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見当違いの義務感



 ──いつものように上手くやれていない。

 いつもいつもいつもいつもいつもいつも。

 いつもアネットの人生は上手くいかない。


 列の最後尾にいるアネットは、背伸びをして周囲の様子を眺めながら、憲兵隊として駆けずり回っていた間に忘れていたことを噛みしめるように思い出している。

 第一陣として女王陛下が旧王都に侵攻し半刻、10万の隊列は、前後も左右もすっかり乱れきっていた。


 個が持つ力に大きな差が生じる世界において、組織化された行動とは即ち、弱者が強者の足枷となることを意味する。平均的なパフォーマンスを発揮できる集団が、一定の基準に合わせて行動することとはその質が大きく異なる。

 故に、規律の徹底した集団行動というものに、タイレル王国の人間は慣れていない。

 統制を取る権威──女王陛下がいなければ、尚更に。


 先頭の人間が次元のねじれに足を踏み込む。その速度は一定でない。旧王都への畏れ、あるいは蛮勇によって、踏み出す足の重さはそれぞれに異なる。速い列もあれば、遅い列もある。

 きっと、その列の先にはアイリ女史と幼帝もいたのだろう。アネットの説得がもっと上手くいけば、彼女らが帝国臣民として最前線に立つこともなかったはずなのだ。

 デロル領の人々の安全を護るのが、アネットの立場だろうに……!


 まったく上手くやれていない。

 一人また一人とダンジョンに呑まれていく様子。それは、アネットの低い背丈ではよく見えない。


「下等市民にも困ったものですな」

「左様。美しくない」


 すぐ隣では、人流について苦言を呈するような話し声がする。アネットはわずかに視線を動かして窺うが、その面持ちからは緊張というものを感じない。

 最後尾の貴族にはここを舞踏会と勘違いしている者も少なくなく、煌びやかなドレスや装飾華美な全身鎧、中には、厚底の靴を履いた者なども見受けられる。

 アネットは動きやすく素肌を覆う革鎧と、中底に緋金を──魔力によって変成した合金は羽のように軽く、鋼よりも硬い特性がある──使った安全靴を身につけている。

 彼らとの意識の違いをアネットは感じずにはいられない。


(……あの姉様がお隠れになった場所なのに。なぜ、彼らは危機感がないのだろう。なぜ──)


 ──それでも、彼らはアネットよりも強いのだろう。

 日々訓練を欠かさないアネットの努力よりも、ずっと大きな才能を持っているのだろう。

 もしも最後尾でなければ、アネットはきっと、大勢から後指をさされて嗤われていたのだろう。……剣を持てない近衛騎士家の、雷嵐らいらんの髪を持たぬ、くすみ髪の土色の、胤変わりの子なのだと。


 無論、一部には鎧を着ている者もいるが……その歩き方が物語っている。あれは、おそらくつい最近増えたとかいう貴族の養子だろう。

 かつての黄金郷の陽はかげり、その権力も衰えている。

 諸侯はその地域に根ざすものという意識を持っており、書式を揃えて体裁を整えてしまえばよいと考える領主も決して少なくはなかったようだ。



(それでも……わたしの立場は、それを許容しない)



 当家には代々近衛を務めてきた歴史があり、

 マオーリア家の嗣子はアネットの他に亡い。


 前列にいる民兵たちの中には、裸足の者だって混じっていた。

 アネットがそうでないのは、初代騎士団長・雷神ベネディクトの一族に生まれたからに他ならない。


 立場が、アネット・マオーリアを作っている。

 アネットの血は、肉は、きっとそうやって作られた。

 無骨な安全靴に重さを感じても、それでも足は、動いている。



* * *

* *

*



 この探索において、僕の存在が足を引っ張っていることは疑いない。……メリーについては、いいんだ。足を押さえてないと、ふらりとどこかに行ってしまいそうだから。

 確かに、僕は弱い。ダンジョンじゃ何もできない。

 その言葉は正しいんだろう。だけど、従うわけにはいかない。


「君は誰よりも弱い。その特性を理解すべきだ。君を動かすものは──」




 僕を諭してくる声はろくに聞かなかったし、追いかけてきた蟲どもは結構すぐに撒けた。

 ある地点でピタッと急に追ってくるのをやめたのだ。

 せいぜい15分程度だろうか? そんなに走ってはいないと思う。まあ……多分僕の足じゃ、たとえあの時無様にもつれてスッ転んでいなかったとしても、体力を切らしていただろうけれども。


