閑話・剣鬼の日常《挿絵あり》
王都タイレリアの裏路地。
「こんなものか……。王都の連中の腕も落ちたな」
神威神奈備神楽刹那──セツナは、追っ手の腕を切り落としながら呟いた。
セツナは王都に着いてから、宿屋を見つけることもそこそこに人斬りを始めた。
表通りの店の顔ぶれは変わっているが、街の構造そのものはそう易々とは変わらない。つまり、どこが憲兵連中にとっての死角に当たるのかは変わっていないということだ。
三年前の日々を思い出し、セツナは懐かしい気分になる。
「うむ。懐かしき日々よな」
つくづく、あの女遣いめはいい標的を見つけるものだった。
あれが相手の表皮を剥ぎ取り、その性根を取り戻したところで──セツナが斬る。折れたままのはそのまま首を刎ねてやったが、折れぬ相手は手強く、それはそれは心躍る殺し合いが堪能できたものだ。
分業が上手くいっていた、とセツナは思う。そしてその証が《タイレリアの暗殺者》という呼称なのだと。
自分が他者からどう呼ばれようが気にすることはない──気に食わない相手なら呼び名がどうだろうと斬って捨てるだけだ──セツナだが、《タイレリアの暗殺者》を囁く者が増えることは、存外愉快なことであった。
そして、その名前を、三流どもが標榜し汚していると聞いた時には、自分の想像を遙かに超えた怒りがあった。
セツナは怒りにまかせて、斬り合ったら楽しそうな連中──王都の裏社会に殴り込みをかけた。
(しかし、やはり女遣いが居らぬと。つまらんな)
「見つけたぞ! 紅白女ッ!」
「む? ようやく追いついたか。待ちくたびれてしまった」
「随分な上玉じゃねえか」
「もう、テメエの《スキル》も打ち止めだろ?」
「へへっ……店に出す前に楽しませてもらおうぜ」
集まってきた男たちは皆、彼我の力量差を理解していない。
(──真逆、こやつらは《すきる》とやらを打ち尽くしたから、我が逃げたとでも思ったのだろうか)
足元に転がっている、腕を切り落とされた相手が見えていないのか、それとも見えていて、都合の好いよう解釈しているのか。
(あやつであれば、ここで油断など決してせぬだろうに)
セツナは興が削がれるのを感じた。
「へへっ、逃がさ──あばッ」
──セツナは男たち全員の首すじ、頸動脈を深く裂いた。
無音にして神速のその太刀筋は、寸分のねらいも過たない。
「あ……?あ?」
相手は呆然としている。
急所に三寸斬り込めば、人は忽ちに死ぬ。
頸椎の隙間に刃を通して一斉に首を落としてみてもよかったが、セツナはちょうどキフィナスとのじゃれあいを思い出していた。
──そのため、二寸八分を正確に斬った。
「さあ、どう出る? 我を楽しませてみよッ!」
残心をわざと怠り即座に刀を納めたセツナに飛びかかる死兵となるか。
それとも《回復あいてむ》なる如何わしい物品を用いて、首の傷を即座に癒す判断を見せるか。
驕りや余裕のような表皮を剥ぎ、本性を現した相手と対峙してこそ、死合いには意味がある。
「血が! ひっ! お、俺の首からァッ!?」
「ああああああああ!」
──ああ、つまらぬ。あの、ちょこちょこ小うるさい弟子めの方が、まだ胆が据わっているぞ。
一皮を剥ぎ取った先にあったのは、寝小便を垂れる小童だった。
あるいは、一皮と言わず剥ぎすぎてしまったか? この按配は女遣いが上手かった。だがここにはいない。
どちらであろうが、もはやどうでもいいことだ。セツナは全員の首を落とした。
「もう少し殺しておけばよかったか?」
なぜ連中は、自分たちが勝てるなどと思い違いをしたのか。
セツナが一旦距離を取った理由は、油断しきった相手をひと息に斬って捨てても面白くないからだったというのに。
個人が有している戦闘能力に天地の差が出るこの世界で、数の優位は戦力の有利を意味しない。
──猟犬のように追い立ててこい。そ牙を我が首元に突き立ててみろ。我らは、暴力を生業とするひとでなし。血と骨で磨いた技で、互いの首を刈り合うのだ。
そのような心胆のセツナに差し向けられる追っ手の体たらくといったら、なんと情けないことか。まるで血液の代わりに冷や水が詰まっていて、セツナの心身を寒からしめるかのようだった。
──新手の気配。
「やれやれ。お前も相変わらずだな。小魚を泳がせて、一所に集めていたんだが。これでは詰むことができん」
──声。瞬間。斬。
セツナは振り向きざまに致命の一刀を振るった。
手応えあり。──取ったか?
