4-11 バドは日々を積み重ね、私は次の仕事を考える
4-11 バドは日々を積み重ね、私は次の仕事を考える
バドと別れ、私たちはルベックでの定宿『銀の枝亭』に戻ってきた。『黄金の蛙亭』と比べると質素だが、外観や調度にこだわらず、食事と寝具、風呂の設備を強化している。また、長期滞在向けのサービスも細やかで気に入っている。伝言やちょっとした買い物、クリーニングに馬車の手配など、様々なサービスを一言で頼めるのも土地勘のないものにとってはありがたい。
紹介料を取るわけでもなく、むしろ『銀の枝亭』のお客は金払いが良いと喜ばれている宿でもある。お客を選び、提携先も選んでいるという事なのだろう。余所者には有難い宿だと思う。
「ラウス様お帰りなさいませ」
宿の受付さんもすっかり顔なじみである。
食事を外で採る事もなく、宿で部屋に料理を出してもらうことにする。私が歳が若いということ、ビルが美丈夫であることから、食堂での食事は目立つので気が引けるのだ。絡まれたくないし。
「バドのこと、どう思う」
「……発展途上ですが、手遅れではない……とは思います」
剣の素性も悪くないし、性格や頭も悪いとは思わない。但し、自分を見つめなおすことが出来れば……ということだ。そこは同感だ。
私には親がいない。でも、命懸けで守ってくれた女性がいて、育ての親がいて、仲間として扱ってくれた村の人がいて、先生と師匠がいてくれた。だから、特別不幸だと思う事も無かった。
そりゃ、村を追い出されたのは寂しかったし、悲しかったけど、「ごめんね」って謝ってくれたし、今では村を出て良かったなと思わないでもない。それなりに、私の人生は幸せなんだと思える。
「まあ、幸せ過ぎると、ちょっとした不幸がとんでもなく不幸に思えるんだろうね。バドは、その事を理解してもらわないと、成長はないかな」
「成長ですね……しなければ、碌な死に方はできないでしょう。彼は、そういう身分と立場に生まれていますから」
間違いない。庶子とは言え、公爵の実子であるし、利用しようとする者も少なくない。実父の公爵が当主の間は問題ないが、嫡子が後を継げば、物理的に排除される可能性だってあり得る。何年後かは知らんが。
「貴族の後継者争いは熾烈ですから。継承する権利のない庶子でも、邪魔者として処分される可能性はあります」
「本人が自覚が無いからそれも怖いよね。感じさせない、両親と正室の義母の配慮がなされているからなんだろうけど、馬鹿やっている場合じゃないからね」
バドをある程度まともに矯正して、公爵家に戻す事も、冒険者の依頼と捉えるならやりがいがある。公爵家と縁が繋がれば、お互い力になれるかも知れないと思うのは、思い上がりだろうか。
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「この手紙をお願いします」
私は商業ギルド経由で、ブレンダンへ手紙を出すことにした。一つは、バドが冒険者となり、今はゲイン修道会で奉仕活動をするなど駆け出しの修行を行っている事。冒険者として身につけるべきことを色々学んでいる事。
今後、私たちと月一回程度、魚の塩漬けを運んで公爵領に向かうので、その際に、顔を見せるようにすることを伝えた。
「一安心してくれるといいけどね」
「そうですね。我々も彼に対して過保護にならないようにするべきでしょう。ヴィーは口の上では辛辣ですが、配慮が優しいですから。それは、彼の両親同様当たり前ではないと、彼が気付くまで抑えるべきでしょう」
そうだよねー。だって、あいつ私たちを殺そうとしていたわけだから、簡単に許しちゃだめだよね。まあ、思い切り昨日はぶん殴ったけどさ。
修道会では、せっせと薬草の世話をし、ギルドで受けた奉仕依頼を行うバドの姿があった。
最初は戸惑いつつも、声を掛けられ指導され、頭を下げ感謝され、やがて無我夢中で働くようになっていくのが何となく見て取れた。
その間、簡単な商業ギルドの仕事を請負い、私とビルはルベックの街のなかで仕事をしていた。お金にはならないけれど、経験になるお仕事だ。契約書の清書の助手はトラスブルで散々やったが、帳簿つけに関しては経験がないので、積極的に受けるようにした。
複式簿記って言うのかな。面倒だけれど、それぞれの台帳に貸し方と借り方両方を書くと、どこからどこにお金や物が動いたのかわかる優れものなんだよ。まあ、帳簿管理している専門の人が集計してわかるんだけどね。
「オリヴィ君は書き方が丁寧で、字が見やすい。ビル君も正確なところは一緒だが、もう少し字が上手だと良いね」
「はい! 頑張ります。ね、ビル」
「承知しました」
計算は精霊さんだからそれなりにできるんだけど、字はねー 門外漢だからこれからの課題です。
