ガ島撤退!
1943年1月29日21時過ぎ エスペランス岬とサボ島の中間海域:
駆逐艦「長波」座乗の田中頼三少将は、第10戦隊と第3水雷戦隊に、ガ島接岸命令を出した。
第2水雷戦隊各艦にも、カミンボとエスペランスの撤退地点付近の警備を命じた。
夕雲級駆逐艦「長波」の見かけに大きな変化は無い。
変わったと外側から分かるのは、艦橋の上に円柱状の突起が増設されたことだ。
鉄の重厚な質感を持つ軍艦にあって、塗装し直しはしたが、妙にそこだけ玩具のようだ。
…そうだろう、この機械は20XY年においてはプレジャーボート用の水上レーダーなのだ。
だが、この玩具のようなレーダーの有用性は、1943年の電波探信儀を大きく凌駕する。
オシロスコープに現れる光の線を読み取り、方位と距離を調べる当時のレーダーに対し、
ディスプレーに画像として表示され、動きがあるものは一目で分かる。
「何も出て来ませんねえ」
この時代とはかけ離れたモニターを見ながら参謀が呟く。
モニターは3種類。
1つは艦橋上部に設置されたレーダーのもの。
1つはソナーのものであった。
最後の1つは魚群探知機のもので、今は本物の魚群しか映っていない。
水平方向に魚群や潜水艦の水中位置を表示するソナーも、未来世界の漁船用である。
しかも人間が運べるサイズなので、小さく性能はそれ程高くない。
だが、全周を探知出来て、それを分かりやすく表示できる。
このソナーは、駆逐艦本体に装備するには改造の時間がかかる。
そこで短艇に搭載して、それを着水させ、駆逐艦本体にケーブルで情報を送った。
波が激しくなる全力航行や時化の時は、駆逐艦と短艇とがぶつかったり、
逆に離れてケーブルを切ったりする為、使用出来ない。
「役に立たないものを送って来た」と駆逐艦艦長たちは文句を言っていたが、
田中は「これは十分に使える」と理解した。
この日、「長波」はエスペランス岬沖合に停泊し、短艇を着水させ、
レーダーとソナーで敵の動向を監視していたのだった。
(部下にはガ島に突入し、1人でも多く救え、等と言いながら、2水の司令官は
あんなとこに短艇を下ろして釣りでもしているのか?)
大発や兵士を載せる救命艇を漕ぐ水兵たちは、不愉快な目でそれを見ていた。
(あの司令官は、部下に行け!と言いながら、自分は後方でふんぞり返っている)
艦長たちも水兵たちも、その本質を知らず、田中に不満を持っていた。
そんな視線も知らず気にせず、田中は艦橋で索敵に専念していた。
対空は専ら、夜間用双眼鏡という肉眼に頼っている。
「おそらく今日は、航空隊の攻撃を受けて米軍は混乱している。
こっちにまで手を出す余裕は無いだろう。
しかし、何事も机上の計算通りには動かないものだ。
水上、水中の索敵は怠らないように。
肉眼での観測も続けるように」
自らも双眼鏡を首にかけながら、艦橋要員にそう指示をした。
「おい、輸送船がいる。よく持って来られたなあ」
足が遅いが、大量に兵員を載せる事が出来る輸送船が1隻、エスペランス岬に来ていた。
史実では沈んでいる「妙法丸」であった。
「本来沈んでいた船です。奇縁ですし、使いましょう」
という田中少将の指示で、ケ号作戦に投入された。
わずか2隻の護衛駆逐艦がついただけの航海は、指令した田中少将への不満になった。
しかしこの日は、潜水艦からの攻撃もなく、すんなりとエスペランスまでたどり着いた。
「輸送船は足が遅いから、先に出航する。
まずはあの船に乗れるだけ乗れ! 暑苦しいかもしれないが、ブーゲンビル島までの辛抱だ。
早くいけ! 急げ! 愚図愚図するな!」
兵士は大発にしがみつき、短艇や連絡艇が転覆しそうになるまで乗り込み、
船から降ろされている縄梯子に辿り着くと上っていった。
タラップを上がっていくのは士官たちだった。
割り当てによるが、駆逐艦に乗って撤退する兵士も多い。
輸送船と違い、狭い艦内に乗れるだけ乗り込む為、
「非常時であるから、武器・装備一式廃棄を許可する」
とされていた。
ある兵士が、どこぞより支給された短機関銃を見ながら
「お前には世話になったなあ。当たらなかったけど、よく敵の足を止めてくれたよ」
そう礼を言っていた。