「……本当に相変わらずだな」
空間から突如生えた七色に輝く光の盾が、男の首を守っている。
それは、セツナの見知った相手だった。
いささか剣が軽かったか、とセツナは舌打ちをする。
「貴様か。光の」
相手を誰何する前に刃を振るったことへの謝罪や後悔など、セツナには存在しない。
あるのは、己の技を躱されたという悔しさと──闘いへの高揚感だけだ。
輝くような金の髪に、碧の瞳。整った顔立ちに精悍さを湛える男が立っている。
セツナが王都にいた頃より、近衛騎士団の末席を務めていた男にして、タイレル王国に4人しかいないSランク冒険者のひとり、レスターだ。
この時間帯に、憲兵の目の届かない裏路地にいるのは相応しくない素性だったはず。
──あるいは、ついに要職を追われたのかもしれぬ。哀れよな。
「いや、今日は非番だっただけだぞ」
「そうか」
実際のところ、この男の進退はセツナにとってはどうでもよかった。
今この場にいるということは、斬り合いができるということに他ならない。
──命を削り合うことで、人は己を研磨し、より高みへと至れるのだ。この機を逃す手はない。
「しかし久しぶりだな。セツナ。お前はキフィナスと一緒に、タイレリアを離れたと思っていたが……《千年祭》が近いからか?」
「まつりなぞに興味はない。目に余る現状があると聞いたのだ」
「目に余るのはお前の所業なんだが……。『犯罪者にも人権はある』というのがウチの団長の意向でな」
「知らぬ」
セツナは居合いの体勢を取る。
「待て待て待て! 旧交を温めようって時にその構えはなんだ。俺は、お前に話があってここに来たんだ」
「我に話すことなどないぞ、光の」
「俺は既に《神器・エイシラセドヒ》を起動している。今のお前の刀じゃ、振ったところで光壁に阻まれるだけだぞ」
「くだらん。貴様の首を斬って捨てれば、我に斬れぬという盾は出せなくなろう」
「……キフィナスはよく、こんなのを御してたもんだな」
「くく。そうだな」
「……《クシナヘギノヒ》《シガノヤボオヒ》起動。昔のよしみだ。命までは取らないが、痛みは覚悟してもらうぞ」
「死合いだ。殺されても恨まぬよ。──貴様もそうしろ」
「俺は死んだら流石に恨むぞ……」
そうして、よく晴れた王都の、裏路地の奥。
陽光が届かぬ場所にて、命を賭けた闘いが唐突に始まった。
セツナは対手に研ぎ澄まされた殺意を向ける。
一方レスターは《神器・シガノヤボオヒ》を使って自分の身を光へと変え、光速でセツナから距離を取った。
「ほう。貴様の手品は、いつ見ても華があるな」
「そいつは嬉しいな。お前に見せたくはなかったが」
……無論、姫君とその所有物である国民・王都を守る近衛騎士として、セツナから目を離すわけにも、セツナに見失わせるわけにもいかない。
これは逃げるためでなく、戦術的有利を取るための行為だ。セツナの武器は、手にした一本の刀のみだ。その手が届く範囲を離れれば、斬ることはできない。
「……手は抜けん。治療はするが、せいぜい死ぬなよッ!」
叫びとともに、レスターの手元の空間から無数の光の刃が生える。レスターの《神器・クシナヘギノヒ》による力だ。
竜の厚鱗を貫くほどに鋭利な光剣は、しかして質量が限りなくゼロに近い。
レスターはそれをセツナに向けて放った。冒険者としての最高峰の肉体が持つ純粋な膂力によって、次々と放たれる剣の速度は音速を超える。
一撃でも受ければ、戦闘の続行は不可能になるだろう──!
