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第二層:逆さ王都とフラムスティード星見塔



 顔の半分を埋める黒紫の火傷痕に、多くの者は奇異と嫌悪の目を向ける。

 さながら、烙印のように。



 冒険者ギルドの受付担当という仕事について、当時のリリは、自分にその資質に欠けている部分があると思いつつ決して嫌いではなかった。しかし、同僚や部下が配慮として配置転換を申し出ることも道理ではあると理解しており、そこに異論はなかった。

 彼らに、あるいは見ず知らずの他人に、生来備えていた美貌とやらを惜しまれたことは一度や二度ではない。

 そのこと自体は、リリにとって重要ではない。リリは昔から誰かの感情に寄り添うことを得意としておらず、この火傷は風除けとして機能していた。

 ……だが、それは重要ではない。


 外見や能力や環境など、先天的に定められたものに、人間の在り方は大きく影響される。

 この傷痕を受けて、鈍感なリリは、その単純な事実を理解した。


「灰銀の髪を染めるように勧めた私を、あの時、どのように思ったのだろう」


 生まれながらに多くを持たないこと。

 そして、それを衆目に曝して生きること。

 彼の目に、この世界はどう映るのだろうか。


 三年前のあの日から。

 リリ・グレプヴァインは、そればかりを考え続けている。







 10年前の王都グラン・タイレルと寸分違わぬ姿がそこにはある。

 煌びやかで洗練された、世界の中心。人類の最先端が、そこに築かれている。

 ただひとつ違うとすれば、それが人間の生存を拒むように、天地を逆さにしている点だろう。

 王都グラン・タイレルの豪商、一代下爵を5代続けて叙されたスタインベック家の一人娘として王都で過ごしたリリは、その光景を眺めてそのような感想を抱いた。


 天蓋からは、空に──すなわち真下に向けて、いくつもの針のような尖塔が突き出ている。

 王国の周囲を覆う雲よりも高い巨大な隔壁が、人類の始祖ブーバ以外には維持ができないと認定されているように、魔術によって作り上げられた高層建築には、その当時の術師にしか再現できないというものも多い。

 王都大禍によって多くの人材が死に絶えた後の、遷都後のタイレリアの建築様式とは、このグラン・タイレルのそれを一段以上スケールダウンさせたものと表現して差し支えない。


 不躾な侵入者である我々を突き刺さんとばかりに、上空からその偉容を湛えている。

 リリ・スタインベックはそう考え──、


「……感傷だな」


 小さく自嘲し、冒険者(グレプヴァイン)は探索の姿勢を整えることにした。

 リリは、セツナに斬られ鋼鉄製となった右腕を、自らを空中に固定する杭として使っている。


 そして、自由な左半身で黒檀製の弩のトリガーを弾き、虚空に鉄杭を等間隔に縫いつけていく。

 口で杭を咥え、腋で弩を固定し、左の手で弦を押し込んでは、次々に撃ち放す。

 現在、周囲に魔獣の気配はない。だがその影が見えれば、直ちにその脳天を貫ける体勢である。


「《キッドナッパー》、《ビザー・キラー》起動しろ」


 声を出すのは、同行者に自分の次の行動を宣言するためだ。そして、それは端的である必要がある。複数名での探索時は、そういった配慮が必要だ。

 合図と共に、鋼線状の魔道具が空中の杭に巻き付き、鉄鎖がそれを補強するように覆い、即席の吊り橋を作り上げる。


 天地が逆の世界に、確たる足場が出来る。

 周囲よりも一際大きく尖った建築物──《フラムスティード星見塔》に向けて、階段状の吊り橋は伸びている。


「致死圏探索用の装備はあるか。無いならば、私の《空間鏢アンカー・インペイル》を──」


「黙れ。あんたから施しを受けるほど落ちぶれちゃいない」


(嫌われたものだが──否、当然ではあるか)


 キフィナスは、リリにばかり警戒心を向けている。

 冒険者が、素性のわからない相手を同行者として連れることは、けして珍しいことではない。それを推定危険人物として認識し、相手の行動に応じた"適切な対処"をすることについても、三年前の時点でキフィナスは体得していた。


