錆鉄のメロディ
「それでは。お急ぎでなけりゃあ、あたくしの夢語りに、どうぞおつき合いくださンまし。お代はいただきヤせんが──心が動いたのなら。動いたなりに、財布の紐を緩めてくれてもよかですよ。どうもあたしのポケットは今、すき間にものをたっくさん差し込めるようで」
詩人の繊細な指がリュートの弦を弾くと、りゃん、と高い音が鳴る。一度、二度……確かめるような指先は次第に強く。
「それでンは。はじまり、はじまりぃ」
──そうして、演奏が始まった。
郷愁を誘う穏やかな音色。
トン、タン、タンと。
野うさぎが跳ねるようなリズムに、ステラは、そこに晴れやかな春の草原を幻視する。
まるで、のんびりと、日々を過ごしているような──。
「今よりむかし、まだ天にのしりと神がおわして、地にぴしりと法が敷かれていた時代。ひとりの男が、この王国で生まれやした」
転調。
格式高い宮廷音楽のように、厳かな旋律をリュートが奏でる。
)
「〽この世に金が多いのは みんな旦那の御陰様
lu lalu ti ta lalu lita lulaluli lila...
練って上がるは黄金色 億千万の御大尽
lu lalu ti ta lalu lita lulaluli lila la...」
リュートの調べを伴奏にしながら、繊細なメゾソプラノの声が響く。
ステラは、そこで初めて声の主が女性だったと認識した。
「今となっちゃァいぶかしき、金を練り上げる術にございやすが。開祖始祖はァそりゃすごかった。万病奇病をけろりと治し、石くれを黄金に変える。そして終には、女の腹を使わず、十月十日どころか瞬きの間に、魂を増やす、神の如きのおんみわざに至りやした」
そして、旋律をかき鳴らす指先は激しさを増す。
アッチェレランド。加速する。クレッシェンド。大きくなる。
「ヒトの世に、並ぶものなき大天才。彼の影を踏もうと真似ぶ学徒は皆、心を折られて喚くのです。いんちきだ、詐術だ欺瞞だまやかしだ。
いいえ、狡なんざぁありません。ただこの大先生、ちいとばかし、頭のデキが優れていただけです。
そして、優れていたから気づいてしまった」
ぴいん──曲の頂点で、ひときわ高い音がひとつ弾けた。
そして、ことん、とリュートが置かれる。
この空間の誰もが、息を呑んで観賞していた。
す、という呼吸の音が、上階のステラの耳にも、そのためにしかりと届いた。
「〽今日がそのまま続くなど 誰が保証めてくれようか
当然そこにあるものに 只人たちは疑念を抱かぬ
弱く震える牙なき者も 強く傲れる剣振る輩も
皆一様に ああ一様に 疑念を向けることはない
避けえぬ破滅を視た我を 道化すらもがけら笑う!
しかして──嘲笑、侮蔑、毀貶の波で 歩みを止めることはなし!!」
独唱が、びりびりと耳を痺れさせるような怒声へと変わる。
それは聞く者の感情を惹起する──無理解への苛立ち、主人公への同情、そして世界への怒り。
そして、詩人は怒りを抑え、滔々と語り始める。
「ある日男は、遠き未来──27万と5000の夜を超えたその先に、破滅を視たのです。そして男は、それを止めるために、それからの自分の全人生を賭けやした。
知恵ある者の、力ある者の、尊き立場の者の義務とは、世界をより善くすることだと信じて。そうして、地位も栄誉もうっちゃり投げて、罵りをその背に受けながら──幾星霜かけ出来上がったが、自立する鉄の城でありやした。すくっと立って、足で歩いて地を駆ける。
何本も何本も生やした脚でもって、辺境を耕しながら、救済方程式を演繹する巨大演算機。蒸気機関って文化は、作り直して小型軽量化でぇなく、大型重量化によってつぎたしつぎたし発展していく形式なんでぇございます。電気や魔力と違いやすね。ももとせちとせと続くにゃ、こっちの方が、都合がよかったんでありましょう。何百年も、休まず走り続けておりやす。
や、しかして皆々様には、錬金城よか『辺境走る鋼鉄魔獣』つぅ呼び名の方が通りがよいかもしれやせん。まあ、生きちゃァおりませんけどね。天気のいい日には、ここ王都からでも、雲を突き上げる黒い影が見えていやしたよ。
