訣別
娘相手に妄言をべらべら吐いていた男は、僕に向き直り憎悪の表情を浮かべた。
その肩からは鮮血が噴き出し、辺りを赤く染め上げている。
僕はすぐ隣で血のシャワー浴びることになったステラ様とシア様は可哀想だなーって思った。
「いやぁ、それにしても長い口上でしたね。僕二回くらい寝そうになりましたよ? 娘さん以外、こんなのきっと誰も聞いてくれないんじゃないかなぁ。実務能力がお低い?」
「当家の秘密を、誰かに聞かせるつもりはないよ」
「はは。そうですね。身内の恥は表に出すべきじゃない。実に賢明な判断ですね」
僕は死体まみれの悪路を駆ける。死後数ヶ月は経過している肉体は、筋肉のない子どもでもすっかり固くなっている。
黒色の散弾が、男の杖先から僕めがけて放たれた。
当たれば即死だろう。だが、魔弾の速度はもう見えている。あの速度なら、二度寝してても当たらない。
だって──いつも見てるものはもっと、速いからね。
「ッ──」
──僕は伯爵様の背後を取った。
いくら身体スペックが僕より何倍も高くても、戦いを生業にしてない相手に遅れは取らない。
そして僕は、そのがら空き、隙だらけの背を──当然、触らない。
触らず、そのまま向こう側まで駆け抜ける。
「……おや? その粗末な木の棒で、私を叩かないのかな?」
「叩くか叩かないかは僕が決めることなので。催促されても困りますね」
僕の打擲をトリガーにして、何らかの仕込みをしている可能性がある。
そして何より、二人がまだ近いのが問題だ。
「というかー。人間のふり、さっさとやめたらどうですー?」
「人間のふり? 異なことを言うね」
「肩を骨ごと吹き飛ばされて、血がそれだけ流してる人間が。まともに立ってられるわけないだろ」
「──く。キキ。カカッ」
──魔の気配が濃くなる。僕の心臓が早鐘を打つ。
奴の身は既に《魔人》になっている。
「まさか、この身が人を超えていることを看破されるとはね」
ずぶり、という音と共に、筋繊維が丸見えの肉が、男の肩の大穴を埋めた。
その肉はそのまま、腕までうじゅるうじゅると形成した。
ただ、よっぽど美術的な造詣に乏しいのだろう。その腕は、右の腕に比べて長さのいびつな棒から、5本の枝が生えたような形になっている。
「ひっ……!!」
「うわぁ、伯爵閣下の腕が大変なことになっちゃったぞ」
「怯えているね、ステラ。だがその必要はないよ。私は、超人に──」
「あんたがなったのは、ただの人でなしだろ」
僕は、壁に突き刺さって、今もなお勢いを止めようとしない石に触れた。狂ったように回転する石は、僕の手に収まるとぴたっと止まる。
この石はメリーが僕にくれたものだ。安全性の心配はあったけど、そんなことを考えてる時間はない。
僕の体が高速回転しないのは運が良かった。
僕が背中を取ってなお走り続けていたのは、これを回収するためだ。
考えなしに石を投げたから、武器がなかった。もう一度障壁を貼られたら攻撃手段がない。
僕は《噛みつき草の生きたツタ》を二回ほど地面に打ち付けて気絶させ、それから持っている木の棒の先端に石をしっかり括り付ける。
──よし、即席石槍の完成だ。原始の力を感じるな!
「……私を、虚仮にしているのかな?」
「してますよ?」
僕は石槍を中腰に構えた。
「していないわけがない。なんですかその手? まるでインちゃんの絵みたいになっちゃって、見てられないですよー。薬草使います?」
「挑発かな? 道化に何を言われようと、私は──」
「借り物の知識で、よく僕が道化とか吠えられるな。道化はあんただろ」
「…………そうか。《哲学者たち》の言っていた男は、君か。灰の髪ではないから、見誤ったが──」
「連中は既に潰しましたよ。次はあんただ」
「灰髪の、《全能者》のおまけの、卑しい身の、矮小な男よ。跪け。私の真名はオメガブルー。世界を救さ──」
なるほど《洗礼名》まで貰っていたらしい。
だから、どうした。
「がッ……!!」
あんたらの口上は既に聞き飽きてる。
気持ちよさそうに舌をべらべらと回してる途中に、僕は石槍で腰を抉る。先端の石は、何の抵抗もなく魔人の肉を裂いていく。
メリーから貰ったこの石ころは、多分一切の誇張なく、この地上のどの物体よりも鋭い。
「棒立ちだといい的ですよー?」
「ッ……!!」
左腕を異形に変えた男は、腰もまた歪な形に変えながら、ステラ様たちから離れた。
よし。
僕は、二人を背に隠すような位置に立つ。
……親が異形に変わっていく様子を見せるのは、ちょっと残酷だからね。
「聞いたとおり、卑劣な真似をするな。私の愛する娘を、人質に使うとは……」
人質?
