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かくして日常は今日も滞りなく/被験体ピジョンブラッド


 翌日。

 日が出て、ようやく蜘蛛糸が肉眼ではっきり見える明るさになったのでまずは掃除をした。

ほんと大変だった。なにせ朝食の蜂蜜トーストを食べて、掃除を終えたらもう昼食の時間だったくらいだ。


「というわけで。もう被害者は出ないと思います」


 屋台で蛇の蒲焼き──看板にはウナギと書かれていた──をメリーと僕とで1本ずつ買って、片手に持ちながら、僕はまた領主様の仮住まいに来ていた。


「……おまえ。その手にあるものは、なんですか」


「蛇の蒲焼きですね。おいしいですよ」


「……そうではなく。そうではなく、仮にも領主代行に会おうという態度ではないでしょう」


「『代行』じゃないです。あなたたちはもう、領民を動かせる立派な領主様ですよ。正直ちょっとびっくりしました。あの後、ほとんど誰も出歩いてませんでしたよ」


「…………おまえ……」


 シア様はその後、二、三言をもごもごと口にして、それからステラ様の後ろにさっと控えた。



「私のかわいい妹をあんまり誑かさないでほしいのだわ?」


「姉さまっ!」


 たぶらか……?


「それで。今日はどんな用件で来たの? まさか、また私を犯人にしようってことじゃないでしょうね」


 ステラ様は薄く笑みを浮かべている。

 ふふ。ご期待に添えなくて申し訳ないですが、また犯人として糾弾されたいというなら3分貰えれば準備しますよ。


「そう? それじゃあ──」


「……姉さま。お戯れはほどほどに。おまえも、早く本題を話しなさい」


「はあ。えーと、既に報告は受けてると思いますけど。なんか襲ってきたので捕まえときました」


 おわり。


「それだけ? 少し拍子抜けね。……ええ。たった一日で解決するなんて、とても鮮やかな手並みだったわ。ええ。それはもう、本当に鮮やかな手並みでした」


「それほどでも」


「……でもね。あなた、私のこと犯人の特徴に合致する、ってことで詰問してくれたわよね?」


 ん? そうでしたっけ?

 僕は『過剰な力を持った犯人』『現場では赤い瞳が目撃されてる』『夜闇に輝くってことは多分魔力使った』って要素は伝えましたけど。

 『犯人が赤い目をしてる』と明言はしてなかったと思いますよ?


「あなたね……、はあ。まあいいわ。その言動にも、もう慣れちゃったもの」


「……おまえ。わざと我々に勘違いさせたのではないですか」


「さあー。何せ、言葉というのはどんなに注意して使っても誤解を招きうるものなのでーー。僕としても若干、申し訳ないなーって気持ちはー、ないことも、ないですけどー」


「奥歯にいくつ物を挟んでいるのよ、あなた。別にいいわよ。私に嫌疑ふっかけて動かすことを想定してたのなら、戒厳令を使って、私のような赤目を釣りだしたのも想定してた。それならそれでいいわ」


 おお、流石は領主様。器が大きくあらせら──。



「…………でも。もう少し信用してちょうだい」



 …………まあ、次があれば。


 真剣なトーンで、少し寂しそうな声で、僕にまっすぐな視線を投げかけてきたので、つい面食らった。思わず視線から目を逸らしてしまった。

 それを受けたステラ様が、むっとした表情になる。



「……へえ。いいわ。いいです。『犯人は捕まえた、戒厳令を解く』って。領民を安心させるために、しっかり勝利宣言をしないといけないわよね、キフィナスさん?」


「え?」


 そう言うと、ステラ様は僕の右腕をがしっと掴んだ。

 痛い。痛いです。離してください。


「あなたが悪いのよ? シア。反対側掴んで。そのまま憲兵庁舎まで行くわよ」


「……は、はいっ」


 シア様も反対側の腕に。僕の腕をきゅっと、控えめに抱きつくようにしがみついている。

 いつでも関節をめられる体勢だ……!


「うふふ。大胆ね、シア」


「…………た、他意は。ありません。この男を拘束するためです」


 ……拘束? 僕は冷や汗を垂らす。

 なんてことだ。まさか見せしめに僕の腕を持っていこうとするとは思わなかった……!

 力比べじゃどうやったって勝てない。足まわりで誤魔化そうにもこの体勢ならもう無理。両手を押さえられた以上は道具に頼ることもできない……。

 ──え、詰みだ。詰んでいる。


 姉妹はそのまま、ずんずんと進んでいく。待って待って。

 ぼ、僕をどこに連れていくつもりですかっ!? 僕は理不尽な暴力には屈しないぞ!


「《ティワナコンの大石》までって言ったじゃない。殺人鬼を捕まえたのはあなたなんだから、あなたにも同席する責任があると思うの」


「連行したのは優秀な憲兵隊のみなさんでしたよ! 僕はただちょっと動きを止めただけで──」


「……観念なさい。わたくしたちは、おまえを……、褒めたいのです」


 僕は褒められたいとか一度として思ってないんですがねぇ!

 ……メリー! ぼーっと見てないで助けてくれませんか!助けてください!ぼくを!穏便な手段で!!



