デロル憲兵隊一般衛士アネット・マオーリア《挿絵あり》
関抜けができるような町外れには、当然周囲に住居なんてない。
控えめな虫の声と、僕らの衣擦れの音だけが聞こえる。
僕らのちょうど頭上にある丸い月だけが、この場における唯一の光源として、僕らを薄く照らしている。
静かで穏やかな夜だ。
「……ついてきてもらおうか、キフィナスくん」
アネットさんは、小柄な体躯に不釣り合いな三つ叉の槍を構えた。
彼女の明るい茶色の髪が、しんなりと揺れる。
「ごめんなさいね。先約があるので、ちょっと先いってもいいですかねー」
「つれないな。普段のように、おしゃべりしてくれたって──!」
メリーが一歩前に出る。アネットさんは、びくっ!と大きく跳ねた。
「メリー。下がってくれるかな。流石に、ここで君が出ていくのは違うと思うし」
「そ」
「ごめんなさい。流石にメリーと戦うっていうのはナシですよね。僕が相手です」
「……いや。いいんだ。君を捕縛するなら、本官は結局メリスちゃんとも戦わなきゃならないだろ。……わたしは、きっとメリスちゃんには勝てないよ。だけれど、ここで君たちを逃すのは、わたしの矜持が許さないっ!」
「……やっぱり、すごく真面目ですよね」
「それだけが取り柄だからな。……本官はっ、デロル領憲兵隊所属、アネット・マオーリア。いくぞっ!」
「そんなことはないと思いますけど……っと!」
三つ叉槍の突き。その速度は遅い。
これなら喉にカウンターを──いや、そうなったら重傷かも。ちょっと気が引けるし、ここは一旦かわし──、
「《紫電よっ! 以下、略っ!》」
「熱っ!?」
不意に穂先から放たれた紫の雷が、僕の身を焦がした。
僕はそのまま地面に倒れ込む。受け身を取り損ねた右手をしたたかに石畳に打ちつけ、僕は悶絶した。
「ったぁ……!」
特に右手がめっちゃ痛い……!
僕が床にはいつくばっている間、アネットさんからの追撃はない。
……ほんと、優しい人だな。元々そんなに強くない雷撃を、詠唱省略で更に弱めてくれるなんてさ。
それじゃあ蚊だって殺せるかどうかってところじゃないの? その優しさ、自分の首を絞めますよ。
僕は涙目を拭って立ち上がった。
「《紫電っ》」
槍から雷光が飛ぶ。
「あがっ……」
直撃した。避けられなかった。
僕は雷より早くは動けない。そして何より、雷より早く動ける生物どもの攻撃と違ってアネットさんには殺気がなさすぎる。読めない。
僕は衝撃で倒れる。やっぱり右手を打って悶絶する。
「あ゛ー……、その、なんだ……」
「なんれふかそのめ……」
うわ、感電して舌が上手く回らないぞ……。
手足がふらふらする……。
「…………。しでん」
アネットさんが直立のまま槍をビビビってした。僕はビリビリってなった。
立ち上がる。
ビビビってした。ビリビリってなる。
……立ち上がる。
ビビビした。ビリビリなる。
…………立ちあがる。
ビビビ。ビリビリ。
・・・
・・
・
天頂にあった月は既にはるか西におりて、
空は少しずつあかるくなっていた。
「……な、なあキフィナスくん? その、そろそろ……、な。いいだろ? 話してくれよ?」
「はぁ……、は…………、いいって、なにがれふか……」
びびび。びりびり。ばたん。
ぼくはたちあがる。苦境を相手にきどられないように、にた、と笑顔をつくった。
「……あのさぁメリスちゃん! ちょっとこの子見てられないんだけどぉ!?」
「つづける」
「なんでぇ!?」
