閑話・迷宮都市の様子
キフィナスが、アネットと対峙してから二日。
迷宮都市デロルは、治めている領主を失い、混乱のさなかにあった。
意識を取り戻した家令たちが、一時的な統治を代行し、憲兵隊もまた治安の維持に尽力している。
しかし人の口に戸は立てられず、民衆は好き勝手に騒ぎ立てる。
領主代行のいまだ若い──幼いとすら言える──姉妹は、この混乱を大きくは想定していなかった。
既に、治安維持のために一時的に拘留した人数は平時の3倍を超えている。
この混乱は、領主が戻りでもしない限り、収束することは難しいだろう。
既に王都にいるオーム迷宮伯には状況は伝わっているだろうが、王都には王都の政治がある。到着がいつになるかはわからない。
アネットは嘆いていた。
「まったく。ほんと。まじで。忙しすぎる……。キフィナスくんにも困ったものだよなぁ……」
──彼がせめて、事実無根であり、現在領主代行と行動を共にしていることさえ明かしてくれれば。
マオーリア家とロールレア家は昔から親交も深いし、二人の人命を第一にすれば明かせないという判断は了承できるのだが……。せめて憲兵隊で情報共有くらいさせてほしかったと、アネットは思う。
マオーリア家の早馬を何頭か乗り潰し、父に代行様からの手紙は渡した。キフィナスが無実であることは、既に伝達を済ませている。
この領地の周辺には既に情報が流れているだろうが、これならば国家規模での指名手配には至るまい。
「彼らが再び王都にか」と、少し複雑そうな顔をしていたのが印象的だった。
デロルのいち憲兵隊職員に過ぎないアネットに、これ以上できることはない。
そのことも歯がゆい。歯がゆいのだが、何より──。
「うあああああああ~~!! なんだ、なんであんなこと、あの子としちゃったかな゛ぁああ~~……!!」
年下の男の子に、自分は、なんと?
アネットの人生に残る羞恥であった。
(いや、でも、仕方ないだろう。だってあの、キフィナスくんが……)
あの、さびしい目をした狐のような青年が。
隙あらば皮肉ばかり言う、卑屈さを顔に貼り付けた子が。
あんなにも一生懸命だったから、ちょっと、ほだされてしまった。
(でも、わたしは、力になってあげることができない)
彼は、ひねくれてるのにまっすぐ立っていた。それを支えてあげたかったのに、立場が許さなかった。
マオーリアの騎士の伝統よりも、市井の──弱き人々を護りたいから、この道を選んでいたはずなのに、だ。
そしてきっと、彼にはアネットの助けはいらない。
それが嬉しくて、誇らしくて。……ほんの少し、悔しくて。
アネットは、幼い頃の泣き虫アネットに戻ってしまったのだった。
「……いや、ほんと、早く帰ってきてほしいんだけど、それはそれとして、どんな顔して彼と会えばいいんだわたし……」
* * *
* *
*
救貧院に巨額の献金が入ったと聞いて、アイリーンはまず悪意を疑い、次いで献金者の名前を聞いて愛の存在を確信した。
愛の人は、やはり愛の人だったのである。
(わたくしの目に、やはり狂いはありませんでした)
穏やかな寝息を立てる男の子の耳を、口を使って検温をしながら、彼が快方に向かっていることをアイリーンは喜んだ。
この子は、この間、胸病みの薬を無償で採りにいってもらっていた子だ。
世界は二通りに分けられる。愛と、それ以外と。
アイリーンは、世界には『それ以外』の方が遙かに多いことを知っている。
だが彼は違う。傍らの少女に寄り添う彼を一目見て、そこに大いなる愛の存在を感じた。
その見立ては果たして正しかったと言える。
アイリーンは教義に従って、彼におかえしをしなければならない。
愛薄き世界を、愛でいっぱいにしよう。愛ある隣人に花束を。右の頬に花束を送られたら、相手の左頬に同じだけの花束を。
我らが神は相互扶助を尊ぶ。それは対等でなければならない。
返せる物品はないが、彼が望むのならなんだってしよう。
そうした思いを抱きながら、再会のために冒険者ギルドに向かうと、ひとつの張り紙を見つけた。
《灰髪、中肉中背、男。ロールレア伯爵邸宅爆破・および領主殺害の罪。生死問わず》
そこに罪人として掲げられていたのは、まさしくアイリーンが愛の人と呼ぶ人物の名前であった。
冒険者ギルドとしては、国内に4人しかいないSランク冒険者、その内でも最強の冒険者であるメリスを罪人として扱うわけにはいかなった。
しかし、憲兵隊の目もある。妥協案として、キフィナスのみを罪人として掲示した。
当然ギルドに所属している人間は、キフィナスを見てメリスとの繋がりを考えるし、これはあくまで体裁を整えるための措置だったのだが──。
「こんなものはおかしいですっ!!」
(おかしいのはアンタだろ……。ああもう、どうすればいいかなぁ……正規住民だし、冒険者側から下手に手を出せないし……)
適応によって強い力を持つ冒険者には──領地それぞれで法律の実行力は大きく異なるが──さまざまな規制が掛かっている。
ここ迷宮都市デロルにおいて、冒険者は戸籍を所有している街の住民を害することを法律で禁じられているのだ。
ゆえに。
「あの慈悲深いお方が、高潔なお方が、間違ってもそんなことをするはずがないのですっ!!!!」
冒険者ギルド内で、話題に出すことも避けられているような評判最悪の相手をひたすら大声で擁護する街の住人に対して、どうにも扱いかねていた。
(ほんと、やってくれますよねぇいつもいつもいつもいつもっ! ギルドを通さない依頼をちょこちょこやりやがったせいで、こういう人が出てくるとはなぁ……!!)
