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閑話・セツナさんと宴会に行こう(いきたくない)



「ひっく」


 セツナさんがかわいいしゃっくりを上げた。しかしかわいいのは音だけだった。

 その呼気は酒精をたっぷり含んでいて、つまり何を言いたいかというと僕の顔に息を浴びせかけるのはやめてほしい。


「つまらぬぅ~~~~。おんなつかい~~」


 何がですかセツナさん。僕のお金で飲み食いして、お酒で酔っぱらって何がつまらないって言うんですか。

 セツナさんの顔はすっかり上気しきっていて、完全にできあがりって感じだった。物騒な言動と剣呑な雰囲気と腐った倫理観さえなければ、あるいはこのひとは色っぽい黒髪美人に見えたのかもしれない。

 でも、僕がいま感じている感情は、めんどくせえな、という一言に尽きるのだった。


「ごめんアニキ、師匠がその、こんなで……」


 ほんとにね。

 ほんとに。





 ダンジョン探索を終えて、僕ら4人は定食屋に来ていた。

 ラスティさんはひらめきを記録したいとのことで欠席。僕とメリーとカナンくんと、それから厄介な人と相席することとなったのだった。


「つまみが、よいなぁ~~。つまみの、この、これがよい~~。あじが、よい。よこせぇ」


 語彙と行動がゴミすぎる。

 セツナさんは《パイソランディア》──パイソランドとかいう、山とか森とかに囲まれた鳥とか鳴いてる感じの王国の小領地で生産されてる蒸留酒──を口にぐいっと流し込んで、ぐび、と大きく喉を鳴らした。

 うっすら霜が生えるほど冷たいグラスに注がれた、とろとろと粘度の高い半透明の液体は、僕にはまったく思考力を奪う毒にしか見えない。

 まあ、元々セツナさんに思考力が存在してるのかは若干怪しいところがある。元々胡乱だった言動は輪をかけて怪しくなっているし、首がふらふらして据わってない。


「色っぽい姉ちゃンよぉ。いい呑みっぷりらひゃぁー」

「おいおい、べろんうぇろんひゃねえは」

「そこの灰髪なんかよりおれっちと呑みょふへ~~」



 ──僕らのテーブルまで絡んできた厄介そうな酔漢たちの舌が、喋っている途中に飛んだ。



「ごっきゅ、ごっきゅ……、ぷはぁ~~っ!」


 セツナさんは何の感慨もなく酒を呑んでいる。

 でも僕は見た。

 いびつに割った箸を短刀のように逆手で持ち、わずかに出た舌先を三枚まとめて切り落とした、その刹那を。

 こんなふらふらしてるのに技量に一切の曇りが見えないんだけど……。


「ひゃあ~~。ひろっぺえねへひゃんらへ」

「ほほのはいはひ! へめえはほっほほふへほ」


 え?僕?何言ってんのかわかんない。


 痛みがなかったのだろう。彼らはごちゃごちゃと話しかけ続け、自分がまともな言葉を話せていないことにも気づいていない。

 あれらまさしく瞬間の出来事で、その周囲もまったく気づいていない。急に喋れなくなっても、悪酔いでもしたのだろうと不審がられることもないからだ。


 そして彼らはより厄介な絡み方をしようとして──仲間のひとりの悪酔い具合に笑って──誰もがいよいよ自分以外の全員が酔っていると認識し──何やら不気味さを覚え──すごすごと、元の席へと戻っていった。

