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コンビニ・ガダルカナル  作者: ほうこうおんち
第9章:ケ号作戦
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ケ号作戦とハ号作戦

1943年 ニューブリテン島ラバウル軍港:

20XY年より帰還した水兵たちは、新型の探知機と目の前の駆逐艦を前に、困っていた。

魚群探知機もソナーも、本来は艦の底部に設置するものであった。

…そんな改造をする設備も、時間も無かった。


次に考えられたのは、20XY年の軍人より推薦された曳航式だった。

しかしこれも問題があった。

装置を積んだ短艇(カッター)を曳航するのは良いが、そこで得られた情報は、

一度回収してから見ないと分からなかった。

情報を送る回線ケーブルの長さが足りず、この時代では延ばしようが無かった。

そこで考えられたのが、探知機を積んだ短艇(カッター)を舷側から着水し、

回線の延長については「未来」に頼んで、延長線を運んで貰う。

だが、数百メートルを曳航するより、数メートル延長して艦の横で測定する方が

改造量と時間からいって現実的であった。


「どこが現実的か!」

文句を言ったのは駆逐艦艦長たちであった。

短艇(カッター)を着水させて探知するのは、高速航行時には出来ない。

つまり、戦闘状態では役に立たないのだ。

水上レーダーという、艦橋の上に設置すれば済むだけの装置すら

「こちらから電波を照射するとは、闇夜に提灯を持って行軍するは如し」

と言って嫌った。

実際、アメリカ海軍のレーダーによって夜戦に敗れたのは昨年10月のサボ島沖海戦だが、

その後の夜戦である第三次ソロモン海戦とルンガ沖海戦では日本軍が勝っていた。

サボ島沖海戦も「同士討ちを受けた」と判断していて、水雷戦隊の夜戦への自信は揺らいでいない。

レーダー射撃に歯が立たなくなるのは、ガ島撤退1ヶ月後のクラ湾第一合戦からであり、

駆逐艦艦長たちは

「ガ島までいって、随分と無駄な物を習って来たものだな」

と相手にしなかった。

と鼻っ柱の強さを見せてはいても、優秀な駆逐艦乗りたちは

「潜水艦用の探知機は、内地でドック入りした時につけて貰おう」

と考えていた。

日本海軍にも九三式探信儀や九三式水中聴音機という対潜装備はあったが、

性能が低くて役立たなかった。

短艇(カッター)に搭載した新型の探知機は、性能はこれから確認することになるが、

可視化という点では見事であり、伊号潜水艦の方位、距離、深度を高精度で当てた。

(あとは軍人の蛮用に耐えるか、だ。駆逐艦の全力航行で壊れず、探知が出来なければ無意味だ)

