魔弾
20XY年1月31日16時 東京:
広瀬三佐は仮説をまとめ、会議に資料として提出するのと同時に、
前線部隊にも警告を出した。
仮説から考えられるのは、
・電磁力を使ったマイクロブラックホールの操作がされている可能性があるが、
これについては一定の距離を超えて内側に入るとデータを得られない。
・データを得られない領域の外側に、ブラックホールの回転によって拡張された領域、
「エルゴ領域」がある為、そこが「門」本体と考えられる。
・「エルゴ領域」に接した瞬間のファイヤーウォール的なチェック方法は不明である。
・本来「エルゴ領域」から得られるエネルギーは29%程だが、トンネル効果か何かを使い
欠損無く100%のエネルギーを放出させている。
・エネルギーから物体に再構成する理論は不明。
・この転移、エネルギーから物体へ置換された物はエルゴ面から現れるが、
他のエネルギーは回転するブラックホールを起点とした双曲線上に出ているかもしれない。
→故に「門」から斜めへのエネルギー測定をする。
・「門」が消滅する時、ブラックホール消滅と同じガンマ線バーストが発生する為、
回転軸上には決して人を配置しない事。
こんな感じであった。
(この仮説が正しければ、様々なデータが取れる筈だ)
更に考えが進む。
(もしも理論で追いつけたとあれば、そう遠い未来の人間が『門』を開けたのではない。
前田警部のプロファイリングでも言っていた通りだ。案外近いかもしれない。
ただし、例え数十年先の未来だとしても、技術の隔たりはあり過ぎる。
どこまで自分たちのものに出来るのだろう…)
1943年のガダルカナル島と現代とは70年以上の差があるが、コンピュータの性能や
量子宇宙論という分野での実験技術は、彼等の技術が及ぶところではない。
だが、理論自体は既に出来ていたのだ。
戦艦大和には歯車式の、戦艦アイオワには電気スイッチ式のコンピューターが
射撃管制装置として搭載されていた。
量子論の大家は戦前には理論を完成させていたし、相対性理論も既にあった。
70年くらいの格差はそのようなものだ。
一方で1943年より70年近く前ならば?
1870年代と言えば、明治の初期で西南戦争が起きたりしていた。
レントゲンもキュリー夫妻もまだ若造で、原子物理学はまだ生まれていない。
一方で大砲や装甲を施した軍艦はあり、その分野では70年後を理解出来る。
理解は出来るが、冶金技術やエンジンの違い等、やはり技術は全く及ばない。
(我々の時代の70~100年後の世界は、一体どうなっているのだろう)
ブレークスルーは案外、一人の天才が構築した理論で出来てしまう時がある。
それが起きて、時間を、つまりは四次元を制御できるようになったのだろうか?
それとももっと先だろうか?
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1943年1月31日17時 ガダルカナル島沖:
伊26艦長の横田稔中佐は、第8艦隊からの謎の指示に従っていた。
(なんでこの海域に米軍がいると、そう思い込んでいるのだろう?)
疑問に思うが、実際にいるのである。
この日、日没前の薄暮の空を背景に、一隻の巨大な艦影を見た彼は言った。
「空母サラトガだ。間違いない。以前は逃げられたが、今度は逃がさん…」
実際には前年、伊26は「サラトガ」に遭遇し雷撃、「サラトガ」を3ヶ月戦線離脱させる
戦果を挙げていたのだが、日本海軍ではそれを認識していなかった。
その為、横田艦長は「今度こそ」の思いと共に雷撃を行った。
魚雷は2本が「サラトガ」に命中し、巨大な水柱が立った。
「急速潜航! 急げ! 駆逐艦が来た」
横田艦長は、「サラトガ」に水柱が立つのを見ずに、潜望鏡を下げて潜航を命じた。
米軍駆逐艦もまた伊26を発見し、爆雷投下に向かっていた。
伊26は潜る前、遠くに見えた艦影に向けて魚雷を2本最後っ屁のように放った。
これが「魔弾」となった。
1本は逸れたが、もう1本の魚雷は一隻の軽巡洋艦に命中した…。
1943年2月1日3時 ガダルカナル島 「門」付近:
「まだ『門』は開かんのか?」
辻政信がイライラしながら言った。
「最近は『門』の開通時間が短くなっています。
未来人が言うには、歴史の乖離が始まったからでは?との事ですが」
「そんな事は吾輩にはどうでも良いことだ。
兵たちに飯を食わせ、治療をして、武器弾薬を供給して貰えればそれで良い」
辻は、ここ数日の戦闘で消耗した40mm機関砲弾、12.7mm機関銃弾の補充を欲していた。
それとともに、約束通り6機の新型ドローンを返却しようとしていた。
ドローンは素晴らしいが、電池が切れたら役に立たない。
どうせ使えないなら返してしまって良い。
返す代わりに弾薬を貰おう、そういう事だった。
(もうこの島で使うことも無かろう。
持ち帰って複製したいとこではあるが、それよりも弾薬の方が今は必要だ。
それに、ここに遺棄して米軍の手に渡すわけにもいかないし、
使い終わったなら返せと言っている以上、そうしてやろう。
今日明日で完全撤退の為、この「門」付近からも引き上げるしな。
最後に直接会って、挨拶くらいはしたかったな)
3時50分、夜も白み始めた頃、やっと「門」が開いた。
島村曹長と2人の兵士が、3機のドローンを持って「門」を通過した。
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「今までありがとうございました。約束通り、偵察機をお返しします」
島村曹長以外は、そのまま食事に入った。
島村曹長は自衛官と情報交換をする。
「2月2日深夜、現在把握出来ているガ島残留兵力約2000は撤退します」
「2月2日? 予定は2月4日ではないですか?」
「自分は詳しい事までは存じません」
「明日撤退って事は?」
「はい、この地は放棄します。長い間ありがとうございます」
「それは良いです。無事に帰れるならば何よりです」
「辻中佐殿がこちらの方々に挨拶したいと言ってましたが」
「………それは遠慮しておきます」
「ははは……」
「場所はエスペランス岬とカミンボで良いですか?」
「はい。自分たちはカミンボよりの撤退となりま…」
「計器に異常! 磁力強度が急速に上昇!」
「『門』内のイオン濃度急上昇、電荷が急激に上がってます」
「いかん!」
「何が起きてます?」
自衛官は説明無しに、食事中の日本兵も含めて命令を出した。
「爆発の危険がある! 総員退避! 着の身着のまま逃げろ!!」
「斜め方向には行くな! 正面か真横に逃げろ!」
「『門』の向こうにも警報!」
一瞬アーク放電が見えた。
「伏せろ!!!!!」
・
・
・
爆発は無かった。
だが、強力な電場に晒された酸素が変化したオゾンの腐食臭が漂った。
「全員無事か? 特に『門』の斜めには逃げなかったろうな?」
「点呼!」
日本兵も含め、全員無事だった。
しかし………
「『門』に反応がありません。閉鎖されています」
「まだ5分も経ってないじゃないか。一体どうして?」
「すまない、何が起きた? 我々はどうなる?」
島村曹長が敬語も忘れて質問する。
「異常事態だ。『門』が閉じてしまった。すまないが一泊し、明日帰還……
いや、明日はもうガ島から撤退の駆逐艦が出るのか!?
