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カルスオプト・リコール


銀筒から出た先には、既に仲間が多数控えていまちた。

■は煙突拭きでちゅ。ぴかぴかに輝く煙突が、詰まったり汚れたりしないように掃除するお仕事でちゅ。


 ■が見たカルスオプトは、内も外も床も天井も煤にまみれて真っ黒だった。

 この銀筒が等間隔に並ぶ空間は、あの日、■たちが歌った居住スペースだ。あの時は、煤塵の侵略はそこも例外ではなく黒く染めており、色のわかる銀筒も薄汚れていた。

 しかし今、天井も床も壁も、歯車もぜんまいも、金属特有の光沢を湛え、鏡のように澄んでいる。

 煙突から噴き出す煙さえも白い。僕は──<頭痛>がっ。あ……。

■たちは列に並びまちた。

お父様からの訓辞があるのでちゅ。


「今日も一日ご安全に」


「「「「「「「今日も一日ご安全に!!」」」」」」」


「我らの歩みは、人の明日のために」


「「「「「「「我らの歩みは、人の明日のために!!」」」」」」」


「我らの屍は、未来の礎となる」


「「「「「「「我らの屍は、未来の礎となる!!」」」」」」」


■たちは唱和しまちゅ。

お父様の言葉の意味は、よくわかりまちぇん。

それでも、■たちは復唱するのでちた。


 正面には、厳めしい顔つきの老人がいた。

 どうやら胸を病んでいるようで、咳こみながら、枯れ木のように細い腕を胸の上に置いている。

 そして手足を震わせつつ、魂を絞り出すように語りかけている。

 彼の寿命が尽きるのは近い。■は直感的にそう思った。


金属製の配管は常にすべてが動いているわけではありまちぇん。

お父様によって動力部の使用率は適切に管理されておりまちゅ。稼働していない煙突の内側に入って煤を削り落とすことが■のおしごとでち。

今日は8B-5区画でちた。向こうの区画の煙突から吹き出る煙が、青い空に白い線を引いていまちゅ。

その下でおしごとをするのは、とても素敵なことでちた。


 ■は今、金属製の煙突の中に入って、内側から煤を取らされている。

 今の■は──今の■?<激痛>あぎっ……、どうやら■は風の魔術が使えるようで、ふわりと体を浮かせて作業を行っていた。

 へりにこびりついていて、削るようにこそぎ落とす。

 煤にまみれた顔が壁面に映る。これは■の顔じゃな──<疼痛>ぐ、ぎぎぎ、あ。

おしごととっても楽しいでち。


そして、おしごとをしているうちに、

あっという間に夜になってしまいまちた。




「今日も一日ご安全に」


「「「「「「「今日も一日ご安全に!!」」」」」」」


「我らの歩みは、人の明日のために」


「「「「「「「我らの歩みは、人の明日のために!!」」」」」」」


「我らの屍は、未来の礎となる」


「「「「「「「我らの屍は、未来の礎となる!!」」」」」」」



そうして、一日が終わりまちゅ。

今日は、■たちが再構成される日でちた。■の肉体は、銀筒の中で分解されるのでちゅ。

そして次の■が生まれるための材料にされまちゅ。


 ちょっと待っ──。


銀筒の前にて。

お父様は、■たちに声をかけてくださいまちた。



「気のよいフラスコの小人よ。どうか、私を許してくれ」



わたちたちは、その言葉に胸をいっぱいにして喜んで銀筒の中に次々と入って──<頭痛>──<頭痛>──<頭痛><頭痛>ふざけるな。

<疼痛><苦痛><激痛>


わたちも遅れ──<激痛>ない──<激痛>ように──<激痛><激痛><激痛><激痛>ふざけるな。

 ふざけるな。

 自分で命じておいて、何を善人ぶっているんだ。非道いことしてる自覚があるのなら許しなんて請うなよ。


 ■の──僕、の。自我が。戻ってくる。



「許すわけ、ないだろ」



