仮説が出来た
20XY年1月31日11時 東京都市ヶ谷:
「皆さんに良い報告です。ケ号作戦の第1回撤退作戦が成功し、9800名余りが
ガ島から撤退に成功しました」
広瀬三佐の報告に沸き立つ会議室。
だが、戦史畑の参列者のみ眉をしかめていた。
「いいですか?」
挙手をして発言権を得た。
「ケ号作戦による第1回撤退は2月1日の筈です。
この日はレンネル島沖海戦が行われた日です。
それと、第1回撤退では海軍250名、陸軍5164名な筈です。
9800名余りというのは、第1回と第2回を合わせた数になります。
歴史が変わってます。その意義はともかく、大きく変わった事は言わねばならない事です」
その発言で議題は変わった。
「確かに大きな変化です。これで我々の歴史に影響は出ていますか?」
「調べてみます。ただ、手持ちの史料には一切の変化は出ていません」
「『門』の開通時間は?」
「30日が59分でしたが、今朝31日は45分。一気に短くなりました」
「『門』の向こうとこちらで歴史が乖離していってる。
このペースだと2月1日は30分、2日は15分、そして3日にはついに閉じてしまう事になる」
「それならそれで良い事です。ガ島にもその旨は伝えておきましょう」
「何者かが、再び『門』を繋ぎ直しに来ることは?」
これには前田警部が答えた。
「有り得ます。既に『足2号作戦』や『ハ号作戦』に対し、設定リセットをして
もう食糧や水等の生活物資以外通らないようにしています。
意地で修正しようとすると思います。
ただ……」
「ただ、何ですかね?」
「もう『やっている』のかもしれません。つまり、何者かも繋ぎ直しているが、
それを上回るペースで歴史が乖離しつつある可能性も…」
しばしの沈黙の後、科学班が挙手をする。
「何も成果を出せず申し訳ないと思っております。
その失敗研究員が言うのもなんですが…、明日にも『門』閉鎖の可能性があるなら、
計測は入念に行わねばなりません」
「当たり前だろう」
「…で、ですので、思い残す事もないよう、万全を尽くしますが、
皆さまの意見も聞いておきたいのです。
このデータは取っておくべきだ、とか、計測方法をこうした方が良い、とか。
この上は科学畑以外のお知恵も借りておきたく、恥を承知で申し上げました」
「すまんね、詰るような感じになってしまって…」
「いえ、結果が出せなかったのが全てです…」
科学チームは意気消沈している。
「結局、『門』が開く時、というか通過する時ってどんな感じなんだっけ?」
改めて整理すると、
・「門」とは空間そのもので、物を通過させる時に空間のエネルギー(磁場・電位で測定)
が瞬時に高まり、そこから転移物が「発生」する。
この時に粒子線が観測される(放射線測定器で観測)。
・「門」の空間が励起する時のエネルギーは、「門」内で完結していて外部では観測出来ない。
「門」の場所と思われる空間内に設置した計測器で記録した。
極めて局所的なエネルギー励起である。
・「門」が通過物をチェックする際に、電子線を観測した。
これが4ヶ月の全てであった。
一番肝心な「空間を繋ぐ方法」と「転移の際に物質を信号化するプロセス」が分からない。
学者たちも恥じ入っているが、文系の参列者はだからといって専門的な話も出来ない。
沈黙の中、広瀬三佐が意見を言った。
「以前、空間が励起して物質が発生する、それは宇宙創成と同じようなものではないか、
それで特異点がどうこう議論し出して、収拾つかなくなった時あったよね」
「はい、ありました。三佐は宇宙創成程エネルギーを必要としないトンネル効果の
可能性を指摘されましたが…」
「宇宙創成の最初の1秒って、何だっけ?」
「はあ? それは『宇宙を構成する全てが揃った時間』ですよね」
「ああ、すみません。なんか大事な時間ってありませんでしたか?」
「ビッグバン直後のプランク時間の事ですか?
真空の相転移で重力が分離し、『強い力』『弱い力』『電気』と分かれていって…」
「それだけど、その過程で何かを検出出来ないかな?