『青銅の林檎商会』というのが、お手伝いさせてもらっているところで、ここは、羊毛を仕入れて、職人に渡しそれを織物に加工して買取る仕事を生業にしている。
実際に販売を手掛けるのは、別の商人で、製造業というのが正しいのかも知れない。うーん、職人に仕事を割り振って、材料を与え商品を買い取る仕事かな。いろんなところから買い付けに来るので、それを見るのも楽しい。
やっぱり、東外海の都市の名前が沢山出て来る。でも、最近は先細りだと商会長はぼやいているね。
「昔は商人同盟ギルドの海だったんだ。まあ、俺の爺さんの時代だけどな」
その後、一度はギルドが編成した海軍が『電国』という、ロマン人の部族の支配する国と戦って勝利したんだけど、二度目には負けてしまい、東の大公国が帝国騎士団との戦争に勝利し、騎士団と共に東方に植民をしてきたギルドの遍歴商人の中小の都市は占領されたり滅ぼされたりした。
だから、今は東との貿易が減って、帝国内での商売ばかりになっているのだという。
「東か……行ってみたいね。船に乗ってさ」
船に乗って東にもいきたいし、南の海にも行ってみたいけど……サラセンの海なんだよねぇ……。
「商人としては旨味がないみたいですね。聖王国陥落後は、ドンドン西に追いやられていますから」
「でも、お陰で西の海から新しい大陸? いろんな国を見つけて新しく貿易を始めたり、サラセンを通さず直接やり取りできるようになったんでしょ?」
東方貿易って今まで、聖王国の東から商人が『香辛料』を持って売りに来て、それを買い取って西に運ぶと凄く高く売れるってことで、大儲けする商人が沢山いたわけだけど、それが出来なくなったから船で直接海を使って買付に行くようになったんだよね。
「あなたは、ドン・ヴァスコのようになりたいのですかヴィー」
「いいえ、冒険商人としての頂点だけれど、あの人も王族や貴族の支援者を集めて冒険の旅に出た騎士階級の官僚だからね。そこは、商人の要素があまりないじゃない?」
思い切り名誉とか臣下の責務みたいなお仕事だから、私は縁遠いかなと思っている。
「船を持つよりは、船を借りて商売するくらいで良いな。船長と資金と船を互いに出資してさ、それで、旅に出てこの国で手に入らない不思議な物や珍しいものを買い付けて帰ってくるとかだよね」
「織物も、珍しく素晴らしいものが多いですよ、サラセンやその東の国は」
『パルサ』国はサラセンとは別の民族の国で、サラセンと敵対しているが歴史文化共に古く豊かな国であるという。更にその東には、ウマル帝国という大国がある。胡椒の産地にある国だ。
「パルサもウマルも美男美女の多い国です」
「行ったことあるのビルは」
「当時は国の名前は違いますが、何度もあります。人型でも、帯剣でもね」
流石、高貴な人の帯剣であったビル氏だな。その頃なんて名前で呼ばれていたのかは知らないけれど。
「ビルはどの辺の出身なの?」
「正確には分かりませんが、聖王国のあったカナンが近いと思います。最初の頃は、魔人の一人としてとある王様に臣従させられていました。強力な魔術師だったので、契約を無理強いされて……という感じです」
はあ、それってスレイマンの七十二柱とか呼ばれている伝説の王国とその建国伝説に出て来る存在じゃない。お伽話じゃないんだあの話。
「いろいろ酷い目に会いました。今はだから、結構楽しいです。ヴィーは仲間として私を受け入れてくれていますから」
それは私も同じだよビル。旅の仲間が人間である方がいいかもだけれど、見た目はイケメン、中身は大精霊ってのも悪くないじゃない。
「ヴィーは黒目黒髪だから、肌の色さえ少し化粧で褐色にすれば、向こうでも目立ちません。きっと、こちら以上にモテますよ」
「異国でモテるというのも何だか残念な気がするんだけど」
「まあ、金髪碧眼が美の基準という場所もあるこちらよりは、美人だと判断する人が圧倒的に多いという事です」
いや、私は玉の輿に乗る気はないんだよビル。自立した女になるんだから。そういうのは無しの方向でお願いしたい。
帳簿を付けながら、ビルと話をするのも中々楽しい。それに、帳簿に出て来る商会や地名を見るのだって興味深い。
やっぱり、海の向こうの連合王国とか、乗国のものが多いのかな。どうやら、枯黒病の影響で、農業をする人手が足らない事と、豊かな農地は貴族どもが占有しているので、手間のかからない羊を飼い、毛を売って穀物を買う方が良いって判断みたいだね。
一時期、連合王国の商人も東外海に現れたみたいだけれど、揉めた後、棲み分けするんでこっちからは手を引いたらしいから、今は競争相手じゃなくて取引先ばかりなんだってさ。