 そして。

 メリーより小さな子どもの口から、僕の言葉が飛び出した。


 頭はいまだ割れるように痛い。僕の頭の内側でガリガリと歯車が回って傷をつけているようだ。

 しかし今や、手も足も僕の意志のままに動く。目の前の老人に手が届く。なんなら殴ることだってできる。

 ただまあ……僕はそれを意識していなかったから、思わず転びそうになったんだけど。


「おっと」


 そこを枯れた老人の手が支えた。

 触んな。僕はその手を強引に払いのける。

 僕の腕はいつもよりずっと短くて、その上いつもよりもずっと力が強かった。



 ──滑らかに回る歯車。

 顔が見えるほどによく磨かれ、輝いた鉄の天井と床。

 胸に入れても痛みのない、粉っぽさのない清潔な空気。


 この空間がカルスオプト製造紀元だとすれば、真っ黒に染まるまでにいったいどれだけ年月が過ぎたんだ。

 ……いったいどれだけ、『再構成』とやらを繰り返してきたんだ。


「僕は、あんたを許さない」


 僕は一言──じゃあ足りない。口が回る限り──この老人に文句を言ってやりたかった。

 反論なり否定なりのリアクションが来るなり言葉の洪水を浴びせてやる。すべてを否定してやる。

 僕は言葉の刃を構えた。



「……しかし、必要なことなのだよ」



 なんとか絞り出したような、か細い声で老人は呟く。

 そこには悔恨の念があった。……だから?それがどうした? 反省した態度取りゃ何やってもいいのか?

 僕にとっては、その口から発されるあらゆる言葉は切り返せるノイズだった。だから相手の発言の意味を十分に吟味しないまま言葉で殴りにいけた。

 正当化パターンに対応する言葉を僕は口から並べ立てる。


 ははあ必要。いやー必要ときましたか。はは、面白いですね。

 いけしゃあしゃあと抜かすじゃないですか。その必要性ってあんたの考える、あんたの中での必要性ですよね? いやいや、いやいやいや。そんなもの理由になってませんよ。

 精神がおかしい人の信念はぶん殴って矯正してやるしかない。殴られることなく年老いるとは随分豊かな人生経験をお持ちですね?


「私の人生は、カルスオプトと共にある。その悲しみも」


 ──この期に及んで善人ぶるなよ。

 多数の屍を積み上げて、数多の命をすり潰して、漠然とした目的に向かって走り続ける機械をどう正当化するってんだ。



「世界の。救済のためだ」



 はあー。世界の救済。救われてないのってもしかしてあなただけなのでは?世界すべてに救われてなさを広げるのはそれこそ救えないのでやめません?

 というか、その論法どっかの王都のチンピラどもに似てますねー。

 大仰なお題目掲げりゃ何やっても許されると? そんなわけないでしょ。


「これより未来に、滅びが迫っている」


 はいー。ありがとうございますーー。

 じゃあネタばらししますとー。僕は未来から来ましたー。

 よろしくお願いしまーーーーす。ま、すぐに永遠にさよならするんですけどね。


「……やはり、フラスコびとではなかったか」


 そうですよ。僕はこの子の口を借りてるだけです。

 まあ、一言二言程度ならしゃべるだけの権利はあるんじゃないですかね僕にも。利害関係者って言ってもいいと思います。権利しかなかった。

 で、ですね。現在進行形の、こっちの未来ではですね。この鉄屑の塊、王国を破壊しようって迫り来てるんですが。

 そこんとこどうお考えですかー?


「人類の生息圏はタイレルだけではない」


 はえー?

 それじゃ、ぶっ壊すけど諦めてね、と?帝国かどっかに移れと?

 え、それってどうやって移るんです?王国のみんなで手つないで大平原歩いて国民全員まとめて受け入れてもらうんですか? うわー食料とか足りるかなぁ。その旅路で何割生き残るか賭けでもしてみます?

