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リプレイマシン


 四つ足の馬よりも素早く動ける二つ足の旅人というのは、この世界ではけして珍しいものではない。


 しかしなぜ馬車が存在するかと言えば、長距離を移動するにあたって、最も大切な資質とは瞬間的に出せる最高速度ではなく持久力であるためだ。

 ダンジョン内部にて発見され、今日では迷宮の外でも飼育されている馬という生物は、体力を温存でき、荷物を曳かせることもできる優秀な《生物資源キャトル》である。


 しかしそんな馬でも、一昼夜足を止めず行軍し続けるというわけにはいかない。

 乗り手同様、十分な休息がなければその走りは次第に歩みへと変わり、ついには動かなくなる。



 《ゴーレム馬》の最大の利点とは、血が通っていないことにある。

 生物の骨格には一定以上の合理性がある。ゴーレム馬は、その骨格を模倣した、魔石で動く人造の産物だ。

 なぜか、シアはあまりいい顔をしないのだが。


「いい馬よね。我ながら」


 ステラは先日購入した──正確に表現すれば研究者から試作品というのを面白がって買い上げた──ゴーレム馬車《プロトオデッセイ》を撫でた。

 くだんの独学錬金術によって改造されたそれは、半透明スケルトンカラーで内部の動力がよく見える。

 透明な皮膚の下で、びっしりと張り巡った魔法陣は魔力の燐光を放っていた。


(やっぱり、いいものだわ)


 この半透明は、次期迷宮伯にして当主であるステラのセンスだった。

 馬車の椅子は、お尻を痛くしないために《フラッフィーの和毛にこげ》を贅沢に使用したもので、腰かけた心地よさからステラはほう、と息を吐いた。

 そして考える。


(王都行きには、当然別の目的もある)


 ステラは、ただこの国の異常を──キフィナスの動向を探るためだけに王都まで行くわけではない。


 街道の石畳に入った、地平線まで穿たれた亀裂。まるで雲衝く巨人が渾身の一撃を放った痕跡のようなそれは、恐らくキフィナスに動向する少女メリスの手による物だろう、とステラは推測した。

 それは、まあ、別にいい。もちろん破壊が目的なら話は違うが、意図したわけでないのなら弁済も必要ない。なにせ、指示を出した後に被害の計上や修繕費の見積等で困るのは行政官だ。ステラではない。


(まあ、シアは気にするかもしれないけれど……。行政官が動かせるなら、大した問題じゃないのよね)


 ──しかしそこには『行政官が動かせるなら』という但し書きが必要なのだった。


(お父様が何を考えていたのか。家臣たちをこれまで通りに遣うなら、知らなければならないことだわ)


 大領地の経営には何より人手が必要だ。

 都市生活における問題とは、大小さまざまあれど多岐に渡る。ロールレア家の姉妹がいかに優秀であっても、雑多な問題ひとつひとつに対応できるほど暇ではない。

 経験豊富な人材とは得難い金鶏である。


 ──しかしながら。

 弱者の骸を積み重ねていた父の所業を、そうと知りながら付き従う人間をそばに置けるほど、ステラの神経は愚鈍ではない。


 誰が、どこまで関与していたのか。

 邸宅爆破の瞬間にその場にいた者たちは信頼できるか? 必要ないから爆破したという見方もできるし、秘密を知っていたから口を封じたという見方もできる。

 行政官を手放せばデロル領で抱えている情報が漏れ出る可能性がある。近隣の領地との折り合いは昔から悪い。ダルアの次期当主など、当領に不利になる情報を得るためなら、金貨をいくら積んでも惜しくないと放言するほどだ。


(私がもしお父様のように、冷酷さを振るうことを躊躇わないなら。役割を終えた行政官コマは、殺してしまった方がいいと考えるでしょうね。そういう意味で、私たちのそばに寄せた可能性はある。一方で、ルーナやマリクみたいな、どう考えてもはかりごとに向いてない子もいるのよね……。いや、でも、私が知らないだけなのかも……)


 そして思考は堂々巡りだ。

 結果、信頼できる人材を未だに姉妹は見つけられずにいる。

 迷宮都市デロルは、領主が戻ってなお十分な機能を回復してはいない。


 そのために、ステラは王都に行く必要を感じていた。

 この想いはシアも抱いていたことだろう。

 かわいい妹のシアが『()()()()()()気になるお兄さん、キフィナスの安否が心配だ』などという理由で姉を王都までけしかけたわけではない……はずなのだ。


(でも実際。あのひとを抱き込む、というのは悪い手ではないのよね。言動はともかくとして)


