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コンビニ・ガダルカナル  作者: ほうこうおんち
第7章:U・S・A!
46/81

1943年の米軍人の見たJAPAN

20XY年 東京市ヶ谷:

会議の面々が読んだ報告書は、連合軍の細かい動向や日本軍の意向までは含まれていない、

あくまでもマイク・トッド軍曹の見た範囲での戦況がまとめられたものに過ぎない。

それであっても一同の衝撃は大きかった。

まず一つは、やはり想定外の攻勢を勝手にかけて努力を無にしてしまった事。

おそらくそれは、辻政信中佐が行った事だろうが、それは現時点では憶測でしかない。

次に、送った武器や現代文明の機械が戦局の役に立たなかった事。

もしも勝っていたならば、それはそれで頭を抱える事になったが、

ここまで戦局に影響を与えないとは、70年以上未来に生きる軍事関係者として

(いささ)か腹立たしいものであった。

そして、もしかしたら史実よりも悪化したのではないか、と疑わしい戦況についてである。

自分たちの支援が日本軍が攻勢を行うきっかけとなり、

それがかえって史実より被害を大きくしたのではないか?

少なくとも、辻政信を信じて渡したのはミスではなかったか?

いくら別件が進行中だし、他の決定権を持つ者と連絡がつかなかったとはいえ、

彼だけには任せてはいけなかったのに、何を騙されてしまったのか?


無言が室内を包んでいたが、黙って終わる訳にもいかない。

広瀬三佐が咳払いを一つして、口火を切った。

「戦況はこれ以上の事は分かりません。

 調べる必要がありますが、その相手がもしかしたらもう日本軍ではなくなるかもしれません」

「相手がアメリカ軍に代わるという事か…。それでは一体今まで我々は何を…」

「感慨は後にしましょうか!

 戦況が変わり、爆破するまでもなく『門』が米軍の手に落ちた。

 その場合、『門』をどうしますか? 補給相手を米軍に変えますか?

 それとも事前のマニュアル通りにしますか?」

「…散々日本軍相手に物資補給をしておいて、今度は補給対象を米軍に切り替える?

 それはいくらなんでも、流石におかしいだろう」

「ではマニュアル通りの行動。

 米兵、トッド氏にはお帰り願って、こちらから『門』を爆破する事になりますね」

「その軍曹を………帰すのかね?」

「帰しますよ。まさか、殺せと?」

「い…いや、そこまでは言わないが…。うんまあ、その、だね…」

書類の上では「もしも重要な機密が露呈しそうな場合は殺害も可」とあるし、

数字の上ならば殺す事に何の躊躇(ちゅうちょ)もないだろう。

しかし、一個の個人が実際に現れた場合、その1人を殺すには躊躇(ためら)いが出る。

やはりというか、会議の中で覚悟が出来ていない者多数だった。


「米兵を帰してこちらの秘密がバレたらどうするかって話ですが…」

「バレたって、3人以上こちらには来られないんです。向こうからは何も出来ませんよ。

 最悪、3人来た時点で3人殺してしまえば、もう誰も『門』を使用できません」

「………いや、そこまでは……」

「もうちょっと穏便に……」

(やれやれ、覚悟完了してないのが多いなぁ)

