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アネットさんがオチそう



 ダンジョンの入り口は、不気味な偉容をたたえている。

 《適応》の進んでいない僕すら、肌にびりびりとした感覚がある。

 それだけで、今から潜るダンジョンのランクが高い──つまり、危ないことが本能的に理解できてしまった。

 適応を進めまくってると、この感覚もより敏感になるらしい。それこそメリーなんかは、この国で生成されたダンジョンなら全て感知できるくらいだ。

 僕はこの感覚常に味わうとかすごい嫌だなって思うけど。


「こ、ここが例のダンジョンだな……」


 アネットさんの様子がやっぱりおかしい。

 頬の紅潮は興奮状態にあるからだろう。肩に力が入っているのもわかる。

 それは──ここを死に場所にしようとしているからだろうか。


 思えば、アネットさんの格好は相変わらずダンジョンを舐めているようにしか見えない。

 忠告に従って、靴は滑らない革製のブーツにしてくれたのはいい。


 けど、いつものなんかゴテゴテとした制服を脱いで、厳めしい重装鎧を着ているのが問題だ。

 こういう鎧は可動範囲が狭くなるし、探索に向かない。よっぽど適応しているなら話は別だけど──少し重そうにしている。


 まず、アネットさんは小さいのだ。下手するとインちゃんの方が背が高いかもしれないくらい小さい。

 サイズの合わない防具を、足下が不安定なダンジョンで着てくるとか問題しかない。

 そもそも、今回は目的の薬草──《トライアグラ草》を回収したら、そのまま帰るオペレーションなのだから、重装鎧の出番はない。


 やはりこれは、僕の見立てに間違いはないだろう。

 アネットさんは──多分、自ら死を選ぼうとしている。


「まちがい」


「いやいやメリー。『間違い』なんて言葉で、人の選択を片づけるべきじゃないよ。それがたとえ、どんな形だとしてもね」


 僕は用意していた薬湯をアネットさんに差し出した。

 どうぞ。


「え。どうした君突然」


「僕は……アネットさんが心配なんです」


「本当にどうしたッ?!」


 アネットさんは凶悪犯罪者に偶然出くわしたかのように動揺している。

 この反応は僕に本心を気取られたからか……?


「いいんです。いいんですよアネットさん。僕は、あなたの選択をすべて尊重しますから……!」


「このダンジョンの影響か!? キフィナスくんが既におかしいぞ……!」


「僕はいつもの通りだと思いますけど」


「まずわたしを名前で呼ぶのがおかしいっ! きみ、わたしの名前覚えてたの!?ってなったわ!」


「その程度のことをおかしいと思っているなんて、やっぱり今日のアネットさんはすごく繊細になってるみたいだな……」


「この子に同行すんの!? ねえ今のこの子に同行すんの゛!?」


 アネットさんが錯乱している。やっぱりおかしい……。

 どうしようメリー。話してもこんな調子じゃ──、


「お耳が冷たくなっていますね?」


 は? どうしたんですか宗教のひと。

 突然人の耳に触らないでください。

 耳冷たいのとか当たり前でしょう。外で待ってたんですから──?


「はむっ♪」


 うわぁっ!!

 なんだこの女!? 突然僕の耳を口に!?

 うわ生暖かさがシンプルに気持ち悪い! 舌先が耳穴を撫でる感覚が嫌! 病気になりそう!


「めりも。する」


 やめっ──やめて! 耳が!吐息のぞわぞわと同時に鋭い痛みが! 歯は!歯はダメだって! 耳もげる! もげる!

 耳でメリーの体重支えられるわけないだろ! いくら君がチビだっていっても限度が──!


「ぴぴーーっ!! 君たちやめないか!! キフィナスくんしゃがんじゃったろ!」


 あっよかった助かる! アネットさんお願いします! 僕の右耳はなんかねちゃねちゃするし、左耳の感覚はもうほとんどないんです!!