「きふぃは。あきらめてない」
……そうだ。僕はまだ、あきらめてない。
僕なんかをみとめてくれた、みる目のないひとたちのためにも、諦めるわけにはいかない。
アネットさん個人なら、僕の知り合いの中でメリーの次ぐらいに信用できる相手だって言ったっていい。だってこの人は、ほんとに、バカみたいにやさしいから。
──でも、相手の息がどこまでかかってるかわからない。
僕は、弱っちい僕にできる全力を賭けて、あの子たち二人を助けてあげないといけない。
だから、アネットさんに喋れることはない。
僕は立ち上がろうとして──体勢をくずして、大きくつんのめって……、それでも立ち上がった。
そこに雷が飛んでくる。
びびび。びりびり。
衝撃で、僕はやっぱりぶざまにたおれる。
アネットさんは、たおれた僕をつらそうに見つめながら、大きなため息をつく。
「……お願いだからさ、これ以上、立ち上がらないでくれ。この魔導さすまたは、見ての通り、相手を無力化することができる武器だろ。今度起きあがってきたら、わたしは、これで君を刺っ……捕縛することになる」
ぎまんでしょそれ。おやくしょことばでしょ。どう見ても三つ叉やりでしょ。
さすまたって二つに分かれてるものでしょ。何その、凶悪なかえし。お腹にささったら抜けなくなるやつじゃん。
……この位置だと、僕のこうげきは届かない。僕はいっぽ前に出た。
「止まれっ!」
なんでつらそうな顔をしてるんですか。
僕はまえに出た。
「なあっ……、なにかっ、何か事情があるんだろ? わたしができることは少ないかもしれないけどさっ、話してくれれば、何かできるかもしれないだろっ!?」
「な……、んですか、それ……」
「わたしはっ……、本官は、キフィナスくんがそんなことをする子じゃないことくらい、じゅうぶん知ってるんだっ」
「そんなの……、わかりませんよね」
「わからないわけないだろっ!? 君は素直じゃないし、態度はいちいち悪いしっ、わたしの手をいつもいつもいつもいつも煩わせてくれるけどさぁ!!」
一歩前に。
「とまれよぉっ! 止まれってぇ……!」
一歩。
「とまってよぉ……」
僕は、止まらない。
見る目のない貴族様方には、いくら情けないところを見せたっていい。いくら失望されたっていい。
でも、あのひとたちに危険がおよぶなら、止まるわけにはいかない。
僕は『助けて』って言われたんだ。
メリーじゃなくて、僕に『助けて』って言ったんだ。
「きみはっ、よわいひとに゛っ……、だれかに、やさしくできる子じゃないかよぉ……!」
──届いた。
「……なんで、そんな顔してるんですか」
「なんでそ゛ん゛なこともわかんないんだよぉ……! なんできみ゛はっ、こんなときでもっ、えがおなんだよぉ……!!」
アネットさんは、大きな目をうるうると潤ませて、ついには槍を取り落として泣き出してしまった。
「う゛ああああーっ! ずっ、あう。あ、う、う゛あ゛あ゛あ゛あぁーっ!!」
この人泣き方下手だな……。こんな夜中に大声出したら、迷惑になりますよ。
「い゛い゛っ゛! どう゛せこのあ゛たりに人な゛んて通らないも゛んっ!!」
もんって。あなた僕より年上でしょ。
……はあ。まいったなぁ。
こんなに隙だらけなのに、まるで手が出せない。
とりあえず、早く泣きやんでくださいよ。みっともないですよ。そんな大粒の涙をぼろぼろ零したりして。
「……なでろ」
「はい?」
「…………いーから、なでろ」
ええ……?
