王都道中通り道・ダルア領
それから二日。
僕が所有している《高級キャンピングセット》と、ロールレア姉妹の氷と炎の魔術によって、旅に不自由はあまりなかった。
野宿生活において、柔らかい寝床と清潔さの確保は快適さに直結する。
逆に言えば、それを確保できるなら野宿もそこまで苦にはならない。何もないところから飲み水と生活用水を作り出せる炎と氷という組み合わせは、サバイバル適正がとても高いと言えた。
「理不尽よね。私たちのベッドよりも寝心地がいいなんて」
「まあ、ダンジョンの遺物ですしね」
「テント、と言ったかしら。この金属のところ、軽いのに強いわよね。すごく興味深いです。特性は? 加工難度は? 錆はどうかしら。どれだけの強度なら耐えられる?」
「詳しいことは僕にもわかりませんよ。専門家ではないですし、そこまで興味もないので。壊したくもないので検査をする気はないです」
「……姉さまは、やや風変わりな趣味をお持ちなのです。手間を掛けましたね」
「ああっシアっ。まだ仕舞わなくていいでしょう?」
「……一日でも早く問題を解決するという目的を忘れてはなりませんよ、姉さま」
僕は胸の中のメリーの髪を撫でながら、旅の用意をする。
昨日も僕が眠りにつくまで、ぎりぎりまでメリーの髪を撫でていた。どうも、本官さんへの対応がメリーのなでなで欲に火を付けたらしい。止めようとすると、万力のような力で僕の腕を頭に持っていこうとする。
あと、撫でてる最中、ステラ様とシア様がなんか僕の手をちらちらと見てるんですよね。指のひとつでも落とそうとしてるんですかね。怖い。
「……な、なんですか、その目は」
「それを言いたいのは僕の方なんですけど」
「……姉さま。不敬ではありませんか?」
「シアは今日も可愛らしいわね。こっちの荷物も片づけたし、変装も済ませてる。出発しましょう」
・・・
・・
・
山道を通った先。ダルアという小さな領地がある。
僕は政治関係に詳しくないけど、どうもデロル領とはあまり仲がよろしくないらしい。
多分、距離が近いのが悪いんだろう。適切な距離を保てないご近所づきあいはストレスを加速させるものだからね。
「……しかし、ダルア領から私たちの領地に関抜けをするような輩が入ってきていたと思うと……、複雑な心境ですね」
「いや、ここの関抜けは割に合わないですよ。宿もないですし。まず関抜けなんて基本何も持ってない人がやることです。お金持ってたら賄賂使いますし」
「黒い手口は知らないけれど。アネットが知ってて塞いでないってことは、そういうことなんでしょうね」
「魔獣が出ないって言っても、野宿は危険を伴いますからね。食べ物の用意が大変ですし、冷える夜風は体温を奪う。路上生活の方が遙かにいいです。なにせ天井がある」
天井がないって最悪です。それだけでまともな生活は難しい。逃げたくなる。
それなのに天井がないところにわざわざ来るってことは、それだけの理由があるってことだ。
もちろん、中には今の僕らのように黒い事情を持ってる人間もいるわけだけど。
「……やっぱり、ここにも路上で暮らしてる人がいるのね」
「そんなものですって。そんなことより、お二人とも、もっと堂々と歩いてください。不審ですよ」
「……おまえが、堂々と歩きすぎているのです。冒険者メリスを胸にかき抱く必要はあるのですか。気づかれてしまうのではありませんか」
メリーの顔を知ってる人はそんなに多くないですし、まあ多分大丈夫ですよ。あと、こうやって撫でてる間はメリーのDV来ませんしね。
僕の側からメリーにちょっかいをかければ生傷は減る。ただ、メリーがテンションを上げて体をぷるぷるしたりすると僕は壁に衝突し前衛的なダンジョンの遺物みたいになるので、あくまでこれもバランスである。
僕らは人混みを縫うように通りを横切る。
貴族のお二人は色んなものに興味を向けて歩調が緩む。あの建物の素材とか僕に聞かれても困るんですよ。
僕の頼りにならなさはもう見たでしょう?
