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坩堝


 10年前に迷宮と化し、100万人の死者を出した呪われた地、旧王都グラン・タイレル。

 40のダンジョンにおいて地図を作成し11の非資源化ダンジョンを踏破した新進気鋭のB級冒険者、お喋り刃のチャックは、全身に積もった灰に埋もれながら思う。

 既に指一本さえも動かす余力はない。


(クソッタレが……っ)


 失敗だった。

 辺境から王都への移住した、冒険者二世の出である彼は、真っ当な市民権のために──毎日横線が引かれるような冒険者名簿ではなく──拠点にしていた王国南部、迷宮都市バルバレイから離れ、この王都奪還という依頼に参加していた。


(クソッタレが!)


 大失敗だった。

 迷宮兵装にして彼の相棒であるエーテルカッター=ウィルソンは、その刀身を折られて二度と軽口を叩けなくなった。


「くそっ……たぁ……」


 悪態を吐くために開いた口へと無味無臭の灰が流れ込み、冒険者チャックはただ沈黙した。



・・・

・・




 彼ら10万人が《灰燼》に巻かれるより以前。彼らの体感時間にして50時間程度。

 この上なく失敗だったと、列に並ぶ誰もが思った。


 彼らの内ほぼ全員が、10年前の災禍を伝聞でしか知らない。

 「王国の最強戦力である近衛騎士が指揮する集団戦」「勝機は大いにある」──無責任に喧伝する吟遊詩人たちの言葉を真に受けて、こんな死地に連れ込まれてしまったのだ。


 旧王都第一層の絶対時間は圧搾され、延伸され、伸縮していた。

 ダンジョン内部において時間は一定に流れない。時間とは存在が劣化する知的生命が生み出した尺度に過ぎず、その地にある想念の濃淡で時間経過の性質が異なる。

 楽しい時間が早く過ぎるように、苦しい時間が長く続くように、個人の持つ時間とは一定のものではない。

 そして、今ここには10万人の苦悶が集まっている。


 故に彼らの周囲、旧王都第一層における時間は相対的に停止している状態であった。

 彼らが体感する苦悶はより長く引き伸ばされているが、それは外界の時間にして1秒にも満たない。


 体力が尽き、人々は次々斃れていく。

 だが、足を止める訳にはいかない。


「足を止めるな! 前に進め!!」


「押し返せぇええええ!!」


 大地に撒き散らされた悪竜の燃える血が、腐ったはらわたを焼く臭いがした。熱風が悪臭を運びながら頬を焦がし、身に纏う鉄鎧を赤熱させて肌を焼く。

 それでも誰もが前へと進む。


 目前には、地平線まで群れなす醜悪なヒトガタの姿がある。

 斬って進めば、真っ二つに分けた骸を足場にして次が迫る。

 それらを奥へ押し込むため、一歩ずつ一歩ずつ進んでいく。


 最前線の者は皆、思い思いの武具を手にして、目前の敵と相対する。

 剣持つものはそれで斬り、槍持つ者はそれで突き、斧持つ者はそれで崩す。統一された兵科などはない。冒険者チャックは、罅の入った相棒の刃にこびりつく血肉を鮮血で洗い前へと歩んだ。灰の大平原を越えた元帝国兵士のリーンハルトの槍は、穂先が欠けていて肉を貫く推進力は既に失われていたが前には歩めた。木樵ギルドの力自慢のギデオンは過労から斧を取り落とし、既に戦闘能力はないがそれでも前へ前へと歩を進める。

 後列の者が、両手でその背中を押していくためだ。

 それは参加者に一歩でも前に進ませるための約束事だ。


 後列から合図なく飛ばされた火炎魔術が木樵の背を焼いた。

 誤射である。ギデオンはうぎゃあと鳴いて地を転がって、そのひとつ後ろに並んでいた、身の丈に合わぬ重装鎧を身につけた甲冑ギルドの見習いに頚椎を踏み折られた。

 左隣のギデオンへの誤射を受けて種苗ギルドのシモーヌが後ろを振り向くと、隙だらけのシモーヌの身体にヒトガタが飛びつき地面に押し倒され、抱擁によって全身の骨を砕かれる。すぐ後列にいたC級冒険者、銀鉞ぎんえつのミルドによって、地に伏したシモーヌはヒトガタごと踏み砕かれた。

