機工要塞の玄関口にて
カルスオプト内部では、外と同じく、がちがちと音を立てて歯車が回っていた。
天井に、壁面に、床下に、至る所に歯車がある。
煤の混じる空気と、汗が止まらないような蒸し暑さと、暗闇から絶え間なく聞こえる無機質な音が、僕をなんとも不安にさせる。
《炎熱の魔石》を動力源にしたランタンを地面に置いて──松明や《着火の杖》なんかとの大きな違いとして、ランタンは地面に置くことが可能で、荒事の際に片手に不自由しないことにあるけど高値いのに割と壊れやすい──僕は考えた。
僕は可能な限り安全で、かつ素早く、それでいて楽な手段というのを常に模索している。
回転する歯車を見て、僕はふっと思ったのだ。
──外側から壊せなくても、内側からならダンジョンごと壊せたりするんじゃなかろうか、と。
僕は往生際が悪い。この期に及んで、最深部まで探索したくないなという気持ちが消えなかった。そしてそれを恥じたりする感覚もなかった。
歯車がお互いを噛み潰すような勢いで激しく回っている。
機工都市カルスオプトは、歯車の噛み合わせひとつが狂うだけで深刻なダメージがあった。
とはいえ、このダンジョンは外側からメリーがバラバラにしても壊れないし、ダメで元々という気持ちはある。あるが……、実は僕は、あまり仕事をしたくないのだ。
さて。
靴の破損個所は──ないな。しっかり履き直して……よし、準備万端。
何かあったら全力だ。
全力で逃げるぞ。
何かをやらかそうという時は、いつだって緊張するものだ。
息を吸って……、吐いて。心臓の鼓動をいつもの調子に戻すまで、吸って吐いてを繰り返し……、
……よし!
──僕は手に持った木の棒を、歯車と歯車の間に、強引にねじ込んでみた。
がたがたと十尺ほどの木棒は軋み、歪み──あっ。
「うわいったぁっ!」
痛みで僕は叫んだ。
僕は当然歯車の回転に巻き込まれないように素早く手を離したわけだけど、棒の側は巻き込まれて、バタバタと動いて、僕の肩をばしん!としたたかに叩いたのだ。
痛い。痛い。めちゃくちゃ痛い……。折れて──はいないな。だけど痣になるぞこれ多分。痛みでショック死しそうになったと思う。死因打撲、打撲で死んだ僕。嫌だ。ちょっとかなり嫌だ。あまりにも間抜けすぎる。
さて、そんな代償を支払った僕の一撃だけど、どうも、効果はなさそうだ……。
「うう……」
僕は予備の十尺棒を取り出しながら小さく呻いた。痛い……。
しかし、やっぱこの棒は便利だ。杖代わりにして立ち上がる。足下には、隙間から僅かに蒸気を漏らす配管なんかもあるので、僕はそこにも注意を払った。
ほんと事前に何本か用意していて正解だったな……。やはり、備えがあればいつだって嬉しいのだ。
ランタンの底に付着した煤埃を払いながら、僕はもう、ほんと、いい加減諦めて歩き出さなきゃいけないなと思った。
多分この痛みはそれを伝えようとしていたのだ。いや、まあ僕が変なこと思いつかなきゃ棒に打たれたりしなかったんだけどさ。
ズルってできないものだなぁ……。いや、でも……。
・・・
・・
・
僕は心を無にして足を動かしている。
『ズルはいけない』という尊い教訓を、あれから四つほど増えた僕の青あざが教えてくれた。
帰ってお風呂に入るときが不安だ。メリーが僕にいたわりと称した虐待をする可能性が高い。
……いやまあ、そもそも五体満足で帰れるかどうかわからないけどさ。
おっといけない。心を無にしなければ。僕は水と空気さえあれば無限に弱音と愚痴と言い訳を吐き続けることができるタイプの生物なので、一度余計なことを考えると動きづらくなる。
はあ、それにしても空気悪いなぁ……。魔石採掘の鉱山労働者みたいに、肺に煤が癒着したりしないだろうな? いや、短時間だから問題ないけど健康被害として──いや考えるな考えるな。
しんどい作業に従事するときに心はいらない。僕は心なきモンスターだ、と自分に言い聞かせる。闘技場興業の煽り文句にそんなのあった気がする。僕は心なきモンスター。
逆に言えば、思考は必要だ。