「……そろそろ降ろせよ」


 こいつの背より居心地の悪いところはこの世にない。

 まだ高ランクダンジョンの空気の方がマシだ。高ランクダンジョンかつ火傷女の背とかいうのはおおよそ最悪に最悪を重ねた場所である。


「いいだろう。此処であれば、蟲葬の想念は成立しないからな」


 なにやら確信のある口振りだった。ここが何か特別なのか? 周囲を見渡してみる。


 ここ──この区画もまた、地下墓地ではあるらしい。

 ただし、先ほどまでと違うのはやたらと豪華な点だろうか。


 むき出しの状態の骨はどこにもない。黒装束の骸骨を納めている棺が、等間隔に天井にぶら下がっている。

 それは金だの銀だので悪趣味なほどに装飾されて、光源である魔石灯ランタンの光にぎらぎら眩しく照り返してくる。

 どうやら、ここには金持ちが葬られていたみたいだ。こんな具合だと、副葬品を漁り(貴重資源を回収し)に来る冒険者なんかが出てそうだけど……ああ、そういうバカをぶっ殺すのが、目の前の女の役割だったな。


「ここに埋葬された者は、回復魔術士による治療を尽くした末、魂が擦り切れて死去という経過を辿った。故に、末期まつごの視界が蟲ということにはならない」


「葬式は平等なんじゃないのかよ」


「ああ。平等だ。埋葬は平等に行われる。だが、身分や財力によってその扱いに差が生じることは当然だろう」


 ……ああそうだったそうだった。それがこのタイレル王国。

 それが慈悲深い、一般的な、封建制社会の在り方だ。

 その慈悲がすべて管理に紐づいている、いつも通りのやつだ。


 この国には、僕の知る限り宗教はない。だが、それは精神的な拠り所がないということを意味しない。

 たとえば死生観というものは、人間が生きている限り切っては切り離せないものだ。……東京で読んだ本では、石器なんかを使っていたごく原始的な集団でも、屈葬という特別な方法で死者を葬っていたという。

 死と向き合うこと。ヒトが集団で生きていく上では避けられないもので、そのための儀礼だってこの国にもちゃんと存在する。

 ……そして、それを取り仕切るのが貴族であるということだ。


「想念は大いなる力の源だ。持たざる者の末期まつごに慈悲を与え、畏敬と崇拝を得ることで、たっとき者としての地位を固めることができる。王国で生まれ、都市で育った者は、たとえどのような身分の者も……身分のくびきから外れた冒険者であっても、貴族を神聖で不可侵であると認識するように教育される」


 ……なるほど。デロル領で僕らがやってることが冒険者クソアホどもにちょっかい掛けられないのは、そういう刷り込みがあるってわけね。いや、全く合理的だな。

 ダンジョンから回収した情報やら魔人やらによって、教育やら宗教やらという諸般の概念をこの国の為政者たちは知っていたんだろう。知っていて、全部コントロールしていると。

