3回目の「門」の話
20XX年10月:
「どうやら本物のようだ」
連絡が関係者に飛ぶ。
もう数年遅れていたら緊張感も無くなっていただろう、そんなタイミングでの事だった。
親睦会じみた隔月の会議が、急遽開かれて具体的な話になった。
「最初は君が勤めていたコンビニエンスストア前だったね。
2回目は不明だが、今回もまた同じ系列のコンビニエンスストア前か…」
政治家先生がそう言うと、統括部長が
「偶然…ですかね。偶然じゃない気もしますが、どうでしょう…」
と返事をする。
同じ系列のコンビニを狙ったのかは不明だが、3回連続だったのは
「またしても日本の先人が苦労をされている現場だ」
という事だった。
「狙ってますね」
「ああ、狙ってるな」
「腹立たしい、狙ってやっているな」
そういう声があちこちで飛んでいた。
「予想は外れた。
次は1945年の4月以前から1944年と見ていた。
しかし2年も遡って1942年、しかも日本近辺ではなく、ソロモン諸島ガダルカナル島。
先の大戦の転換点となった戦いではないか。
これはこの転換点にテコ入れして、歴史を変えてしまえという事だろうか?」
政治家先生が疑問を呈する形で介入論を展開したが、多くの参加者は
「いや、ガダルカナルで勝っても、もっと多くがニューギニア戦線で死にます。
仮にガダルカナル・ニューギニアで勝ったとしても、米豪分断を恐れる連合軍は、
南太平洋での攻勢を諦めないでしょう」
という専門的な意見と
「そもそも歴史変えてまではやっちゃダメでしょう」
という原則論的意見とで、強硬な意見は潰された。
(それにしても、この先生はかつてはハト派、戦争反対派だった。
反米な部分はあったにしても、随分と強硬に意見が変わったものだ。
反戦はあの人のお兄さんの死が影響していたかもしれないが、
この強硬論者への転向もまた、お兄さんの死が影響したのかもしれない。
極端から極端に振れる日本人っぽくはあるな)
今回の過去への通路もまた、洞窟だった。
「これはもう、洞窟という穴が門の役割を果たすのでしょうね」
そう言った事が契機で、仮称「門」と言われ、やがて正式に「ガ島門」と呼ぶようになった。
この「門」も秘密の存在だが、過去の2つも秘密のベールに包んでいた。
それぞれを「8・8広島門」と「沖縄戦門」と呼ぶ。
今回の「ガ島門」では、過去の「門」と違って様々な情報を入手出来た。
・来た者がすぐに死んだり、パニックを起こしたりしてなく、情報を聞き出せた。
・洞窟を抜けたら銃も軍刀も無くなっていた。
・水を売って持たせてやったが、全部運べず一部が現代に残った。
2番目と3番目がこれまでに無い情報だった。
「これはいかん! 『門』を通過出来る物には制限があるという事か!」
誰もが、最初に開いた『門』で調査をしなかった事を後悔した。
準備していた食糧・医薬品・武器・弾薬・燃料全てが無駄になるかもしれない。
「もっと具体的に調査しないとならない」
そして、科学関係ならという事で、広瀬三佐が主に関わることになった。
一方で警察には別の使命が与えられた。
「『門』は果たして一ヶ所だけなのか?
別な場所に違う『門』が出来ていたりしないか?
もし開いていたとしたら、それはここと同じ1942年のガダルカナル島に繋がっているのか?
それとも全く違う時期に繋がっているのか?
