暗闇の戦闘/たとえ知らなくとも
周囲は暗闇。
この暗闇の中でも、僕はどこに何かあるのかは完全に把握している。あと3歩左に歩いたら配管にひっかかる、とかね。
でも、どこに何がいるのかはわからない。
「おっと」
僕は襲撃者の攻撃をかわす。
……実のところ、攻撃の正体も掴めてはいない。おそらくは、飛びかかっているのだろうけど。
ずんと重い、熱を帯びた空気が動く感覚。それを頼りに身体を操作している。
『ああ何かが飛びかかってきている』というのを掴んで、足場を適当に蹴っている。
空気を読むのは得意だからね。
まあ……対応できているとはいえ、今、すごく泣きたくなるような状況にいる。
僕の勝利条件は襲撃者の打倒。その上、まだしばらく探索するためしっかり体力を残す必要があり、当然五体満足でないとダメだ。
その辺に生えてる薬草を食べて手足がにょろっと生えてくる治療法とか、ちょっと勘弁したいなーって思う。
「あーいやほんと平和にやりません? 平和っていいものですよ?だって平和だ」
「きょうもきょうもききききき──」
「やー。ちょっと特殊なコミュニケーション能力を要求されていますね。困ったなー。具体的には言葉が通じない。まあ、大昔に何度も──いやさっきか。時間の感覚曖昧だな……まあいいや。言葉の繰り返しはさっき見たので。もう少し別のやつお願いできますか?」
「ききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききき」
「あ、リクエストが難しかったかな? 『いやー若干申し訳ないですね。じゃっかん』」
……相手は僕の声に反応しているのか、それとも暗闇でも視界に何の問題もないのか。僕は中身のない独り言を相手に投げかけながら、その反応を窺う。
僕は《録音石》を使って、『若干申し訳ない』という言葉をよそに放り投げてみた。……反応はない。ききききき、という声は僕の方から離れていかない。
発声器官も既に壊れているのだろう。《魔獣分類学》はあまり詳しくないんだけど、これは《からくり系》と呼ばれるやつだと思われる。一般的な生物の多くは鳴き声を発するときに体力を消費するわけで、それを繰り返せるというのはその時点で逸般的なのだった。
しかしからくり、からくりか……。それだって断言できる魔獣と相対した経験から、どうもあれは色々と苦手なんだけど、とりあえず、最初に直接飛びかかってきたところから考えて飛び道具はないと思われるのは不幸中の幸いだ。思えば前回、セツナさんと同行したときにぶつかったアレも同じか? いやまあいいや。問題なのは飛び道具。相手はないけど、暗闇ではこちらからも狙えない。リーチの長さは安全に繋がる。僕が十尺棒を持ってる理由だってそれだ。今明かりを付けるべきか否か。捕捉された今、姿を晒すというデメリットは考えなくてもいいかもしれない。どうするか、どうするか、どうするか──。
「きききききききききききき──」
──避ける。躱す。回避する。思考はやめない。相手の声も僕の心臓の音も、今は無視して思考と足をぶん回す。
すり抜けて、欺いて、身を縮めて、それから──、
だが僕が考えている間も相手は動く。避ける。僕は──かがむ──僕の勝利条件を──横っ飛び──クリアするために──壁を蹴って三角跳び──立ち回る。立ち回る。立ち回る。
とにかく、動きを止めないことが肝要だ。幸い、相手の動きはそこまで早くはない。
僕が相手をするのは人間非人間問わず、だいたい僕より速い。めっちゃくちゃ迅い相手の場合、僕はその動きを四手五手六手七手と読み続けながら動かなきゃいけない。大体そんなことできないで隣のメリーが助けてくれるわけなんだけど、今この場にメリーはいない。
僕は身体をとにかく動かしながら、最初の布石を打った。
──まずは、相手がどんな相手なのか。
姿すらわからないんじゃどうしようもない。今は難なく避けられるけど、僕の体力だって無限じゃない。機工都市カルスオプトは熱エネルギーを利用して運動しているでちから──おっと、運動しているから──どこもかしこも蒸し暑い。現に今、僕の睫毛には汗の玉が乗っている。
それに、今も僕の心臓はばくばくと鳴いている。これ絶対健康によくない。
