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機工都市の住人《挿絵あり》



 澱んだ空気に埃が混じり、噴煙と蒸気となって対流する。

 地を踏みしめる多脚を以て、新鮮な空気を取り込みながら──あるいは、足下の大地を汚染しながら──カルスオプトは辺境を走り続ける。

 血管のように都市中に張り巡らされた配管は、時々血栓を作って破裂したり、解離して配管の隙間から蒸気を吹き出していた。


 煙突と、鉄屑と、配管で出来た機工都市。


 煙突も鉄屑も配管も、どれもみな一様に黒いのは、払う度に煤がこびり付き、ついには悪性腫瘍のように癒着した結果だろう。

 メリスに声をかけてきた幼児も、全身を煤まみれにしていた。

 着ているものと肌との境界線がわからないくらいに黒い。あるいは、服を最初から着ていないんじゃないかとすら思える。

 髪も真っ黒で、元の髪の色がわからない。あるいは、元々闇の魔力を湛えた黒い髪なのかもしれない、とキフィナスは分析した。

 

 煤煙は、現在進行形でキフィナスの身体をも汚している。元々使い古していた服の上に、まるで染み出すように黒が増えていく。

 定住するには、かなり大きな課題がある土地であるという評価は免れ得まい。



(うん。ちょっと気になるところはあるけど、この人とは仲良くできそうだ!)


 しかしながら、キフィナスの心は弾んでいた。


(ここにいちゃダメだって言われなかったのは、ほんとに久しぶりだ。でも、この子がぼくらと同じ、子どもだからかもしれないよな……)


 キフィナスの灰の髪を見ても、メリスの超人的な力を見ても眉をひそめない相手に出会ったのは、いったいいつ以来だろうか?

 冷涼を通り越した極寒の地でも、熱帯を通り越した火山のそばでも、二人を受け入れてくれるのであれば気にならない。


 ──だって、そのためにぼくらは旅をしてきたのだから。


 胸がすくような気分になったキフィナスは、その調子ですっと息を吸って──ごほ、ごほ、と大きく咳き込んだ。


「地上の方は、このマスクをつけるようにというしきたりなんでちゅ」


 幼児はそう言うと、懐から二機のガスマスクを取り出した。

 顔をまるごと覆う形式で、側頭部に一対(いっつい)の太い配管が刺さっており、口から生えるノズルは、胸の辺りまで伸びている。

 これは《(エレファント)()(ヘッド) 》とも呼ばれ、カルスオプトの住人は外部の人間に必ず渡せるよう常に携帯している。


(しきたりと言うからには、まもらないといけないんだろうな、うん。見るからにあやしいけど……)


 キフィナスは煤で黒くなっているガスマスクを被る。まだ11歳のキフィナスの頭だと、このガスマスクのサイズは少し大きい。緩いので、首を動かすとガスマスクが後頭部に容赦なくぶつかってくる。

 視界も暗い。曇り止めを塗られたゴーグルの部分にも、容赦なく煤がこびりついていて、夜のように黒いもやがかかっている。キフィナスの小さな指でゴーグルを拭ってみても、その曇りは取れない。


 ただ、被っただけで呼吸が楽になった。

 こういうしきたりならいくらでも守れるぞ、とキフィナスは定住の期待をさらに強める。


「ありがとう。……すごく助かった、です」


 キフィナスは不慣れな敬語を使って、感謝を表明した。

 お礼を受けて、現地の人は笑顔でどういたしましてと答えてくれる。

 その反応にキフィナスもまた、ガスマスクの内側で、ぱあっと表情を明るくした。


「ええと。ぼくは、キフィナスっていう……、言います。おなまえを、おしえてほしい」


「《煙突拭き》に個体識別名称はないでち。地上の方」


「えんとつ……こたい? あの、ちょっとよく、わからなくて」


「きふぃ。あれは、ななろくごきゅにきゅいちきゅにいなな」


「指さしちゃだめだよ! ……あの、ごめんなさい、メリーが。ええと……。ななろく……、なな、さん?」


「はいでち。わたちのことは、どうか地上の方が好きなように、呼んでくだちゃい」


 おどおどと狼狽したキフィナスは、その言葉にほっと安堵する。

 ──どうやら、このななろく……なんとか、ななさんは、いいひとらしい。よかった。

 それと同時に、メリスがまだガスマスクを着用していないことに気がついた。


「付けないの? 息が楽になるし、目にけむりが入らなくなるよ。せっかくもらったんだし、しきたりだって言うんだから付けようよ」


「めりは。いらない」


「もー。メリーはわがままなところあるよね。ダメだよー、ひとの好意はちゃんと受け取らなきゃ。村の大人たちだって言ってたでしょ? ……あ! ご、ごめんなさい、です。ぼくのおさななじみが、ちょっと、わがままで……」


