勘違いミルフィーユ・多層
「《サキュバス》って、そ、その、アレか。あの、魔物か」
以前押収した証拠品のうち、気になる描写の図書があったことを、アネットは今も覚えている。
けしからん、破廉恥な、目を離せぬ──さる黄色本に書かれていた物語に登場していた魔物の名前だ。
その出版物自体には違法性はなく、今もアネットが所有している。
「ええ。有名な魔獣の名前が付いた、すごく有名なダンジョンですけど……、どうかしました? 本官さん」
「いっ……、いや゛っ!? なんでもないがっ!?」
有名な魔物ってことは……えっちなやつだ。えっちなやつだっ!
アネットは魔物の知識がない。だから、生態なんかはよく知らないけど、あの本では色々やっていた。町中であんなことやこんなこと、それから──そんなことまでするなんて!
すごく過激な本だった。思い出すだけで、アネットの頬は熱を持ってしまうくらいに。
「まあ、『薬草を採ってくる』なら、いつも僕がやってることではあるか……。あの、もう一度聞きますけど。苦しんで、痛がってる子がいるんですか?」
「はい。まだ9歳の男の子で、胸を悪くしていて──」
「詳細はいりません。……はー。聞いちゃったからには、だなぁ……。ごめん、いいかな。メリー」
「ん。きふぃ。いいこ」
「やめてやめて脳が揺れるかべばぼめてやめべば」
恥ずかしがっているのか、なんか嫌がってるキフィナスくんが無表情のメリスちゃんに撫でられている。
うん。実に、今日も仲良しさんだ。
いつも心温まる光景だなぁと、この子たちを見ているアネットは思う。
キフィナスくんは机に軽く突っ伏した後、アイリーン女史に向き直った。
「……ええと。アイリーンさんでしたっけ? 条件を呑んでくれたら、協力してあげなくもないですよ」
「本当ですかっ!? ではいきましょ──」
「話を聞いてください?」
「なんでも呑みますっ!」
「っ! おいキフィナスくんっ! 女史はなんでもと言うが紳士的な──」
「話を聞いてください? 今説明するんですけど?」
そう言うとキフィナス君は、いつもの笑みを消した。
「まず先に断っておきますけど。僕は七流冒険者です」
「でも、冒険者さんなのですよね?」
「そうでもないです。少なくとも心は違います。付け加えて僕の隣の子──メリーは、あくまで付き添いです。僕の協力は、メリーの協力ではありません」
「はい。それが?」
「僕はただ、とある薬草を採るのを手伝うだけです。目的のもの以外、たとえ石ころひとつでも持って帰ろうとしたら、その時点で僕らは帰ります。更に、あなたはお金を払わない代わりに、ダンジョンに直接行って、命の危険を、痛みと恐怖を味わうリスクを背負う。……この条件でいいんですか?」
「勿論ですっ!」
「ここまで同意してくれたなら条件はひとつ。──冒険者ギルドに聞かれたら、僕は全然役に立たなかった、って報告してください」
──それは愛ある行いではない!とアイリーン女史が立腹し、再度アネットが二人の話を仲介することになった。
「押し売りみたいな真似されても迷惑なんですけどー」
キフィナスくんは、割とどうしようもないレベルでひねくれものだ。自分の所属する組織に不信感しか持っていない。
もともとキフィナスくんは極端に恩を着せるのを嫌がるところがある。アネットとしてはその態度が嫌いではないのだが、アイリーン女史……アイリ女史と噛み合っていない。
「愛は見返りを求めるものです! 一方的に何かを貰うのも、与えるのも、愛ではありませんっ!」
一方アイリ女史は、割とどうしようもないレベルで純真素直らしい。
アイリ女史のことはよく知らないが、その主張には同意できる部分がある。アネットとしては共感できるところも多いのだが、キフィナスくんと噛み合ってない。
このひとたちめんどくさい。
どちらも人格としては好きになれるんだけど、とにかくめんどくさい。
間に立ちながら、アネットはどっちか引けよ我が強いなと思った。
・・・
・・
・
だいたい40分くらいかけて、二人の話し合いは無事終わった。
