようになる。
トッド氏の投資した企業は日本で成功した。
逆にトッド氏が投資しない企業は、数年で日本から撤退したりした。
さらには、日本への進出を考える企業のコンサルタントも行ったりした。
「何故日本人にウケる企業や業種が分かるのか?」
という質問に対し、トッド氏は
「俺は1943年に既に見て来たんだ」
と答えたと言う。
日本を使って上手く大儲けしたトッド氏は、謎の洞窟の向こうで日本人に親切にされた記憶もあり、
それまでとは違って親日家となっていった。
日系人の権利強化の運動に賛同し、第100歩兵大隊だった日系人たちとも友好関係を持った。
やがて彼の孫娘は日本に留学することになる。
こちらの平行世界でも、戦後の日米関係はまあまあ良好であった。
違いとして、航空機開発の禁止が長引いた事があるだろう。
小型無人偵察機をUFOと噂し、面白おかしく宇宙人や異次元人の話に結び付ける一般大衆と違い、
国防省はそれを「小型航空機」と見極め、日本の航空技術の充実を嫌った。
それは宇宙開発技術の発展にも及び、解禁された後の日本の航空宇宙技術開発は、
「門」の反対側の世界を上回る変態技術のオンパレードとなった。
肝心な技術をアメリカが渡さない為、無理やり独自技術で仕立て上げてしまう。
「ガダルカナル島のUFO」伝説を忘れたアメリカ人は、独自の変態技術で
宇宙探査を行う日本を見て感心するやら、「まあ、日本だからな」と呆れたりした。
一方、辻政信が「売った」謎の素材、謎の電子部品は、1960年代中頃から理解が出来て、
より早い新素材開発や高性能集積回路の開発となり、アメリカに富をもたらした。
演算装置の発展、兵器に使われる新素材、これらは冷戦においてアメリカを有利にした。
デジタルカメラをいち早く理解し、特許を取得して、偵察や宇宙探査機の性能向上をした。
だがこの分野は、民間企業がフィルムカメラに拘ったこともあって、
結局日本メーカーが世界で市場を独占することになった。
日米は知っている世界とは似ていたり、やや違うながらも、妙な友好関係を築きながら時を経た。
やがてこの世界も西暦2011年を迎える。
(続く)
この回の元ネタは、「ゴジラVSキングギドラ」です。
ゴジラ消滅作戦で南方の島に飛来したタイムマシンを、
スピルバーグ少尉が「あ、UFOだ」と言って、その息子によるSF映画の数々を……
っていう部分をこちら風にアレンジしました。
アメリカ人UFO好きなんで、その起源的な話にこじつけてやろう、と。
まあそんなとこです。




