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暗闇の探索



「はあ……。事務手続きですっかり日暮れね。着いたのは早かったのに」


 夕暮れの王都。

 日の光に照らされ、町並みは黄金色に輝いていた。


 ステラの駆るゴーレム馬は、ロールレアの紋章を見せてもなお奇矯に見えたらしい。憲兵は『迷宮貴族はこれだから』と言いたげな目をしていた。


(まずは、宿を探すところかしら)


 通例、王都に訪問した貴族が滞在するのは自領か、さもなければ知己の貴族の邸宅だ。

 王都に構えていたロールレア邸は派手に爆発飛散して、ステラが身を置くべき場所はない。

 しかしながら、訪問する場合、事前に先触れを出した上で、格式ばった非効率的なやりとりを二、三繰り返した上で訪問する必要がある。

 ──つまり、面倒で時間がかかる。


 関所にゴーレム馬を預け、ステラは身軽になった。今のステラは、ちょっと上等な服を着た町娘という風体である──と自分では認識している。


(これなら、宿屋を使っても文句はないでしょう)


 もっとも、それはあくまで彼女の基準である。

 着ている服の質にせよ。その気品ある眼差しにせよ。艶めく赤い髪にせよ。一目見ただけで、彼女が町娘のそれではないと誰もが気づくだろう。

 現に道行く人々は、すれ違うなりステラを見返している。


(? わたし、何か変なのかしら?)


 あるいはこれも王都の、ひいてはこの国の異変かもしれない。ステラは思った。もっとも、単に彼女の並外れた容姿が人の目を惹くだけなのだが。

 キフィナスが同行していたときには、目立たない服装で、顔も目立たないようローブを目深に被っていた。



 表通りですれ違う人々は、髪の色も肌の色もそれぞれ違う。

 青い髪。赤みがかった肌。緑の髪。薄桃色の肌。赤、茶、黄、青、茶、紫、オレンジ、ピンク、マホガニー。

 黒い髪に浅黒い肌と低い鼻……あれは辺境出身者だろうか?

 迷宮都市の冒険者も、魔力を映した多様な髪をしているが、王都の種類はそれこそ、児童の絵の具のパレットのように混淆としていた。

 ステラは無意識に灰の髪を探し──改めて、王都にもその髪を持った人物がなかなかいないことに気がついた。



 ──個人がどこまでも強くなれる、魔力のある世界で。魔力を持たない彼らはどこまでも弱い。

 薄暗い裏通りから覗きこんでいた灰髪灰眼の少年が、ステラの視線を受けたとたんに身を震わせて逃げるのを見て。ステラは、改めてそれを感じた。


(そして、口では弱い弱いと言っておいて、弱さを感じさせないあのひと)


 きっと彼なら、憲兵を減らない口数で煙に巻きつつ時間を短縮して、それから宿もすぐに見つけて、ついでにステラが抱えた課題もけらけら笑いながら解決するのだろう。

 彼がどこで何をやっているかは知らないけれど、きっと飄々と、軽薄な笑みを浮かべながら上手くやっているに違いない。


(まずは、この国に迫ってるかもしれない脅威について。それから、あのひとの足取りを掴まないとね。シアへの土産話にもなるでしょうし)


 いつものように笑っているであろう彼の姿を想いながら、ステラは奮起した。






「はあ……。もうやだ……」


 結局、僕は一周698年を4回繰り返した。

 驚くほどに何の変化もない日々だった。

 三日ごとに身体を乗り換えて、それでもやることはまったく変わらない。

 なにせ崩壊が確定してる老人の妄想の産物(カルスオプト)を延命させるだけの作業だ。とにかくもう、虚無って概念を形にしたらこうなるんだろうなって感じ。セツナさんに命の尊さを説いたり、アイリーンさんに愛とかいうものがいかに曖昧なものなのか論じてみたり、レベッカさんに僕の境遇に同情してもらうよう泣きついた方が遙かに有意義と言えた。


 体感時間は永遠に近かったけど、実時間が一瞬なのは僕の頬に煤塵や機械油が付いていないところや、地面に置いたままのランタンの火がまだ灯っていたところからも明らかだった。


