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ハンティング・レッドアイ


「きふぃ。えらい。えらくなった。よい。うれしい」


 メリーさんのテンションがえらく高い。

 どうもメリーは、機会さえあればすかさず僕を少しでも高いところに持ち上げたがる節がある。

 僕をかついで、高いところに飛び上がったり飛び降りたりを平気でするのだ。

 やめてほしい。


「きふぃはえらい。すごいえらい。たくさんえらい。みとめられるのは、よいこと」


「いいこととも限らないと思うなぁ」


 朝食のデザートに赤ブドウを頼んだら白ブドウが食べられないように。

 あらゆる選択にリスクが伴うように。

 何かに認められることが無条件でいいことかというと、別にそんなこともないと思う。


 ……というか、ちょっとほんとに困ってるし。

 僕が権力を持ってもしょうがないし、振るってもなおさらしょうがない。

 一時的に得た強権を振るったところで、遺恨は残るわけで。そうなると、僕は選ばれたんだぞーと傲慢に振る舞うわけにはいかない。

 なにせ僕は謙虚で誠実を標榜している。手書きの看板をそのうち携えようかな。そう思われると都合がいいからね。


「……うーん。謙虚……? せいじつ……」


 アネットさんの視線は気にしない。

 ともあれ、そんな誠、誠……実直だっけ?まあいいや。そんな感じの僕が、誰かをアゴで動かすような権力を上手く活用できるわけがない。


 そして、権力とは持っているだけで勝手に振るわれる性質があるものだ。

 貴人はそこに立っているだけで貴人であり、言行がどれだけ寛大だろうとその裏の権力の存在を意識せざるを得ない。

 その権力が生まれついてのものなので、誰かを使うことにも躊躇がない。

 僕に偉いひとの振る舞いとかできる気がしないんだけど? 首を刎ねよ、とか怖くてちょっと言えないよね。


「さてと……」


 だけど、貰ったものを有効活用しないわけにもいかないわけです。

 なので僕は権力を使って、これまでの捜査資料を譲ってもらった。これ見よがしに権力を使うのは気持ちがよかったです。

 僕の後ろでアネットさんはすごく気まずそうな顔をしながら、同僚のひとたちを見つめていたのがちょっと気になりましたけど、僕に直接関係のないことなので忘れることにしました。


 街を歩く。

 戒厳令のおかげか、人はほとんどおらず、戒厳令の存在を知らない、ダンジョンから今帰ってきたばかりという風体の冒険者とばかりすれ違う。

 夜までには、こういうのも減るだろう。彼らは夜遊びが好きなので、だいたい夜までに帰ってくる。門限の定められた子供に似ている。


 レッサートレントの木屑で出来た下質紙に、捜査資料はまとめられていた。これで憲兵隊の懐事情を察することができる。


「かわいそうなアネットさん」


「む? なんだ急に。君に哀れまれるいわれはないが」


 僕はアネットさんに同情しながら、手元の捜査資料に赤墨ペンで線を引いたり、メリーの似顔絵を描いたりしている。

 首を刎ねられたり背中から斬られたり手足を落とされたり、外傷の箇所に違いはあっても、死体から目と肺が抜き取られて、鳩の羽根が埋め尽くしてるという流れはどの事件でも共通している。

 犯行はおそらくどれも夜中に行われたもので、朝方に鳥の羽根の山が見つかって発覚という流れも同じだ。

 でも、被害者の年齢はまちまち。性別も区別がない。

 ──改めて、『誰が狙われてもおかしくない』という僕の最初の見立ては間違っていなかったらしい。


「で、どうするんだキフィナスくん」


「そうですね……、まあ、ちょっと休憩にしましょうか」


 時刻は日暮れ時。石と木で出来た迷宮都市の街並みを、赤く燃える夕陽が黒こげに焼いていく。

 日の光が目にちらついて、眩しさに僕はまばたきをした。


 いつもは賑わう大通りも、今日は人通りがほとんどない。

 多くの人々は、屋内にいるのだろう。

 活気の消えた街並みを、メリーはぼうっと見つめていた。

 僕もその隣でぼうっとする。いろんな人と話して、ちょっと疲れたのだ。


「休憩というが。きみ、ここからどうするんだ? なんていうか、若干の手詰まり感があるというか……。……ほんとに大丈夫だよね?」


「まあ、僕は僕にできる範囲で、できることやりますよ。後で準備とかします。ちょっと休んだらですけど」


「てつだう?」


「ああ、うん。高いとこなんかはメリーに任せていいかな。僕苦手なんだよね、高いの。多分誰かのせいで。誰かわかんないけど」


「準備なら、わたしも手伝わせてもらおう。メリスちゃんほど手際よくはいかないかもしれないけど、それでも力になれると思う。……ほんとに、だいじょぶなんだよね?」


「僕は、僕のやれることだけやりますよ」


「うう……。いつものキフィナスくん話法は今はやめてほしい……。……いちおう、わたし。これでも君のこと、けっこう信頼してるんだからね?」


 はあー。


「ほんと平常運転だなキミっ!」



 だれかからの信頼というのは、重くて、息苦しくて、窮屈だ。

 余計な荷物はない方が楽に生きれるし、買いかぶられると困惑しかない。


 ……だけど、まあ。相手次第では、そういうのに応えるのも。

 やぶさかじゃ、なかったりする。



・・・

・・



 蹄鉄のような形の月が、天頂に輝く夜。


 欠けた月が、迷宮都市の夜をほのかに照らす。

 青白い月光は病人のように弱々しく、夜闇の中で陰翳とその輪郭を強調するに留まった。


 照明のない迷宮都市デロルの夜は、足下が見えないほどに暗い。

 平素は店を構えた商人たちがランプを置き、旅慣れた冒険者たちはランタンを抱えて歩くこの街も、戒厳令が出された今、表に出る者はほとんどいない。

 領主の口から危機が迫っていることを告げられたことで、領民たちは危機意識を高めている。都市生活者にとって領主とは必ずしも絶対的な存在ということはないが、生活の中で意識から消えることはない。そんな人物が自分たちに向けて発したメッセージを軽く受け止める者は、たとえ冒険者であっても少なかった。