礼を言い終わり、駆逐艦に乗り移る前に、その兵は
「ありがとうな!」
と言いながら、9mm機関けん銃を海に放り投げた。
一方である者は、
「もう光らなくなったけど、この中には敵も、戦友も写真になっている。
いつか、いつの日かもう一度見てみたい。だから…」
そう言って、ズボンのポケットの中にデジタルカメラを忍ばせて駆逐艦に乗り込んでいた。
撤収作業は5時間続いた。
まず、低速の輸送船が出航した。
まだ詰めれば兵士が乗る事が出来るが、そうやって出航を遅らすと、
夜明けに米軍の航空索敵にかかったり、潜水艦に見つかったりするから、夜遅い内に出たのだ。
この輸送船があった事で、第1回撤退にしては数多くの兵士を乗せていけた。
単独でも戦闘能力がある駆逐艦は、やや空が白み始めた午前4時まで踏ん張った。
押せば甲板から人が落ちるってくらいまで乗せて、各駆逐艦は出航した。
「長波」からの警報はついに無かった。
敵魚雷艇やら潜水艦の接近警報でもあれば、索敵中と分かりやすかったのだが。
それゆえに、水兵たちは「『長波』はあんなところで何をやっていたんだ?」とぶつくさ言い、
「何を文句言ってるんだ?」と質問をした陸軍兵士にもその不満は伝染していった。
「長波」は5時10分まで留まり、最後の艦が離岸したのを見て、短艇を収容して帰路についた。
「後方を警戒せよ」
と田中少将は最後まで慎重だった。
「今日は敵さん混乱しているから、手を出して来ないんじゃなかったんですか?」
その質問に田中は
「それはもう昨日の話だ。夜が明けたら、『エンタープライズ』と『サラトガ』の艦載機が出て来る。
この海域にもう来ている筈だからな」
そう返した。
参謀、艦長、艦橋要員は首を傾げる。
(司令官は一体どこからそんな情報を手に入れたのだ?)
田中は黙して語らなかった。
1943年1月30日早朝 ガダルカナル島:
この日のアメリカ軍は緊張していた。
交代する兵を乗せた輸送船団は無傷で到着したが、護衛の艦隊が悲惨な姿になっていた。
撤退するこの部隊の上空を、空母「エンタープライズ」から発進したF4Fが援護していた。
「史実」ならばこの日も日本の航空隊は攻撃を加え、護衛機によって7機を喪失することになる。
第25歩兵師団、アメリカル師団、海兵第2師団の3部隊は、日本軍への攻勢に対し
「待った」をかけられた。
敵の夜間攻撃能力が凄まじく、深夜にも関わらず空襲の精度が高かった。
夜間戦闘能力の高さは、彼等も昨年12月末の攻防戦で実感した。
さらに日本軍は40mm機関砲を使用し始めた疑いがある。
被弾した航空機の傷跡からそう判断され、対空兵器はその初速の高さから対戦車に流用も可能、
その場合M3軽戦車や水陸両用戦車では損害が大きくなるだろう。
司令部(マッカーサー元帥)は同盟国のオーストラリアに頼み、急ぎM3中戦車の派遣を求めた。
M4中戦車は対ドイツ戦優先だし、今から送っても到着までに時間がかかる。
そこで距離的にも近いオーストラリア軍から、車体は同じシャーシのM3中戦車を借りる。
M3中戦車、M4中戦車ともに車体前面の装甲は51mmで多少は安心できる。
…とその当時は考えられたが、実際にはM3中戦車、M4中戦車ともに側面から撃たれたら
あっさり鉄屑となってしまう、40mm機関砲はそれ程の性能であった。
ともかくも、M3中戦車到着まで待つよう待機命令が出た。
日本軍からしたら実に嬉しい時間稼ぎとなった。
だが一方で、護衛空母「スワニー」及び空母「エンタープライズ」「サラトガ」の艦載機が、
「あいつら一体何を言ってるんだろう?」と疑いつつも、日本軍「UFO基地」を空襲した。
大体の場所しか教えられていない為、精度の高い攻撃は出来なかったものの、
確かに日本軍にしては苛烈な対空砲火を浴びせて来る。
「確かに何かはあるようだ。陸軍・海兵隊の攻撃希望には意味がありそうだ」
と改めて「門」付近は攻撃対象として印象づけられた。
辻政信は、朝方はご機嫌であった。
予定を上回る9000名以上を撤退させる事に成功したのだ。
帰路に「巻波」が触雷して被害を出したが、それ込みでも非常に満足のいく撤退となった。
(これならば、2回目の撤退で全て行けるのではないか?