「もうやだ、ほんとやだ。帰りたい。帰りたすぎる……」


 僕は泣きそうだった。

 いや、ちょっと泣いてたかもしれない。このダンジョンにはメリー含めて誰もいないから、笑顔を作って取り繕う必要もなかった。


 なにせ──ほんともう、めっちゃくちゃ痛かったのだ。

 二重の意味で。


 起動するたびに僕の視界の端に現れる歯車の──肉体の内側を削るような痛みに慣れることはない。身体を借りている時は、三日おきに銀筒に入るたびに全身を粉みじんにされるし。苦しみはない、とか自分が粉みじんになってから言えよ。普通に痛いです。喉もなくなるから叫べないだけだ。

 まあ、それはまだ、まだいいんだ。痛いのは嫌いだけど、一度耐えられた以上、それを繰り返して耐えられないことはないわけだから。


 けれど。過去の自分の言動を見なきゃいけないのが、その……、ほんと、つらい。


 無警戒で隙だらけで向こう見ずで、今と変わらずメリーにべったりな姿を見ていると、なんていうか、なんていうか……。つらい。

 そいつが軽はずみなことする瞬間に僕は歯車に手つっこむと、過去の僕がぎゃあぎゃあと騒いで追憶リプレイは終了となった。

 そのたびに、今と姿格好が変わらないメリーが目を見開いて驚くので、僕はあの子の方は見ないように気をつけていた。



 ──けれど、もちろん収穫はあった。

 ここは崩壊直前のカルスオプト、その137脚目で、《階差機関》のある中心部までの道としてはそう難しいものじゃない。

 僕は体感時間でざっと2000年ほど、この機工都市の中で目をつぶって動く練習をしていた。


 あんまり物覚えのいい方じゃないけど、流石にそれだけの時間をかければ、たとえ暗闇だろうとどこに何があるのかわかるようになる。

 僕はランタンの明かりを消した。可能なら、ダンジョン内で明かりは消した方がいい。

 そうして、暗闇の帳が降りる。


 光源のない真っ暗な世界では、僕の目にはシルエットすらよく見えない。

 だが、僕には影の中に、一体どこに何があるのかわかる。勝手をよく知った自分の家のようなものだ。まあ、僕らは宿屋暮らしだけどね。


 迷いなく暗闇を歩く。僕の足は軽い。

 37兆2000億とんで4572の歯車と、一列に並べると全長5000万キロになる、403万3705本の配管。

 僕は隙間をくぐり、合間を跳び、狭間をすっと抜け──うわっ髪掠った! あっぶなー……。

 ……あ。そうか、今の僕はメリーより背が高いんだったな。


「あー、いけないいけない」


 となると、132e-7を迂回して、計24脚ほど経由しなきゃいけないから……結構遠いな。

 ま、道がわかっている迷宮はもはや迷宮でもなんでもない。

 僕にとってはただの散歩道だ。それも、大変なじみ深いやつ。


 歩く。汗で背中に服が貼りついた。

 歩く。滝のように流れる汗が僕の目を潰した。

 歩く。体中の水分という水分が汗として絞り出された。


 僕の意識は蒸気機関で熱された空気にすっかり慣れたつもりだったんだけど、どうも僕の身体はそうじゃなかったらしい。

 《魔法瓶マジック・ボトル》に湧き出した冷水を一息に飲み込むと、内側から身体がすっと冷やされた。

 しかし水分を取ったせいで、汗がまた体中から吹き出てくる。


 次に足を着けるところに木棒を擦らせ──ん、この感触は?

 こんなところに壁はない。配管だって当然ない。けど、木の棒は何かを小突いた。


「きょうもいちにちごあんぜんに」


 つついた壁は、そう鳴いた。



 ダンジョンには、探索者に危害を加える存在が生息していることがある。


「きょうもいちにちごあんぜんに」


 そいつは魔獣と呼ばれ、それを打倒するために冒険者には腕っ節が求められる。


「きょうもいちにちごあんぜんにきょうもいちにちごあんぜんにきょうもいちにちごあんぜんに──」


 ──つまり、僕の一番会いたくない相手だ。

 僕は飛びかかってくる小柄な影を、壁を蹴って跳ねてかわした。


「あー。わざとじゃなかったんですけど。これって僕が先に手を出した、ってことになるんですかね? 話が通じればいいんだけど……。すみませーん、こんにちはー。すいませーんこんにちはー。すいませんこんにちはこんにちは。うん。やっぱダメだな」


 暗闇の中で、戦闘が始まる。

 いや、わざとじゃなかったんですって。ほんとに。

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