先に隠蔽の利かない、市民との衝突や事件を起こしたりしないか?」
この問題が発生した為、政治家先生は警察の関係者を連れて総理大臣に面会した。
総理は、与太話じみた「以前起きた怪現象」が今回また起きた事に驚き、
調査中の一週間の内に密かに「門」の視察も行った。
総理は目の前で、傷つき、痩せ細った日本兵が洞窟から現れるのを見て、「門」を信じた。
そして、確かにこれが「一般市民やアメリカに知られたら面倒だ」とも理解した。
警察庁、警視庁、各県警に「信じられないだろうが…」と前置きを付けながらも、事態を報告した。
この件は東京で一括管理する、情報は全て東京に送るように、
またこの件については署長・副所長及び各都道府県公安委員会までの情報とし、
それ以下には混乱を避ける意味でも詳しく知らせない事、とした。
公安には教えておかないと、例えば脱走兵が犯罪をし、それを射殺した際に
「何故発砲した? 相手は何故日本兵の恰好をしていた?」等と問題になるのだ。
とりあえず分かっている「門」は東京とは言え、山奥の方で上手く隔離が可能であった。
そこで、そこはフランチャイズ加盟店で、家族経営している為、排除したり隠蔽するよりも、
金を払って関係者とし、協力して貰う方が良いと判断された。
幸いにも統括部長と本店の会長はこちら側の人間なのだし。
そして、その山奥の方で封じ込めるとなると…
「もっと人員が必要だ」
となった。
防衛省の名簿から「親族がガダルカナル島、またはニューギニア島等南方戦線で
戦死または病死・餓死した者」を抽出したら、78名程になった。
その78名を、事情を隠してとある質問をしてみた。
「君の〇〇さんは先の大戦中、南方戦線で戦死したそうだね。
もしも、その人がタイムスリップして現代に来たとしたら、君ならどうする?
あ、そのタイムスリップは逆も可能で、送り返す方法も分かってたとして」
そう酒の席で振ってみた。
「軍法会議がヤバいっしょ! 送り返します」
→この自衛官は来た日本兵と衝突する可能性があり、リストから外した。
「そりゃ匿いますよ。誰があんな地獄に戻すものか」
→この自衛官は同情心が強過ぎ、日本兵を脱走させたり、
会議の命令に逆らう可能性があってリストから外した。
「送り返さず殺します。こちらに来たとか戻ったとか、歴史を変える可能性があります」
→この自衛官は、会議のやろうとしている事を危険と感じ、
暴露する可能性がある為リストから外した。
リストに残したのは、簡単に結論を出そうとせず、情と理の両面で物を考えた隊員だった。
そうして45名が真相を明かされ、「門」及び「コンビニ」担当とされた。
特殊過ぎる任務で、記録に残らず、出世に影響が出るかもしれないのに、
「秘密さえ守ってくれたら断っても良い」と言っていたにも関わらず、全員が残った。
「もし私のお爺ちゃんが出て来たら、やっぱり戦死させないようにするかもしれません。
その他の人については、残酷ですがマニュアル通り対応しますので」
そう言ったのは野村さんだった。
「実際にはやりませんが、可能であれば近代兵器を持ち込んだら、どこまでやってくれるか、
伯父を通じてやってみたい気もあります。絶対にしませんが」
そんな物騒な事を言ったのは浜さんだった。
「可能なら行ってみたいですね。そして、大叔父さんと共に戦ってみたい。
祖父さんが戦死した弟を随分誇りにしてたんで、会ってみたいです」
そう話したのは和田君だった。
この3人がコンビニの方を担当する事になった。
(ちょっと危険視され、直接日本兵と触れ合う機会の少ない方に回された)
こうして、以前から予測していた「恐らく先人の苦労する場面に繋がる『門』」の
秘匿態勢、問題発生時の連絡体制、補給を行う場合の備蓄物資放出とそれが予算外の物とする事、
脱走や事件等の悪意を持った行為に対するマニュアル策定は、
下地が出来ていた為一週間で全て出来た。
だが、開く「門」の性質が今回初めて明らかになった為、何をどこまでどうするかは、
「様子を見ながら考えましょう」となった。
連座する程の責任は無いが、政治家先生を通じた総理大臣案件となっていた為、