 組み合う白兵戦よりも攻撃範囲が広いため、どれだけ誤射をしようが魔術の行使は止まらなかったし、心なしか帝国人への誤射は多かった。


 どれを取っても、およそ作戦とは呼べまい。


「あっ、がっ、と、とまっ……」

「ああああああ!!重い重い重──ぎっ」


 足を止めれば──ひとたび体勢を崩しでもすれば、後ろに並んでいた数百人がすぐに自分を踏み潰す。自分のひとつ前がまだ生きていようがそうではなかろうが、その自然の摂理に関係はない。

 隣の列もそうしている。ひとつ前の人間もそうしている。何より、次は自分が押される番なのだ。

 まだ次元の扉に入ってもいない最後尾の者──危機感の欠如した貴族たちを除いて、ここにいる誰もが、背中に掛かる手の重さを感じている。

 それなら、一歩でも前に踏み出した方がいい。前や隣の誰かのように、踏み潰され、燃え盛る大地の熱に焼かれずに済む。

 迷宮都市生まれの二世冒険者として、学ある冒険者を自称するチャックもまた、そのような冴えた考えを抱いていた。


「あ、ああああ! 転んだだけなの、まだ立てっ……」

「前にぃいいいい!! 進めえええええッ!!」


 鬨の声が脱落者の声を覆い潰す。

 彼らの罪悪感も倫理観も、打算と熱狂と非日常、そして女王が持つ──効力の薄い、されど効果がないわけではない──スキル《カリスマ》によって既に麻痺している。

 タイレル王国には久しく戦争、大規模な人員を動員する戦闘行動はなかった。力を持つ個人が集団のそれを遙かに超越する世界において、集団戦という概念は基本的に非効率である。

 魔術の一撃で、一団を壊滅せしめることが可能なのだから。


 作戦立案者はそれを承知の上で、それでも人命を消費可能な資源とすることを選択した。

 魔術の使えない肉の壁を前に前に進めて、血と骨で橋頭堡を築くのだ。



「あああああ!! やめてくれっ! おれは、ただの革職人でっ、こんなことになるなんて……」


 戦争と呼べるほど、彼らの行動は洗練されてはいない。

 だが、この高揚が生じさせた悲惨な一幕は、確かにこれが戦争であると言えるだろう。



* * *

* *

*



 この戦列の最前線は、王国への同化を約束された帝国流民や、替えのきく者たちの集団だ。個人の戦闘力など考慮されず、その列の戦闘力には大きくばらつきがある。

 既に王国市民や後詰めの冒険者が先頭に立つ──既に多くの者が踏み潰された列もある。


 それはひどく悲しいことだ。

 ひどくひどく悲しいことだ。

 どこでもある悲しいことだ。


「歓迎されているのですねえ」


 そこに混ざるアイリーンは無手だった。


 まるでダンスでも踊るように、醜悪なヒトガタの肩を掴んで一歩ずつ前に進んでいる。

 隣に立つハインくん──少年帝の面影を宿すスワンプマンの分もまとめて、ぐいぐいと両手で押している。


 アイリーンの実戦経験は浅い。

「いや、いくら何も持ってないからってさ。なんか、ただ一方的に頼むだけって態度はすごく腹立たしくない? いや、別にお金が欲しいわけじゃないんだけどね? お金以外も別にいらない。荷物は少ない方がいいしさ。だけど、労働に対する対価が払えないのに、なんかぼうっとしてるって、それって普通に不公平だと思うんだよ。そもそも他の人は払ってるわけだし?困ってる困ってるって態度だけで取りゃいいのか?みたいな。それで何とかなるんだったら大通りで悩む素振りを見せれば物事は解決するよな。いやー好きじゃない。僕本っ当に好きじゃない。せめて苦労をしてほしいよね」などとつらつら喋りつつ、妙に過保護な青年と同行した時以外に、ダンジョンに侵入したこともない。