だから、どこかで勝負を決める必要がある。
動きながら、熱由来じゃない光源になる物 質──《眩石》の欠片を地面に撒いて、僕は視界を少しずつ増やしていく。
このキラキラしたパンくずのような石の粒は、主に道しるべに使う道具だ。ダンジョン内で、冒険者間の『適切な距離』を示すために使われたり、目潰しになったりと用途はそこそこある。
地面に撒かれた眩石は、足下から薄ぼやりとした淡い光を放つ。
それに照らされて、僕をつけ狙っていた相手の姿が浮かび上がった。
「ききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききき」
……そこには、異形の姿があった。
それは人型だった。
その全身にはやっぱり煤がこびり付いていて、堆積した煤が腫瘍のようにぼこぼこと凹凸を作っていた。
それの腹部からは錆びついた回転ノコギリのようなものが大きく飛び出しているが、その回転は鈍く歪だ。
それの姿をこうして明かりの下で見ると、動きがにぶく、ぎこちなく、今にも壊れそうなことがはっきりとわかる。
「きききききききききききききききききききききききききききききききき」
……それは、そんな状態でも僕に向かってきていた。
ほんの少しの衝撃、例えばすれ違いざまに足をひっかけでもすれば、簡単に壊れてしまいそうなのに。
脚部をガタガタともつれさせたりと非生物的な動きをしながら近寄ってくる相手に、僕はなぜか、生物的な何かを感じた。
のたのた近寄ってくる。
きっと小突けば終わる。すぐ終わる。
相手は見るからに脆い。タイミングを合わせればすぐだ。
瞬間が来る。すぐだ。今だ。
そして僕は──当然身を躱した。
なにせ、僕はそんな相手以上に脆いわけだからね。
こんな相手でも、たとえ一撃でも攻撃を受けたら、良くて意識を失って死に、悪くて意識を失えないで痛みに悶え苦しみながら死ぬだろう。
僕の軽装鎧は、最初から他者の攻撃を受けることを考えてはいない。藪なんかに入ったり、山道なんかを登り下りしてる時に、生傷を負わないために着ている。もちろん堅い鎧を着たいという気持ちはあるけど重くて着られないのだ。
それに、すごく堅い鎧が無傷で済んだとしても、きっと内側の僕は簡単に壊れてしまう。ほんっとに、笑えるくらいに、僕はひ弱だ。
僕の隣にメリーはいないのだから、リスクを負う必要はない。
だって、もう次の手を打っているのだから。
カルスオプトの内部構造について、僕はたぶん、現時点でこの世界の誰よりも詳しい。
ここは『都市』とは名ばかりの、住人の生活なんかは最初からいっさい考慮していない、超巨大演算装置。カルスオプトの住人すら含めた全機能は、すべて中枢にある《階差機関》のために存在しているでち──存在している。
巨躯を動かすことによって発生する超巨大な運動エネルギーは、《階差機関》の機能を向上させ、全身の体積を増やせば増やすほど、速度を増せば増すほどに階差機関の性能もまた高くなる。だから、この鉄くずは約700年もの間、大きくなり続けながら辺境中を走っていた。
張り巡らされた金属の配管には、エネルギーに変換しきれない熱を排出する《静脈》と、運動エネルギーを中枢へと伝える《動脈》とがあって、その一本一本がどこに繋がっていてどんな役割を持っているのか、僕は完全に把握している。
僕はこれまで、ただ無計画に飛んで跳ねてしていたわけじゃない。
この先はカルスオプトの関節部だ。
そこには必ず、熱エネルギーを発生させ、金属を生成してその身をより大きくするための炉と、巨大な噴煙排出機構がある。
そのせいでここら一体は更に暑い。前髪から垂れる汗が視界を塞ぐ。
だけど、今更視界は必要なかった。
「はっ……はっ……」
「きききききききききききききき──」
息があがってきた。だけど問題ない。
準備を整えた僕は、少しずつ速度を落としていく。
──獲物を捉える瞬間というのは、一番無防備だ。
僕の隙だらけの背中に、錆びて煤がたまって黒変した回転ノコギリの刃が迫る。迫る、迫る!
「きききききききききききき」
「ッ──!」
刃が僕の背に触れる、その直前!
僕は天井に噛ませていた《噛みつき草のツタ》を引っ張って、するりと刃をすり抜ける!
「きききき──」
そして──スリップだ!