「地上の方。それなら、ぞうあたまを被らなくてもいいところにご案内しまちゅ」


 キフィナスは『ななさん』の顔をそっと窺い見る。気分を害した様子はない。

 それに安堵し、ガスマスクの下でほっとため息をついた。


「うん。ありがとう、ございます。ななさん。その……、大人のひと。いますかね?」


「わたちたち《煙突拭き》の他にも、《歯車磨き》や《(かま)焚き》も、それから上級機関士の《大工》と《計算屋》。いっぱいいるでちよ。あとで紹介しまちゅ」


「ありがとうございますっ! わぁ、仲よくなれるといいなぁ……!!」


 キフィナスがゴーグルの下で瞳をきらきらと輝かせるその後ろに、仕えるようにメリスは立っている。

 その蜂蜜色の髪にも、純白の肌にも、薄い肌着にも、煤のひとかけらさえ付いていなかった。



・・・

・・



 キフィナスたちは《煙突拭き》に連れられ、カルスオプトの内部に入った。


 配管の隙間から覗いている赤黒く光る真空管が、暗闇をほのかに照らす。

 至る所にある巨大な歯車が、お互いの歯を噛み潰すようにガチガチと音を立てて回っている。

 唸り声を上げながらピストン運動をする巨大なシリンダーが、辺りに熱と蒸気を噴き散らかす。

 その無秩序な、それでいてどこか秩序のある光景に、キフィナスはどこか格好良さを覚えた。


「歯車には触らないでくだちゃいね。《歯車磨き》たちに怒られてしまいまちゅ」


 キフィナスは慌てて手を引っ込め、背すじをぴんと伸ばした。定住したいというのに、今から相手を怒らせる理由はない。

 隣にいるメリスは、背景の機械工作にいっさい目をくれず、キフィナスを常に気にかけている。


「ふっ……、ふっ……」


 キフィナスは息を喘がせた。

 熱気が籠もっていて、ガスマスクを付けたキフィナスはすぐに汗まみれになる。

 このマスクの欠点は、水が飲めないことにある。キフィナスは思った。


「もう外しても大丈夫でちよ」


 《煙突拭き》の声に従って、キフィナスは頭から重しを外す。開放感に思わず頭を振ると、灰髪から汗の(しずく)が散った。



「この先が居住区でちよ」



挿絵(By みてみん)



 歯車と(ぜんまい)発条(ばね)と配管が幾何学的に入り組んだトンネルを抜けた先には、何千基もの銀色の円筒があった。


 缶詰のような筒は等間隔に地面に生えており、無数の配管は至る所に繋がっている。

 網目のようになった配管の隙間から、赤熱する真空管が周囲を照らしている。

 だが、キフィナスが見回しても、住居らしきものはない。


「居住区っていうと、おうちがあるんですよね?」


「その《缶詰(クレードル)》が、わたちたちのおうちでちゅ」


 なるほど、そういうこともあるのかな、とキフィナスは納得した。

 辺境の旅路において、定住生活者は環境に合わせて、さまざまな形式の居住空間を持つことを既に知っていたからだ。


(この大きさだと、メリーと二人だと、たぶんぎゅうぎゅう詰めになるよね。ふたつ建ててもらわないと。でも、横になってねるのはむずかしそうだなぁ……。立ったままでも慣れればだいじょぶかな? 慣れるまでは大変そうだけど……)



「起きてくだちゃい! 地上の方がお見えになりまちた!」



 ──その声とともに、円筒が一斉に白煙を噴いた。


「うわぁっ!?」


 物思いに耽りながら円筒を眺めていたキフィナスは、突然のことに驚いて腰を抜かす。

 白煙がゆらゆらと揺れる。ぺたぺたという足音とともに、キフィナスとメリスの周囲に沢山の人が集まってくる。



「えっ……?」



 ──白煙が晴れ、煙に包まれたシルエットが露わになる。

 彼らは全員、『ななさん』とまったく同じ顔、同じ体格だった。






「それで。千人を超える人影が、みんな同じ顔だちだったという異様な状況で、キミはどうしたんだい」


「当時の僕は、ちょっと気味悪いなと思いつつ、兄弟姉妹かなんかなんだろうなって思ってました」


「なるほど。正常性バイアスというのは面白いね。離れようとは思わなかったのかな?」


「僕らを受け入れてくれるところなんて、それくらいしかなかったんですよ。それから、何日間か一緒に暮らしました」




「…………彼らは、すごく優しくて、穏やかで。脆いひとたちでした」





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