──ダンジョンにて間違ったことをすれば、僕はいとも容易く死ぬ。
たとえばそこら中に張り巡らされている配管。もし誤って踏んで壊したりしたら大惨事だ。噴き出す蒸気を浴びて、僕は全身大火傷でのたうち回って死んでしまう。
もちろん保険のために《水精の外套》を羽織ってはいるが、既に煤で汚れ、断熱という本来の機能を喪失しつつある。
あるいは歯車。何回かの意欲的実験──まあいずれも失敗したんだけど、失敗からは『こうすれば失敗するよ』という大事な教訓が得られる。身体が四カ所ほど痛むが有意義だった──によって、これを生身で触ったら身体がちぎれ飛ぶのは間違いないという情報が得られた。
元々知ってた。有意義でもなんでもない。
──そして、未だ姿を見せないダンジョン内に生息しているであろう魔獣。
一般的に、ダンジョンで明かりを付けたまま移動する行為にはリスクを伴う。誘蛾灯に惹かれる虫のように、光源は魔獣を呼ぶからだ。他の冒険者たちがどうしてるかは知らないけど、少し薄暗い程度なら、照明器具は使わない方が無難である。
その上、ランタンの火で照らされるのはごく狭い範囲に留まる。つまり、僕の側からは相手が見えないのに、相手の側からは僕のことがよく見えるということになる。これはとても厄介だ。
照らされた闇のほんの一寸先に、鉤爪を研いだ魔物が潜んでいるかもしれないというのは、はっきり言って気が気じゃない。
……かといって、少し踏み外せば即死の罠が多数控えている中で明かりを消すわけにもいかない。
いくら栄養に気を付けているとはいえ、この暗い中、煤が積もって真っ黒になった配管を踏まずに歩けるほど僕は目がよいわけではない。
そして、暗闇は恐怖を惹起する。もともと人間は本能的に暗闇を恐れるし、僕の人生において暗闇とはだいたい襲撃とセットになっている環境だ。やる方もやられる方も含めて。
神経がごりごりと音を立ててすり減らされていくのを感じる。
……ああ、無だ。心を無にしろ。──そこの足元に配管があるのでまず跨ぐ。──いったん安全を確保したらランタンを棒に括りつけて少し先の暗闇まで照らして索敵。──もちろん襲撃に備えつつ相手を刺激するのは足元の安全を確保して以降。いざ実行。
まず配管。高さは僕の膝小僧と同じくらいで、幅は助走なしでもギリギリ跨ぎきれる程度。なので、注意すれば問題ない。棒で触ってみた感触から、仮に足で触ってしまっても、ある程度体重を掛けなければ壊れはしないと思われる。
僕はするっと大股でパイプを跨いだ。成功。
ただ、ズボンの内側を擦って、煤で黒く汚れてしまった。見せる相手もいないし別によし。
次いで十尺棒の先端に、ランタンをロープでもって括り付ける。すぐほどくのでそんなにキツくは縛らない。ただ、ランタンを床に落とせば恐らく壊れる。予備のランタンはあるが、最悪中身の魔石から延焼するので落とせない。よし。あとは索敵。
上半身を曲げて精一杯、届く範囲を照らしてみるが、特に異常は見受けられ──。
「っ……!」
──いた。何かがいた。
だいたいメリーと同じか、それよりちょっと小さいくらいの影が見えた。
思わず声を上げそうになって、僕は下唇を噛んだ。ぷっつりと切れた唇から血の味が口内に広がる。今は気にしている場合じゃない。僕は十尺棒を引っ張り上げ、ランタンを地面に置いて相手の攻撃に備える。
こっちが相手の存在を認識したなら、相手もまたこちらの存在を認識しているはずだ。
そう遠い距離じゃないが、先手必勝というわけにはいかない。壁を蹴って跳躍するには配管と歯車が邪魔で素早くはたどり着けないし、何より人間と違って致命傷になる部位もわからない。ランタンを置いたのは相手を誘う意図もある。見つかった以上は戦いは避けられないだろう。配管を踏まず歯車に触らず正体のわからない相手を打倒するというのはずいぶんハードだがやるしかない。やらなければ死ぬ。僕が死ぬ。死ぬわけにはいかない。
僕は相手の出方を待つ。
待つ……。
額に汗が垂れる。
待つ……。
髪の毛に汗だまりができた。
待つ…………。
…………来ないな?