「帰すとして、もしも我々の時代の情報、未来の事がバレたなら…」

「日本軍と違って米軍なら、1945年に勝利するとか分かっても大きな問題は無いでしょう。

 言った人が、ちょっとおかしくなったって疑われるくらいですな」

「当たったなら予言者扱いですな。エドガー・ケーシーに代わって有名人になれるね」

誰かの発言は滑ったようで、笑いは起こらない。

「…それに、どうせ肝心な記憶は『門』通過で消えますよ」

広瀬三佐がボソリと言った事で、参列者の表情が明るくなった。

「そうだ! 忘れさせない方法ばかり考えていたが、普通に通せば忘れるんだった!」

「こっちで見た事とか、何もかも忘れてしまう、じゃあ米兵は帰して問題無いな」

広瀬三佐は思う、そう簡単でも無いな、と。

武器を捨てた状態で丸一日行方不明になり、帰って来ても肝心な事は何も覚えていないとなると、

敵前逃亡扱いで米軍であっても軍法会議、不名誉除隊は免れまい。

日本人同士の(よしみ)で助命嘆願が利いた日本陸軍が相手ではないから、何も出来ない。

一人の兵士の運命を変えてしまって、そのフォローも出来ないってわけだ。

もしもこのトッド軍曹が、その後のアメリカ軍の歴史において何らかの役割を担っていたなら、

ここで不名誉除隊されたらその後の歴史が変わるのだが……。

考えてもしょうがない。

その辺は最小限の犠牲って事で切り捨てなければならない。

「門」を破棄するという大きな問題の前では些少な話だ。


「米兵を帰した後、『門』は爆破、破棄でよろしいですな?」

「ちょ、ちょっと待って欲しい」

科学チームからだった。

転送するパケット化やフィルタリングについては何となく想像で語られたが、

彼等はそれをどうやって行うのか、肝心の空間の繋げ方についてデータが取れていない。

彼等が記録出来たのは、パケットが「門」を通過する際に、

空間そのものから発せられるエネルギー、そのパターンとそれを利用した通信くらいであった。

「猶予期間を設けるとか出来ませんかね?」

「そして第二、第三のトッド軍曹を出現させるわけですね」

「いや、それはなしで、えーと、人が通らないよう障害を設けるとか」

「それ同じ科学チームとして却下。人間でないとパケット通信にならないから。

 それくらいだったら、米軍相手に補給した方が良いと考えます」

「おい、本気で言ってるのか?」

「本気ですよ。人道支援が目的なら、国籍に拘る必然性は無いんですから。

 アメリカ軍だってマラリアやデング熱やチフスには苦しむんですよね?」

「それは許されん! まだ日本軍の撤退まで史実通りならひと月あるんだ。

 補給を受け治療を受けた米兵が、何人の同胞を殺すと思っているんだ?」

「…殺人(それ)を覚悟しないで今まで日本軍に補給してたんですか?

 殺す殺されるが逆なだけで、同じ事じゃないですか!

 補給を受けた日本兵が、何人の米兵を、同盟国の人間を殺すことになるのか!って」

「同胞と同盟国は違うだろ。同胞の生命は何者にも代えがたい」

「人道には国境って枠があるようですね。勉強になります」

「そこまで(怒)。言ってる事は間違ってないですが、この場で討論すべき方向性では無い。

 補給を米軍にしても良いから『科学的分析の回数を減らさない』という意見は(うけたまわ)りました。

 他には何かありますか?」

話を打ち切っておきながら、実は広瀬三佐はもう少し不穏な意見も持っていた。

(人道に国境って枠がある? 当たり前だろ! 誰が反日国家を救ってやるかってんだ!

 現在を考えれば敵国(アメリカ)への補給は反対しないが、国籍云々で言ったらあれやこれや、

 助けても感謝の一つも無く恨み言に換えて来る連中は有り得んな!

 …これこそ、この場で考えるような事じゃぁないな…)