 彼女には、独学の魔術と生まれながらの筋力しかない。

 それで十分である。


「えいっ♪」


 アイリーンが可憐な掛け声で両側のヒトガタを押しこむと、砲弾のように吹き飛ばされたヒトガタが戦列の波に穴を開ける。

 生まれながらに桁違いの筋力を持つ彼女にとって、その程度は容易いことだった。


「うふふ。ただの付き添いのつもりでしたけどぅ……。来てよかったですねぇ」


 旧王都グラン・タイレル。ここは愛に満ちている。

 アイリーンの瞳は、愛の色を帯びる魂を見ていた。

 心地のいい、いつまでも見ていたい、自分のそれとは違う色。


 故に、左隣の誰かのように武器を振るう気にはならなかった。

 アイリーンがいま肩を掴んでいる彼らは、良識と善意に基づいて、素晴らしい王都の住人を増やそうとしている。自分の両手からは、自分を歓迎しようとする確かな愛を感じる。


 壁外の異邦人も裏路地の局外者も誰も彼もに「ここは素晴らしい土地なのだ」と語りかけ、見境なく同胞として受け入れる寛容さを、彼女は感じている。

 それは、今の王都の人々の多くが持たない精神性だ。絢爛豪華な王都タイレリアはその実、誰もが足るを知らず分けるを知らない虚栄の都市である。



 ああ、きっと、気のいいひとたちなのだろう。

 ひどく、うらやましいとアイリーンは思った。

 ──ただ、どうしようもなく認知の位相が違うのだ。

 アイリーンと、他のひとたちがそうであるように。


「愛ですね」


 アイリーンを抱擁しようとする、両腕から伝わる彼らの愛を、アイリーンは持ち前の握力で潰した。

 生物としての規格から、桁から外れた力を持つ彼女にとっては、その程度のものでしかなかった。



* * *

* *

*



「おかしくないか?」



 それに気づいたのは、誰からだっただろう。


 踏み潰されて、燃える大地という焼き鏝に全身を押しつけられて、はみ出した内臓が焼かれて、猶も嘆きの声が響いている。

 一刻、二刻と過ぎても声が止まない。

 それどころか、足元に転がった老若男女、その誰もが死んでいない。


 生きたまま苦しみ続けている。

 死という苦悶の終わりがこの世界には訪れない。


 その気づきが集団に伝播し、根源的な生命の法則を否定された恐怖が彼らを支配したその瞬間。

 世界から音と光と地面と空と、あらゆる概念が改竄され、

 改竄された世界の法則にある者は痛苦を覚え、ある者は狂気に支配され、ある者は絶望し、


 そして全てが灰になり、誰もが意識を手放した。






 景色が好きだ。

 時間の経過や見る角度に応じて、色んな姿を見せてくれる。

 人が僕に向ける表情よりずっとバリエーションがあるからね。


 その点、何もかも焼き尽くされた灰色の大地ってのはどうにも好きじゃない。辺境の旅の途中で何ヶ月も見たし。……鏡を見てるみたいで、ちっとも面白くないのだ。


 水平線も地平も、積もった灰が全部覆い隠している。

 息をすると砂っぽさが混じる。ぐちゃぐちゃに混ぜた概念はもちろん、空気の匂いも、風も、全てが灰になったからだ。


 僕の眼前には、灰の野にぼんやりと浮く銀の扉が──黒く焼け焦げている扉を、銀の扉と呼ぶのは少し語弊があるかもしれない──あった。

 10万人巻き込んだ世紀の愚策を、きっと歴史の中で無限に叩かれ続ける失策をいよいよ終わらせる時が来たというわけだ。



「あの、メリっ、あ、いた、いたたっ! いた、なっ、痛いんだけどメリー!?」



 それはそれとして僕はメリーに押し倒されて抱きしめられていた。灰まみれの景色を眺めてたら横合いから脇腹にタックルして地面にブチ倒してきたのだ。

 いや突然なに?マジで何? というか本気でめっっちゃ痛いんだけど。何なら首とか胴とかぶった斬られた時より痛いんだけど?

 いやなんていうか、痛みって結局のところ一定値を超えるともうほとんど変わらないんだよね。痛覚を受容する神経は「めちゃくちゃ痛い!」以上のことを言わないんだ。神経ってのは脳よりずっと語彙が少ないんだよ。

 で、メリーさんが抱きつき続けるとその「めちゃくちゃ痛い」がじわじわ継続するってワケ。

 だからどいて?