創世には足りないエネルギーで真空を励起させ、そのままでは何も起きないが、トンネル効果で
穴を開けて物質を創成している。
エネルギーが小さいだけで、やってる事は宇宙創成と似ているならば?」
「温度の揺らぎ…、重力波の検知、ニュートリノの検出…」
「それでいかない?」
「無理です。温度は何度測定しても外側からは変化を確認出来ませんでした。
重力波を捕らえるには地球の重力が邪魔です。
地球の重力を無視できるくらいの値ならば、既に重力異常として捕らえています。
ニュートリノはスーパーカミオカンデにでも問合せないと…」
「分かった。スーパーカミオカンデに連絡入れたらいいんですね?」
「実は以前、ニュートリノ放出の可能性を考え、問合せた事があったのですが、
その時は何も変化はなく、何度も問い合わせている内に
『一体何なんですか?』と怒らせてしまいまして…」
「まあ、研究の内容を明かせないで、何度も問い合わせたらそうなりますよね。
でも、その件は私が請け負いました。
1週間だけなら、国の機関でもありますから何とかします」
「しかし、『門』ってのはイメージ的には、あの猫型ロボットのドアみたいなものか?」
ちょっと間抜けな、政治家先生の質問が進展のヒントになった。
研究員は
「最近分かったのですが、『門』は平面ではありませんでした」
そう報告した事に対し、広瀬三佐が反応した。
「いつ分かった?」
昨年12月中旬、「門」を使って通信が可能となった。
しかしそれはあくまでも、通過時の反応を使ったモールス信号としてである。
本命の音声通話を何度も試みていたが、どうも上手くいかなかった。
場所によって変わっているようだった。
そこで、何ヶ所かに音声波形記録装置を置いて、簡易計算してみた。
円弧のように、「門」の内側に入り込んでいた。
モールスの方でも試してみると、今度は違う事が分かった。
こちらから送る時の反射波のようなものを検知した結果、
「門」から過去に行く時と、現代に来る時で形が違う事が判明した。
それを三次元にまで拡大し、プロットしていった結果、球の一部を張り合わせた形、
簡単に言うと凸レンズのようなものが「門」の空間だった。
12月下旬に「門」の形状が平面ではないことに気づき、
1月初旬は辻政信の攻勢のせいで研究が止まっていたが、
1月中旬には行きと戻りでそれぞれ境界面が対象的である事が判明、
1月下旬に三次元プロットが出来て、ほぼ凸レンズ状の空間が洞窟内に発生した事が分かった。
それをコンピューターで解析し、正確にはどのような形状をしているか調べたい。
だが、分かった頃には「門」は閉じてしまう。
報告をするのは今回が初めてで、そうする為の統計データがやっと揃ったところだった。
「統計データねえ…」
統計データと科学データは微妙に違う。
統計データはいくらでも恣意的に操作が出来る。
科学チームが「恣意的に」と言ったのは、経験からこの辺だろうと記録装置を置いたからで、
科学的根拠や計算に基づいてではないという「謙遜」であった。
が、謙遜は無視してこれで仮説を立てるしかない。
「歴史を変えてしまうと覚悟を決めた時、離脱した大学関係者の中に、
理論物理の教授がいましたよね? アポ取って下さい。話を聞きたい。
もうデータ解析から理論を導き出してる時間は無いようです。
仮説で良いので、現在のデータが説明できる理論が欲しい!」
会議はその教授の見解を聞いてから、という事になり散会となった。
1週間しか無いから、あらゆる計測機器を「三次元に」大量に設置する、
その資金も何とかするということを決定した上で。
某国立大学理学研究科理論物理専攻:
その教授は、「歴史改変をしてでも」という自分のポリシーに合わないものに方針が変わった為、
一度離脱した「怪現象の解明会議」の方から
「どうしても」という連絡を受けていたが、やはり機嫌は悪かった。
断るつもりだったが、もうあと一週間しか時間は無いという事と、
得られた重要なデータが有るから見て欲しいという事で、引き受けた。
重要とか言うデータが有る以上、渋々ではない。
本来彼はあの会議で「大日本帝国陸軍の作戦を支援云々」という右翼的な事をするのではなく、
過去に繋がるメカニズムを解析する為、有益なデータが来てからが出番だったのだ。
広瀬三佐からデータを受け取る。
以前と大して変わったものはない、これのどこが重要なデータなのか!?