「手緩いッ!」
投擲される光の刃を、セツナはひとつずつ斬って捨てていく。セツナの身体を捉えていない軌道にある光剣すら、セツナは踊るような足運びで斬っていた。
セツナの後ろに纏めた長い黒髪が、一本の尾のように揺れると、虹の燐光を放ちながら光剣が次々と消える。
(まあ、そうだろうな……)
レスターに動揺はない。
これは陽動であり──もっとも、多くの相手にはこの技だけでも十分すぎるほどなのだが──セツナに通じないことはわかっていた。
レスターの本命は、相手の座標に表出させる光剣だ。
空間を裂きながら現れる剣は、その座標に『元々あったもの』を、完全に光の粒子へと置き換えながら現出する。
それはレスターが温存する、必殺の切り札であり──。
「甘いわッ!!」
──しかし、王都を震わす人斬りは、そう易々と遅れを取らない。
空間のひずみを察知して、そこに剣閃を滑らせることで一本たりとも光の刃の現出を許さない。
既に生まれ、セツナへと向かってくる刃も合わせて、次々に光の粒へと変えていく。
──薄暗い裏路地に、光華が舞っていた。
刹那に散らされる光の花弁は、すべてが極小の粒となる。
極彩色に輝く粒子は、風によってゆらりと波うつ。
セツナが首を刎ねたごろつきの死体に、光の粒が触れた。
光粒子は触れた部分の肉を波打たせ、死肉を破裂させた。
粒ひとつが、致命の威力を持っている。
──しかし、一粒たりともセツナには当たらない。
長い髪の、その毛先にさえ触れることはない。
「相変わらず、バケモノみたいだなお前は……!」
「それは貴様も変わらぬであろう。幾多もの化生の屍の上に、我らの強さはあるのだから」
苛烈な気質に反して、セツナの太刀筋は巧緻の極みにある。
その剣閃は一切を過たない。いくら振っても、その軌跡は厘毛たりとも揺らぐことはない。
「くく、はは! ははは!! やはり、拮抗する相手と死合うのは楽しいものだな!! 我が魂が、研ぎ澄まされていくようだ!!」
セツナに向かいくる光剣が、突きによって穿たれた。
距離が縮む。
「だが、貴様の手品は数が少ない。そろそろ飽いてきたぞ?」
セツナの四肢で発生した空間の歪みが、一振りの剣閃によって裂かれた。
また、距離が縮む。
(まずいな……)
距離が縮む。
Sランク冒険者レスターは、じりじりと追いつめられていた。
一撃でも当てることができれば、セツナは動けなくなる。既にレスターの意識から手加減などという手緩い考えは消えていた。
だが、それでも、セツナには当たらない。
涼しい顔をしているが、レスターも必死だ。セツナが剣を振るう度に体力を減らすように、神器を使う度にレスターの魔力も減る。
──恐らく、持久戦ではこちらの方が分が悪い。レスターはそう判断しながら、仮初めの膠着状態を維持する立ち回りを続けていた。
近づいてくる。
近づいてくる。
近づいてくる。
再度距離を取るか?
──否。この身を光速に変えたとて、セツナは切り裂いてくる。既に一度見せてしまった。二度目はない。
レスターには奇妙な確信があり、故に大きな賭けに出た。
「《顕現せよ! 顕現せよ! 顕現せよ!! 其は天に在す二百五十六色の光輝! 我が前に立ち──》」
詠唱の間、魔術を行使する人間は意識が散漫になる。詠唱が必要なほどの大魔術を行使するとなれば、どんな熟達の技を持つものでもそうならざるを得ない。
いつ首を刎ねられるかわからない状況下において、わずかとはいえ隙を晒したその刹那!
──雲雀が、嘶いた!