「ん」


 メリーは頷いたまま、マウントの体制を維持している。


「ん、じゃなくて!そこどいてッて痛い痛いいたいいたいマジでほんとに痛い痛いいたたたたぁーっ!! ほらこの革鎧とかひしゃげてるでしょ!? これズバズバ斬られた傷と違うとこだよ!?」


「ん。なおす。なおした」


「直っ、いたっ、直ったじゃなくてぇ!斬られたとこ含め鎧の見た目が直っても中身はいッたいままなんだけどぉ!? メリー!? ちょっ、メリー!メリーさん!! 本当に痛いんだってばぁ! もしかしてわざと痛くしてるんですかねえ!?」


「そだよ」


「何が目的だ!?」


「あ。…………。うそ。してない」


 メリーはいつも通りの無表情だ。

 無表情のまま僕を抱きしめ、時折うりうりと僕の胸に頭を擦り付けてくる。なお、この頭突きには普段から僕が使ってる革鎧を一撃で粉砕するパワーがある。僕のあばらズタズタに折れてんじゃないか?

 メリーの透き通った金色の瞳には、必死に抵抗しようとする苦悶の表情の僕が映っている。映ってるだろう。映ってるよねえ?

 僕には死にそうなツラしたー、もがき苦しんでる僕自身の姿が見えてるんだけどーー、メリーさんには見えてないのかなぁ?その綺麗なおめめはビー玉か何かなのかなぁ?


「してない。から。やめない」


 痛い痛い痛い! その頭突きやめて!! くそっ僕は幼なじみの突然のDVに震えるしかない……! メリーは時々何考えてるのかわかんなくなる。メリー学の権威たる僕にもわからないことはあるのだ。主に情緒とか。

 痛くしてないという言葉を、あくまで善意で無過失であるという景色の方がまだ表情豊かな幼馴染の主張を僕は信じるしかないのである。

 信じたいと思っている。

 でも善意であろうとなかろうとやめてほしい。ほんと、やめてほしい。


「あはははは痛すぎて逆に色々笑えてきたこれほんとやばい症状だって絶対後遺症とか残るよあははあはははは」


「のこさない」


「原状回復すりゃ何やってもいいと思ってんのかなーーーー?」


 はあ……。何が一番嫌ってメリーまで僕と一緒に灰まみれになるとこなんだけど……。あーもう髪にも灰がこびりついて……、みっともないからやめなよ、ほんと。

 僕が痛みを堪えつつ髪の毛をはたいて灰を払ってあげると、払うそばから胸に擦りついて灰まみれになってくる。綺麗な金の髪が、すっかり灰色だ。


「おそろい」


「あのねえ。お揃いじゃありません」


 帰ったら全身ちゃんと洗ってあげないといけないなぁ……。僕はいますぐ帰りたくなった。要は平常運転である。



「で。そろそろどいて。いい?」


「だめ」


「早く帰りたくない? そこの扉入らないと帰れないよー。ほら、先進まないとー。いやまあ、すぐに誰かが来るってんなら扉の先のこと任せて一足先に帰っちゃいたいけど──」



「キッ、フィッ、ナァァァアアアアアアスッ!!!」



 誰かが来たらしい。


 突然すごい大声で叫んでくるじゃん。

 でも、怒鳴られるのってあんまり好きじゃないよね。慣れてるとはいえ、うるさいし、なんか悪いことしたみたいだし? 僕は僕自身の良識に基づく限りにおいて善良でありたくて、怒鳴られるのはそれが揺らぐのだ。

 そういうわけなんで、一応起きあがって応対をしようとしたがメリーが押さえ込んでくるせいで起きあがれなかった。

 メリーにのしかかられながら視線だけを動かすと、


「何してくれてんだお前!!」


 そこには、何故かカンカンに怒っている近衛騎士レスター様の姿があった。


 ああ、それとその脇に目の下のクマが凄まじいことになってる女王陛下もいたよ。あとその後ろにも、ピカピカの鎧を着てる人がぞろぞろ続いてた。

 女王陛下はゴッツい神輿みたいなのに乗ってたと記憶してたけど、さっきので灰になっちゃったのかな?