 アイリーンさんがいつも着ている修道女シスター服も、それを証明している。……まあ、あの人自身が、宗教ってモノを知ってるかどうかは知らないけど。


「……くだらない。条件付きの慈悲だの寛容だの、みみっちいコトをする。結局は自分たちのためじゃないか」


「そうだ。利があるが故に行われる。社会活動とは相互に利益を得る性質のものであり、世界とはそのように維持される。

 その利己の意識は、君に些か欠けているものだな」


「知るかよ」


 そんなことはどうでもいい。ただの独り言だっての。あんたに宛てた言葉じゃない。

 そんなものはよくわかってるんだよ。



 ──ずっとずっと昔から。

 僕の生まれたこの世界は、僕にとっては異世界だ。


 僕にとっての正しさは、世界にとっての正しさとは結びつかない。……そんなもの、ずっと前から知っている。

 それでも、僕は僕の正しさを握り続けていればいい。

 選び続ければいい。それだけだ。



「……ンなことより。どうすんだよ、ここから」


 握り拳を後ろ手に隠しながら、僕は話題を変えた。

 さっきの蟲どもの安全地帯だからって、ここで留まってるワケにもいかないだろう。干からびて死体どもの仲間入りってのは全く面白くない冗談だ。


「穿孔する。この真下は貴族街だ。《ノック・ノック・バーグラー》」


 その声と共に、虚空から浮き出た墨色の刃が高速回転した。

 なるほどね。この静謐な墓穴をぶち破って、貴族街とやらに辿りつくと。

 なかなか無法者ぼうけんしゃらしいな。貴族を神聖とも不可侵だとも思っていない具合だ。いやー僕はどうかと思うね。だってほら、一応これで、貴族に仕えてる身としてね。



「これらは貴族ではない。既に死した骸だ。人は死ねばゴミになる。ゴミに敬意を払う必要はない。

 君の思想は知らないが、想念が形を成さないよう、そのように捉える方が具合がいい」



 およそ最悪だな。語る心得が墓荒らしのそれだ。

 ……そもそもこの火傷女は、たとえ相手が生きてても、慇懃な態度を取り繕ってみせるだけで敬意なんてものは欠片も払っていなかっただろう。

 世界を救うだかいうお題目で、明後日の方向の義務感を勝手に感じて、息を吐くように誰かを殺せるんだから。


「──しッ……」


 瞬間。

 鋭く息を吐きながらの、クロスボウの抜き撃ちが煌めいた。


「墓守。閑職だ。恐らく大した能力は持っていないが、不意打ちには備えておけ」


 引き絞られた矢は、遙か前方豆粒大の頭部を正確に貫き、魔道具ドリルが地面に大穴を開けるまでそれは繰り返された。



・・・

・・



「安全を確認する」


 地面に深く立てた鉄杭にロープの一方を八の字結びをしてから、ベルトにもう一方のロープを巻き付け、グレプヴァインはそう言い残して穴に落ちた。

 『ロープの結び目は、仲間にしか見せるな』──冒険者には、そんなことわざがある。自分の切り札は安易に開示するな……って感じの意味合いだ。まあ正確なニュアンスは、ひょっとすると違うのかもしれないけど。


 不安定な地形を探索する機会はそれなりに多い。探索しやすい場所というのは、そりゃあ人気がある。そうなると他の相手と競合するわけだからね。

 ロープというのは、一般冒険者からするとそれなりに使い道があったりする。だからそういう諺が生まれたワケで──。


「切りたい」


 ロープの根本をナイフで切るなり結び目をほどくなり杭を抜くなり何なりしたい。

 まるで僕のことを信頼しているとでも言うかのような白々しい挙動が、僕には腹立たしくて仕方がない。

 そもそもワイヤーアンカーを持っているだろ。魔力の節約か? ああ、切りたい。切って落としてしまいたい。


「きる?」


 いつもの調子でメリーが僕に訊ねる。その目は、どこまでも透明だ。


「きる。きっても。死なない。りり。はーけん。たててる」


 ロープを通す用の登攀楔ハーケンを、既に現地で立てているらしい。……何なら、そんなもの無くても奴は空中を歩くくらいできるだろうに。遅れて来る本隊はきっとこんなルート通らねえよ。土魔術使える工兵部隊なんかが足場作って固めるでしょ。

 そんなもの、全部時間の無駄だ。


「きる。きる?殺す? めりが。殺してもよい」


「メリー。……やめよう。人殺しは、いけないことだよ」


「ん。そか」


 メリーは、どうでもよさそうに答えた。……まあ、事実どうでもいいんだろう。ずっと昔に、本屋の床に寝そべって二人で学んだ倫理学は、この国では役に立たないことの方が多い。

 だけど僕は大切なことだと思う。……それを曲げざるを得ないことだって、勿論ある。不本意な選択をせざるを得ないことはいくらでもあるし、選択に一貫性を持ち続けて生きていくことは困難だ。……僕の手だって、既に汚れている。その自覚くらいある。