・・・
・・
・
「……わたくしたちに一体何を見せつけようというのですか、おまえは」
「あなたは……、し、シア様っ!?」
「しーっ……。声が大きいわ、アネット」
「ステラ様もっ……!? なあキフィナスくんっ、これはいった──失礼しました、代行様方……」
アネットさんはいつものように大きな声を出そうとした後、ハッとして口を塞ぎ、それから僕の胸から出ていった。
二人が髪を染めて変装しているのを見て色々と察したらしい。この人理解は早いんだけど、いちいちリアクションが大きいなぁ。
「……え。あの、なんで出てきたんですか。隠れててくださいよ。話すんですか? あのー、僕。これでもけっこう頑張ったつもりなんですけど」
「話すわ。アネットなら信頼できる……、いや、ダメね。私じゃきっと、誰も疑えないから。話すかどうかは、シアに判断してもらったの」
「……マオーリア家の次女であれば、家格も十分です。先ほどの無様な、実に無様な戦いで、貴女が信頼できると判断しました」
「無様を強調されても。僕は弱いって言ってるじゃないですか。あと付け加えるとーー、その判断がもう少し早ければー、僕は痛い思いをしないで済んでたと思うんですけどーーーー」
「おいっキフィナスくん! そのしゃべりかた代行様に失礼だぞっ!」
「いいのよ。アネット。少なくとも今のところ、私たちは同等の立場なの」
「……私たちは、そこの冒険者と行動を共にしています」
「キフィナスくんとですか? どうして……」
「うちの使用人の中に、信用できない者がいるかもしれないのよ。だから、問題が解決するまで協力を依頼したの」
「えとっつまりっ!やっぱりキフィナスくんの容疑は冤罪なんですねっ!?」
「……そうなりますね。むしろ、わたくしたちは命を救われた側です」
「よかった……! じゃ、じゃあ、本官は今すぐそれをウチの方に──」
「ダメです」
僕は本官さんにストップをかける。
「指名手配されている方が自由に動けます。僕の容疑を晴らすためにはお二人の証言は必要不可欠ですが、それは後からでもいい」
「だけど、それじゃ君は誤解されたままだろ? そんなの……」
「──そんなの? 別に慣れてますよ、そんなの」
「……君は、こんな時も笑うんだな……」
僕がそう言うと、どこか悲しげな顔をした。
「……ともかく。おまえの意見は知りませんが、上の立場の人間はこれが狂言であることを知っている必要があります。冒険者メリスが社会に敵対することは、国の危機です」
「あー、そうですね。確かに、メリーに汚名は着せたくないです」
「べつに。めりは。い」
「よくないよ。それだけは絶対に良くない」
「さっきのダンジョンのやつで確信したわ。国軍を動員しても、勝てるかわからない……いや、無理でしょうね。足を振り下ろすだけで空間のすべてを破壊する相手に、勝てるビジョンが見えません」
「そうでしょうそうでしょう。メリーはすごいんですよ」
「あなたの妹煩悩はよくわかりました。それより、アネット。これ」
ステラ様は、本官さんに一枚の封蝋付きの手紙を差し出した。
「現状と、今後の指示について書いてあるわ。あなたの父君、王国騎士団・近衛兵長ベネディクト・マオーリアに。届けてもらえるかしら」
「はいっ。必ずや届けますっ! 本官にお任せあれ!」
手紙を恭しく受け取った本官さんは僕に向き直ると、大きな目でばち、と大げさなウインクをして全速力でその場を離れた。
本当にわかってるよね……?
「……おまえ。マオーリア家の娘と随分親しかったですね」
「ええまあ。アネットさん、なんていうか普通にいい人ですしね。あっちがどう思ってるかは知らないですけど、仲良くしたいと思ってますよ」
「あねと。いいやつ」
「ほらメリーまで褒めてます。これはなかなかないで──」
「きふぃ」
「なんだいメリー」
「あねと。なでたぶん。めりも」
え。なにそれ。
そういうシステムあるの?
「ある」
あるんだ。まあいいけどさ。
ほら、じゃあここ。僕の膝の上座って。ゆっくりね。ゆっく……痛い痛い。ほんと困った子だな君。
それじゃあ、まずは手櫛で髪の毛をほどいてあげようか──。
「……わ、わたくしも、なでる権利を要求します」
「じゃあ私も。面白そうね?」
「なんで並んでるんですか……。これ終わったら寝るつもりだったんですけど生活リズム乱れるなぁ……。あの、やってもいいですけど、後で不敬罪とか言わないでくださいよ。ほんとに」