予定している3回も不要なのではないか?)
と思っていた矢先、米軍の激しい空襲が始まった。
(やれやれ、第2回撤退の2月4日までは厳しい戦いになりそうだ)
一方、新たに地獄に叩き込まれた部隊もいた。
第38師団のラバウル残留各部隊から抽出されて臨時編成された矢野大隊である。
彼等は本来の予定である2月7日の第3回撤退まで、米軍相手に遅滞戦闘を行う予定であった。
辻は第2回で撤退完了させるつもりになった為、矢野大隊にもその旨連絡する必要があった。
「彼等は今、どこにいるか?」
辻の指示でドローンが飛び立ち、上空から探索を行った。
「足2号作戦」で持ち込まれたこの新型は、大きく、
航続時間も長く、高性能なカメラを積んでいた。
矢野大隊と、対峙する米軍の情報を地図に書き込み、辻は行動計画を練っていた。
米軍は大型のドローンを見て「日本軍のUFO」について語り始めていた。
他にも陽動の為にいくつかの部隊が送られていたが、新型の無線によって、
傍受されても解読不可能な安心感を持った作戦指示が出来た。
ラッセル諸島の立石支隊、カントン島の東方牽制隊らとも連絡がつき、
第2回撤退で全てを済ませようという事に決まった。
そして運命の1月31日を迎える。
(続く)
感想ありがとうございます。
防腐剤使い、包装したりして傷まないようにしてますが、熱帯なので臭って来たら替えます。
士気は…「門」開くまではもっとリアルに転がってた訳なので、人間慣れるものです。
噂ではサイズがデカイから、敵兵の死体も使ってるとか何とか。
…グロ表現はとりあえず極少にして来ましたさ。
撤退について。
実際のとこ、史実のケ号作戦も2回で撤収出来たっぽいですね。
陽動部隊とかで連絡が遅れ、
まだ乗り切れない人たちがいたから3回目があった。
3回目の救出人数は数百人と少ないので、
この辺は改変可能な計画と見ました。
あと史実ネタ。
爆雷投下訓練後、夜間に密かに短艇下ろして、
浮かんでいるショック死した魚を拾っていた者がいました。
軍規違反です。
戦隊旗艦に見つかり、発光信号で
「ナニヲシテオルカ?」と言って来ました。
「溺者救難訓練」と返答。
すると旗艦から
「旗艦ニモ新鮮ナ溺者ヲ数名届ケラレタシ」
と来たそうで、当時の水兵が
「バレていたんですね」
と笑ってたインタビューを見ました。
日露戦争の第2艦隊司令官上村中将も、
ウラジオストク艦隊を捕えられず
「無能」「露探」と非難されていた時、
短艇下ろして釣りして気を紛らせていたそうで、
短艇=釣りでもしてるのか?
はそれらを元ネタとしてます。