 それでも、積極的に捨てたくはない。捨ててはならないものだと思う。


「よい。なにをしてもよい。やりかえしてもよい」


 メリーはといえば、色んなものを割り切ってしまって久しい。自力救済に頼るなんてのは、その極致だろう。……きっとそのせいで、自分に対する悪意に鈍感なんだ。

 誰かさんのクソみたいな策略で社会から排斥されそうになっても、それにどうこうすることもない。

 それはきっと、メリーが強すぎるからだ。極論、社会というものがなくても、生きていくことができてしまえるほど、強いからだ。


 ──だから、その分は僕が怒らなきゃいけない。

 僕はメリーを知っている。ちょっとめんどくさがり屋で口下手なだけで、僕の前では喜んだり悲しんだり怒ったり拗ねたりする、ごく普通の子なんだよ。


「よくないよ。メリー」


「ん」


 ロープの結び目に伸ばそうとした手で、僕はメリーのふわふわの金髪を撫でた。


「せめて正当防衛だって言い訳くらいはしないとだめだよー」


「ん」


 メリーは、僕に頭を預けて、金色の目を心地よさそうに細めている。


「……まあ、正当防衛なんて考え方がこの国の法律には明言されてない……クソ身分社会で裁定者である貴族様の判断に委ねられているけれども、だ……!」


「ん」


 ただの、普通の子なんだよ。







「安全を確保した。生き縄を使って降りろ。下は屋内だ」


「っ! ……ああ、そうするよ」


 忌々しい声に僕は手を急いで引っ込めて、メリーを抱っこしたまま穴に飛び込んだ。

 つい今開けられた縦穴は、ちょっと手足をふん!って伸ばせば突っ張って留まれそうなほどに狭い。いやまあ、そんな体勢取るのしんどいしやらないけど。

 そして、空中にはロープで繋がった杭が何本も刺さっている。そしてその杭には、どれもこれも、これ見よがしに穴が開いている……。誰が使うかよ。


 右腕にしっかり巻き付けた噛みつき草の生きたツタを、等間隔に配置された杭に軽く噛ませつつ、勢いを殺しながら降りていく。……あっ、やばっ。もう穴抜けっ、ちょ、ちょっと勢い速いな……!

 やらかしたけど、と、とりあえず接地点に危険物なし! 僕はぐいぐい地面に吸い寄せられ、しっかりお腹にメリー抱えて足裏から転ぶように……!


「とっ……! ふっ!」


 よし、着地っ……!!


「うまい」


「どうも」


「とてもうまい。すばらしい。てんさい」


「それ煽ってたりする? メリーさんは五点着地とかそもそもする必要ないだけだよねぇ?」


 そうして屋内──貴族の邸宅らしき場所に落ちた。

 一階部分のはずなのにやたらと天井までが高いのは、やっぱり旧王都の流行の建築様式だろう。それで多分、この建物を外から見ると屋根とかが尖ってるんだろうな。

 いや天井とか高くなくていいよ。ほどほどでいいだろ。あとそうやって尖らせることに何か意味あんの? ないでしょ?

 きっとここに暮らしてるのもバカ貴族だったんだろうな。証拠はないけど多分そう。推定バカだ、ということにしておこう。その方が気分がいいからな。


 さて、旧王都がどうだったかは知らないけど、王都の貴族には大きく二通りがいる。どっちもいけ好かないので区別する必要はないという説もあるが、まあ、分類することができる特徴があることは事実だ。

 領地を持たずに官僚をやってる貴族と、議会や外交のために一時滞在する領地持ちの貴族だ。その居住地も分けられている。

 デロル領(僕ら)も、このゴタゴタが片づいたら、また王都屋敷キャピタル・ハウスを立てないとならない……という話はしていた。爆破されたままだし。だけど、そこに誰を置いて管理するのかとか、そもそも自給自足でやっていけるし王都いる?とか、いや外交的な意味でないと困るだろとか、色々面倒だったのだ。


「位置的に貴族の墓場の真下……、いや真上か。ってことは、ここは官僚の家かな」


 一般的に前者の方が、王都のより良い土地に家を構えていたりする。歴史のある家とない家とか、屋根の高さとか、やたら面倒な暗黙の了解が色々あるのだ。それも再建を遅らせていた一因。

 ……ほんと、貴族ムラの見栄とかが見え隠れした因習とか驚くほどにどうでもいいけど、そういうものを覚えざるを得ない立場なんだよな、今の僕は。



「ん? いや、ここは……」


 どうやら僕のもっともらしい推測は間違っていたらしい。

 僕の視界へと入った紋章には、双剣と羽が刻まれていた。

 ──僕が普段から身に着けているものと全く同じものだ。



 ああ、なるほど。

 ここは旧王都の、かつてのロールレア家の屋敷だったらしい。

 思えば、爆破される前に肖像画なんかも見た気がする。



「……はあ。ほんと、ステラ様たちがいなくてよかったな」



 『ここに暮らしてたのは屑でカスのどうしようもないクソバカ』みたいな発言を撤回する必要がなくてよかった、と僕はまず安堵した。当人たちがいないなら、その辺撤回する気はないのだし。

 ……どうせ、王都やデロル領の地下壕のように、ここでも人間の加工をしていたんだろうからな。彼女たちはそれを歴史的な事実としてきちんと認識しているが、あえて追体験させる必要はない。