僕と同じく、相手方もカウンターを狙っているのだろうか。
……困ったな。僕の精神力はただでさえ削れている。新陳代謝を止められるほど人間やめてないので、どうしても汗が邪魔になる。それに、いつまでも闇の先を睨んでいるわけにもいかない。
この冒険における僕の勝利条件は『ダンジョンコアの破壊』だ。それも、できるだけ早い方がいい。メリーの体力が尽きたところなんて見たことはないけど、それでもいつまでもあの子ひとりに任せるのは良くない。
──となれば、それを承知でこちらから動くしかないだろう。
「はじめまして。僕はキフィナスって言います。よろしくお願いします」
ダンジョン内という特殊な環境において、暴力という解決手段の優先順位は一等高くなる。
しかし僕にそうできるだけの力はない。この状況下では奇襲もできない。
そのため、まずは声を掛けてみる──無反応。
ダンジョン内の知的生命体や《生物資源》認定の可能性は低くなった。ただ、王国に衝突しようというこのダンジョンは破壊するより他なく、彼らの側からすれば僕は訪問者ではなく破壊者である。その地に住まう存在と意志の疎通が図れないのはある意味で悪くはない。もし言葉が通じたなら、僕は相手に自分は将来の友人だとか適当に口車に乗せてコアまで案内させていた──あまりにも最低な行為だけど、直接戦闘するよりはマシである以上、僕はそれを選んでただろうからな……。
「今からそちらに向かってもいいですか? あ、沈黙ははいってことで。よろしくお願いしますねー」
やはり声に反応はない。
足を一歩動かす。
無反応。
もう一歩。
無反応。
更に一歩。
無反応。
……うーん?
気配はない。息遣いはしないし、動く音もない。
ただ、絶対に僕は見た。すぐ光源を引っ張ってきたから直接は見えなかったけど、絶対に何かいたはずだ。
十分に近づいた後、僕は手提げのランタンをかざしてみた。
もちろん、照らした相手から攻撃される可能性や、側面から奇襲される可能性は覚悟して、つま先立ちでいつ地面を蹴ってもいいように周囲の確認は済ませてる。
ランタンの明かりが、暗中の影を照らし──。
「なっ……」
──そこには、あの日見たカルスオプトの住人の顔があった。
何千人もの、まったく同一の顔ぶれのうちのひとりがあった。
……しかし、あの日と同じなのは顔面だけだ。
首から下は違う。球体の間接が繋がってできた体は継ぎ接ぎだらけで、裂け目から見える歯車はいくつも空転しており、チューブがめちゃくちゃに繋がっている。
それはどう見ても、ヒトの形をしていなかった。
僕は動揺して思わずランタンをとり落としてしまい──ヤバい、やばいやばい!外套!水外套脱いで被せて、棒で叩いて消火を──!!
うわっ脱げない!くそっこうなれば僕が直接──熱い!うわッあつッ! 燃え、燃えて──はいないけど、さっきまで燃えてたわけで、ああもう、なんだってこんな……あっつッ!! やっぱ水外套だいぶ弱ってる!
……ああ、もう、ほんと焦った……!