「だめ」



 えっ、なんで!?

 メリーさんなんで見てるんです!?


「…………。めりも。する」


 え?待って待って待ってなんで!?

 は、離して!今すぐ僕を離してください!!


 メリーが僕の背中に、ぎゅっと抱きついて、ぐえっ──。



* * *

* *

*



 ──ヒトがもっとも熱心に、精力的に、情熱的になれるのは、自身の行いが正しいと確信している時である。

 


 時は遡る。



「あらら。失敗かぁ~。上手くいかないねぇ~」


 パトロンであるデロル辺境伯から貰った()()を使い潰して、男は軽薄そうに笑う。

 その笑みは、自分が絶対的に正しいという確信を張り付けた、傲慢さを感じさせる笑みだった。



「天使を作りたかったんだけどなぁ~」



 男は、崩壊を控えた世界を救済するための秘密結社《哲学者たち》の幹部のひとりだった。

 創造主からの託宣を受けたと主張する彼らは、元々王都を拠点として、世界救済のための策を練っていた。

 しかし3年前。構成員のひとりが『世界救済のために』とメリスを狙ったことで怒りを爆発させたキフィナスと、キフィナスが攻撃している光景を見たセツナの襲撃によって組織は崩壊。

 なんとか逃げ延びた男は、今も世界救済のために活動を続けている。



「世界救済の旗印には、やっぱりイコン・インデックス・シンボルが必要だと思うんだよねぇ。で、天使というモチーフはそれに合致すると思ったんだぁ~。ちょっと欲張りすぎたのかなぁ~?」



 『創造主からの託宣を受けた』ことが共通項の《哲学者たち》の加盟者は、おのおのの考えるアプローチによって、世界を救済するという使命がある。

 彼の考えたアプローチは、脆弱なヒトという種を強くすることで、来るべき破滅の日に備えるというものだ。


 彼は、ダンジョンから出土した文明資源である《遺伝子複合機》によって、彼は人類のステージを一段高みに上げ、破滅に備えるというプランを採った。

 ──しかし、このプランには大きな穴があった。


「ドクたー。わタしの妹は、でキましたカ」


 犬の頭を首から生やし、全身が金の毛並みで覆われたメイドが、傍らに控えていた。

 ステータスの向上に加え、超人的な嗅覚を備えている。

 理性もはっきりしており、意志疎通が可能で、何より5年以上稼働しているが生命維持に問題がない。

 これまでの男の作品のうち、最高傑作はこれだった。



 ──つまり。高レベルの文明資源の使い方など、説明なしに理解できるものではない。

 習熟のために、大きな犠牲を強いてきた。

 だが、すべては、世界救済のためなのだ。



「うん。できたけど、ちょっと欠陥があるかな~。ぼくは、羽根を生やそうとしたんだけどぉ……それが、どうも身体の内側にも生えてしまうようなんだよね~」



 デロル領内の棄民と、鳩を掛け合わせる実験。

 鳩の通り魔は、男の手によって、欠陥を抱えた存在として誕生した。



「あちゃあ……肺にも生えてるね~。これじゃあ呼吸ができないから、誰かから貰うしかないなぁ。廃棄物の予備、残しておいてよかった~」


「ぃ……ぁ……」


「おっ。喋ろうとしてるのかな~? でも喉は詰まってるから無理だと思うよ~」


「ぁ……」


「ぼくの名前はムーンストーン。パパだよ~。最初に言っておくと、きみは本来作りたかったものからズレた、いわば欠陥品だ。でも、命は尊いからね~。きみがきみである限り、ぼくは全力できみの命を支えるよ~」


 そう言って、男は麻酔なしに肺を取り替えた。痛みで痙攣する被験体には目もくれない。

 そこに人道的態度はなかった。


「名前をつけてあげよう~。その、血のように赤い瞳から──きみの名前は《ピジョンブラッド》。その目も、羽毛ですぐに塞がってしまうだろうけど、同じ赤い目を持ってきてくれれば、直せるよ~」


 そう言って、男は異形を外へと送り出す。


 統治者を代えた迷宮都市、異形が引き起こす社会的混乱をどう収めるか。

 上手く収められないのなら、我々がこの都市を治めなければならない。世界の救済のために。

 これは実験だった。



「う~ん? その辺の鳩だったのがいけなかったのかなぁ~。でも、『ろくに調整してない野生の鳩と適応の低い棄民を素材にすると失敗する』ってすごく大きな知見が得られたから、彼女の失敗はけして無駄じゃないよねぇ~」



 暗い研究室にて、男はひとり呟く。

 それは、誰に向けたものでもない。思考を整理するために口にした言葉であり、誰に聞かせようとしたものでもない。

 だからこそ、歪さに溢れていた。



 ──ヒトがもっとも残酷に、非人道的に、悪魔的になれるのは、自身の行いが正しいと確信している時である。



 迷宮都市に、闇が蠢く。


「ああ。明日も、世界が平和でありますように」


 男は、心の底の本心から、祈りを捧げた。

 その髪は、くすんだ灰色をしていた。




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