「何の話ですかね」


 とりあえず僕はすっとぼけた。

 大抵のことはこのダンジョンのせいにできる。そう思った。


「あのヤバいのお前の仕業だろ! なんだあの狂った世界! 俺の肺が国家歌ってたぞ!」


「よかった。本気で心当たりがなかった」


 僕が投げた概念瓶のうち、あるいはそんな愉快なパーティグッズのようなモノが混ざっていた覚えはない。覚えてない。

 覚えてないから知らないのである。

 カンカンなレスターさんに僕は話を合わせることにした。



「確かに? 最後の灰にしたのは僕ですよ? 灰燼見てレスターさんは全部僕が犯人だって思ったんですよね? でもね、ほら。考えてみてください? 証拠はない。灰燼にしても、その前にしてもね。いやまあ、灰燼は認めなくもないですけど、あー、というか僕がやったって自白しちゃったか……でも、そもそももう終わったことでしょう? なんかもう五体満足なんだからいいじゃないですか。別に。燃やしたいほど大っ嫌いな奴を除いて、人間は焼けないようになってんですよ。命の責任とか取れないし。

 というか、ほら、このダンジョンが悪いんですよきっと。合理的に考えてみてください。ダンジョンにはそれぞれ法則がある。今までこのダンジョンから帰った人いないじゃないですか? だから陸でエラ呼吸したりするようになって苦しむのだってダンジョンが悪いですし空が青いのも日が沈むのも全部僕以外の──」


「そのテキトーな長口上がお前が犯人だって認めているんだよ」


「はあ。別に犯人だって思われても構わないですよ? ただ僕は、お前が犯人だってその場で非難されたくないだけなんだ。だって、それは耳が痛いからね。びっくりしちゃうじゃないですか。なんか居心地も悪いしさ。

 言ってしまえばね? その場じゃなけりゃ好きなだけ犯人扱いしてもらっていいので、今はやめてほしいんですよ。メリーの前ですし、教育にも悪い。僕はメリーの将来に一定の責任を持っていて、だからメリーには僕のお腹から退いてほしいんだよねぇ、え、だめ?だめかぁ……。まあいいや。何の話だっけ? ああ、そうだ。ほら、こうして僕が喋ってる間は非難ができないでしょう? これは相手の気力を殺す戦いなんですよ。僕の勝利条件はその場その場を乗り切ることなんだ」


「見ない内に悪化したな、お前のそれは……。三年前はもうちょい色々マシだったろうに」


「冒険者相手すんのは適当でいいって気づいたんですよ。というか生きることかな。あんがい適当でも人間って普通に生きていけるし、なんなら、実はみんな結構適当に生きている。少なくとも、ただち命の危険はないんですよ。知ってました?」


「お前の人生哲学はどうでもいいが。そんな風には生きちゃいない、おっかない女がそこに転がってるぞ」


 そう言って、レスターさんは灰まみれの火傷レインコート女を指さした。意識がないが、呼吸はしているらしい。

 ……燃えなかったの? なんで?


「トドメ刺しといてくださいよ」


「それは俺のやることじゃないな。別に俺は、あいつと因縁を抱えちゃいない。……ったく、お前のせいで計画がめちゃくちゃだ。誰も死んでないのだって、お前の仕業だろ?」


「さあ? 奇跡とかじゃないですか? あ、姫様の威光とかの方がいいですかね?」


「殺すぞ。……ったく。食料や文化の問題は、デロル領(お前のとこ)でも共通してるだろうに」


 だからって効率的な口減らしとかさせるわけねーだろ。

 そんなことだろうと思ったから先行したんだよこっちは。


「口車に乗るようなアホを減らせるだろ」


 レスターさんはひそひそ僕の耳に囁いた。後ろにいる目のクマすごい人には聞かれたくないらしい。

 シンプルにクズだと思った。高位冒険者ってマジでこういうとこある。ほんっとわかんない。他人の命の価値なんて、ケンカが強い自分の0.001人分だろ?みたいなことを本気で考えちゃうタイプである。

 そんな考えのやつが政治に混ざるな……!


「お前の良識の振れ幅も同じくらいわからないんだが」


「僕はいつだって良識派だって言ってるでしょ。

 ──で? これからどうするんです?」


 ダンジョンの中はこんな調子だ。灰まみれで全員寝てる。

 起きてるのなんて、あんたたち以外残ってないんですよ? こりゃあもう一度帰ったほうがいいんじゃないですかね?

