暁天の空と
がこん、と。
部屋のドアが破壊される轟音で目を覚ました。
まだ日はろくに昇りきっていない。
ゆうべはアネットさんのあくび混じりのお説教のせいで、寝るのが遅くてまだねむい……。
窓から覗く暁天の空は薄紫色をしていて、僕は涙がじわじわ湧いてくる目をしょぼしょぼとぱちくりさせた。
音のぬしは……。
「……めりー?」
寝ぼけまなこで、僕はとびらの前にいたメリーに問いかける。
メリーはひらひらの付いた寝まき姿のままおもてに出ようとしていた。よく似あってて、かわいい……。カナンくんに服えらんでもらってよかった……。
…………ではなく! 僕は自分の頬をひっぱたく!
ぺちん。ぺちん。……起きた。
「どこにいこうとしてたの、メリー」
「さんぽ」
嘘つけ。
というか、寝間着姿で外に出ちゃだめだよ。
「なんで」
なんで?って……あれ、なんでだろ。
言われてみればそうだ。だめなんてルールはない。王国法にもギルド規則にも記載されてはいない。
となると、ひょっとして寝間着で外に出ても別にいいのか……?
「ん」
いやでもメリーのこの姿見られるのは……なんか、なんかよくわからないけど胸がもやもやするな。なんていうか──これを見ていいのは僕だけ、というか。いやカナンくんやお店の人も着てる姿を見てるんだけど、ええと、なんだろう。その時とは状況が違う。タイミングが違うので別の効果になって通さない。とにかく着替えてほしい。同じひらひらならこのドレスを着てくれないかな。なんか、その姿で表に出ないでほしい。なんか。
──というわけで。だめです。だめ。理由?だめだから。思いついたら教えるよ。
あー今気づいたけど髪の毛もくしゃってなってるし。ほら、直すからこっちおいで。
「……だめ」
え、だめ? なんで?
おやおかしいね。ただの散歩なら、髪を整える順番が多少変わってもいいはずだ。
別に僕が同行したりしたって──。
「だめ!」
…………メリー?
こんな剣幕のメリー、久しぶりに見た……。
絶対に何かあったぞ、これ。
「なにもない」
嘘だ。
メリーは無口だけど、案外たばかる。
僕は控えめに言って世界で一番メリーのことをよく知っているので、これが『何もある』こと表しているのがよくわかっていた。
たとえば高ランクダンジョン。僕が同行したら確実に死ぬ──いや、違うな。メリーさんってば、基本的にどんな死地にさえ僕を連れていく。高難度ダンジョンとして、地面どころか空気がないやつとかも中にはあって、それは《不可能迷宮》のひとつにも数えられてたんだけど、メリーは強引に地面と空気を作り出してサクサク攻略したりした。
以前、メリーは強引に僕を縛り上げてくれたこともあったわけだけど──今回は、手に縄は持っていない。
「そうだなぁ……」
えーと、身長130cm台のちびっ子にしか入れない秘密のパーティがある。
違う? 僕を縮めてでも行く? え、やめてね。こわい。
うーん、誰かに凄惨な暴力を振るう?
そうじゃない。あ今回は違うのね。今回『は』ってなに。そこは毎回違ってくれない?
