2-10 薬草畑は難しく、私は修道会に通う
2-10 薬草畑は難しく、私は修道会に通う
植物に水を与えるのは難しい。実際、バケツをひっくり返したような雨という表現はあるが、バケツでざばんと水を上げたら大変なことになるのだ。森の中というのは雨が降っても意外と地面は濡れていない。葉を伝い、枝を伝って木の根元に水は流れていくが、何センチも積もった枯葉の絨毯の下に水は溜め込まれ、土はしっとりいつまでもしている。
何が言いたいかと言うと、何もない畑のような場所は薬草が育つ森の下草のような環境と凡そかけ離れているという事なのよね。
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さて、婚約者様とそのご友人一行と永遠の別れを済ませた私とビータは、ゆっくりと歩きながらこれからの話をしていた。
「大丈夫でしょうか……あの方たちは」
「冒険者がふらりと街を離れることはよくあることだし、あの男もまともに仕事をしているとは思えないから、一緒に出奔したって事になるんじゃない?」
冒険者三人と遊び人が門を出ていくところを門衛は見ていただろう。そして、少なくとも遊び人のグラス氏はそれなりに有名だっただろうから、門衛も覚えている事だろう。何しろ、親が息子の行く先が心配で友人の娘と結婚してもらい後見を願うほどの出来損ないだ。
「そうですね……私が修道会に参加しているのもあの方に足らない社交性を補う目的もあったんです。商家の夫人として少々世間が狭いのは問題だって母に言われてましたので」
「ふふ、新しい出会いに期待ね」
「はい! まだ結婚には早い年齢ですから、二三年の間に良い方と巡り合えればいいかなって思います。真面目で、仕事熱心で家族のことを大事にしてくれる人が良いです」
「それって、普通だよね」
「ええ、でも、あの方はそれすら望めない方だったので、高望みする気持ちがまるで生まれません」
高望みできないから、地面の下に埋まっているってわけだね。あはは!!
次に薬草採取をするときには、修道院で馬車を借りるように手配しようとビータと私は話し合った。馬ではなく兎馬の方がいいのだけどね。
門に差し掛かると、ビータの顔を見知っている門衛が彼女に話しかけてきた。
「心配していたぞ!」
「へぇ、何でですか?」
彼女の評判の悪い婚約者が人相の悪い傭兵らしき武装した男と、彼女が門を出て川下に向かうところを後からそっとつけていくのが見て取れたのだという。
「何かされなかったかい?」
「いいえ、私たち森の中で薬草を取っていたので、気が付きませんでした」
「それは何を考えていたのか恐ろしいですね。心配していただいてありがとうございます」
「いや、何の役にも立てず申し訳ない。あんな奴、消えていなくなりゃいいのにな」
門衛さん正解!! 悪い婚約者は地の底に消えてしまったのだよ。
門衛に話しかけられても特に違和感なく会話ができていたので、ビータが口を滑らせることはないだろう。滑らせたとしても、死体が出なければ完全犯罪なので問題ない。剣で斬りつけたわけではないし、死因は窒息死だから私のせいじゃない……多分。だ、大地のせいかもしれない。
私たちは早速修道院に戻ると、薬草畑の一角に採取した薬草を植えることにするのだが、先に薬草を修道会の薬師に渡したいとビータが言うので、私も一緒に施療院に向かう。既に午後の診察も一段落したようで、中は落ち着いている。修道会の場合、夕食が早い時間なので、診療終了も早めであったりする。
少なくない薬草を私の指導の下、薬になるに過不足ないコンディションで採取しているのだから、薬師の反応もおおむね好評であり、「院長先生に私から感謝を伝えておく」と言ってもらえ、ビータは嬉しそうであった。
日が傾き始めているので、急いで薬草畑に戻り、再びスコップで大きく穴をいくつか開け、土ごと移し替えられるように畑を整える。
「さて、水をあげましょうか」
「いらないよまだ。朝露や空気中の水分でも随分と草は水分を摂取できるからね。あまり水を掛けると、土が固まって空気が通らなくなるから、土の中から栄養が草にいかなくなるんだよ。だから、水やりも考えないと駄目なんだよ」
「へ、へー ヴィーは詳しいんだねー」
そりゃ、散々畑仕事や薬草園も育てましたからね。詳しいんだよ、栽培系のお仕事とは。
「それと、ちょっと太めの麦の茎を用意しておいて。明日、その続きをするようにするから」
「これで終わりじゃないのね」