艦長たちの判断は「保留」であった。

そんな中、田中頼三少将は、自身の旗艦「長波」に搭載するよう命じていた。


1943年1月19日、珍事が起こった。

妙法丸、帝洋丸、第一眞盛丸という3隻の輸送船を護衛していた駆逐艦「時雨」は、

第8艦隊司令部から「1435時に妙法丸が米潜水艦による雷撃を受ける為、注意せよ」という

奇妙極まる電信を受け取った。

未来の事が予知されていた。

「時雨」は電信に従い、速度を落として短艇(カッター)を着水させ、潜水艦を探った。

彼等はそこに居た。彼等という以上、複数隻である。

「時雨」は妙法丸に近い位置の潜水艦に狙いを定め、魚群探知機で垂直方向の位置測定をし、

一方で妙法丸に対潜用のジグザグ航行を命じた。

そして14時33分、「時雨」の投下した爆雷で米潜水艦は撃沈または重大な損傷を受けたようで、

残骸や重油が海面に浮き上がって来た。

史実では沈む妙法丸が沈まず、史実では無傷の米潜水艦ソードフィッシュはダメージを負った。

「時雨」はこのまま護衛を続行する為、ラバウルに

「ブーゲンビル島沖合に敵潜水艦あり。直ちに増援を乞う」と通信を送った。

これに応じ、木村進少将座乗の第10戦隊旗艦「秋月」が出撃した。

夜になり、秋月は1隻の浮上中の潜水艦を発見した。

砲撃準備を行っている時、砲術参謀が

「味方潜水艦かもしれないので照射して確認してはどうか」

と意見具申した。

木村司令官はそれを受け容れた。

直後、第8艦隊司令部より電信が届く。

「同海域に味方潜水艦無し。躊躇わず攻撃されよ」

しかし、砲撃開始のタイミングを逃した「秋月」の前で、米潜水艦は潜航した。

対潜戦闘を行おうと短艇を下ろそうとした矢先、「秋月」は魚雷を受けてしまった。

木村司令官は負傷した。


第10戦隊は司令官不在となった為、本来第2水雷戦隊司令官となるべく赴任して来た

小柳冨次少将が臨時司令官となった。

田中頼三少将はガ島撤退後に交代となるが、ここに史実には無い

田中・小柳の2人の少将が並ぶ事になった。



一方、第8艦隊隷下、第2航空隊。

ここでは新型の暗視装置を使った訓練が行われていた。

この暗視装置を巡っては、ガ島の部隊との間で諍いとなった。

ガ島の陸軍は、接近する敵を待ち伏せる、暗闇で移動する際に使用するから、

自分たちの元に置くと言っていた。

海軍は、夜間襲撃に使える為、その全てをラバウルに持ち込み、

九六式陸攻、一式陸攻の部隊に支給したいと言った。

言い争いになったのだが、ここで辻政信が先月独断専行をした事が陸軍の弱みとなった。

またそんな物を置いておけば、攻勢に使われて兵を消耗させかねない。

そう言われ、反論出来ない辻は、海軍への恨みを深めていた。

第8方面軍の今村将軍、南東方面艦隊司令長官草鹿任中将の話し合いで、

持ち込まれた40セットの暗視装置のうち、26セットを海軍が、14セットをそのまま

ガ島の陸軍が持つことで妥協が成立した。

26セットは、一式陸攻の部隊に優先的に配備された。


さて、カーナビという名前で持ち込まれた機械が多数ある。

これは本来地図データとGPS衛星からの位置情報とサービス会社からの道路事情を総合し、

ある場所に行くのに最短コースを選択する機械であったが。

しかし送られた機器の内側(ソフトウェア)は全くの別物であった。

この機械は人工衛星からの電波代わりに、ラバウル、ニューブリテン島マーカス岬、

そしてガ島エスペランス岬からの電波信号(ビーコン)を受信し、海図上に現在位置を表示する。

三次元+時間、マイクロ秒までのデータを送信する電波発信機は、分解し「仏舎利」に詰めて送り、

現地で組み立てた後、1年間限定のバッテリーを繋いで、必要な場所に設置して貰った。

ガ島撤退後も、日本海軍が1944年までこの海域で戦える。

これは明らかに海軍用の装備だった為、辻も我が儘言わず、揉める事なくラバウルやブインに運ばれた。


さらに零式戦闘機の前線基地であるブイン飛行場からも4番目の電波信号を受信し、補正を行う。

爆撃機の航法士は、この夢のような機械の習熟に励んだ。

(こんな映像を映す機械があるというのか?)