鯉口を高く鳴らし、剣士が抜刀するは必殺剣──!
レスターは賭けた。
隙を晒すことで、セツナが全霊の一撃を振るってくることを。
──そして、レスターは賭けに勝った。
「《エイシラセドヒ》出力全開だッ……!!」
レスターの首元に凶刃が迫る。
──狙いは首元。
その一点に賭けて、レスターは《神器・エイシラセドヒ》による光の盾を集中させた。
(詠唱は、お前の必殺の一撃を釣り出すエサに過ぎない……!)
自動防御でも、あの剣閃は止められた。ならば、一所に集中して出力を上げて、止まらぬ道理はない
「なっ……!?」
それは、どちらの言葉だったか。
首を守る光の盾が、セツナの刀を押し止め──ない。
セツナの必殺剣《雲切り雲雀》は容易く、レスターの身を守る光の障壁を切り裂く。
レスターは驚嘆した。セツナの技量は、自分の見積もりよりも遙かに高い。
──だが、レスターはそれをも見越していた。
「十八対三十六枚の翼が、俺を守るっ! 『詰み』だ!」
「くはははは! 見事だ! 実に見事だ光のッ!! 故に! ここで! 死ねッ!!」
セツナの剣は勢いを止めない。刀身に罅を入れながら、二枚、四枚、六枚と裂いていく。
八、十二、十六、二十四、三十──!
美しい刃紋を罅に変えながら、その勢いは、未だなお強く──!
「……本当に、バケモノだよ。お前は」
レスターの身を守る三十六枚重ねの光の壁のうち、三十五枚が唐竹を割るように斬って裂かれ、
三十六枚目を真っ二つに斬り落とす寸前にして、ついに刀が折れた。
その刃は、レスターの首筋に一本の線を引いていた。
「ふむ。今回は我の負けか」
「だから言っただろうに。武器がそんなナマクラでは、俺に勝てないと」
「言い訳はせぬよ。武器の問題ではない。貴様が、我を上回っただけだ。こういう時、女遣いであれば言葉を重ねるのであろうが──」
レスターの傷は即座に回復する。高位の冒険者の肉体は、既に人間のそれを優に超越している。
武器を失ったセツナに、この男を打倒できる手段はない。
「──あいにくと、我は一匹の剣鬼ゆえな。あやつから学べることは多い。生き汚さも、突き抜ければ美徳よな」
敗北を認めながら。
命を奪おうとしながら。
セツナは歩法で攪乱し、この場から逃げようとする。
──セツナにとって、これはあくまで攻守が入れ替わったに過ぎず、決着がついていない以上まだ死合いは続いているのだ。
セツナの敗北の条件は、よく絡むひとりの男のせいで、かなりファジーに設定されていた。
「待て! セツナ。話がある」
「我が聞く必要があると?」
「キフィナスにも関わることだ」
「む。 なんだ、それを先に言え」
セツナは居住まいを正した。
「最初から言う気だったのを、お前が切りつけてきたんだろうが……」
「いいから話せ。長口上は好かん」
セツナは、今からつまらない話を長々聞かされることを思って憂鬱になった。
レスターは、目の前のバカとコミュニケーションを取ることに頭痛を感じた。
ただ知人と話すだけなのに、緊張感と倦怠感がない混ざった異様な空気が形成されていた。
((奴がここにいないものか……))
この場の両名が、今、キフィナスを求めていた。
「ふひゃっっくしょっ!」
「きふぃ? かぜ? かぜ?よこになる。なおる。なおす。めりなおす。かんびょする。からだあたためる。はやくよこ。よこなる。よこたえる」
「いや、大丈夫だよメリー。君にそれ任せたら絶対悪化するからね。風邪に骨が折れる症状はないんだよ。まあ、多分噂話とかされたんだと思うよ」
ああ、それにしても。
穏やかで何もない日常って最高だな、と僕は思うのだ。
間違っても、命に関わることを日常にしてはいけないと思う。
痛いことと怖いこと──具体的には暴力とかとは無縁でありたいな、と僕は心から思った。なぜだかわからないけど、強く思った。




