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穿つ鉄杭



 冒険者向けの宿は、常連の宿泊客がある日を境にしてその顔を見せなくなることを、必ずどこかで経験する。

 Dランク冒険者のキフィナスお兄さんが、いつになく真剣な顔で『しばらく王都に行ってくるよ』と、インディーカ・ギーベに両手いっぱいの金貨を預けてから、いったい何日が経過しただろう。

 もう、何ヶ月も経ったようにも思える。


 それを機に領主さまも館まで戻っていって、賑やかだった二階は、ずっと静かになった。


 今日もインディーカは、窓を拭いて床を掃いて、部屋をぴかぴかにして、いつでも帰りを待っている。

 この金貨は、全部整備費として貰ったのだ。そして、いつもの、へらへらと笑った顔に、インディーカはそれをそっくりそのまま突き返すのだ。


「数ヶ月帰れないかも、って言ってたけど……領主さまの仕事だから、だよね。……帰って、くるよね」


 静まった客室での呟きは、ひときわ大きく部屋の中に響いた。


(……他の冒険者の人たちは、王都の方で、なんだかすごく危ないことをするらしいけど。わたしに腕相撲で負けちゃうようなお兄さんが、そんな危ないこと、するハズないよね)


 そう自分に言い聞かせる。

 よくボロボロになって帰ってくる、弱っちくて頼りなくて怖がりで言い訳がましいお兄さんは、そんなことはしないのだ。



『そっか。……涙を拭いて。大切なひととケンカすることなんて、誰にでも、よくあることだよ。だけど、君はまだ間に合う。仲直りができるはずだよ。

 僕も付き添うからさ。しっかり、お母さんに聞きたいこととか、してほしいことを伝えよう。一緒に怒られても、僕は痛くも怖くもないからね』



 泣いてるインディーカにそんな言葉を掛けてくれたあの雨の日も。……そういえば、ボロボロだったっけ。

 緑色に髪を染めて、インディーカよりもずっと、泣きそうな顔をしていて、でも、作り笑いを浮かべていて。



「ただ待つのって。つらいなあ」



 埃ひとつない部屋を、インディーカは毎日、掃除を繰り返している。

 お兄さんの──家族の帰りを、そうやって待ち続けている。



* * *

* *

*



 転ばぬ先の杖、十尺の木棒が鋭利な刃物のようなもので斬られている。僕とメリーは相手が直接攻めてくる可能性を考えて、二層への入り口……次元の継ぎ目から少し距離を空けて、一時待機した。

 無警戒に踏み込めば、その刃は僕を斬って捨てることになるだろう。


「めり。つよい。つよいよ」


 無口で無鉄砲のメリーは力こぶを作りながら(できてない。腕は僕より細くてみじかい)こんなことを言うが、安全とは意識してしすぎることはない。石橋は叩いて渡るべきで、何なら叩き壊さんばかりに執拗に叩いてから、初めて足場にすべきだ。

 ……というか、幼なじみを明らか危険が予想される場所に適当に放り込むみたいな無責任なこと、許されるわけがないでしょ。



 第一層で自我にダメージを受けた冒険者を、二層の入り口にて何者かが待ち構える。どうやらこのダンジョンは、そういう構造らしい。

 ──同業者狩りの手口に近いな。層の境目は互いの位置関係が視覚的に掴めないから、連中はそこで奇襲をしたがる。

 それは、この先の相手が知性を──悪意を持っていることに他ならない。


「だが、膠着状態で待機するのは良手ではない。対処する」


 そういうと火傷女は、砂利くらいの大きさの金属球が数百個詰めこまれた袋を取り出した。一見すると、それはただの、冒険者ギルドで袋ごと売っている《迷宮歩きの銀玉(ボール・ベアリング)》そのままだ。

 この小さな鉄球は主な用途として、室内型のダンジョンで転がして罠を調べたり、逃げるときに足下をちょっと不安定にして有利にしたり、財布を通常より重く見せるのに使われる。