「…………」


 キフィナスはしばし逡巡の後、苦々しい顔をして、リリが作った足場を利用することを決めたらしい。他に選択肢があるのに、メリスの力を借りることが気が咎めたのだろう。

 自分の身体を空に縫い止めている釘──《空間鏢》を抜いて、鉄線に足を付けた。そして、ろくに見もせずに|真下(空)へと放り投げた。


 ……まったく、随分と合理的ではない振る舞いをするものだとリリは思った。

 もし、彼がリリと敵対するつもりなら、きちんと自分に突き立てられた道具を観察し、対応策を冷静に練るべきだろう。そして、その処理に使った手袋こそ、直ちに捨てるべきだ。

 毒や呪いが仕込まれている可能性を考慮して、そのように立ち回る必要がある。


 そもそも、王都大禍を超える厄災──世界を容易く破壊せしめるメリスの力を、ここで利用しないということ自体がキフィナスの不合理な信念でしかない。


「……ンだよ。なんだ、その目。潰されたいのか。ちッ……」


 リリの視線を受けて、キフィナスは舌打ちをする。

 ──彼の情緒は幼い。リリは、それをよく知っている。


 彼は自己評価が低い分、自分に接する他者に対する情が深い。そして、どこか牧歌的だ。生育の過程で、他者との適当な距離を保つための仮面を貼りつけることを覚えたというだけで、その一枚下には純朴な側面がある。

 理性の面では、この場でリリが危害を加えると判断していないのだろう。しかし、感情がその解釈を妨げる。

 だから結果として、不合理な言動が出力されるのだ。


「眼球を破壊しようという相手の前で口にすべきではないな」


「あ? なんだ?馬鹿にしてんのか? 首絞めカズラで窒息死させてやろうか?」


「構わない。極地探索時は、先行する者に生き縄を巻き付けるのはいざという際の命綱になる」


「……しねえよ。逆だ。あんたが落ちたら、僕が巻き添え食らうだろ。あんたと心中なんて、死んでも御免ゴメンだね」


「めり。めり。めりにまく。おちない」


「……あのねえメリー。しないよ。しないからね。あいつからの提案なんて何一つ呑まない呑む価値もないってのもそうだし、そもそも君に生きた草とかけしかけるワケないだろ。効くとか効かないとかそーゆうのじゃないの。普段やんないでしょ。人道とか倫理とかの話だよ。だいたい君浮いてるし。僕も宙吊りになるだろ。あのねぇ、ほんと、まったく君は──おい。こっち見んな。あんたが。メリーを。見るな」



 ──世界を守護するなどという題目で、彼の信念を毀損しようとしたことが、今も尾を引いているのだろう。



 しかし、リリは自分の行動を不当だとは思わない。

 この逆さ王都が地面に足を着けていた時代を知る者は、誰もが皆、世界というものがひどく脆いことを知っている。


 彼女の所属する《哲学者たち》。

 その救世思想の根源に横たわるのは、誇大妄想ではなく、災禍な経験と知識だ。

 ただ、正しき道の見えない問いを哲学する過程で、現実よりも空想が優越する。


 そしてこの世界は、個人の空想に形を与える。

 そのイメージが鮮明であればあるほど、心に迷いがなければないほどに、その力は大きくなる。

 


 だから、リリは迷わない。

 迷うわけには、いかない。



* * *

* *

*



 気に入らない。

 気に入らないのだ。

 気に入らなさすぎる。


「キフィナス。足下に気を付けろ。命綱は──」


「黙ってろ……!」


 いちいち外野がうるさい。僕は手元にあった噛みつき草の生きた蔦縄を投げ捨てた。そんなものはいらない。余計なお世話だ。こっちに関心を向けてくれなんて、いつどこの誰が頼んだ?