 僕は『よい治療師に治してもらった方がいいかもしれませんよ』と一筆したためて、手紙と共に落ちた舌を彼らのポケットに入れてあげた。


「ふぅ~~。あつい~~」


 セツナさんが服を着崩す。

 白い胸の谷間を隠そうともしない。

 そのしどけない様が周囲の目を引いているが、僕はみっともないなぁという気持ちだった。


 そして、セツナさんはグラスを空にするスピードは一向に収まらない。むしろ加速している。

 この半透明の液体を口に含むことで、セツナさんの機嫌と前後左右にゆらゆら揺れる動きはどんどん激しくなっている。


「つまらぬ~~~~。おんなつかい~~。つまらぬ~~~~」


 だから何がつまらないんですか。芸をしろってことなら謹んでお断りしますよ。

 ただでさえ絡みづらいのに酒入ると本当にうっとうしくなりますねセツナさん。

 メリー。このひとなんとかしてほしいんだけどーー。


「だめ」


 え、なんで。


「せつは。きふぃのこと。すきだから」


「そうだぁ~~。われはぬしをすいているぞ~~」


「あなたの言う好きが人間の一般的な好悪のそれなのか大いに疑いがあるんですよね」


 ……いきなり好きとか言われても困る。

 好かれる側にも都合とかあると思うし。


「つまらぬ~~~~」


「はいはい。お水飲みましょうね」


 いよいよ面倒くさくなった僕は麻痺毒を入れた水を差しだした。

 セツナさんはくんくんと鼻を動かして、コップをカナンくんに渡した。


「いや師匠これあんたに……いいから飲め?じゃ飲むけど──あばばばばば」


 カナンくんがしびれた。


「くかか! おなじ手はぁ……くわぁ~~っぬ!」


 セツナさんはけらけらと楽しそうに笑った。一連の流れで思わず僕も笑ってしまったけど、セツナさんはひどいなって思った。人間のくずだなって思った。

 けど冷静に考えると、飲み水に毒を入れたのは僕なのだった。となるとカナンくんがあばばばばってなった原因は僕ということになる。僕もひどいんだろうか?いやでも、罪科というのは時と場合に応じて変化する相対的なものだ。罪状だけを述べれば非道な行いでも、そこに至る経緯がまっとうであれば酌量の余地はある。餓死寸前の浮浪児が街角に陳列されたパンを盗むことは許されざる大罪だろうか。貴族様が嬰児を虐げることは罪ではないんだろうか。僕はそうは思わない。

 つまりつまるところ、セツナさんに比べれば、僕はまだ、人間のくず性は低いんじゃないかと思う。

 毒って言っても命に別状はないやつだし。後遺症も残らないやつだし。



「よいかぁ~~。おんなつかい~~」



 ……あー、なんですか? ……また始まったぞ。よいかぁ、から始まるやつ。これで何回目だろうか。

 酔ったセツナさんは、なんか僕に殺し合いの技術の指導をしてきている。

 やれ『刃を振るうときは一番鋭いところでスイと当てろ』だの『刀は肉でなく骨で斬るのだ』だの、なんかごちゃごちゃとうるさい。

 たぶん、これはカナンくんという弟子を取った影響なのだろう。まあ、そもそも僕は刃物とか危なくて絶対使う気になれないんだけど。包丁すら自分じゃ持たないくらいだ。


「ぬしはめがよいのだ~~。ゆえにわがりゅうはを──」


 僕はセツナさんの弟子になるくらいならメリーの特訓と称した虐待を一日100セット受けた方がマシだなって思うので、右耳に来たものを左耳へと受け流し続ける。

 あー、はいーー。さすがーー。そうなんですねーー。へえーー。さすがーー。はいーー。すごーーい。存じ上げませんでしたーー。そうなんですねーー。すごーーい。僕帰っていいですか。あ、だめ。だめかぁ。はいーー。



「それにつけても、おんなつかいよ。おまえは、いつおーかんをぬすむのだ~?」



 さすがー…………は?


 王冠を、盗む?

 突然何言ってんだこのひと。



「おーとからはなれたのは、ぬしのさくなのであろ~~?」


「え、いや、別に……」


「かくすなかくすな。おーとにいたとき、ぎぞくなんぞしてたではないか~~」


 義賊? ……いや、あれは単に、邪魔してきた貴族様から迷惑料を回収したけどなんか重たかったからバラまいてただけですよ。

 立派な肩書きを持った豚とか芋とか、あの頃の王都には結構いたんですよね。


「いまもおおいぞ~~。だからかきまぜてやった~~」


 『かきまぜる』って。不吉な想像させる表現やめてくれませんか?

 あ、いや。詳細は話さなくていいです。おにく食べてるときに残虐な話はやめましょう。やめ、やめてください。ミノタウロスのモツ鍋食べてるときに腹を裂いたとか裂かないとかいう話はやめ……、あ、アウト!アウトだ!