「あーはいー。僕は卑怯で卑劣でろくでなしですよーー。でも、あんたよりはマシかな」
何か勘違いしてるけど、それならそれで好都合だ。
本性を露わにした元オーム伯は、右手に持った杖から、僕に何十発もの魔弾を一度に放った。
僕には当たらない。当たりそうな弾は、石槍の穂先で砕けばいい。
殺意がバレバレだし、姉妹への誤射を躊躇って軌道が素直だ。これなら、何万発撃たれても避けられる。
「《天地の理をここガぁッ──」
「詠唱はさせません。あんたの舌が何枚あるのか知らないけれど、くり抜けばやり直しだ」
僕は隙だらけな口元を突き貫き、ついでに胴体に二段突きを叩き込みながら、バックステップで元の位置に戻る。
即座に傷口の再生が始まる。胴のシルエットが歪になり、顔の下半分が大きく崩れた。
魔弾が飛ぶ。
かわして弾く。当たらない。
詠唱しようとする。
僕は一気に距離を詰め、舌を貫き、右腕を貰う。
魔力を充填していた杖が、突然の衝撃に耐えられず弾けた。
──ここで詰める!
僕は急所、脊髄を破壊するために槍を──。
「だめ」
メリーの声が聞こえた。僕は急速反転し元の立ち位置に戻る。
直後、歪んだ手指の先から魔力の弾が飛んできた!
だが、速度は杖があった時よりも遅い。僕は上体を逸らし、余裕をもってかわした。
「………賊徒が!」
魔弾。かわす。
詠唱。つぶす。
魔弾、詠唱、魔弾、魔弾、詠唱、魔弾……。
そうして、僕と魔人なんとかかんとかは睨み合った。
さっきから膠着状態だ。僕は少しずつ相手の体を削るが、それは致命傷に至らない。そして、こちらの体力も無限じゃない。
気を抜けば僕の頭が吹き飛ぶ。それは相手も変わらない。
「息がッ……、上がって、きたようじゃないか……」
「はー、はー。そうですねー。ッふ──僕の体力もう限界ですねーー。このままだとスタミナが切れて動けなくなっちゃうなー?」
「……道化の分際でッ! 弁えろ! 貴種の前に──超人の前にいることを!!」
魔弾、魔弾、魔弾。
当たらない。首だけ動かす。シア様に当たりそうなので槍で弾く。
「ステラッ!! シアッ!! その男を見つめろッ!」
なるほど考えた。
確かに、魔眼は僕には弾けない。
背中を向けた僕なんて、一瞬で燃やしたり凍らせたりして殺せるだろう。
「わ、わたし、わたしは……」
「…………ねえさま……」
だが、僕の背に隠れた、二人に動きはない。
一度も人殺しを経験したことがない子たちだ。自分たちの命を狙ってた暗殺者を、領主として殺そうと提案しながら、その顔からは目をそらし、体を小さく震わせていたくらいの、優しいひとたちだ。
「そうだ、おまえたちの内、こいつを殺した者を私の後継者と認め──」
黙れよ。
僕は、石槍をぶん投げて、喉ごと抉って壁に縫い止めた。
「ガッ──げ、ガアアッ!! スてラァ!! シアァ!! がボッ──がゲッ、こロ、殺セェッ!!」
奴の喉は再生される度に、歪んで、ひずみ、聞くに耐えない音になる。
長時間のやりとりのうちに、抉っては生え、もいでは生えを繰り返した手足は、既に縮尺がおかしなことになっていて、自分の体に刺さった槍を取ることも覚束ないようだ。
槍の推進力は止まらない。肉が膨張するのと拮抗している。当然僕にはそんな膂力はないので、これはメリーが雑によこした石が激ヤバなのを示している。
「しばらく槍と遊んでろ」
その間に、僕は後ろに向き直って、ステラ様とシア様を見た。
彼女たちは、やっぱり震えている。
僕と目が合うと、両手で目を隠した。
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ!」
「…………わたくし、はっ……」