アイリ女史はキフィナスくんを高潔だ愛のひとだと褒めそやし、どんどん相手の好感度を上げていったが、キフィナスくんは僕は低俗だ宗教のひとには話が通じないのか?とどんどん相手への偏見を強めていった。
メリスちゃんはキフィナスくんとじゃれていた。アネットと同じく立場は中立のはずなのに、なんだか気が楽そうで、うらやましいなと思った。
「ふう……」
最終的に話はまとまり、彼らは今からダンジョンに行くという。
でも、これだけの時間をかけたにもかかわらず、人と人とがまるでわかりあえてないことに、アネットはとても悲しい気持ちになった。
しかしこれ以上、いち憲兵として彼らに干渉できることはもう──、
(……いや、でもなぁ)
つい先日、なんかこう、倒錯的なことをこの子たちはしていたということを、アネットは思い出した。
監禁って。拘束って。
ちょっと衝撃的だった。にゃんこってあんなに可愛いのに獣肉食べるんだ……って感じだった。
(そんな子たちを……サキュバスの巣に? それは倫理的にも、なんか法律的にもマズい気がする……)
分別のある大人として、監督する責任があるんじゃあなかろうか。
「ほ、本官も同行させてもらうっ! 余りに余っている半休使うからっ、君たちに協力させてくれっ!」
「は?」
キフィナスくんは、アネットに絶対零度の眼差しを向けた。
「……一応聞きますけど。その格好でダンジョン潜るつもりですか?」
「そのつもりだが」
「えっ邪魔……。あー……ええとー……、本官さんってこの頃、なにか大きな借金を返せなかったり、人間関係で大きな心配事を抱えたりしてますか?」
「ん? うん、まあ。あるかないかで言えば、あるかなぁ……」
「えっ……? あ、アネットさん? 本当に?」
「ああ、まあ……、うん……」
アネットには、キフィナスくんの人間関係について大きな心配事がある。
「まあ! 公僕の方、よろしければご相談に乗りますよ? 世界への愛を思い出しましょう?」
「いや、こういうのは無関係な第三者に相談するわけにも……」
「……そっかぁ。アネットさん、そんなに困ってるんですね……。でも、滅多なことは考えちゃダメですよ。熟慮の上の選択だと言うなら、僕なんかじゃ否定することはできませんけど──」
「何か大きな勘違いをされている気がする」
「とりあえず。宗教のひともアネットさんも、ブーツだけは新調してください。足下に気をつけないと死にま……あっ今のなし! とりあえず、とりあえず滑らない靴を買って履いてください! そんな靴で入ろうとか自さ──ええと、とにかく、僕は現地で待機してます!」
「何か壮大な勘違いをされている気がする……!」
「結構マズいんじゃないかな……」
正直、アネットさんがそんなにストレスを抱えているとは思わなかった。
まさか、あの《サキュバスの巣》に、支給された装備のまま行こうとするくらい追いつめられてるなんて……。
そんなの、積極性の高い自殺行為じゃないか。王都の時計塔の上から飛び降りるのとほとんど同じだぞ。
せめてブーツだけでもまともなの履いて! って忠告はしたけど……。
「とはいえ、それが彼女の選択なら僕は尊重するべきで……いや、しかしいつもお世話になっているわけだし……」
「きふぃ」
「ああメリー。どうしたの。今、ちょっと難しい考えごとをしてたんだけど」
「あねとと。もっとかいわ。する」
え? いやでも、今僕が話すのはどうなんだろう。
僕がアネットさんに影響を与えるのは、なんていうか誘導というか、あの人の決断を歪めるんじゃないだろうか。
はっきり言って、今まで僕が出会ってきた中でぶっちぎりお人好しのあの人に対してなら、やろうと思えば口先だけでどっち側にだって転がすことができると思ってる。
誰かを言いくるめるのは得意だ。
でも、そんな人間が会話をするっていうのは、選択を誘導することに繋がるんじゃないだろうか。
それは、あくまで彼女自ら選び取るべきもので──。
「きふぃは。ときどき、おばか」
え。何。いきなり罵倒されるいわれはないと思うけど。
確かに君のINTだかいう数字はやたら高いらしいけど、僕にはそんな欺瞞は……ちょっと! 聞いているのかいメリー!