 このダンジョンを構成する全ては、過去の幻想だ。

 そんなもの覚える必要はない。関心すら向けなくていい。

 既にウチとは無関係ってワケさ。少なくとも、僕は伝統とか知らないよ。都合が悪いなら、そんなものは適当に丸めて捨ててしまえ。



「ここには《魂の彫塑》を受けた犠牲者の追憶がある。迂闊に触れれば、身を引き裂かれる苦痛がある」


 ……ああ、はいはい。勿論触るかよ。今は調査が最優先だし、端金と苦痛を天秤に掛けて前者が重くなるような生き方はしてない。痛いのは嫌いだ。

 つーかなんでわかんの。ウチに風評被害出そうとしてる? 敵か? いや敵だが。敵がよぉ……!


「試した」


 そうかよ。




「ここは旧王都の貴族街、その中央区に位置している。この先に王城がある。恐らくは、目的地はこの先だ。

 そして、第一層への進入が開始したらしい。《粘土版ボード》がそう伝えている」






 日の入らない部屋にて、魔人たちの茶会は続く。

 銀の扉をノックする音に、クロイシャは指を鳴らして応答した。



「ちッ。また増えよったか」


「貧者の灯火は臨時休業だよ。熱ある人々は戦場へと旅立った。本日ボクの店を訪れる者には、熱量の期待はできないからね。とはいえ……それがヒトでなければ、話は別だけれど。

 さて。キミのことだからあっちに行ったものだと思っていたんだけど、どうしたのかな? 酒保商人団の中に混ざることで、キミは自分の歌を聴かせることも、歌を編むこともできただろう」


「しかしソイツぁ、あたくし以外も歌っとるでしょうよ。あたくしにしか歌えんもんが欲しいんですよ。 それが難解で、稚拙で、駄作であっても、誰かに、あたくしの歌を深アく刻み込みてえンでサ。そンなら、姐さん方のお話を聞いた方がいい。クロの姐さんは、こういう時におヒネりを呉れるお人でございヤすからネ」


「そうだね。キミが期待するものを比較考量して、ボクと対面する方が重いと考えるのなら、その期待に応えてあげることはやぶさかではない」


「そいつァ有り難く。ほんじゃ期待ついでに聞きゃあすが、旧王都があンなったのも、クロの姐さんの仕込みなんでしょう?」


「それは誤解かな。ボクはただ、聞かれたことに答えただけだよ。結果、その情報をどうするかはボクの知るところではない。ボク自身は不干渉主義だ。アンフェアな競争をするのは主義に反するからね。好きな味じゃないんだ」


「ふふっ……味は大事ねぇ?」


「そうとも。本質に実存が先立つのが我々だ。ならば、その本質が有する純粋性を保つべきだろう。

 人間とは、想念と技術の両足に依って立つ生き物だからね。形を成すほどに確たる想いを持つボクたちは、もう片足、技術も備えている。想念が純化すれば、技術の強度も増す。逆もまた然りだ」


「あたくしにや、ちいとわかりかねますネェ」


「フン、蒙昧な新入りが。貴様からは、人間の臭いがするぞ」


「せっかく来てくれたのにすまないね、ビワチャ。彼女……ロマーニカは、排外主義が心の核になっている。同族以外が嫌いなんだ。だから零落したのだが──」


「ミドリは赦してやるのじゃ」


「紫姫はたくさん食べてくれるから好きよぅ」


「貴様が我の口に食物を運ぶ手を止めぬだけじゃが……?」



「──ご覧の通り、彼女にとっての優先順位とは不動だ。手足があろうがなかろうが、己がそうと定めた本質は崩れない。そしてそれが、真正の魔人というモノだ。現生人類とのコミュニケーションインターフェースでありながら、決して今を生きる存在ではない。

 しかし……古くからヒトは、自らそんなモノに成り果てることを望んだ。時に悪辣な手を使ってでも、ボクらになろうとした。

 そのような技術の粋を集積した結晶たるキミを、ボクは、とても興味深い存在だと考えている」


 話をしよう。有意義な、話をしよう。

 クロイシャはそう言って、くすくすと笑ってみせた。

 魔人である彼女にとって──店の外で命を燃やす人々には、さほど大きな関心はなかった。



「意志とは、正しき方向を見定めて行使されねばならないものだろう。だから、ボクとしては。キミの方がずっと、好みの味なんだ」



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