僕が床に撒いていた《ユグドラシード・オイル》によって、相手は体勢を崩し、すべり、そしてそのまま──、
「きっ」
──溶鉱炉へと、その身を投げた。
鉄を溶かす1680℃の高温の中では、その形さえも残らない。
僕はその姿を見送って、
「やっぱり、古くなった機械には油を差してあげないといけないですね」
呟きながら、くく、と笑った。
ま、これ食用油なんだけどね。
……僕の勝利宣言は虚空に響いて、誰も聞く者はいない。
そうして、耳にこびりついた『き』の残響音もやんで、周囲は暗闇と静寂を取り戻した。
「はっ……、はああぁぁ……っ」
僕の口から、風船みたいに声が漏れ出る。そのまま、へた、と腰を抜かして倒れてしまった。
遅れてきた心臓の鼓動が、僕の胸を飛び出そうと内側からばしばし僕を叩いている。
……落ち着け、落ち着け、落ち着け……。
僕は自分の腰骨に『まだここは安全じゃないぞ』と告げ、心臓には『もうここは安全だぞ』と相反する命令を伝えて起きあがる。
大雨に打たれたように濡れた髪が、僕の頬にぺったりと貼りつく。僕は煤まみれの手で頬を掻いた。
……きっと、僕の顔も既に真っ黒になっているだろう。この都市で生きていた76億の人たちのように。
だけど、申し訳ないけれど、僕はあなたたちの仲間入りはしない。
目指すは中枢。
《階差機関》が安置された場所に、きっと何かがあるはずだ。
えい、と改めて気合いを入れた一歩。
ブーツのかかとが鉄床を叩いて、かつんと小気味のいい音を立てた。
シア・ラ・ロールレアがダンジョンに抱く感情は、初めて冒険したときから今日に至るまで、恐怖だった。
逃れられない死を覚悟した経験は、今思い返しても背すじに冷たいものが走る。
(……きっ……キ、キフィ。キフィ……、彼に。彼に付着していた魔力の反応が消えました)
シアは、誰に聞かせるわけでもない時に、キフィナスの呼称をメリスと同じ『キフィ』に合わせている。この間、彼らが訪問してきたとき、メリスの方から『キフィとよんでもよい』と許可を貰った。
しかし、未だ彼の名を呼ぶことにためらいがある。そして、ためらいがより彼の存在を強く意識させる。
王国の外でも感知できていた魔力の反応が突如消えた。
ということは、途中で彼がダンジョンを訪れたことを意味している。
……シアは、そこに恐怖を感じている。
(……おかしな話ですね。わたくしが、冒険者がダンジョンに入ることを恐れるだなんて)
これからの迷宮都市の治世は、事実上、姉妹による共同統治になる。
迷宮都市の長が、特定の冒険者がダンジョンに進入することを快く思わないなど、冗句にもならない。
ならないが──不安で仕方がない。
身体能力は、あの時のシアの方が遙かに高い。にも関わらず、そこまで探索が難しくないはずのダンジョンで、死を覚悟することになったのだ。
……彼は、嫌な顔をして弱音を吐きながら、それでもダンジョンに足を運ぶのを止めない。
(……なぜか、わたくしはそれが恐ろしくてならない)
キフィナスの髪に付着させた雪の結晶は、多いときには一日に数度消える。
その度に不安になって、そして魔力の反応が戻るたびに、ふっと安心した気持ちになる。
──統治学を学び、冷静な判断を重んじるシア・ラ・ロールレアの内側に、扱いきれない、未だ名前をつけることのできていない感情がある。
「……いえ。今は、わたくしにできることをすべきでしょう」
世界で一番信頼する姉・ステラに王都まで赴いてもらった理由は、動静の把握以外にも多数ある。
もちろん自分がその旅に同行しなかったことにもさまざまな理由がある。『半透明はちょっと』という他にも『家長を失ったロールレア家の人間が両名伴って王都で行動することには、政治的な意味が大きくなるため』ということも大きい。
キフィナスたちと伴って一週間ほど姿を消した時も、帰ってきてからが大騒動だった。
(……姉さまは、収拾を付けることがあまり得意ではありません。適材適所と言えましょう。対応したのは私でした。すべて、私でした)
そして何より。
今の自分にできることは、キフィナスたちがこれからも、この迷宮都市で穏やかに生活を過ごせるようにすることだからだ。
彼らが王国を見限ったのでないのなら──シアはそんなことはない、と確信しているが──きっと、この街へと帰ってくる。