それじゃあ、旅をしてた時の因縁かな。
──ビンゴか。
「……。めりは。いわない」
君がむっと口を閉じて何も喋ろうとしなくても、僕の言葉への反応で、君がなにを考えたか程度はわかるんだ。まあ、ときどき早とちりするけどさ。悪い癖だと思う。
──でも、今回は早とちりじゃないね。
僕と君が、どれだけの時間をいっしょに過ごしてきたと思う? もちろん全部とは言わないけど、君の考えはだいたいわかるよ。
それも、真剣なときならね。
「…………」
目は口と同じくらいものを言う。君の表情筋はガチガチに堅いけど、それだけにちょっと動くだけでよくわかるよ。
次は僕、旅路での心当たり並べてくけど。奴隷商ファビリオとか、ペダーダ盗賊団とか、平原アクセルなまはげとか。
もし急いでるなら、僕に全部話した方が早いと思うけどどうかな。まだこのゲーム続けるかい、メリー。
僕はね。結構しつこいよ。
「…………。カルスオプト」
──その単語を聞いた瞬間。
僕の心臓は、どくん、と一際大きく跳ねた。
「きかせたく。なかた」
……そっか。
壊れたと思ったけど、二号とかあったのかな。
それとも、あの時完全に壊れたはずだけど、もしかして蘇ったりしたのかな。
あの巨大な鉄の塊は、今も辺境を走ってるのかな。
「へんきょう。こえた」
そっか。
ははー、なるほど。ひょっとするとあの大足で、僕を挽き潰しにきたのかな? ……そうするだけの権利は、まあ、あるよね。
「ない。きふぃは、わるくない」
…………あるよ。
善いことだと思ってやったことが、悪い結果を招くことなんて、ずっと前からわかってたことなんだ。あの時が最初の失敗じゃない。
生贄にされていた子を助けたときもそうだった。僕は頬を叩かれて『なぜ余計なことをした』って罵倒されたね。
当時の僕は幼くてバカで傲慢だったから『たとえ何回怒られても同じことをする、きっと、その人のタメになるから』……とか、思ってたけどさ。
僕が、大した信念もなく、思いつきで、行き当たりばったりに、軽率に。……つまるところ、薄っぺらな善意で。余計なことをしでかしたばっかりに、あの被害が出たんだ。
僕が加害者じゃないはずがないだろ?
「きふぃ──」
「あー…………ごめん。それより。君は、カルスオプトの前に、何をしに行くんだい」
「壊す」
──僕の心臓が、再び大きく跳ねた。
壊すって……。
……中に人、いるでしょ。だめだよ。
「いない」
……そうなんだ。あのひとたちは、もういないか。
でも、見逃したりはできないの?
ただ辺境を走ってるだけなら、……そのままでも、いいんじゃないかな。
確かに煙とかモクモク出すし環境には悪いだろうけど──。
「カルスオプトが。ここに。ぶつかる」
──何だって?
あの質量の塊が、あの速度で壁に激突したら、大変なことになる……!
壁外で過ごしている人たちは全員死んでしまうだろうし、そもそもあの巨大機工が壁で止まるとも思えない。王国中を踏みつぶし、挽き潰しても止まらないぞ……!!
やっぱり、それって僕のせいなんじゃ──!
「めりがいく。とめる。めりのほうがつよい」
……ああ、そうだね。
あの時よりずっと、君は強くなったもんね。
「だから。きふぃは。やすむ」
──ダメだよ。それはできない。
僕にできることはメリーよりずっと少ないけど、僕には責任がある。
なんていうか、普段の僕からは遙かに縁の遠い言葉だけどさ。
──辺境を走る巨大演算装置カルスオプトを壊したのは僕だ。
──そこに住んでいた人々を、一人残らず死なせたのも僕だ。
──それでも、メリーと幸せになれる道を探してたのが僕だ。
僕はだらだらと生きたいと思っている。
健康で健やかに生きたいと思っている。
穏やかに二人で生きたいと思っている。
でも、最悪の選択肢が提示されていることにも気づけず、何千人も死なせてしまった僕には、責任がある。
そして、辺境を走っていたはずの機工都市が、王国に激突しようとしている事態にも、たぶん責任がある。
だから、僕も行くよ。行かなきゃいけないだろ。君に任せて、寝てるわけにはいかないだろ。
「あしでまとい」
うん。知ってる。
「じゃま」
そうだね。ごめんね。
「やすむの」
いいや。休まない。
僕は。
今度は、僕の意志をもって。
カルスオプトを、再殺することを選択する。
幻想機工要塞《カルスオプト・リブート》/序