 良識ある人間ぶるなよ。気まぐれな善性を押し付けてくるな。あんたは気分がいいのかもしれないけどさ、そういうのっていッち番腹立つんだ。

 あんたは冷酷で残忍で、合理とやらの至上主義者で、僕らのことなんて何とも思っちゃいないだろ。

 ほんの一年かそこらの間、あんたは下らない思いつきから灰髪のガキを手駒にしようとした。魔力がないってのは、魔力由来の探知法には引っかからないからな。更に灰髪なんて社会の底辺、銅貨1枚の値を付けることもない存在を調教し、道具に出来れば合理的でもあるもんな。

 そして、そいつは結局、力もなければ技もない、大して役に立たなかった。

 それだけの関係だ。


 ──じゃなきゃ、なんであの時『メリーは孤独でいるべき』なんて、残酷なことを口にしたんだよ。


 僕は、あんたを信頼することはない。絶対にありえない。この足下の鎖を巻き付けた吊り橋だって、ひとつずつ叩いて歩きたいくらいだ。

 ……勿論、わざわざ言葉にしてやるつもりもない。僕には、この火傷女と対話をしようなんて気はないしな。

 ただ、スカした背中を静かに睨みつけるだけだ。


「いつまでそこに立っている?」


 女は涼しい顔をして、そんなことを問いかけた。


だ?感謝の言葉を並べて頭のひとつでも下げろってか? はッ、配慮の押し売りってのはつくづく傲慢な──」


「不要だ。君の思考に関心はない。私の関心は、君の身の安全だ。その観点から、君に屋内への移動を促している」


 グレプヴァインは表情を変えず、頭上の鋭く尖った針のような建物を指さした。……その態度がまた、何とも腹立たしい。

 なーーーーにが関心だ。どうせ、僕の安全が何らかのあんたの都合に叶うだけだろう。こいつが僕の思考に関心がないように、僕にとってもその辺りは一切関心がない。

 僕は今すぐ飛び降りたくなった。が、ふわふわ浮いてるメリーの姿が見えたので、その衝動を思いとどまった。


「この不安定な足場では、翼を持つ相手には不利だ。また、遠隔攻撃の可能性も考えられる」


「あんたは移動できるだろ。そして、遠隔攻撃とやらはあんたの得意技だ」


「そうだ。しかし君は足場でしか移動できず、遠隔攻撃の手段を放棄している。

 あの夜もそうだ。君には糸を繰る他に、遠隔攻撃を織り交ぜることができた。狙撃……あるいは、魔石の投擲でもいい。何故、それらを使おうとしなかった?」


「それは──」


「それは、不合理な君の信念によるものだ。灰髪である君は、信念を肉体を動かす原動力としては扱えない。君の肉体は、その時点の体力と日々の鍛錬でしか動かない。

 ならば、それに固執するな。君の信念は私との訓練を忘れようとしているようだが、君の肉体はその経験を忘れてはいない」



「……そんなものは、何も覚えちゃいないんだよ。あんたとの鍛錬なんてモノで、僕に経験値は何ひとつも入っちゃいないのさ。あんたの言うように、僕は灰髪だからね。狙撃のスキルも投擲のスキルも《隠密》も《回避》も何もかもッ!僕には備わっちゃいないんだ」



 そんな僕の言葉に、グレプヴァインは僅かに眉間に皺を寄せながら、


「ここは死地だ。思考よりも、生き残るための最善を尽くせ。

 君の頭上にある建築物から屋内に侵入し、第二層の本格的な探索を開始する」


 これからの用件だけを僕に告げた。

 ……その方が、僕にとっては都合が良かった。




「《高速回転式(ノック・ノック)万能鍵(・バーグラー)》」


 宙に浮かぶ、人差し指程度の鋼鉄の魔道具が、合図に従って高速で回転する。墨色の刃が、唸りながら高速回転し、尖塔の屋根を削っていく。

 削る過程で瓦礫や土埃をその螺旋の内側へと取り込み、巻き込み、刃は少しずつ大きくなっていく。

 ついには人の腕ほどの太さになった刃は、火花を上げながら、尖塔の屋根を大きく抉っていった。


「ここから進入する」


 高ランクダンジョンにて探索を行う冒険者に求められるものは、対応力だ。グレプヴァインの万能鍵は、こうして地形を穿孔することにも、敵の頭蓋をこじ開けることにも使われる。