そう思っていたが、「門」の形状というのは興味を持てた。
それと「有益なデータが無い」という事が、彼の頭の中で結び付いた。
「事象の地平面…」
広瀬三佐は耳を疑った。その単語は知ってはいる。
「ブラックホールの、ですか?」
「そうだ」
「ですが、強力な重力とかは一切ありませんよ」
「だから『事象の地平面』だろ。地平の向こう側のデータは取れないのだ」
「なるほど。私の認識不足でした。話を続けて下さい」
2つの場所に存在するブラックホールのシュヴァルツシルト半径が重なる時、
事象の地平面の重なり合った領域が凸レンズ状になる。
もっとも、超重力があるならば、お互いが引き合って、こんな綺麗な凸レンズ状にはならない。
しかし、ブラックホールから重力を切り離し、事象の地平面だけを張り合わせたら
こんな形になるのかもしれない。
「重力を切り離す……」
「ちょっと待っていたまえ」
教授はそう言ってPCにプログラムを入力する。
簡単な計算式だったようで、すぐに結果は出た。
「これが球同士の重なった空間の形だ。凸レンズ状をしている。
今回のデータをそこに重ねると、微妙に外側に張り出している」
「そのようですね」
「あくまでも仮説だよ。これはライスナー・ノルドシュトルム・ブラックホール、
つまり帯電しているブラックホールを応用していないかね」
「………帯電してると、どうなるのでしょうか?」
「正確には帯電しつつ角運動量を持つブラックホール。
回転方向に膨らんでいるのがエルゴ領域。
ここはエネルギーを取り出し得る領域を言われている。それが『ペンローズ過程』。
『門』とは微妙に張り出しているこのエルゴ領域の事、事象の地平面の貼り合わせの外側に、
現代側と過去側それぞれに存在しているって事ではないかね?」
「なる程。それだと転送という『物質生成』の説明がつきます。
エネルギーも質量も等価ですからね。
では、帯電というのは? 重力と切り離すというのと合わせ、
大統一理論か何かで出ていた、重力も電気も同じ力に辿り着くというものですか?」
「よく勉強してるな。その可能性がある。
ブラックホールそのものが特異点であり、4つの力は混在しているとされる。
さらに次元、時空も集約されている。
天体のブラックホール規模では無理だが、粒子レベルのマイクロブラックホールと電力ならば」
「制御出来なくはない…。マイクロブラックホールも、
いつぞや欧州の粒子加速器の実験で発生するかもと噂されていましたが…」
「あとはランダムに次元を結びつけるのではなく、数限りない中から繋げる対象を選ぶ。
この計算性能は現在のコンピュータの遥か上だろう」
「もしかしたら、そうやって出来るのがワームホール…」
「仮説はここまで。あくまでも仮説だ。
いや、面白い知的追究だった。
初めてあの会議に参加して良かったと思ったよ」
「先生、ありがとうございます」
「仮説が正しいとして、気をつける事がある。
ブラックホールが消滅する刹那、
回転軸方向に強力なガンマ線バーストを放つぞ。
それに当たったら、人間はあっさり死ぬ。例えマイクロブラックホールのものであっても」
(続く)
感想ありがとうございます。
実は自分は最初から
・転送する際には量子レベルに分解する必要がある
・転送した物を「発生」させるのはビッグバン
・転送する物を「分解して送信」するのはブラックホール
・四次元を繋ぐのはワームホール
・その制限にファイヤーウォールの論理式
てのは決めていました。
次元ごちゃまぜにするのはブラックホールの特異点くらいしか無いな、と。
ですが、ブラックホールとかワームホールとかビッグバンを起こす真空の揺らぎを
制御する事はまず難しい、無理だろうと思ってます。
何とか可能かなというレベルに落とす為、マイクロブラックホールにし、
それを電気制御する、回転して膨らんだエルゴ領域を使う(元ネタはインターステラー)、
トンネル効果で閾値を下げる、送信時に逆にプラスになるようエネルギーを付加し、
それを使った自己解凍プログラムのように送信データから自動再構築する、
なんて、無い頭捻って考えたものです。
そして、やっぱり考えたのが
「送信ミス、途中でパケットの抜け落ちとかもあるよなあ」って事です。
送信ミスで来られないどころか、どこ行ったか不明(事象の地平面を永遠に漂う)とか、
送信時に2つのデータが混在して「ハエ人間」作るとか、
まあこの話は歴史ものなんでその辺は考えない事にしました。
そして、あくまでもこれは仮説で、未来の技術の真実の「門」の開け方は不明って事にしときます。