 その上で、もし無事に他の国にたどり着けたとしても。共倒れになる提案をすんなりと受け入れるわけがないですよね。

 その発言はタイレル王国の全国民に死ねって言ってるのと同義だ。──いや、実際に死ねと言っているのだろう。だいたい、辺境にだって人は生きているのだ。


 カルスオプトは、崩壊する以前、辺境を走っているさなかにも。……当然、その大きな足で、あまたの辺境の村々を踏みつぶしてきた。

 もちろん、雲より高いシルエットで接近していることはわかるし、逃げることもできたろう。ただ──生活の拠点を破壊されて、蓄えを失っても、人は簡単に死ぬ。

 その犠牲を許容できる人間ならば、タイレル王国のそれもまた、必要な犠牲ということになるのだろう。

 僕はあまり語彙が豊かな方じゃないから、こういう手合いを表現する時に適切な言葉はゲス野郎しか浮かばないんでした。



「多寡の問題だ。ブーバ・キキの則は不完全なのだ。最小限の犠牲で世界を救えるならば、その手段を講じない手はない。それが心ある人間というものだろう」


「はは。笑わせないでくださいよ。心ある人間が、死のサイクルを繰り返す機構を作ったりしないだろ」


「……だが、苦しみはない」



 ……あ?



「……だから! 許せないんだろうがっ!!」



 僕はつい──相手のすべてを否定するための論陣を張っているというのに、いっさい戦略的な意図などなしに──思わず声を荒げた。


 痛いのと怖いのは嫌いだ。

 だから、他人に痛みを強いる輩が僕は大っ嫌いだ。

 でも、僕が目の前の老人の所業でいちばん許せないことは、そこに苦しみがないことだった。


 人には自由意志がある。

 一生には数え切れないほどの選択肢があり、それは大体が『こんなことしなきゃよかったのに』という後悔や『こうしたらよかったのに』という反省に繋がっている。僕の人生なんて、振り返ってみるとそればっかりだ。

 それでも人は生きている限り、選択をし続ける。


 僕は今日、朝食を食べなかった。朝食に、メリーと一緒に何を食べるか、というのだって当然選択だ。

 透き通るような金色が好き、という趣味嗜好だってそうだ。必ずしも選択という行為には具体的な行動が伴わなくたっていい。

 ……だけど、僕が今身体を借りているこの子の生には、それすらなかった。

 自我が混ざりあって、『わたち』になってたからこそ実感できたことだ。


 この子には名前がない。そして、そのことに疑問すら覚えない。

 目の前の老人の言葉を無批判に復唱し、虚無という概念がかたちを持ったような仕事を無感情に遂行し、小鳥の羽よりも軽いねぎらいの言葉で無量大の感慨を得る。

 彼らはどれだけ残酷なことをされているのか、認識することさえできていない……。



 しかも、そんな犠牲を強いた人間はお亡くなり(死に逃げ)して、そんな馬鹿みたいな指示を誰も撤回しないまま、長い長い年月が過ぎて。

 最終的に、辺境の村から来たガキども二人が、よく知らないまま何もかもをぶち壊す。

 ……そんなのって、ないだろ。


 僕も、まあ……たいがい卑怯だという自覚はなくもない。

 だけど、目の前の奴ほどじゃあない。



「もうひとつ。ネタばらしをしましょう。──あんたの発明品カルスオプトは無意味に、無価値に、何の成果を出すこともなく。環境に害を与えるだけ与えた後、辺境の片隅で崩壊コラプストします」



 ──過去は変えられない。

 《追憶具リプレイマシン》の光景は、あくまで過去の残滓だ。

 この世界のすべては影法師でしかなく、ここで僕が何をしようと、崩壊の結末は変わらない。



「……ありえない。私の作品は、緻密で、正確で、自己複製が可能な救済方程式──」


 僕は相手の言葉を無視して、自分の短い腕──まあ僕の腕じゃないけど──を、付け根までしっかり歯車と歯車の間にねじ込んだ。



「がっ……! あっ、あああああああっ!!」


 痛みに僕は叫んだ。強すぎる痛みは熱のように感じる。溶けた鉄を押しつけられたような熱と、腕の先から生命力が流れ出るような感覚がある。それは血液だ。


「ぎっ……がっ、あっ……!」


 急速に意識が遠のいていくが、まだ決定的には失われていない。痛みは続く、続く、続く。歯を食いしばると奥歯が何本か砕け散った。腕の痛みに比べたらその痛みはどうでもよかった。

