ダンジョン名《雧閌苦鲫苨ꢈ》
成人男性ひとり分くらいのサイズの次元の歪みが、ぽっかりと宙に風穴を開けている。
これが、今回のダンジョンの入り口だった。
ダンジョンによって、歪みの大きさはまちまちだ。
メリーの手のひらくらい小さなものもあれば、大都市ひとつ丸々歪めたようなのもある。内部がどれだけ厄介かを示す位置指標だ。
このサイズは、まあ平均的なものだと言える。
これを選んだのは、学者であるラスティさん。
迷宮都市の郊外にて生成が確認された《雧閌苦鲫苨ꢈ》というダンジョンだった。
……うん。読めない。
ダンジョン名を告げられたとき、突然何言ってんだこのひと?ってなった。
ダンジョンの名前は《鑑定》によって表示され、また普通の人にはそれだと本能的に理解できるものである──らしい。僕は理解できない。普段はメリーが教えてくれる。
一体誰が名付けているのか知らないけれど、ダンジョンの名前は、時々こういう判然としない名前になることがある。
例えばついこないだメリーと破壊した《手術台の上のミシンとこうもり傘》とか、名前からして何を言ってるのかよくわからない。地面が逆さだったり出てくる魔獣の縮尺がおかしかったり僕のニヤニヤ笑いがいつまで残っていたりしたが、まあ終わった話なのでこれはいい。
つまるところ、ダンジョンの名前とやらが、何か意味のある文字列である可能性はそう高くはない。
あの二人に出逢った《怪虫の巣》がそうだったように。
「せかいしゅうまつとけい」
メリーが僕に囁く。なんかの必殺技かな?
そんなことよりここ安全だよね?
「ん。きふぃは。めりがまもる」
僕が安全かどうかを聞いたわけじゃないんだなーー。いやまぁ、確かにそれも重要だけどさ。今回は駆け出し冒険者のカナンくんと、学者先生のラスティさんがいるから、危ないところだとしたらちょっと困る。
あ、セツナさんは別にいいや。
「ええと、とりあえず……ちょっとダンジョンの様子見てくるので、ここで待ってて──」
「そうか」
は?
セツナさん僕の話聞かずに入ってったぞ。
『そうか』って僕の発言のどこに相槌を打ったんだよ。何を理解したんだよ。
ほんとあのひと──。
「……ええと、ちょっと待ってくださいね?」
…………冷静に考えると、これはチャンスでは?
突如降って湧いた『危険人物を放置して別のダンジョンに行く』という選択肢に、僕は強い魅力を感じてならない。 ──言いくるめられるか?
…………いや、難しいか。同行してるカナンくんは『おい師匠!』っていますぐにでも追いかけようとしてるし、ラスティさんは一度調査対象に選んだものを合理的な理由なしで変えることはしないだろう。
それに、僕はカナンくんを冒険者に引っ張り込んでしまった責任があるので、今のところ彼の監督者をやっているセツナさんを見殺しにするのはちょっと憚られるというのもある。……やっている?本当に?
何より一番大きな理由として、セツナさんは簡単にはくたばらないタチだ。ここで置いてった結果、僕の人間関係が拗れるというオチになりそうな気がしてならない。
ちょっと目を離してただけで革命の旗印にされそうになってた時は頭がおかしくなるかと思った。
……よし。
セツナさんに続こう。
「行きましょう。気をつけてください」
「ちょっと待ったのなんだったんだ……?」
カナンくんが首を傾げる。
いや、何でもないですよ。ほんと。
何も考えてません。ぼーっとしてただけです。はい。ほんとに。
追求禁止で。
・・・
・・
・
ダンジョン名《なんか読めないやつ》に入って、まず最初に浮かんだ感想は『白いな』だった。
「ここが……ダンジョン……」
ああ、カナンくんは初めて入ったんですか。
息苦しいでしょう。こんなとこ、入らないで暮らせるなら入らない方がいいですよ。
ラスティさんも、顔色が白いですね。あー、いや、これはダンジョンの構造のせいかな?
「当方は……実地調査の経験が、なくはないです……」
それでも息苦しそうですね。僕も息苦しいです。
僕はダンジョン内で苦しんでるひとを見ると、ああ、仲間がいるって少し安心した気分になれるんです。
慣れるまで、進行ペースは落としますけど。何かあれば遠慮なく言ってくださいね。
「さて……」
僕は周囲を見渡す。
無機質な白い光が天井から周囲を照らし、壁も床もシミひとつない。まるで、一切の汚れを許さないような白さだ。
ダンジョンの空気の息苦しさも相まって、僕にはそれが病的な潔癖性のように感じられてならない。
どうも、ここは建造物の内側──廊下のようだった。
似たような構造のダンジョンに潜ったことがある。
「《ドーム型迷宮》の……典型例です……《文明レベル》が高い傾向にあり……罠の設置の可能性が高く……」
あ、はい。存じておりますラスティさん。
ドーム型は文化資源が拾いやすそうでなかなか悪くないですね。
「とりあえず、僕が先行します」
入り口のすぐそばなので、魔獣が突然出てくるということも……まあ、ほとんどないと思うので、今のところ後方は安全なはずだ。
もちろん何事にも例外はあるものだし、あくまで僕個人の経験則なので、気を抜きすぎないように安全である旨を伝えはしない。
分岐路を曲がってから順番はまた考えればいいだろう。
僕は《十尺棒》を壁や床に擦らせながらダンジョンを歩いていく。
「──来たか。女遣い」
うわっ、セツナさんだ。
という、喉元まで出かかった感想を胃袋に押し戻す。
セツナさんは入り口すぐ近くの、通路を右に曲がったところにいた。
やはり、相変わらず素手だ。武器なしでダンジョンに来たらしい。この人はダンジョンを舐めているところがある。
「ふむ」
セツナさんは形のいい顎に指を当て、何か考え込むそぶりを見せている。
そして、よし、と小さく呟くと、おもむろに壁をこつこつと叩きはじめた。
……ええと、何してるんですか?