「…本当に爆破するんですか? 日本軍が再奪取する可能性は無いんですか?」

その意見が最も重要だとは思う。

だが現実は無残なもので、史実のガダルカナル島の戦いで、

一度敵に奪われた地点を再奪取する力を旧日本陸軍は持っていなかった。

戦史畑の参加者もその事を説明している。

あとはどこで踏ん切りをつけるか、だろう。

惜しむ人間はいるから、全員が納得出来るとこで「門」を閉ざさないと。

それが今日の本題だと広瀬三佐は考えていた。

あーだこーだと意見が出ていたが、結局妥当な線、無難な結論になった。

「トッド軍曹に1943年に戻って貰う。戻ったのを確認したら、すかさず『門』を爆破しよう。

 科学データは明日未明の開通時が最後になるから、しっかり記録するように」




俺はこの件、あまり関わらない事になった。

英語話せなくはないが、自衛官の方が明らかに流暢だ。

そしてトッド軍曹を20XY年の日本に招待する事を上が決めたそうだ。

「どうも印象の強い記憶程忘れさせられるようだ。

 だったらいっそ、思い切り凄いのを見せて、一気に忘れていただこう。

 仮に覚えていても、法螺吹男爵(ミュンヒハウゼン)になるようなものを」


1943年のアメリカ軍人が見る日本は衝撃的過ぎた。

案内の自衛官は、つい数日前まで日本軍相手に戦略物資を補給していた事を隠し

「1945年8月15日、大日本帝国はアメリカを含む連合国に無条件降伏しました」

「日本はアメリカを中心とした軍に占領され、軍事力は完全に解体されました」

「1951年、サンフランシスコで講和条約が結ばれ、日本は国際社会に復帰しました」

「その年、日米安全保障条約が締結され、アメリカ軍は日本に駐留する権利を得ました」

「1960年、日米安全保障条約は更新され、日本再軍備とともに在日米軍の地位を確定しました」

「ご覧ください、あれが日米同盟に基づき日本に駐留するアメリカ海軍です」

トッド軍曹は横須賀に案内され、遠目だが巨大な空母を見せられた。

星条旗を掲げている以上、確かにアメリカ海軍だ。

「なんという軍艦だ。なんという艦だ?」

「正確な名前よりも級名(クラスネーム)で答えます。ニミッツ級です」

「はっ? ニミッツって太平洋艦隊のか? 彼はまだ現役だぞ」

「お忘れなく、ここは70年以上未来の世界なのです」

そしてニミッツ級の後継空母には「ロナルド・レーガン」があると教えると

「ナイスジョーク! ジャップがそんなジョークを言うとは思わなかったぜ」

と大笑いしていたそうだ。

(※:レーガン氏は大戦中は米陸軍の訓練用・教育用の映画やプロパガンダ映画の

 制作・ナレーションに携わっていた為、ヘボ俳優だが兵士たちは知っていた)