 で、もう一度自殺志願者を募り直せばいいじゃないですか。今度は、どういうところか認識したさ。その上で地獄に付き合いたいって言うなら、それはもう一つの選択だろう。


 日常的にぶっ殺したり殺されたりしてるようなの以外、ダンジョンなんてトコには連れてくるべきじゃないんだって。

 多くの人間は覚悟なんて持ってないんだ。別にそれでいいだろ。そんなのなくても、日向で生きれんだからさ。

 もう、当初のシナリオは変わったろ。都市に都市ぶつけるなんて何の効果があるかわからない妄想なんかより、勝利条件を練り直して──、



「──計画は変わらぬ。此処に前線拠点を設置し、主を討つ」



 燃えカスを詰めた瓶がガタガタと揺れた。

 声の主は、眉間の皺を年輪のように積み重ねた、近衛騎士団長様だ。

 三年経っても辛気臭い面をしている。



「灰髪のキフィナス。ご苦労だった」



 一言そう言って、団長様は僕に背を向けた。

 ……ああ、はいはい。そうね。僕も苦労したなって思いますよ。

 あー、僕もう帰っていいのかな? お言葉に甘えて?


「団長! 灰髪などと会話などしては……」


 その隣にいた神経質そうな人が諫言した。団長様もう僕に背ぇ向けてますけど? ……ま、僕の扱いなんて精々こんなもんだ。特別カンジが悪いってわけじゃないよ。

 ねぎらいの言葉以上の報酬は貰えないんだろうね。なにせ、それすら勿体ぶるくらいだ。空の手形で10万人巻き込むんだし、灰髪の僕に渡すものなんて残っちゃいない。

 別に望んじゃいないが。最初から、そんなもののために来たわけじゃない。


「あー……すまんな、キフィナス」


 謝られるようなこと、なんかありましたかね。

 バツの悪そうな顔をするレスターさんの後ろでは、ざわざわとキラキラした鎧つけた人らが話し合っている。


 また、僕の頭上で何かを決めようとしているようだ。

 どいつもこいつも随分と忙しそうにしている。

 足元のことなんて気にかけやしない。



「びん。あるよ」


 ぺったりと貼りつくメリーが、やらかい唇を耳にくっつけながら囁くと、いつの間にか握りしめてた僕の手のひらの中に小瓶が現れた。

 ……これ使って、全部めちゃくちゃにしろって? メリーはいつもそうだね……。後先のことなんて考えちゃいないんだ。だから僕は困ってしまうよね?

 でも、うん。いいね。すごくいい。素晴らしいよ。


 こうなりゃもう……やってやるさ。

 僕だって、なにもかも全部にムカついてたところだ。

 一回二回灰に変えても、まだ僕の中には燃えるような熱が残ってるらしい。



「僕の勝利条件はさ。旧王都とやらを取り戻すことじゃないんだよ。

 僕にとって、そんなことは最初からどうでもいいんだ」



 ──僕はただ、僕の培った良識が痛むのがイヤってだけなんだ。


 メリーと手を繋いで、もう片方の手を伸ばせば、ちょっと無理して無茶してしんどい思いをするだけで、胸の奥が痛くはならずに済む。いつものように誤魔化して、曖昧に笑って。……それじゃあ誤魔化されないひとたちが、僕の周りにもできてしまった。

 そんな、僕の周りにいてくれる、ほんの僅かな人たちのために。

 ちっぽけでも誇れる自分でありたいんだよ。


 だから、まあ、なんだ。


「あんたら全員寝かしつけて、ひとりずつダンジョンの外に追い出したって──僕にとっては同じことだろ?」


 指先にほんの少し力を入れるだけで、飴細工のように瓶がへにゃりと歪んでいく。

 瓶の中身は僕にもわからない。この瓶の中身が何なのか、開けたらどうなるのかは、全部謎だ。


 だけどその気配は、能力なんてものを持たない僕にも、なにか、とんでもないものだと感じられる。

 まあ、ちょっと王国の敵になるかもしれない。なるんじゃないかな。覚悟はしてるよ。

 ステラ様やシアさんに、なんて言えばいいだろう。……あー、まあ、引き継ぎマニュアルは整えてるから、いいでしょ。スメラダさんとインちゃんには……、ええと……、僕の犯行に関与してないってコトはっきりさせないとだけど……。