「あねとも。する?」


「すっ……し、しないっ! やめなさい君たち! 風紀が! 風紀が悪くなる! ほらっ行くぞ!」


「わっ、ちょっ、アネットさ──」


 僕ら三人は、アネットさんに押し出されながらダンジョンに入った。


 ──強引に空間をねじ曲げて、自分の存在をねじ込むような感覚。

 ダンジョンに入るたびに感じるそれは、やっぱりいつまで経っても慣れないし慣れることはない。

 メリーは平然としてるけど、隣の二人も僕と同じ感想のようだ。

 すっごい不快そうな顔をしている。僕は不快感を共有できる相手を見つけてちょっと楽しくなった。




「なんだこの断崖絶壁……」


 アネットさんは、ダンジョンに足を踏み入れ、開口一番にそれを口にした。

 足場はぴったり四人分のスペースを残し、これ以上人が増えれば踏み外してしまうだろう。

 こういう『初見殺し』は、意外と少なくない。冒険者ギルド全員でみんな仲良く手を繋いでダンジョンに入らない理由のひとつである。


「いや、なんというか。《サキュバスの巣》って言ったら、もっとこう、なんだ──いや、なんでもない。アイリ女史の目がいやだ」


「うふふ♪ どうしましたか?」


「なんでもないっ!」


「ダンジョンの名前は、必ずしも実態を反映しませんから。こんなところに巣を作るのは、コウモリか煙か、あるいは煙に準ずるバカのどれかでしょうね。全部かもしれないな」


 僕は適当なことを言いながら、アネットさんが身を投げないようにしっかり抱き寄せる。


「ひゃうっ! にゃ、なにする゛っ!?」


「いや。──アネットさんが、落ちそうだったので」


「わ、わたしはオトされそうになっている……? これも、このダンジョンの魔力なのかっ……?」


「──アネットさん。あなたには、このダンジョンで目的を達成した後、決断することがあると思います」


「え? な、なんの話だ……?」


「僕はその決断には、何も言いません。ですけど、僕はあなたが決断するまで、絶対にあなたを守り抜きますから」


「え? え? わ、わたしはなにを決断しちゃうの? されちゃうの?」


「愛ですね♪」


「あ。宗教のひとは勝手に死なないようについてきてくださいねー。余計なことしなければ、まあ、死ぬほどのことはないと思いますので」


 僕は耳を隠しながら言った。

 この不安定な足場の中でやられるのは普通に加害行為だ。最悪死ぬ。


「で、どうするつもりなんだ。キフィナスくん。まさかこの断崖を降りようってんじゃ──」


「降りますよ。《極楽蜘蛛の生きた腹部》から命綱出しますのでちょっと待っ──」


「ん」


 えっ。ちょっと待ってメリー。


「め、メリスちゃんなにを早まって──!?」


 …………メリーが、断崖から身を投げた。




「おい!? 大丈夫なのかあれ!!」


「っ──。やばい……! 今はメリーの心配より、地面にしっかり捕まっててください!!亀みたいに!!」


 叫びながら僕はアネットさんに覆い被さった。

 小さな体躯が、僕の胸の下でじたばたと震える。


「ひゃっキミ顔ちかい顔ちかっ──」


「抵抗しないで! すぐ衝撃が来ますっ!!」


「まあ! 情熱的な愛ですね♪」


「あなたも伏せて! 死にたいなら立っててもらってもいいですけどね!?」


 まずいまずい。

 元々は命綱を作って下にゆっくり降りるはずだったのにメリーのせいで全てが狂った。

 やばいぞこれどうなる。やばい。多分足場は崩れる。崩れるとして、こうしてしがみついて……やばいか? やばい。やばばばばば──、



 ──べごん。

 爆発的な衝撃が、地面から断崖の頂きに向けて駆け抜けた。




 衝撃が地面を伝わる。衝撃点を中心に、破壊が広がっていく。


 べき、という音と共に、立っていた平面がそびえ立つ断崖からずり落ちた。

 僕らは必死に足場にしがみつく。

 僕の真横にあるアネットさんの顔は赤くなったり青くなったり忙しい。


 必死だ。とにかく必死だ。



 世界のすべてが、スローモーションになる。

 一瞬が引き延ばされる。僕は両手に力を込め、とにかく、しがみついているが──世界に広がる、破壊の波は、収まるところを知らない。


「あっ」



 僕は、必死にしがみついていた足場が、粉みじんに、砕け散るのを見た。



 地面を伝わった衝撃は、断崖絶壁の全てを跡形もなく砕いてもまだエネルギーを残していたらしく、僕ら三人を遥か宙へと跳ね上げた。



 ……最初からわかっていたことだけど。


 メリーにとって、岩盤とビスケットに区別を付けるのは何の意味もない。


 どちらも簡単に砕ける。



・・・

・・



 僕が意識を取り戻すと、そこは一面の花畑だった。


「これ」


 辺りには、メリーが引きちぎった草の残骸が転がっている。


「間違いありませんっ! お目当ての《トライアグラ草》ですっ!」


 僕よりいち早く目覚めていたらしい宗教の人は、草の形をかろうじて残したゴミに一切目もくれず、お目当ての薬草を摘んでいる。

 たくましいなこの人。


「……ねえ、メリー?」


「しょーとかっと。じたん。らくらく」


 ショートカットじゃないんだよメリー。

 時短じゃないんだよメリー。

 楽々じゃないんだよメリー。


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