「……斥候は。僕がやる」


「許可しない。ここは一層と異なり、在りし日の王都だ。君はその地形を知らず、この塔がどのような機能を持つ施設なのかも把握していない」


「それじゃあ、僕がここに来た意味がないだろ……!」


「その通りだ。君は弱い。己が身を危険に晒すことに意味などない」


 黒いレインコートの裾を陽炎のように揺らめかせながら、グレプヴァインは壊した屋根から建物内に進入した。

 ……僕は渋々、不本意ながら、それに着いていく。





 塔の内部は、機材の類がぴったりと天井に貼りついた、奇妙な空間だった。

 僕たち人間以外は、規則正しく配列されている。僕たち人間だけが、この世界の正しい法則から弾き出されているような──そんな印象を、この景色からは受けた。


 グレプヴァインが破壊した僕の足下には、何やらキラキラと光る規則的な紋様が描かれている。多分、美術的な何かだったんだろう。無惨な姿を晒しているが。


 そして僕の頭上には──目測10mくらい先の頭上には──数々の書類の山と、とても大きな書架と、望遠鏡らしきゴテゴテした筒が散見される。

 王国の権威ある伝統的な建築様式というのは、屋根がやたらと高い。その方がより偉そうに見えるからだろう。

 それらの資料には、ちょっと両手を伸ばしてジャンプした程度では届く位置にはない。《身体強化》を掛けて、壁を蹴ってってくらいかな。つまり、僕には無理だ。


 旧王都の遺品。研究成果。奢侈品。その他諸々。

 きっとこれらを迷宮資源として持ち帰るだけで、二年は遊んで暮らせるだろう。

 勿論、僕はわざわざ持ち帰る気はないけど──。


「……厄介だなぁ。なまじ、参加する人らがみんな価値を理解できるだけに、尚更厄介だ」


 ──大規模侵攻作戦において、足並みを整えさせない要素であることは疑いない。


 勿論、迷宮資源を接収することも含めて、侵攻作戦に加えてはいるだろう。儲けがなければ商人は動かないし、理想だけで生きていけるのは生活に余裕がある人だけだ。

 この国の多くを巻き込んで、10万人という人数は初めて捻出できる。何の成果も得られないなんてことは通らない。


 そして、規律が取れているかというと間違ってもそんなことは言えない。

 5人前後の冒険者ですら、金目のものを前にすると人間関係を崩すんだ。10万人の賢さを、あまり高く見積もるべきではない。

 規律の徹底とか厳しい訓練とか、そういうこと日常的にするのは騎士団とかのごく一部だ。ちょっと戦える程度の人とか、規律なんてものが存在しない『ナメられたら殺せ』の冒険者とかが混ざって仲良し子良しなんてできるわけがないんだ。

 そういう意味でも大規模作戦とかいうのはただ混乱を招くことでしかなく──斥候として危険を取り除くためには、いっそ、こういう資源を焼き捨てて全部廃しておいた方がまだ合理的なのかな、とか思ったりする。


「めり。こわす? くだく? もやす?」


「……いや。誰かにとって、すごく価値があるものだろうから、そういうわけにもいかないよ」


「そうだ。この星見の塔は、天体観測拠点であり、政治の場でもあった。広範な物事を判断できるスキル《占術》は、星をその媒体とするからな」


 んー占卜せんぼくで政治を定める祭政一致形態とかやっぱ価値薄いかもしれんわ。壊すか?砕くか?燃やすか?

 グレプヴァインのご親切な解説を無視しながら、僕は偏見を強めた。



「よっ……と」


 高所への移動は、様々な地形に出くわす冒険者なら珍しいことではない。手持ちの縄とか杭なんかを使って、巧いこと足場を用意して登っていくくらいのことは、僕にもまあ、できなくはない。

 崖の途中にある、破損しやすい何かを回収するとかじゃない限り、別に、僕にとってそこまで難しいことではなかったりする。……まあ、つい縄使わなくても大丈夫かなって判断してちょっと足滑らせたりとか、しないわけじゃないけども。