途中いくつかアメリカ資本のファーストフード店の前を通ったが、全く反応しなかったそうだ。

大手ハンバーガーチェーン店は戦後の開業、鶏の足を揚げる店は

ケンタッキー州でステーキやハムを売るドライブイン型レストランをやっていたそうで、

ハワイ出身のトッド軍曹は全く知らないそうだ。

「ケンタッキー州のそのローカルな店が、なんで日本にこんなに数多くあるんだ?」

と不思議がったそうだ。

外では落ち着かないようだったから、うちのコンビニの横のドライブインに戻って来て、

アメリカの映像を見せていた、主にスポーツで。

狙ったのか、2004年のMLBで一人の日本人がジョージ・シスラーの

年間最多安打記録を更新した映像を見せた。

シスラーは軍曹が子供の頃のスター選手だったそうで、

「だが俺はタイ・カッブの方が好きだった」

と言ったので、その日本人選手がタイ・カッブの最多安打記録を超えた試合を見せると、

怒って喚いてしまった。

「シット! 認めないぞ! 大体マリナーズって何だよ? そんなチームしらねー!」

「あと、何だって黒人だらけなんだ? あいつら用のニグロリーグがあるだろうが!」

色々文句を言ったが、徐々に「時代はそういう風に変わったのかよ…」と受け入れていったそうだ。


そう俺に話してくれた自衛官は、「PLAYBOY誌」を相当数持っていた。

「それ、戦中には無い雑誌だから見せない方がいいって言ってませんでしたか?」

俺が持っていったら没収されたんだが…。

「ショッキングな記憶って言ったらこれでしょう?」

「…まあね。でも、あの人からしたら孫よりも更に下の世代になりますよね…」

「いや男は、出るもんが出て、くびれてるとこがくびれてれば、

 孫だろうがひ孫だろうが欲情する生き物ですから」

「違いない(笑)」

「…………」

あ、野村さん、その沈黙が何か怖いです…。

「てなわけで、自分はまた軍曹の元に戻ります」

「あ、待った。この前のと同じケーキプレゼント」

「同じ?? クリスマスの売れ残りですか?」

「んなわけねーでしょ! ショートケーキはいつでも売ってるんです。

 仕入れが多い時期の売れ残りを詰め合わせで出したのがクリスマス後のアレで、

 同じケーキは一応通常価格これで売ってんですよ」

「…この店でも売れるんですか?」

「結構甘い物好きな爺さんが、上から降りて来て買って帰るよ」

「はあ、なるほど。では、いただきましたので」

一応経費になるので、野村さんとこで書類に書いてから、

自衛官は軍曹の元にケーキを持っていった。

軍曹はケーキを食べて思い出したそうだ。

「クリスマスの時にジャップが休戦を申し出て、

 その後ジュースとケーキとチキンをプレゼントした。

 このちょっと甘さが足りない、イチゴが乗った小さいケーキ。

 これはこの時代のだったのか! そうか!そういう事だったのか。

 ジャップが言い出した休戦じゃなく、君たちが言い出したんじゃないのか?

 合衆国と同盟関係にある君たちなら、そういう発想も出る。

 あれ? だとしたら日本軍はここから物を貰っていた?

 戦争用の物資とか渡していたのか? おい、どうなんだ?」

軍曹は何となく未来の日本を認め、未来と1943年が繋がっていたことを受け容れたようだ。

そうなると当然、ここの日本人がガダルカナル島で何をしてたのか、疑問になるよなあ。

そう軽くパニくる米軍人に自衛官は落ち着いて答えた。

「医薬品は支援させて貰いましたよ。最初に言ったじゃないですか、赤十字みたいなものだって。

 要請があればアメリカ軍にも支援させていただきます。

 だから、今晩あの『門』が開きますので、帰営して報告なさって下さい」

そう言って、軍曹は素直に深夜に戦場に戻る事を承知した。


…俺は聞いている。

トッド軍曹が帰ったならば、自衛官はその「門」を爆破し閉鎖する、と。

トッド軍曹も1943年に戻れば、今日見た記憶の大半を失ってしまう事を。

(続く)

感想ありがとうございます。

辻ーンですが、基本秀才で優秀なんですよ、ペーパーテストとか普通の戦術とかは。

じゃあ何が悪いかっていうと、やっちゃいけない事やっちゃうのと、

「吾輩ならやれる筈だ!」が強過ぎて、敵を過小評価しちゃうとこですな。

それが良い面に出て相手を圧倒する場合(対植民地駐留軍)もありますが、

ソ連、アメリカ、イギリス相手にはやっちゃダメだった、

その判断が出来なかったってだけで…。

(判断できないってとこで、全てが帳消しですか(笑))


トッド軍曹は、マ〇ク(1940年開業だが有名になったは1948年)、

デ〇ーズ(1953年開業)、フラ〇デーズ(1965年開業)、シ〇゛ラー(1958年開業)、

アウト〇゛ック(1988年開業)、SUB〇AY(1965年開業)と連れ回されましたが、

どれも知らなかったってネタも後々使います。

なお秋葉原に出来たカールス〇゛ュニアというハンバーガー店が1941年開業と、

色んなアメリカっぽい店の中でも古株だってことを、調べて知りました。

軍曹はホノルル出身なので、多分LAのホットドッグ販売カートの事など知らないと思います。


余談です。

最初トッド軍曹は海兵隊にしようとしてました。

マリナーズネタ使いたくなったので、海兵がマリナーズに悪口言えないかと思いまして。

あと、この頃の有名人はディマジオでしたね。

ヤンキースでネタを作れませんでした…。

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― 新着の感想 ―
[一言] シ〇゛ラー(1958年開業)、アウト〇゛ック(1988年開業)って、シズラー、アウトバックのことですね
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