 言動はともかくとして。彼は私たちを、何度も救ってくれたのだから。

 彼の曖昧な笑み──そのくせ妙に我が強い──を思い浮かべながら、ステラは薄く微笑んだ。



「それじゃあ、急ぎましょうか」



 ──ステラの駆るそれは、馬車というより戦車チャリオットといった表現が適切なほど、過剰な速度を出していた。


「んー……♪ 風が気持ちいいわっ」


 今ここに、姉の無謀を諌める妹はいない。まさしくブレーキのない旅路だ。そう呼ぶに相応しい手綱の──正確には、魔力線の──繰り具合だった。


 朝焼けの空の下、一台の馬車が駆ける。

 『急ぎ王都に向かわなければならない』という大義名分を得た彼女は、陽光に照らされ緋色に輝く髪を、そよと吹く風に遊ばせた。



* * *

* *

*



 地位や名誉やあれやこれより、命が惜しいと思うのならば、ダンジョン内のありとあらゆる事物に近づくべきじゃない。


 見るからに危険な牙を剥く魔獣はもちろん、使い道のよくわからない迷宮資源、果ては床や壁に至るまで。ダンジョンには人間の命を簡単に奪う罠に満ちている。

 ダンジョン内で出会う他の冒険者も同じく危険だ。彼らのうちには、セツナさんのようにすれ違った相手を歩く宝箱だと認識している層が少なからず存在している。

 法の目が届かない場所で個人の行動を規定するのは倫理観で、すなわち冒険者には縁が遠い。


 だから、僕の行動は我ながらあまり賢くなくて、不合理で、ただいたずらに危険を増やすだけなんだけれど──。


「…………」


 一息ついて改めて──今度はランタンはしっかり地面に置いて──僕は機工都市の住人をかたどった残骸を見た。

 見てしまった。

 でも、僕が、……殺した相手だ。見ないわけにもいかないだろう。


 まだ男か女か未分化なほど幼い子どもの顔だちは、あの日と変わらない。

 その造形は極めて精巧だ。しかし、人のかたちを模倣することを途中で諦めた首から下を見ないことにしても、そこには一切の生命の痕跡を感じさせなかった。

 目を開けたままの体勢で佇んでいるせいで、白目にも煤がびっしりとこびりついていて、薄明かりの中だとまるで昆虫のような大きな黒目に見えた。僕といえばまた驚いて物を取り落としそうになった。

 今度は何も持ってなかったんだけども。


 ……それにしても、あまりいい気分じゃないな。

 あのひとたちはちゃんと生きていた。体は動いていたし呼吸もしていた。何より、楽しければ笑っていた。

 語り合った。笑いあった。歌いあった。

 心が渇く辺境の旅路。生活様式があまりに違っていてきっと離れることになっただろうけど。まず、僕らを受け入れようとしてくれたことが嬉しかった。

 宴は本当に楽しい時間で、あのノリが悪くて無口で無愛想なメリーが、僕の演奏に口笛で伴奏を付けてくれたくらいだ。口はひとつしかないのに口笛で三音四音と出してハモるのはテクニカルすぎてちょっと気持ちわるかったし、

 何より、

 間違っても、聴いてくれた彼らは人形などではなかった!


 ……僕には、このオブジェが彼らを辱めているようにしか思えなくて。

 『ダンジョンの物に触れるな』なんてわかっていたのに。

 ほんとにわかっていたのに、頬に触れてしまった。


「あっ──」


 ──世界がぐにゃり、と歪む。

 目が眩む。僕の存在すべてが圧縮される感覚が来た。


「がっ、あ……っ! あああッ! ああああああああ!!!」


 視界がいびつに捻れる。狂う。

 頭が割れるように痛い。痛い! 痛い!!

 端にギザギザの、ノコギリのふちの、半透明な歯車が回転している!円形の、光の波の、回転の、その破片が僕の頭に突き刺さってぐりぐりと脳を抉っているような痛みがある……!


 立っていられなくて、僕は体を横たえた。

 黒錆た鉄製の床の上にこびりついた煤が僕の顔を汚す。

 そんなことお構いなしに、僕の体はじたばたと地面で跳ねた。


 ──ああ、ほら見たことか。やっぱり罠だった。

 激しい痛みに苦しむ僕を、僕は冷静に俯瞰していた。原因は明らか。ダンジョンの器物に触れたこと。罠に──いや、正確には罠じゃない。


「がああっ! ああ! ああああっ!!」


 僕の喉が呼吸を絞り出しながら叫ぶせいで、息が苦しくて仕方がない。

 これはダンジョンの遺物で冒険者ギルド管轄の迷宮資源で、それも特級に貴重な代物でこれを引っ張ってきたら今までの薬草がどうとかも多分ぜんぶ不問にされて左うちわで、そんなものをこのタイミングで引ける僕はきっとすごく運がすごくて、

 ──そしてそれは、一般に凶運とか表現される類のやつだ。


「がひゅっ……、ひっ……ふっ…、はっ…」


 痛みが僕の頭の大部分を苛む中で、残ったひとかけらの思考は鋭敏だった。

 とりとめのないこと──メリーのことと王都のことと、メリーのことと冒険者ギルドのことと、領主の姉妹のこととメリーのことと、それからメリーのことと──と、このダンジョンについてのこと──危険性から形状空気、特性温度湿度成立年代、生息植生文化芸術知識技能エトセトラエトセトラエトセトラ──次々に浮かんでは消えていく。


 あまた浮かぶ思念の泡沫うたかたの中で、この痛みを引き起こした原因について僕は考えていた。


 ダンジョンから出土する遺物によって、今の文明社会は築き上げられた。

 今使われている道具のひとつひとつに、沢山の、思いつく限りの使い方を試した研究者おおばかものたちの死体が積み上がっているのは勿論だが──ダンジョンから発見されたものすべてが、用途がわからないものではなかった。

 地道で危険な検証・動作確認をスキップできるルートも存在している。



 たしかそれは、

 《追憶具リプレイマシン》と呼ばれた。



「ああああああああッッ!!」



 ──ぶつ、と。

 頭の中で、なにかがちぎれる音がした。


 ふっと浮かぶような──あるいはずんと沈むような、僕の両端をそれぞれが引っ張り上げるような……、そんな感覚が全身へと広がっていく。

 そして、僕の意識は肉体を離れる。


 消えゆく意識の中で、

 僕は、

 ああそういえば、

 今日はメリーとまだ朝ごはん食べてなかったな、と思った。



⚙⚙⚙

⚙⚙



■が目を覚ますと、そこは銀の円筒の中だった。

■は、いったい……? 痛ッ──!



「目が覚めたでちか」



■に声をかける相手がいる。

同じくらいの身長で、大きな目に対して鼻も口も小さくて──。


ふと顔を触ってみたら、■の顔にも同じようなパーツがついていることに気づき。

■は自分がカルスオプトの住人はぐるまのひとつだったことに気づいたでち。

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