今は、果たしてどこを走っているのだか。辺境の東の果てか、あるいは西の大水源か。ひょっとすると、世界の救済手段を見つけたのやもしれやせん。あたしのお財布はからっけつで救われちゃおりやせんが──あら、そこのお兄さんも同じですかね?そりゃどうも。
錬金術の秘奥とともに、今やその名は忘れられ久しい彼の名は──カルス。カルス・エシェルの錬金城。どうぞ、覚えて帰ってくだしゃんせ」
そうして、詩人は再びリュートを手に取ると、
硬質な調べを伴奏にしながら、再び詩を吟じ始めた。
「〽黒き煙を噴き上げて いずこに向かう鉄の城──」
* * *
* *
*
──僕は、カルスオプトを破壊する。
今度は、自分の意志で、完膚なきまでに。
ダンジョンの最深部には、燐光放つ銀の扉があって、その先には主がいる。
そして、コアを破壊することでそのダンジョンは消滅する。
これは、少なくとも僕がメリーに付き添って攻略したダンジョン、およそ5000件において、いずれも共通している法則だ。
扉が既に開いていたり、形状が特殊で入室したことに気づかなかったりしたことはあっても、その法則が変わることはなかった。
カルスオプトは立体構造になっている。
だから、最深部っていったら機関室だと思っていたわけだけど──ここには何もない。
ただの空き部屋だ。
……どういうことだ?
カルスオプトの存在意義は、この部屋に安置されているはずの《階差機関》だ。巨大機構を構築し、フラスコの外ではたった数日しか生きられない命にそれを管理させ、規模を拡大させ続けていった理由は、ひとえに階差機関のためだ。
階差機関こそ、カルスオプトの唯一の勝利条件だったはずだ。そのために、辺境で暮らす人間と、機工都市の管理を担当する存在に対する善性を投げ捨てたはずなのだ。
僕はそれを何周も追体験して、これ以上なく理解していた。
こうして、ダンジョンとして、在りし日の──崩壊直前のカルスオプトが、完全に再現されているにもかかわらず。
肝心の階差機関が見つからないというのは、何とも不合理なことだった。
「階差機関が重要ではない……?」
……いやいや? 自分で言っていておかしい。
迷宮都市の住人たちにとって、《機関室》とはとりわけ神聖な場所だ。
入室が許可されているのは同時に二人以上生産されることはない《計算屋》のみであり、《大工》以下あらゆる住人はその周囲に近づくことも基本的にしない。
ちょうどこの辺りにあったはずの、子供の背丈程度の歯車を集めてまとめた塊が、彼らにとっての聖遺物だった。僕も彼らの一人として、過ごしていたからわかる。
……そして、外から来た訪問者である僕たちを、彼らはそこまで信頼してくれていたということになる。
……困ったな。ここが本命だったんだけど。最深部ってどこになるの?
カルスオプトは広大で、一月や二月くらいかけないと探索しきることはできない。扉が配管の途中にあったりするとしたら、探索でかなりの危険と困難を伴うだろう。
それに、一週間くらいの保存食は持ってるけど、流石に一月分の食事は持っていないわけで……。長く保存できる食料っておいしくないものが多いんだよね。塩の味しかしない干し肉とか、油を絞りきって乾燥しきった木の実とか。備えは重要だと思うけど、そういうのって面倒ごとがない限り、ちょっと買おうとは思わない。だっておいしくないし。
え、となると……帰る?ここから帰るの? いやいや、流石にそれはないでしょ。メリーに『戻るまで足止め頼む』なんて言った手前、成果なしでのこのこ帰ってくるとか……。
と、とりあえず足を動かそう! どうしようもなくなる七歩手前で一度戻るとして、今はまだ物資にも余裕があるし!
まあ、真っ暗な闇の中で銀の光がきらめいてたらすぐ気づくだろうしね? まあ意識して歩こう。
僕は油をいつでも撒けるように準備をして──。
「ん?」
歯車と歯車の隙間から、かすかな音が聞こえている。
カルスオプトの闇の中で、聞こえていたのは、軋んだ歯車のキイキイと鳴く音ばかりだ。
漏れ聴こえるこの音は、それとは何かが違う。
「よっ、と……」
僕はできる限り頭をそこに近づけて──もちろん近づきすぎたら僕の頭は歯車にミンチにされるわけで、細心の注意を払って──耳を澄ます。
「…………おや?」
どこか聞き覚えのあるメロディが、確かに聞こえた。
……誰かが、口ずさんでいるのか?