と、狭い後部座席にも何とか設置出来る、薄型液晶ディスプレーに感心していた。


暗視装置と新型航法装置を搭載した一式陸攻は、1月15日より連夜

ガダルカナル島の米軍ヘンダーソン飛行場(日本側名称ルンガ飛行場)夜間空襲を命じられた。

また、ポートモレスビーとラエへの夜間爆撃も同時に行われた。

爆撃精度は照準器の都合上芳しくなかったが、支給された新型の双眼鏡は暗闇でも良く見え、

爆撃対象自体はよく発見出来た。

……いかに操縦士が暗闇を見通せ、航法士が正しく誘導出来ても、

爆弾は精密爆撃用になっていないし、照準器はアメリカのノルデン照準器より精度が低かった。

「1月29日に重大作戦を実行する為、余計な損害は被らぬように」

という訓示がなされていた為、低空から被害を顧みずに空襲し、敵を撃破する気迫には欠けた。

だが、中高度からでも隠蔽した爆撃機や燃料タンク等の周辺に爆弾をばら撒かれる事は、

米軍の航空攻撃力を僅かではあるが削いでいた。


カーナビの皮を被った航法装置は、航空隊だけに持ち込まれてはいなかった。

潜水艦にも搭載された。

アンテナが低く、受信精度が悪く、誤差も大きかったが、それでもいずこからか持ち込まれた

強力な電波増幅器による電波発信で、大体の位置が測定出来るというのは心強かった。

この電波発信は、敵に確かに感知されるものだが、元々が地上である為

そこを占領して装置発見して破壊しない限り、電源ある限り動作し続ける。

そして潜水艦や航空機は、自ら電波を出す事なく、位置測定が出来る為、

元来の天文航法と合わせ高精度の夜間航法を可能としていた。

また、敵味方の識別も出来た為、同士討ちを避けられる。

カーセンサー「衝突回避システム」を応用し、後方に接近された場合警告を発するが、

前方衝突回避用の電波を出す為、

後ろについたのが同じ機械を積んだ機体ならばそれと判り、

そうでない場合は敵なので回避運動に入る。

1月19日の「秋月」被雷時に、この装置が十分に艦隊に行き渡っていたなら、

浮上中の潜水艦を「味方かも?」と躊躇う事なく撃沈出来ていただろう。




ラバウルにおいて、準備は徐々に整っていった。

一方ガダルカナル島である。

以前と違い、日本軍の「門」付近の陣地はアメリカ軍にバレている。

その為、昼間は空襲が頻繁になった。

そこに何があるかは分からないが、その周辺の日本軍陣地は強固で、また巧みな隠蔽をしていた。

何があるかは分からないが、重要拠点の可能性もある。

特にアメリカ軍で有力な意見が「UFOの発進基地ではないか?」というものだった。

12月の攻勢を撃退し、いくつかの部隊が前進し過ぎてまで、その地の周囲を占領した。

その時期、UFOは1機見かけただけだった。

だが突出し過ぎた部隊が撤収し、日本軍が再度戻って来た後から、

再び頭上にUFOが見えるようになった。

ゆえに何度か強行偵察を試みるも、上空から察知されているようで、待ち伏せを受けた。

米軍は、航空偵察によって付近のラッセル島に日本軍が集結している事を知っていた。

第四次総攻撃があると判断し、それは紀元節たる2月11日の戦闘終了を目指すものと計算した。

兵力を温存したいのはアメリカ軍も一緒である。

増援を要請したところ、1月30日には交代部隊が到着するという返答を得た。

それまでは日本軍の爆撃から航空機を守りながら、米軍も航空攻撃で日本軍を削ろうとした。


悲鳴を挙げたのが辻政信が指揮するガ島の部隊であった。

「門」を使って治療したその昼に空襲を受けて負傷し、また「門」を通って治療を受ける、

というような不毛な状態になっていた為、

「至急『門』周辺陣地への対空砲配備を頼む」

と、徐々に哀願に近いものになっていた。


その一方で、辻は2人の師団長に任せて、撤退に向けた兵の集結をさせていた。

毎晩現れるようになった潜水艦や駆逐艦に、傷病兵や「門」からの物資を乗せ、

撤退時の集結地点周辺に軍を動かした。

本人は撤退を察知されないよう、前線に残り、砲兵やまだ戦える兵を率いて、

米軍に動きが有らば先制して攻撃を先に潰していた。

この懸命さが、かえって「やはりあの周辺には何かがある」と米軍の疑惑を強め、

毎日の空襲を受けるようになったのだから、皮肉と言うしかない。


その辻の元に吉報が届く。

1つは、ついにケ号作戦が1月28日に発動されるという報告であった。

続いては「門」の向こうからだった。

1月21日にハ号作戦で重機関砲を送るというものだった。

自業自得が招いた苦労とは言え、報われる日は近づいていた。

(続く)

感想ありがとうございます。

無機物はともかく、生命の同一性チェックは理論をこれから考えます。

一部考えはありますが、今後の種明かしになるので今は控えます。


歴史物によくある「今までの登場人物が出て来ない、状況説明だけで終わる」回、

「主役とかより魅力的な脇役の活躍」回になってしまいました。

正直これは覚悟の上です。

逆によく今まで、主人公たちの近くで話を運んでいられたなあ、と思います。


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