僕の体を張った──文字通りに身体を張った!消火活動によって、なんとか火は消し止められた。
ここで火を出したりしたらどうなるかわからない。機械油と混ざって大炎上からの爆発──とかあるかもしれない。
……ほんと、明かりひとつでこの有様だというのだから、自分のふがいなさにはまったく恐れ入る。
僕もそこら辺に自由に火を付けたり消したりできればな、と。
ふいに誰かの顔を思い出して、僕はそんなことを思った。
* * *
* *
*
「…………姉さま。姉さま。起きてください」
迷宮伯ロールレア家の仮邸宅は、石の魔術によって組み立てられた急拵えの建造物だ。
家財の多くは瓦礫の海に沈み、恐らく火事場泥棒たちの手に渡っている。
最低限、生活必需品や手放せない貴重品だけを回収してから、まだ日は浅い。
「んん……」
にもかかわらず、ステラの部屋は既に私設博物館の様相を呈していた。
テーブルに置かれた水晶ドクロには、何やら錬金術的秘奥を秘めているらしい。
床に散らばった紙片には、都市政策と同じ行に怪しげな材料を調合するレシピが記載されている。
天井から釣っている金色の鳥のような小物は……迷宮から発掘したものだろうか? 用途がわからないが、きっと姉にとって値千金の何かなのだろう。
質素な家屋の一室に、そこだけ異なる文化圏が形成されていた。
シアにとって、ステラは誇れる姉である。
ただ、ステラには何点かの悪癖がある。
伯爵家に必要な知識は幅広い。
しかしながら、錬金術は必要とされず、秘匿を旨とするそれを大系だって教えられる者もいない。
ゆえに、姉ステラの錬金術はほとんど独学だ。
また怪しげなものが増えている。
「……姉さま。姉さま」
次いでの悪癖は、姉が睡眠をよく好むことだろう。
キフィナスに同行した一件で、姉妹は適応の値を大きく増した。
元々眠りの浅かったシアは、今はほとんど睡眠を必要としない体質となっている。
シアは遠慮がちに体を揺する。
「……ぅゅ。……あら? どうしたの、シア。まだ日が昇りきってないじゃない……」
「……お耳に入れておきたいことがありましたので」
その言葉に、ステラは心地よい眠気を飛ばして姿勢を正す。
シアが起こしてまで伝えくることだ。重要な事項なのだろう。
「──冒険者キフィナスが、王国を離れました」
「…………んん?」
真剣な表情で言う妹に、姉は困惑を隠せなかった。
(どうしよう。シアのことちょっとわかんない)
シアのことを世界でいちばん知っているのは私だ、という自負がステラにはあった。なにせ、髪と目の色以外すっかり生き写しな双子の妹の考えなのだ。わからないはずがない。
それが揺るがされている。
「ええと……シア? おねえちゃんに説明してもらえるかしら。それって起こされなきゃいけないこと?」
確かに、あの飄々とした、軽薄そうな、シスコンがちな冒険者にはとても世話になった。
一個人としては、ふざけた言動や理解できない行動はともかく信頼はしているし、少なくない好意はステラも抱いている。
ただ、それが果たして、領主──正式な身分としては、未だ王都から承認を得ていないため領主代行の身であるが──の眠りを妨げるほどのことだろうか?
「……あれが、王国を離れたということは。王国に何らかの異常があるということではないでしょうか。早朝、関所を通らず、凄まじい速度で壁外へと移動しています」
──それを聞いて、ステラは眠気をどこかに放りやった。
思えば王都までの道中、彼は度々、幾度となく、しつこいくらい壁の外に対する偏見を姉妹たちに見せていた。
そんなキフィナスが王国を離れるということは何かある。
関を通らないというのも当然おかしい。まるで、王国に用はないからと逃れたようではないか。
「……いえ。あれは確かに戯けた言動をして、理解に苦しむところがありますが。……置いて逃げたりなど、しないと思います」
シアは、少し憮然とした態度で反論をする。
その様子は、姉にとって可愛らしいものに映るのだが、ひとつ疑問があった。
「ところで、シアはどうやってそれを知ったの?」
「……やつの髪の先に、肉眼では確認できないほど小さな氷の粒を付着させたのです」
「えっ」
「……氷晶は、わたくしの魔力で構成されていますので。どこにいるのか、感知できます。迷宮に入られると、反応を見失いますが……」
「えっ……」
想像を超えた返答だった。
(どうしよう。シアのことわかんない)
「……姉さま?」
「ええと……、そゆの、あんまりよくないと思うの」
「……よくない、とは? ……姉さまもご存じの通り、あれは優秀な冒険者です。いつでもその場所を知っておきたいと思うのは、おかしくないと思いますが」
(ええ……?)
「……それよりも、姉さま。王都の動向を確認すべきではないでしょうか」
「……そ、そうね。いったん。いったん棚上げしましょう。《ゴーレム馬車》を用意して。大魔石を潰せば、夕方には王都につけると思うわ」
「……はい。既に手配しています」
「ありがと。留守をよろしくね」
「……はい。姉さま」
シアは楚々とした態度で丁寧に一礼した。領主代行妹として、これ以上ない優美さだった。
しかしながら、ステラには色々と思うところがあった。具体的には、領主代行妹として果たしてストーキングは適当な振る舞いなのか、とか。ちょっと好意にしても行きすぎてないかな、とか。
色々と思うところがあったが──とりあえず、やるべきことを片づけてから悩もうと思った。