……ああ、ほんと、見るに耐えないな。
「ステラ様。シア様。短い旅でしたけど、僕はまあ……、それなりに、つまらなくはなかったです。お二人は、どうでした?」
僕は、努めて明るい声を作った。
二人は顔を伏せたまま。自分の魔眼を、小さな手のひらで隠したまま俯いている。
「ス゛デ゛ラ゛ァアア゛アアアアアア!!」
「ステラ様は、けっこうお茶目なひとでしたね。それでも、根の部分はまじめで、冷静に色んなことを考えてる」
「ジ゛ア゛ァアア゛アああアぁ!!」
「シア様は。正直ちょっと、何を目的にしてるのかわからない行動が見られたりしましたけど。本当に追いつめられたとき、あなたはすごく意志が強い」
「殺セッ!コロせッ!! 殺せェッ!!」
「僕には親がいません。だから、お二人にとってあの気持ち悪い男がどれくらい大事なのか、ほんとのところはわからない。でも、大事な人に裏切られたら、どれだけ痛くて、怖いのかは、わかります」
──それでも。
いや、だからこそ!
「あなたたちは、選択しなきゃいけない」
さあ、足を上げて。
旅慣れず、何度もつまずいていた足どりは、王都に着いた頃には立派なものになってましたよ。
前を見て。
あなたたちは、領主代行として、誇りをもって日々を生きてきた。
──そして、僕を見て。
ここで何かを選べなければ、その痕は、きっといつまでも残ってしまうから。
僕は、二人の弱々しい手を掴んで、ゆっくりと降ろした。
震える二対の瞳が、汗でぐっしょり上着を濡らした僕を映している。
「今ここで。選択してください。14年間、あなたたちの尊敬できる親だった相手の言葉に従って、僕を殺して、そのまま隷属するか。それとも、あともう少しだけ、そこで目をつぶって、待っててもらうか──」
「……いいえ。おまえの提示する選択肢は、選びません」
──澱んだ空気を纏った寒気を裂くように、清廉なる冷気が辺りを白く染め上げる。
吊られた男の放った魔弾は、すべて氷の壁に阻まれ、六角形の氷華が宙に舞った。
「……オメガブルー、と名乗られましたか。あなたは、もはや。わたくしの敬愛する父、オーム・ディ・ラ・ロールレア・ソ・デロルではありません」
「シア様……!?」
ちょっと待って。僕は戦えなんて一言も──。
「……わたくしは、こどもではありません。こどもでは、ないのですよ。キフィナス。身内の不始末は、身内で付けるものです」
「……シア……」
「裏切っタか、シアッ! ……あア、イイとモ。おマエには、贄とナる栄誉をやロう! ロールれア家の後継者は──」
「ごめんなさい。お父様」
──異形の全身から、突如火が生えた。
肉が増える先から、燃やし、焦がし、灰に変えていく。
「スてら……!? なぜ!? 何故ダ!? そうか、貴ッ様かァアアああァアあああ!!! キさマが! 貴様が私の娘を誑かしタノだな!!」
……選択したのは、僕じゃなくて二人です。
子どもは、いつか自立するときが来るってことじゃないですかね。
「キサまさエいなけれバぁッ!! 我が娘はッ、幸フくニ──」
「わたしは。ロールレア家の伯爵令嬢である前に。シアの、たった一人のお姉ちゃんなのです。だから──お父様には、従えません」
ステラ様は、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、見とれるくらい優雅なカーテシーで一礼した。
──そして。
全身を舐めるように這っていた火は、
その勢いを増し、一本の炎の柱となり、
度重なる変異で人の形をなくした男を呑み込み、
辺り一面に散乱する死体をおだやかに焼べていき、
僕ら四人だけ残して、辺りのすべてを灰へと変えた。