「うちのアネットが優秀だった、ということじゃない。喜ばしいことです」
「……マオーリア家は武門の名家です。……次女の《ステータス》は、高くはありませんが」
「そもそも。私たちが頼りにしているところは、そんなところじゃないわ」
「ん。きふぃ。つよいこ」
話の流れを理解せずに入ってきたねメリー。僕をあまり買い被ってくれないでくれると嬉しいよ。
「どうぐ、つかわなかた」
「ああ。うっかり忘れてたんだよね」
「いちげきめ。ためらた」
そうだったかもしれないけどね? それでも実力負けでしょ。
迷宮都市の憲兵さんは優秀ですよ。いや、僕を物差しにするとここで石投げて当たる範囲の人間全てが優秀になるか。
やっぱそうでもないです。
「きふぃのつよさは。ようしゃのなさ」
容赦のあるなしじゃなくて、殺意が見えない雷は避けられないかなぁ。
……おっといけない。僕がメリーと会話してたら、貴族の姉妹を追い抜かしてた。
「どうしました?」
「ちょっとね。市井の人々は、どんな話をするのかなって。気になったのよ」
どうやら、今度は噂話が気になるらしい。道ばたで立ち話をする人々を物珍しそうに眺めている。
こういうの、どこの街にもある、ごくありふれたものなんですけどね。
「聞いたか? ロールレア領で事件があったらしい」
「なんでも、灰髪でにやけ面の男が館ごと領主をぶっ殺したらしいな」
「へらへら笑って館を空にぶっ飛ばしたらしい。しかも、まだ死体が上がってねえらしいぞ」
「あそこの憲兵は何やってんだよ」
「我らダルアの憲兵なら、もっと優秀だろうにな?」
あそこの憲兵のひとは、犯人の足取りをいち早く掴んでましたよ。
というかめっちゃくちゃやばい奴だなその犯人。こわ。
「…………早く行きましょう。姉さま」
「……そうね。有益な情報はなさそうだわ」
「え、もうちょっと聞いていきませんか? 犯人像とかすごい興味あるんですけどー」
「いく」
「あっちょっと手ひっぱらないでもげるもげるもげっいたいいたいはなしてはなして」
僕は噂話をする人たちから無理矢理引きはがされた。
「ええと、この調子で進んでいくとまた関抜けして野宿になりますけど。宿屋はどうします?」
「どちらの方が快適かしら」
「そうですね……、本当にピンからキリまでありますね。ひどい宿だと、ベッドシーツがろくに換えられてなくてノミとか湧いてたり。ここ数ヶ月僕らが拠点にしてるとこは、ご飯は美味しいですしベッドもふかふかで毎日清潔ですけどね」
「市井の人々は、そういった酷い宿でも受け入れているの?」
「耐えられない人もいますけど、宿屋の多くは酒場を兼ねてるので。下の階でお酒を飲めば細かいことは気にしない、って人種は世の中には多いです」
「そう。それなら後学のために──」
「姉さま。わたくしには、姉さまが後悔する姿が見えます。それに宿屋には複数の客がいるでしょう。安全の面から、せめて王都に着くまで宿屋は避けるべきかと。王都であればそのような宿も少ないでしょうし。あくまで安全面からの提言ですが」
「そう? シアがそんなに言うならやめておくけれど……あら? あれは何かしら?」
「ああ、屋台ですね」
黄ばんだ幌のいくつかの屋台が、通りに立ち並んでいる。
太陽が高いうちから動いている屋台はだいたい軽食を売ってて、だいたいどこの都市にもある。
「ウチでは見ないわね」
「いや見ますよ。どこでもあります。あー、まあ、お二人が見なかったというのは、営業許可を取ってないからじゃないですかね?」
「……無許可営業なのですか、これらは」
「必ずしも全部が全部とはそう言いませんし、法律も土地ごとに違うんでしょうけど。ほら、土台に幌を載せて日除けを作るだけだから、すぐに解体できるんですよ。だから憲兵にも目を付けられにくい」
「……営業税を払わないのは、問題ですね」
「『払えない』の方が多いと思いますよ。都市生活にはある程度まとまった金銭が必要ですから。税金取ったらあそこの通りで露天広げてる人たちの半分は生活破綻するんじゃないですかねー? 知らないですけど」
「なかなか耳の痛い指摘ね……」
「……しかし、税を払わない者に営業を許すことは、税を取っている者に対して不平等です。営業税の税収は大きく、都市の運営のために廃止することはできかねます」
「政治の話は僕にはわかりませんけどーー。とりあえず食べてみます? ウナギを名乗るヘビの串焼き」
「……商品の偽造すらしているのですか」
「わからない人の方が少ないですよ。この都市に水場はあります? あの痩せた老店主はダンジョンで魚を釣れそうな風貌ですか? みんなわかってて買うんですよ。結構美味しいですよ、ヘビ」
まあ、中にはわからずに買う人もいるんだろうけど? そういう人は、ウナギとヘビの味の違いだってわからないだろうしね。
だいたい、これを食品偽装なんて言ったら、僕の普段のおしゃべりはどうなってしまうんだろう。
「……おまえの軽口は問題なのでは?」
ええー?
「メリー、財布」
「ん」
「……えっ?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。今、流石に多様な価値観では許容しきれない闇が見えた気がしたのだけれど。あなた、女の子の財布を自分のモノのように扱ってるの……?」
「いや、メリーと一緒の時はこうしないとむしろ機嫌悪くするんですよ。ほら見てください。メリーすごく嬉しそうでしょう」
「ん」
「ええ……? いや、わたしには無表情にしか見えないのだけれど……」
「……姉さま。姉さま。こいつ。こいつ。わ、わたくしも財布を用意すべきでしょうかっ」
「……どうしましょう。なんでも知ってた、ずっとわたしのそばにいた双子の妹が、ずいぶん遠くにいってしまったわ……」