「日除けや水やりの道具だって用意しないとだめだからね。こんなに直接日が当たる場所だと、薬草がちゃんと育たないから」
「……森の木陰とは全然違うもんね。土も何だかぱさぱさしているし」
「枯れた葉が虫に食べられて腐ってフワフワになると、水を沢山吸い込んで乾きにくくなるんだよね。だから、それに近い環境を作らないと、枯れて駄目になるよ」
「なるほど。それが原因なのかな」
「多分ね。花壇とはちょっと違うから。かといって日陰じゃだめだしね。日あたりを調節して、土も乾かないように上手に管理する必要があるね」
場合によっては最近普及してきた園芸用の鉢に植えて場所を工夫する事も必要かもしれない。
「あなたの実家は園芸をする人いるのかしら?」
「母が最近始めたのよね。何とかって、球根から育てる花が人気なんだって聞いているわ」
どうやら、牡丹百合と呼ばれる新種の百合なのだという。そういえば、商人の館の窓辺に植木鉢で変な形の百合を飾ってあるのを見かける。多分あれだろう。
「オリエントから取り寄せられた花で、帝国の外交官が持ってきたと聞いているわ」
「戦争以外にも交流しているんだ」
「そうそう、戦争中なのにね」
東の異教徒大帝国がこの国の東隣の国に深く進攻し始めているという。帝国から出兵する予定はなさそうだが、異教徒相手なら助太刀で参加するかもしれない。それより、内戦の方が大変だからねこの国は。
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翌日、私は水やりの方法をビータに教える事にした。これは、鉢植え物に特に有効な方法だ。
「……で、麦の茎を何に使うの? あ、水を飲むのに使いたいんだ!」
「そうね。でも、水を飲むのは人間じゃなくって薬草だけどね」
「どういうこと?」
私は茎の途中に切れない程度に切れ目を入れ、半分に折り曲げる。そして、木のコップに水を入れ、その折れた茎の先が水に浸かるように差し入れる。
「それじゃ、水は吸えないじゃない?」
「吸うんじゃないわ、吹くのよ」
私は、茎の先から息を吹きいれると、折れたところから水煙がブハッと飛び出す。
「……魔法ね! 魔法に違いないわ!!」
「魔法でも魔術でもない、ただの物理現象よ」
「魔術師だもんねヴィーは」
「あなたにもできるわよ。だから、魔術じゃないから」
彼女に麦の茎とコップを渡し、同じように真似をさせてみる。水が霧のように茎の先から吹き出す。
「これなら、水を掛けても土は固まらないし、土も乾燥しにくくなる。まあ、ジョウロで軽く掛けて、最後に吹き付けて葉を湿らせてあげると良いと思う」
「これ、お母様に教えたら、凄く喜ぶと思うわ!」
園芸サークルでお披露目して、母の株を上げてあげようとビータはほくそ笑む。
「全部霧吹きで水を上げるのは難しいから、適当に使い分けてね」
「勿論よ。でも、楽しいわ、光が当たるとキラキラして虹も見えるし……」
雨上がりに虹が見えるのは、空気中に漂う細かな雨粒に日が当たって出来るものだが、この世界ではむしろ妖精の為す事だと思っている人の方が多い。また、神との契約を示す物と教会は説明したりするので、あまり口にしない方がいい気もする。
「次は、日除けをつけるわよ」
同じ長さの棒を四隅に立て、筵で簡単な覆いを作る。筵の織りは雑で、隙間から日が差し込んでいる。シェードのような感じだろうか。
「暑さもこれで大丈夫でしょうか」
「毎日水をやるのも問題だから、土の表面が乾いたら霧吹きで湿らせる位でいいと思う。葉っぱって、葉の表面で水を集めて自分の根元に水を流すようにできているから、地面直接じゃなくって、葉っぱに霧を吹いてあげればいいからね」
「ヴィーは物知りですー」
いや、観察の賜物だから。手を広げたように葉が茂るのも、そこに当たった水を自分の枝から幹の表面を通して根にいきわたらせるためだよね。
こんな感じで、私は一日おきくらいに修道院に顔を出し、ついでに街の周りの薬草の生えやすい場所の地図を作る為に修道院に向かわない日は外回りをするようになった。
私と世話をするビータの姿を見て、園芸好きの女性たちが声を掛けてくれるようになり、麦の茎で作った霧吹きを勧めると、みな仲良くなることができて、ビータも嬉しそうだった。
ビータの母にも霧吹きは好評で、家でも薬草の鉢植えを育てるように家族で話をしているという事だ。
そして、数日後、私はやり残したことを思い出して、埋まっている森に足を一人向けるのだった。