 裏路地に立っている街娼や、家のない棄民でさえ、今日は表に姿を見せていないほどだ。



 ──赤目の狩人は、その瞳をぎろりと闇に向けた。



 今宵は、獲物の姿がない。

 忌々しきは、憲兵の屯所であった。

 あの放送のせいで、こんなにも、……胸が、苦しい。


「かはっ……」


 迷宮都市を震わす殺人鬼は、全身を痙攣させた。


 息ができない。


 呼吸が止まる。


 ここは陸の上なのに溺れるような脳に黒いブランクを入れる感覚が思考を阻害し酸■がなくなる肉体を魔■が支え全身を支配する。意識を失■こともできな■ままもがいてもが■ても■く。適■の進んだ肉体■自傷■痛みを残し■がら命を削る■とはけしてない。世■の法則が肉■を支配して■る息が■きない息がで■ない■ができ■いこ■は鳩の羽根だ■根のせいだ。鳩の羽■が口から生えた■のハネがこ■れる。鳩が口を大きく■じ開け喉奥ま■両手を突き入れるより早く鳩が羽毛が喉を埋め、鳩の羽軸の先が鳩の咽頭にはと突■刺■■。羽根は抜■■も抜い■も次から次に生えて■■。生え■くる[羽根]生え■く[羽根]る口を開いて[羽根]も生えて[羽根]くる口を閉じ■も生えて[羽根]くる開いて[羽根]も[羽根]開い[羽根]て[羽根][羽根][羽根]も息ができない。反射でぱくぱくと口が動く。開けても閉じてももうなんの意味もない声を発することさえ叶わず胸を掻くかきむしる引き裂く。十字に走る胸の傷が開いた。この肺も使い物にならない!換えても換えても換えても換えても使えない使えなかったならなかったいらない肺を地面に投げるひしゃげた潰す。潰す潰す潰す!潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す!!潰す潰す潰した!!くすんだ桃色をした肉片が石畳に何度も何度も何度も擦り込まれ擦り潰されると胸の穴からはぼこぼこと鳩の羽根が生まれては落ち生まれては落ち垂れ流され続けるそれでも苦しくて息ができないたすけてくださいたすけてくださいたすけてくださいたすけてくださいたすけてころして口からは涎が鼻からは洟が目からは泪が耳からは羽根が毛穴から羽根が全身の穴という穴から羽根が羽根が羽根がだらだらだらだらだらだらだらとこぼれ落ち地面に白く透明なシミを作り作りつくりつくる。


 ──殺さなくては。生きるために、殺さなくては!!

 血走った瞳が、周囲を舐め回すように視線を彷徨わせ──、




 ──えものを みつけた。




 疾駆する。



 疾駆する!



 疾駆する!!



 羽毛に埋まる視界の端に捉えた通行人。

 その背中は、今までのどの獲物よりも隙だらけだ。


 殺人鬼は駆ける。

 その眼差しは、ただ一点を見据え。

 その足取りは、空舞う鳥のように速く。

 その手に構えた、歪な凶刃を大きく振り抜いて──!



「いやあ、申し訳ない。罠でした」



 しかし。

 必殺の一撃は、見えない壁に阻まれた。


 鼓膜を羽根が突き破っていたため、青年の声を聞くことはできなかった。

 網膜を羽毛が埋め尽くしていたため、青年の顔を見ることもできなかった。

 その灰髪は、心の端の、その欠片の、一片のその粒さえも、申し訳なさそうな顔も声もしていない。

 もっとも、たとえ見えていたとしても、たとえ聞こえていたとしても、冷酷な狩人は、獲物の感情に関心を向けることはない。


「動かない方がいいですよ。……あ、やっぱり聞こえないかな?」


 ──見えない壁があるが、相変わらず目の前の男は隙だらけで、この腕を一振りすれば簡単に絶命させることができる。

 その背中を小突くだけで、目の前の矮小な生命は死に至る。

 殺人鬼はそう判断し、壁を避けようと足を動かそうとする。


 動かない。


 腕を振る。届かない。


 足を振る。動かない。


 手足を何度も動かそうと試した末、どうも自分の手足に宵闇よりも黒い糸が絡みついているようだと気がついた。


「それ。『比良坂蜘蛛の織り糸』って言うんですよ。動けば動くほど、その糸は絡みます。一度絡むとほどくの大変なんですよね。手伝ってくれた人も引っかかっちゃって。いやぁ、ちょっと困りましたよね」


 全身からでたらめに羽毛が生えていることも、その目が見えていないことも、その耳がまるで聞こえていないことも気にせず、青年は朗らかな笑顔で、世間話をするように快活に話しかける。

 その姿は、相変わらず隙だらけだった。



「僕は痛いのと怖いの嫌いなので。とりあえず、その腕は貰いますね」



 ──青年が、くい、と虚空を抓るように引っ張る。



 すると、一本のか細い糸が、もつれ、絡まり、

 締め付けていた腕を武器ごと根本から落とし、

 血を吸って赤く染まった羽毛が、傷口からばさばさと流れ出て、夜闇の中をひらりと舞った。



 ──鳩はその時、狩人は自分でなく、目の前のとぼけた男の側であったことに気づいた。



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