 逆さの建物は、人間が使うのにはあまり便利ではない。

 ドアの位置が随分とまあ高くにあるので、登ってから降りる、みたいなことをしなきゃいけないのだ。

 なお、僕がそんな風に高低差を感じている一方で、グレプヴァインは先ほどのように万能鍵ドリルで人間サイズの穴を開けて部屋に移動している。



 そこは、緩やかな勾配で螺旋を描く回廊だ。

 高そうな調度品なんかが、みーんな逆さ吊りになっている。

 一方、僕らが足を着けている床には、人間5人分くらいの大きさのバカでかいシャンデリアが行く道を塞ぐように沢山置かれている。


「……魔獣の気配がない。警戒しろ」


「あぁ?ないものをどう警戒しろと?」


「ないからこそ警戒すべきだ」


 別に、んなことは理解してる。……ダメだな。その主張の正当性の是非に関わらず、こいつの言ってること全部を否定したくなる。

 ぜんぜん冷静でも合理的でもない。だけどまあ、事あるごとにそういうことを口にするのがいるから、むしろそれは悪くないと思った。


 グレプヴァインは、紫の燐光を瞳から放つ。《探知》だろう。

 視界に魔力を注ぐことで、物体の構造から何からを把握できるらしい。


「安全を確認した」


 あっそ。

 僕は十尺の木棒で地面をバシバシとぶっ叩きながら移動する。

 あれの言葉を信用する理由がない。


 叩く。

 叩く。叩く。

 叩いて移動する。


 その間には、魔獣の存在も、罠の存在もない。

 まるで低ランクダンジョン(ピクニック)のようだ。


「止まれ」


 ふと見ると、地面に楕円形の立方体が落ちていた。

 それは深い青色で、見る角度を少し変える度に、色を少しずつ変えているようだった。

 ガラス瓶みたいで、ちょっと綺麗な──。


「触るなキフィナス。そして、すぐに目を閉じろ」


「あ? 不用意に触るわけねえだろ。それから、目を閉じる気は──」


 僕がその声に振り向いたとき。

 立方体は、真紅に光った。



 瞬間!

 僕たちの体が、がくんと前方斜め前へと投げ出された!



 僕の身体は10mほど遠くの天井へ自由落下し──どっちが天井でどっちが床だっけ?──いずれにせよさっきまで天だった方に向かって落ちていく落ちたら死ぬ直ちに死ぬ僕は咄嗟に生きたツタをシャンデリアに絡ませて、一度体勢を整えて、壁に靴のスパイクを突き立てつつ、壁から地面に向かって走るようにして──途中で足をもつれさせてすっ転びつつも受け身をなんとか取って──高空から落ちる衝撃を殺した。


 なんだこの現象!?



「──終末装置デバイスだ。先程までの天地が反転した光景は、全てこの《逆行の宙構(オービタル・アップル)》の効力だったということだ。

 魔獣たちは、これの起動に巻き込まれたのだろう」



 グレプヴァインは宙に自分の身を固定しながら、いくつもある調度品の影を糸のように伸ばして、落ちていた立方体を包む。


「うわ、わっ、わわ……!!」


 その間、重力が、あっちこっちに傾きを変えている。上下左右に、何の法則性もなく、身体が落ちようとする。

 僕は、なんとか身体をバカでかいシャンデリアにしがみつかせて、粘着糸で固定して、重力の波が落ち着くのを待つ。



「無効化措置完了だ。……そして、ここ旧王都は、未回収の厄災の種に溢れている。ひとつでもそれが外に持ち出されれば、この世界に深刻な打撃を与えるだろう」



 グレプヴァインの言葉には、僕の心に反発心よりも必要性の方を訴えた。

 もしも、お屋敷や宿屋で──ダンジョンの外でこんな現象起きたら大事故だ。



 ……大規模侵攻作戦とかいうの、今からでも考え直さない?

 マジでさ。




■《逆行の宙構(オービタル・アップル)


在りし日の王都グラン・タイレルに存在した終末装置。

生物に掛かる重力のベクトルを操作することができる。


見た目は楕円形の滑らかな立体であり、見る角度に応じて表面の色を変化させ、それはまるで星空のように見える。


それが赤く見える角度から覗いたとき、この装置は起動する。


その影響範囲は単一世界の全てに及ぶ。

王国歴30年代に出土し、誤作動で起動して当時の世界人口を1/12にした。 11/12は、横方向に落ちて壁に墜落死したり、空へと吸い込まれていった。

ダンジョンに入ることで難を逃れた者や、それが物体には及ばない特性を理解して何とか生き延びた者によって、それは闇蝙蝠の翼膜など、光の届かない暗幕に覆われて、王都の禁忌目録に記載され、厳重に保管されることになった。



重力が林檎に掛かるのではない。

林檎が落ちる方向に重力があるのだ。

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