帰る帰らないは明日までに決めて欲しい。
我々も一体何がどうして閉門したのか分からないのだ」
「そんな、無責任な!」
「ここを開けた奴に言ってくれ! 我々では、今はどうにもならない!」
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同時刻、ガダルカナル島:
「なんだ? この臭いは?」
辻が洞窟内から漂う臭いに文句を言った。
彼は洞窟に不審な放電のようなものが見えた瞬間、本能的に伏せていた。
ゆえに彼は生きていたのだが……
「おい、何が起きたか見て来い」
命じた兵士から返事が無い。
「おい!」
洞窟の斜め前方にいた兵士は、外傷も何も無しに死んでいた。
即死だった。
もしここに測定器があったら、こう分かっただろう
「強力な放射線を一気に大量に浴びた事によるショック死」と。
時間は数分遡る。
伊26潜水艦の最後っ屁であった魚雷は、応急修理を終えた軽巡クリーブランドに命中した。
レンネル島沖海戦で、「クリーブランド」は史実では受けない筈の損傷を負った。
だが、沈んでいないのは「史実」通りであった。
この伊26の魚雷は、「クリーブランド」の損傷部分に再度大ダメージを与えた。
必死にダメージコントロールを行っていたが、ついに2月1日3時54分、力尽きて沈んだ。
歴史を大きく変える「魔弾」だった。
「クリーブランド」は史実では、この後3月4日のビラ・スタンモーア夜戦で
日本海軍の駆逐艦「峯雲」と「村雨」を撃沈する他、
コロンバンガラ島をめぐる8回の戦闘に加わり、
1943年11月1日のブーゲンビル島沖海戦で功績を上げ、海軍殊勲部隊章を受章する。
この後の歴史に大きく関わった艦であった。
それが失われた。
「クリーブランド」だけならば、同型艦をもって同じ活躍をさせるよう、
歴史が補正をかけたかもしれなかった。
しかし、空母「サラトガ」も魚雷2発を受け、当分の間大きな作戦行動は出来なくなっていた。
「サラトガ」は一時期、修理の為に後退した「エンタープライズ」の不在もあって、
ソロモン海域で唯一活動する空母だった事もある。
その艦が損傷した。
アメリカ海軍はその後、「エンタープライズ」の修理を遅らせたり、
イギリス海軍から空母「ヴィクトリアス」を借りたりして、
応急修理の済んだ「サラトガ」と第36.3任務群を編成して戦いを続ける。
しかし「サラトガ」に無理をさせ過ぎて「ヴィクトリアス」のレンタル期間は伸びてしまう。
大西洋にも影響が出てしまった。
レンネル島沖海戦での重巡洋艦ルイビル、ウィチタ、護衛空母シェナンゴの損傷で、
アメリカ海軍はこの地域での艦隊行動を慎重に行うことになった。
「クリーブランド」級は水線下防御に欠陥が無いか見直しがされ、一時的に運用制限された。
ソロモン、ニューギニア戦線において、日本海軍が優越する「史実に無い」時期が発生した。
「クリーブランド」の喪失そのものより、喪失した事がアメリカ海軍の戦略に影響を与え、
それがソロモン海域のみならず、微妙にではあるが、大西洋方面の歴史にも影響を及ぼした。
ここに来て「門」はついに、2つの世界を接続していられなくなった。
「門」はブラックホールが潰れたかのような、目に見えない莫大なエネルギーを放射し、崩壊した。
「門」の両側に別々の世界が出来てしまった。
その発現因子は戦艦や空母ではなく、最終的には量産型の軽巡洋艦だった。
「異世界」「平行世界」がこうして作られた。
(続く)
感想ありがとうございます。
2時間は、エルゴ領域を励起させていられる限界時間になります。
マイクロブラックホールの寿命も、多分電磁気で上手く制御しているのでしょう。
吸引しないよう調整出来るなら、反物質吸引による蒸発もホーキング輻射も起きませんので。
自分的にはいつか書いてみたかったのが、
「歴史を変える因子は、有名なものではなく、実は意外でありふれた物だった」
って設定でした。
今回は軽巡クリーブランドにその役を与えてみました。