 僕の右手は、骨までぺしゃんこに砕けて、ぼたぼたと血を垂れ流している。


 もちろん、急に自傷がしたくなったわけじゃない。ただ単に、僕はいい加減この茶番につき合ってられないなと思っただけだ。

 ぐずぐずになった右腕。そこからどくどく垂れる血は、まったく僕の狙いどおりに歯車へと付着し、粘度のある液体で歯車が空滑りし、そこに骨片が歯車の隙間をがちりと詰め──。



「はっ……、はっ……。こんな風にね」



 ──そうして、カルスオプトの機能は停止した。


 僕は、開けっ放しになってた口をぐっと結んで、笑顔を作ってみせる。

 相手の反応は──。



「式……、式……しききききききききききききききききききききききききき──」



 ききききききききききききききき──うるさいな。

 老人は、腕を中空に浮かせ、制止したまま同じ言葉を呟き続けている。息継ぎもなく、全く同じ抑揚で、まったく同じ言葉を繰り返して──それは、今までとはちょっと違った意味で非人間的な有り様だった。

 きききききききききききききききききききき──ほんと聞くに耐えない。

 僕は耳を塞ごうとして、ああ、片腕ないんだった、と思った。


「ざまあみろ」


 呟いた僕の言葉は、きの連呼によってかき消された。

 ほんとうるさい。……まあ、すぐの辛抱だろう。


 修復不可能なほどに過去を改変すればこの世界は崩れる。

 この世界は追憶に過ぎない。

 カルスオプトが製造直後に破壊されたなんて結末を、シミュレートはしないのだ。


⚙ ⚙


 ああ、視界の奥に歯車が見えてきた。

 また頭を噛み潰されるような痛みが来る。


 ……右腕の痛みは、それを和らげてくれた。



⚙⚙⚙

⚙⚙



「ん…………」


 朝から晩まで眠っていたときのような、頭にもやがかかったような感覚がある。

 あれほどあった痛みも、もう残っていない。


 僕は右手を見た。

 よく見慣れた、細長くて生白い腕がしっかり生えていた。よかった。

 片手だけだと、メリーの頭を撫でるのに苦労しそうだからね。



 ──目の前には、《追憶具》が変わらず鎮座している。



「……やらかしたな?」



 そもそもの話。

 あんなことをする必要はなかった。

 あれは過去の出来事でしかなくて、あの皺だらけの老人を糾弾しても何が変わることもない。何の意味もないのだ。ん?いやでも僕の気分はスッとするな……そういう意味では意味が大きいか。めちゃくちゃ効果的では?

 いやまあ……、それ以上の意味を持たせるための立ち回り方があったろ、と言われればその通りなんだけども。


 カルスオプトの外見をこうも再現している以上、内部構造がダンジョンに反映されている可能性は高い。

 残念ながら、あの5~6歳児くらいの見た目のカルスオプトの住人の方が、僕より身体能力が高いわけで、探索も捗るわけで……。


「あー……」


 ……目の前のヒトガタ──《追憶具》は、起動の条件も脱出の手順もわかっている、いわば何のリスクもなく過去を覗き見ることができるツールだ。

 そして、どうやらまだ利用可能である。

 これから僕は、このダンジョンのコアを破壊しなきゃいけないわけで。勿論リスクが高いわけで。そのリスクの高さを考えるなら、使わない理由は薄い。



 …………痛かったんだけど。

 ほんと痛かったんだけど?

 めっっちゃ痛かったんだけど!


「でも、おかわりするしかないかなぁ……いやでも、ほんと痛いし……だけどやればどういう構造かしっかり頭にたたき込めて……いやでも痛いからなぁ……僕痛いのやだな……いや痛いの好きな人の方がおかしいか……あーでもメリー待たせてるし……外の時間どれくらいかな……ほんと痛いのやだな……やだ……」


 僕はそれから、十分くらい悩んだ。

 うんうんと悩んで、痛いの嫌だなって現実逃避したりメリーのことを考えたりした後──僕は再び、人形の頬に触れた。


⚙⚙⚙

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「……もう、ほんといたいのやだ。やです……」


 それから何周かかけて、僕は製造直後から崩壊直前までの、カルスオプトの全構造を把握した。

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