「でな~~? われはおもった。ぬしがとっていないもので、のこるはおうかんくらいであろ~~?」


 僕が窃盗の常習犯みたいな表現は控えてもらえますか。冤罪です冤罪。


「はりぼてのみやこの、からのみこしのおうかんなら~~。いくらとっても、よかろうよ」


 ……え?

 王冠を奪うって、その、まさか。


「われはぁ、アイリにもそれをおしえて──そうだ、アイリだ!! アイリよぶ! あやつににくくわせる!! むすめごをおいおとす、おーかんうばいにてをかすぞぉ~~!!」



 ……やばい! セツナさんの中で僕は国家転覆を目論むやばい奴になってる!

 しかもそれを大声で、酒の出る席で、僕が王冠を狙ってるなんて言い出した!

 まずいんじゃないか、まずいんじゃないか、これ聞かれたらまずいんじゃ──!



「キフィナスくん……」



 あ、アネットさんだ。

 終わった。



「……その、どこから聞いてました?」


「『王冠を盗む』とかのところから」


「誤解です」


「ああ。うん。だいじょぶ。だいじょぶだぞー」


 なんで僕を諭しながら手錠を掛けるんですか。

 メリー助け……いや公権力に逆らったら更に面倒なことになるからだめか。だめか……。

 僕は抵抗せず、冷たい手錠が利き手に掛けられるのを眺めていた。手錠の反対側はアネットさんの手首に繋がって……、あ、ぶかぶかだな。

 まあ、子供用手錠とかないもんね。もしあったらその国の治安は取り返しのつかないところまでキてると思うし、開発されないことを祈るばかりだ。


「あー、すみません。そういうわけなので。ちょっと席外します」


「そうか~~」


「待て。本官はお前からも話を──」


 しまりのない表情でふらふらしている黒髪の女性は、アネットさんが憲兵だと認識した瞬間、壁をくり抜いてカナンくんの首根っこを掴んで闇の中に消えていった。

 アネットさんは唖然としている。反応できなかったのだろう。僕も目で追うのがやっとだった。

 ダイナミックな食い逃げだった。


「……今の女性は? その、あまり風紀によろしくない格好をしていたが……」


 あ、セツナさんだってわかってないのか。

 まあ、それもそうか。今日のセツナさんにはいつもの怜悧さがなかったし、顔の情報を伝える似顔絵にも精度の限界がある。メリーが傍目にはSランク冒険者に見えないのと同じだ。

 ……となると、素直に答えたらまた騒ぎになりそうだな。あのひと指名手配犯だし。


「えーと、冒険者の中でもとりわけ人間性が腐ってて、ダンジョン探索が終わったからと食事をタカられました」


「……相談のろっか?」


「いや、人間関係が更に拗れそうなのでいいです」


「そっか……。きみの交友関係は、随分と、その、なんだ……ほどほどにな?」


 僕もほどほどにしたいなって思いますよ。

 で、僕はどこに行くことになるんですか。できれば死刑台と鉱山は避けてもらえるとうれしいです。あと奴隷も。


「しな゛いよっ!? ただ、そうだな……、説諭ってことで、署まで来てもらって、話を聞かせてもらうことになる」


「いや、いやいやいや。僕じゃないでしょ、どう考えてもセツ──あの人でしょ、僕がそんなことするわけ──」


 なんで目を逸らすんですかアネットさん。


「あー…………わたしは君がいい子なのを知っているし、きみのことを信じている、信じているんだけど……、その、なんだ。きみの今までを考えると、否定しきることができないなって……」


「いやいや、いやいやいやいや! 僕は善良です!だって善良ですし!」


「じゃあ聞くが。きみ、王様ってどう思ってる?」


「え、別に。何にも思ってないですけど。あー、しいていうなら? やたらと数が多い連中を集めてまとめるための役割のひとつ、ですかね」


「署まで来てもらう」


 あっやっぱ僕よりぜんぜん力強い。

 僕はアネットさんに引きずられることになった。

 いつも彼女に引きずられてる背中の三つ叉槍くんがどんな気持ちでいるのか、少しわかった気がした。


「いや、だから魔導さすまただと……」


「目を逸らさないで宣言してくださいよそれ」


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