方向的に、この先にあるものと言えば──あの、銀の円筒が立ち並ぶ居住スペースかな?
……数多の死の舞台となった場所だ。そして、その痕跡すら残さず、肉体から何から、全存在を材料として再利用する誕生の舞台でもある。まったく無駄がなくて……吐き気がする。
正直なところ、本命の機関室に寄れば、あっちに行く必要はないだろ、と考えていた。
だけど、こうもあからさまに気になるものがあるのなら、行かざるを得ない。
ひょっとすると、ここには先客がいて。その何者かが機関室を空っぽに変えたのかもしれない。
「よし、行く──う?」
──地震っ!?
え、これすごい大きい! なんだろう、崩壊する前のカルスオプトが高速で動いている最中も、ここまで揺れたりはしなかったのに。
まずい、立っていられない。メキメキと軋む音がする。まずい、やばい、これはまずい。僕は腹這いになる。そのまま匍匐で動く。腹に煤が溜まって動きづらい……!
何があったんだろう? ひょっとして、時間制限が過ぎて崩壊したりとか……?
あるいは──侵入者撃退のための罠か!? するかしないかで言えば、する。この巨大な鉄くずを製作していた老人は、勝利条件である階差機関を護るための防備を整えていた。
敵対者にとってすれば、カルスオプトとは、そびえ立つ要塞であり、その防備が僕に向けられても別におかしくはない。
「うわ、うわわぁっ!」
這って動く。動こうとする。揺れはどんどん激しくなる! もはや動けない。
身体を横たえて、金属製の床にしがみつかないと、僕の身体ごと吹っ飛ばされてしまいそうなほどだ。
これじゃあろくに動けない。
「っ……! う、うう……!!」
揺すられる。どんどん揺れる。視界がもうまともに見えない。
まるで小人にされて、シェイカーの中に放り込まれたように世界全てが容赦なく揺れている。
しがみつく腕の力が、どんどん緩みそうになって、そのたびに僕は必死になって床を掴む。
揺れる。僕は力を込める。揺れる。僕は渾身の力で床にへばりつく。揺れ──ばき、という音が、僕の真下から響いた。
「あっ──」
蒸し殺すような熱気の中で、僕の背骨に氷柱が突っ込まれたような寒気が来た。
浮いている。重力という楔から解き放たれている。
床ごと、配管と歯車の壁に向けて飛ばされていく。
あ、やばい、死ぬ。
やばい死ぬ。死ぬ! 死ぬっ!!肉体よりも思考が先にぐるぐると回ってああ走馬燈ってこういうやつだなって思ったりでもそこそこ見てるなメリーのせいでって思ったり僕がいなくなったらメリーどうするんだろう幸せに生きてくれるといいなって思ったりそう考えているうちに僕はやっぱりまだ死にたくないと思えてきてでもあと0.9秒後に僕は壁にぶつかってひしゃげて潰れて死に死にたくない死にたくない死にたくないという気持ちが全身を支配してだけど身体はぜんぜんまったく思うようには動かず壁はただ無慈悲に僕へと迫り迫り迫って──。
「まにあた」
僕は。
金髪の小さな幼なじみに、胴からまっぷたつになりそうなくらいの力で、ぎゅっと抱きしめられていた。
……ええと、まあ、言いたいことは色々とあるんだけどさ。会えてよかったとか、胴が痛いとか、胴が痛いとか、それから胴が痛いとかね。
でも、それより先に聞かなきゃいけないことがある。
なんでここにいるんだい、メリー。
〽回る 回る 歯車回る
li ta la li ta tali lali lala lula lulila ta
走る 走る 鉄くれ走る
li ta la li ta tali lali lala lula lulila ta
その歩みは人の世のため 演繹と演繹を繰り返す過程に
悲しみを積んで 嘆きを踏みしめて 汚れをこびりつかせ
止まることのない 止めることなどできない
救いの 解を 得るまで
there is no one
there is nothing
there is nowhere to be found
li ta la li ta tali lali lala lula lulila ta
li ta la li ta tali lali lala lula lulila ta la