アイツまじでウチらを困らせるつもりでやってるんじゃないだろうな、とレベッカは思った。
「あのー、おかしいと言われましてもですね、シスターさん? これは、憲兵隊からの通達であって……」
「憲兵! 憲兵がいけないのですねっ!?」
「ヤバさが跳ね上がったぞ……!? これ冒険者ギルドが民間人そそのかしたとかならないですかね大丈夫なやつですかね、なんなんアイツなんでいないのに問題起きるの!?」
──レベッカが混乱していると、一陣の白い影が疾った。
それは、すとんと足をかけてシスター・アイリーンを転ばす。
血の気の多い冒険者がついに民間人を力ずくで黙らせようとしたらしい。
(まずいまずいまずいまずいっ!)
レベッカは冷や汗をかいた。
ギルド内部で冒険者が民間人に手を出したなんて風聞が広まったら、冒険者と住民との軋轢が大きくなる……!
レベッカはなんとか先走ったバカをなんとかしようと──、
「聞いたぞ。異教の信徒。手前、女遣いが悪くない、と言ったな?」
凛とした涼やかな声。聞き覚えのある危険人物の声。
レベッカの汗はすごいことなった。
「はい。彼がそんなことをするはずがありません」
なんでこの人そこまでしてアレを庇うんだよ。
レベッカはわからない。ただ、汗が背中を冷やした。
「我に害されるとして、同じことを言えるか。妖剣千鳥が空を駆くれば、手前の首を落とすことも容易い」
なんでこの人そこまでしてアレを庇う相手害そうとするんだよ。
レベッカはわからない。腋まで汗をじっとりかいていた。
「おい師匠、アンタなにやって──」
「言えます。あの人は、悪くありません」
「──よく云ったッ!」
──きぃ、と甲高い鉄の擦れる音。
抜刀・千鳥。
必殺剣の軌跡は過たず、シスターの白い首を一直線に──。
「くくく。やはり、あやつの周りには面白い輩が揃うな」
白刃は、小指一本分の隙間だけ空けて、彼女の首元で止まった。
アイリーンはそれを、微動だにせず見つめていた。
「大丈夫かアンタ。師匠も……悪気があったわけじゃないんだ、多分」
(それなおさら悪いやつでしょ)
「はい。愛……ですね?」
(愛ってなんだ?)
「くはははは! 善い。気に入った。我はお前に同調し、その主張を掲げよう。──女遣いは無実だ! さあそこの冒険者ども!! 異論があらば我と死合おう!!」
収拾がつかない。
人斬りセツナもまた、迷宮都市デロル冒険者ギルドの厄介者の一人であり、彼女を止めるのはランクが上の冒険者が十人がかりでやっても難しいだろう。
つまり、今この場で止められる人間は……いない。
(とりあえず憲兵隊を呼ぶ準備と、供述の内容を考えておこう……)
レベッカは胃のあたりがズキズキと痛む。
そもそも、キフィナスの野郎はいったい今どこにいるのだろう……。
(メリスさんはいいなぁ……。高ランク冒険者なのに、あんなにおとなしくて、それでいてお人形さんみたいにかわいいんだ……。自分からトラブルを引き起こすことなんてほとんどない。高ランクなのに……! ああ、なんでメリスさんはあんなのと一緒なんだろう……)
今すぐ戻ってきて、なにやら意気投合し始めた厄介な人たちを受け持ってほしい。レベッカは強く思った。