「ぬしのように、罠でも探そうとしていたのでござる」
素手で?
「何か問題があるのか?」
ええと、色々と言いたいことはありますけど、とりあえず向いてないことはしない方がいいと思いますよー。
僕がなんで普段から長い棒を持ち歩いてるのかって、考えたことありますか?
「ない」
「それはですねーー」
僕はセツナさんからちょっと先、地面の出っ張っているところを棒でこん、と叩く。
──じゅっ。
突如壁から生えてきた銃口。放たれた赤色の光線が、僕の少し先の中空で横切る。
……僕がそれを肉眼で認識できたのは、白い壁に黒い焦げ痕を付けた後だった。
「お分かりいただけましたかね」
「避けられるが?」
はい? 今そういう話してないですけど? なんで誇らしげなのかな?
仮に避けられたとしても、後続に二人、ダンジョンに慣れてない人いますよね?
「弱いことが悪いのでござるよ」
はあ。じゃあ僕なんて極悪になりますけど。
だいたい僕だって避けられないですし──、
「避けられる」
……あの?
「ぬしは、我の剣を避けられるのだぞ。あの程度の光線が避けられぬはずがなかろう」
避けられません。そんなじっと見つめられても答えは変わりませんよ。メリーもなに頷いてるの。あれ社会性がマイナスなんだから影響受けちゃだめだよ。
都市生活できなくなっちゃうからね。
「我の剣速があれより遅いというのか?」
光線より速い自信があるのすごいですね。そもそもセツナさんの剣だって、視覚だけで避けられるわけないですからね?
僕の中で速度の区分は三種類。僕より速い・僕と同じくらい速い・僕より遅いだ。
それ以上の細分化をする気はない。だって意味がないから。
で、速度区分《僕より速い》をなんで避けられるかって言ったら、僕はただ、あなたのことを知ってるので。
一方で、無機物の感情は僕にはわかりません。その違いがあるだけです。
「ふむ。……ふーむ? つまり、なんだ。ぬしが我が剣を避けられるのは、我とのつきあいが長いからと。そうなるのだな?」
「そうなるんじゃないですかね。残念なことですけど」
「うむ。うむ。好いではないか」
セツナさんはうんうんと頷いた後、
「おい、弟子。我はいま気分がよい。稽古をつけてやろう」
「師匠っ! よろしくお願いしますっ!」
……あの。セツナさん? 外でやりません?
ここダンジョンなんですけど? 命の危険がある環境下でよくそんなことできるな……。
カナンくんもカナンくんで順調に価値観が汚染されてきている気がするぞ。
はあ……。まあ納得の上ならいいや。その調子で二人は殿お願いしますね。
「任された」
よし。
カナンくんという生贄を捧げることで、セツナさんの無害化に成功した。だが、これが一時的なものであることは既に目に見えている。
第二第三の手を今のうちに──いや、ここはダンジョンだ。一瞬でも油断してはいけない。
二人のことはいったん忘れよう。
そして、僕の隣にラスティさん、そのすぐ後ろ、僕の首筋に息がかかるくらいの位置にメリー、そしてなんか訓練とかしてるセツナさん組二人、という陣形になった。
先頭の僕は罠を解除したり、赤く着色した《見印岩》で危険なポイントを記載しながら進んでいく。
隣のラスティさんは、僕が解除した罠を回収し、資源になりうるかどうかを確認したりしている。
例えば先ほどの罠、感圧板と光線銃。
これらはダンジョンから回収しても、こっちの技術力じゃその機能を満足に再現することができないので、恐らく《文化資源》にもなり得ない。
魔術を使えば済むものを、わざわざ別の手段で再現する必要は基本的にないのだ。中にはそんなガラクタが好きな人もいるみたいだけど。敬愛すべき領主様姉妹の姉の方とかそういう傾向がある。
もちろん、普通に撃てるなら《文明資源》入りは間違いないし、威力次第では《迷宮兵装》に分類されてお国に没……回収されることも考えられるだろう。
ニーナくんの持ってる光線銃とか一回撃たせてもらったことがある。なんかポワワってなって当たった魔獣の脳味噌が爆裂して死んだ。多分あれ、申請してないだけで然るべき機関が見たら兵装入りするやつ。
ゲーミング鎧とか、ニーナくんの持ってる装備はカッコいいんだよなぁ。僕もほしい。
「かっこわるい。やだ」
えっ。何言ってるのメリー。
あんなピカピカしてるんだよ? なんか暗いところで光るし、それから光ってるんだよ?
無意味に青色に光らせたり赤から青に変えたり面白そうじゃない?
実際僕らは大興奮だったよ。
「ださださ」
ださださとかどこで覚えたのさ。
「貴君は、妹君と仲がよいのですね」
妹君? ああ、そういえばステラ様にも同じこと言われたな。
いや、血の繋がりはないですよ。
うーんでもやっぱり知的水準が一定以上の人からするとやっぱ僕らの関係って──。
「めりがあね」
おや。頑なだねメリー。
でも君の背は小さいからね。いや残念だったね。みんなは僕が兄だって──
「あね」
「あー……この子は僕の幼なじみです。なので血縁関係はありませんね。あと同い年です。こんな小っさいですけど」
「そうなのですか」
……これでいいかい?
メリーは一度拗ねると結構根に持つからな。この辺りだろう。
退き際はわきまえて……いたいいたい。後ろから無言で抱きつくのやめてください。やめて。
「やめない」
…………次の角までね。