「歴史を変えないよう人道支援するが、それでも出る影響について調べる」シンクタンクと、
「座標と時間の異なる点を結びつけるメカニズムを解析する」大学等の研究機関も
機密は守る事を誓って、「ガ島救援プロジェクト」に参加する事になった。
これが俺氏が呼び出されて、色々書類に署名させられ、
協力を要請されるまでに定まった事であった。
「…これが2011年の最初の『門』から現在までに起こった事です」
統括部長が語り始め、広瀬三佐が話を継いで、説明を終えた。
なるほど、確かに自分は「何も知らない」。
教えられなかった情報って意味ではなく、実際に体験していないから、
「救えなかった、救えた筈なのに上の命令で閉ざしてしまった」苦痛を分からない。
「勝手に開けられた『門』を通って逃げ、寿命まで生き延びた筈なのに、
遠い故郷を思い出しながら死んだ女性の心境」なんて分からない。
「3度も過去に通じる『門』を開け、『さあ、救援しろよ』という態度の『何者か』がいて、
そいつの思惑を超えてやろう、そいつの持ってる力を我が物としよう」
そう思う気持ちは分かるような気がする。
「説明ありがとうございました。貴方たちのこだわりが理解出来ましたよ」
賀名生さんはそう言って、考え込んだ。
(救えなかったから救いたいというこだわり、
「門」を開けた者を見返してやろうという意地、
今後の事も考えて科学的に「モノにしよう」という欲望…。
経緯から言って、その3つが同じ程度に並び立ったのは分かった。
だが、実際の「門」が想像を超えた制限だらけの物だった、
しかし探してみれば裏技使い放題のザルだったってことで、
最初に決めていた部分の緻密さと裏腹に、やろうとしている事が「様子を見て」いる内に変わる。
どっかの自衛隊の評である「用意周到」と「支離滅裂」の合わせ技となった…。
それくらいなら「用意周到・頑迷固陋」の方がずっとマシではないだろうか)
賀名生さんは考え込んで、行儀悪かった姿勢を正して質問した。
「以前は『門』は制限が少なく、何でも出来ると思ってたんすよね?」
「そうですが」
「その時は、『門』を使ってどこまでやろうと考えていたんですか?
初心に帰りましょうよ。
昔、『門』の事がよく分からなかった時期、それを使ってどうしたかったんです?」
「…それは、どんな手法を使ってでも先人を助けたかった。
死ぬ運命にあろうが、そんなのクソ喰らえで、助けてやりたかった。
こちらの時代に呼んで、そのまま返さない方法ででも、天寿全うさせたかった」
「じゃあ、それで行きません?」
「なんと!」
「歴史を変えるからどうこうとか、もう捨てましょう。
どっちにしても、もう歴史は変わってますよ。
辻政信が1943年1月時点でガダルカナル島に居ること自体、歴史が変わったんです。
史実と同じ犠牲者数に戻す役割を、もしかしたら『何者か』が
辻政信に因子として付加したかもしれませんなあ。
奴がいる時点で既にもう歴史と違うんです。
変わる歴史の責任は奴に負わせましょう。
我々は初志貫徹、何を使ってでも多くの人命を助ける、それでいいんじゃないすかね?」
会議の面々の返事は無かった。
広瀬三佐が言った。
「済まないが、明日まで考えさせて欲しい。
魅力的な意見だ、賛成したい。
だけど、そこにまだ穴が無いか、やってはいけない事ではないか、じっくり考えたい。
初志貫徹と言うけれど、あれはまだ具体的に『門』を知らなかった時の浅い考えだ。
感情だったと言っても良い。
それで良いのかどうか…」
賀名生さんは、かつて俺に言ったのと同じような台詞を吐いた。
「どれが正解か分からなくなったなら、私情で判断するのもアリかもしれませんぜ」
(続く)
ここで序章の第6部に繋がるわけです。
自分の議論の進め方は、書いてて稚拙だなとは思ってますが、
まずは話を先に進めますので悪しからず。
(というか最終話まで書き上げた後なので、大幅変更は結構辛い。
話の流れを壊さないよう、ボトルシップの改装をするわけですので、
中々手がつかずともご容赦願います)
一応、最終話は書き上がり、番外編何篇かアップして予約投稿します。