 ま、いいや。短慮をやらかして、そのあとで帳尻合わせを必死に考えて……なんてのは、僕がいつもやってることだ。

 悩むのは明日の僕に任せるさ。明日の僕はいつだって、今日の僕よりマシだろうからね。


 僕はぐっと拳に力を込め──、


「ん……? あっおいキフィナスっ、バカな真似はッ」


 ──その時。

 焼け焦げた銀の扉から、溶解した金の腕が濁流のように流出する。頬を焦がすような熱風と目を眩ませるギラギラした輝きが、僕の顔を一瞬で焼いた。


 そして、突然のインターセプトに反応できなかったのは僕だけでなかったようだった。

 何百何千と扉から噴き出した腕たちは強引に周囲のものを掴んで、瞬く間に扉の中へ引きずり込んでいく。

 キラキラの鎧を付けた近衛騎士団一行は、たった一言すら残せずに旧王都最深部へと連れ去られた。



「ええ……?」



 再び、何もない灰の大地が広がる。

 腕が触れただけで蒸発したメリーと、メリーにのしかかられた僕を除いて、周囲には何もない。

 これ……瓶のせい?


「ちがう」


 あ、ホントだ。まだ割れていなかった。

 正直メリーがやったのかなって思ったよね。えっぐいことするなって思った。よかったぁ……。いや良くはないな。いやー、どうしたもんか……。



「わって。よい」


「なにか意味があるんだよね?この状況を変えるような。よしっ……!」


 やわらかな感触の瓶を握り潰すと、周囲の灰がパンに変わった。

 地面も、空も、沢山のパンに覆われる。今日の天気はパンのちパン、ところによりパンが降るでしょう……ってな具合。

 至るとこから焼き立てのパンの匂いがする。


「なにごと?」


「ぱん」


 ぼーっとしたメリーの髪からは、いくつもパンが生えていた。

 種類は色々だ。長いフランスパンがふわふわの髪に絡まっているし、東京駅のコンビニで見た菓子パンなんかもある。



「ぱん」


 メリーが指さした先には、パンの苗床みたいになったグレプヴァインがいたりした。

 まったく意味がわからなかった。



「帰ってもいいかなぁ……」





 旧王都最深部、黄金の玉座。

 そこに片肘をつき坐る者がいる。

 骨のように痩せ衰えた老人だ。王権の象徴たる金冠を戴く頭部、その金の目だけが、ただ爛々と輝いている。


 建国神話に曰く。

 初代の王は天地あめつちを啓いた偉大な王である。

 始祖の魔術師ブーバに雲突く壁を引かせ、自らは黄金の大河を作り上げた。

 かの王の智と力のもとに人々は集まり、小集団はいよいよ国になった。


 飢えるものと凍えるものがいなくなった。

 寡婦が生首を括らずに済むようになった。

 数多の喜びが、輝く繁栄がそこにあった。


 そこまでが建国神話に記された。



 その晩年には妄執に狂い果て、終には自らの子に討たれた。

 黄金の河は枯れた。


 故に、はじまりの王のことを知るものはいない。



「総ての合理は、おれが定めた。

 空が青く澄むことも、日が昇ることは、このおれが定めたのだ。

 おまえたちが生きることを、おれは許した。


 不合理もまた、おれが定めた。

 人が老い死ぬことも、日が落ちるもまた、おれが定めたことだ。

 おまえたちが朽ちることを、おれは許した。


 喜び、悲しみ、そして畏れ。

 おまえたちの総ては、このおれに拠るものなのだ。

 おまえたちの生にあるすべては、おれが、定めたものなのだ」



 枯れ木のような腕がわずかに動くと、熔金の洪水が氾濫した。

 近衛騎士は一人また一人、跪くように倒れ伏し、鍍金の像へと変わっていく。


「姫様……ッ! 俺を、盾に……っ」


 騎士レスターの全身は既に金へと化していた。

 残るは《嵐の王》を抜き放った騎士団長と、王の後裔たる娘のみ。



「ひれ伏すがいい。

 そして、いのちを捧げよ。


 おまえたちの苦しみも、悲しみも、すべておれのものだ。

 かつておれが与えたそれを、おれに返すときが来たのだ」



 タイレル王国とは王の再誕のための坩堝であり、

 国民は、国土は、王の再誕のための焚木である。

 黄金の濁流が王の前に立つ不敬者を飲み込んだ。


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