その時、帰る場所に変わりはない方がいいだろう。
地面に走る亀裂の始点は、彼らが拠点としている宿屋《翠竜の憩い亭》にある。
これから朝日が登り、それが中天にさしかかる頃には、噂話には尾鰭と背鰭、それから足まで生えることは疑いない。
(……この破壊の跡は、恐らく冒険者メリスの手によるものでしょう。だとすれば、これはかなり加減をしている)
シアは現場に立ちながら、カバーストーリーを考えている。
風聞をコントロールすることも、統治の技法のひとつだからだ。
「……夜明け前に大魔獣が出たが、当家で抱えている冒険者が解決した。……いえ、これはいけませんね」
『当家で抱えている』はいい。なかなかいい路線だ。
しかし、『ダンジョンから魔獣が都市に溢れる』などという例はない。人心をいたずらに乱すわけにはいかない。
「……ご領主さま?」
シアは、宿屋から出てきた少女を眺める。
深い藍色の髪の少女は、シアを一目でロールレア家の人間だと気づいたらしい。
(……これでも、き、キフィ……を見習って、変装をしていたつもりなのですが……)
身体のラインを隠すマントに、髪を覆う深いフードを着用したシアは、こほんと咳払いをして、宿屋の娘に向き直る。
「……スメラダ・ギーベの子。インディーカ・ギーベですね」
「えっ……? あっはい! そうです! わたし、インディーカですっ!」
領主の口から自身の名前が出てきて、インディーカ──インは驚いた。
立地の悪い、頻繁に増改築を繰り返す営業を止めている宿屋を経営する二等国民の名前など、貴き口から出てくるとは思わなかったからだ。
インは器量のいい娘だが、貴族と相対した経験などない。それも、この街の領主など!
恐縮しきりで、粗相のないようにと慌てるインであったが──、
「……あなたは、そこの大地に走る亀裂に心当たりはありますか」
その言葉で、ふっと冷静になった。
「……えっと。言えない、です」
「……『言えない』。ですか。『知らない』ではなく」
「はい。りょ、領主さまに嘘はつけませんからっ」
「……それは、わたくしが話せ、と命じても口をつぐむということですか?」
「……は、はいっ……!」
インの声は震えていた。
親子で宿屋を切り盛りしているとはいえ、彼女はまだ子どもだ。
捕まってしまうかもしれない。いつも優しいアネットお姉ちゃんから怒られるかもしれない。もしかしたら、死刑になってしまうかもしれない。
それでもインは、二人のために、喋っちゃいけない、と思った。
そんな彼女を、シアは怜悧な眼差しで見つめる。
インは更に縮こまった。
「……き、キフ──、……冒険者メリスたちのことであれば、わたくしも把握しています」
そう言って、シアはほんの少し表情を和らげる。
「ええっ!?」
「……そして、安心なさい。わたくしは、領主ではなく代行です。ですから、あなたを捕らえたりはしませんよ」
『ここを利用している客によろしく伝えてほしい』と言い残して、シアは邸宅へと戻った。
上機嫌だった。
(やはり、慕われているのですね)
単純な客と宿主の関係なら、あんな態度は取らないだろう。
事前に確認ができてよかった。
本騒動のカバーストーリーは、あの宿屋の名誉も守られるものでなくてはならない。
シアは、あの偏屈な灰髪の冒険者の求めるものが、単純な金や地位や名誉ではないことを知っている。
そんなものを抜きにして、助けを求める誰かに、減らず口を叩きながら手を差し伸べていることを知っているのだ。
(……わたくしたちを助けたことを、他の誰も知らないように。きっと今も、誰も知らないところで誰かを助けているのでしょう)
──統治者に求められる資質とは、功に対して相応しい賞を与えることにある。
しかし彼は、決して自らの功を誇らない。それどころか、暗闇の中に放り込んでしまう。
(おまえと冒険者メリスが、ここ迷宮都市で、昨日までのように過ごせること。それを、わたくしからおまえに贈る報酬としましょう)
ならばこちらも、賞を賞と思わせないというのはどうか。意趣返しとは貴族のたしなみである。
「だから、早く、無事に帰ってくることですね。キフィ」
カバーストーリー『姉の錬金術実験の影響』を没案としながら、シアは遠くで消えた自分の魔力を想った。