 違う点は、袋の先から鋼線ワイヤーが伸びている点にある。


 グレプヴァインは、それを投げ縄のように手元で三回ほど回し、


「あと三歩、後ろに下がれ」


 次元の歪みの先へと、ワイヤーが付いたままの袋を投げ入れた。

 2本、3本、4本と、袋を投げ込んでいく。

 ……本当に癪だが、僕は言葉に従って後ずさった。


 虚空に向かって、張りつめたワイヤーが何本も伸びている。

 これは《固着》の魔術で空中に固定しているものだ。

 その仕組みを、僕はよく知っている。


 ワイヤーが反応すると、袋の内側の屑魔石が励起し爆発、同時に掛けられていた《複製ジェミニ》が起動し金属球の一粒一粒が二倍に分裂し続け、周囲に無数の散弾を撒き散らす。

 そして、銀玉は《魔狼殺し(ウルブズベイン)》の根を漬け込んでおり、皮膚を裂いた金属片が猛毒を効率よく相手の身体に流し込むように機能する。

 対象を自動的に殺戮することを目的にした、術者とのツテさえあれば、材料としてはたったの銀貨4枚程度で誰にでも作れる非人道的武装だ。


 そして張りつめていたワイヤーのうちの一本が、パチンと小さな音を立てて跳ねた。それと同時に、他のワイヤーも続けて跳ね、地面へと力なく落ちる。

 向こうで連鎖して炸裂したらしい。

 そうして、グレプヴァインは無言で袋を投げる。四回ほどそれを繰り返すと、ワイヤーは虚空にピンと張ったまま固まった。


「獣除けは終わったな。君が考案した道具は、やはり効率的だ」


 ……売れないで残っている商品と、僕でも取れる魔石を組み合わせた代物。

 冒険者として、たとえ力がなくても何か工夫できることはないか──なんて無邪気に、世界の仕組みも大して知らないまま、アホなことを考えてた頃に試作したものだ。

 この世界には教育機関がない。僕の月並みな発想はこの世界では独創性があり、そして、それが危険であることを理解した最初の発明だった。



「しかし木棒とは、随分と懐古気質オールドファッションなものを使うようになったな。デロルでも、質のいい冒険用具は販売されているだろう。いや、最終的に頼れるのは、単純な機構ということか?」


 僕は火傷女の言葉を無視する。雑談なんかする仲じゃないし、別にそんな偏屈な哲学なんてモノはない。……ただ、使いたくないだけだ。


 すると、あいつは何を思ったか、突然何やら串刺しと晒し首を足して2で割ったようなグロいオブジェ風の鉄の棒を何本か取り出して、等間隔に突き刺していく。

 ……いや、グロいグロい。なにそれ。人格を疑うんですけど。王都じゃこういうの流行ってんの?それとも趣味?趣味なの?

 いずれにせよ、人格を大いに疑うところである。そもそもこんな小道具が無くとも、僕はこの女の人格というものについておよそ軽蔑しているのだが、その念は一段階深まったと言える。

 僕がじろじろと眺めていると(不覚である。観察は僕の癖だ。この女の一挙手一投足には何の関心もない)グレプヴァインは少し目尻を下げて、べつに頼んでもない解説を始めた。


観測標マーカーだ。観測者を失えば、この灰の野は金の花畑に戻る可能性が高い。

 非戦闘員を待機させる補給拠点として、この第一層は候補になる。焼き払った後は安全区域として活動が──」


 言葉の最中に、周囲に湧き出る吐き気を催す腐臭に僕らは顔をしかめた。人型の異形が突如、揺らめいた陽炎から出てきたのである。

 その数は、一体、十体、百体、千体……そのうちのひとつは、僕が金華に触れた時に目にした追憶のビジョン、異形と化した家族たちに、よく似ていた。


 それらは、前方左右360度に僕らを取り囲み、ゆっくりと這い寄ってくる。


「メリス! 護れ!」


「けいこ」


「ッ──! ならば……!」


 グレプヴァインは勢いよく鉄杭を蹴り上げると、それは上空10m程度の位置の虚空へと突き刺さった。

 その杭には、2本の長い鎖がだらりと垂れ下がっている。


「空に杭を打った! 《生き縄》を使え!」


「は?嫌だね。まず第一にだ。メリーに指示をする権利は、あんたにだけは、絶対に無い。そして第二に、僕があんたの指示に従う気もない。僕はあんたの力を借りるくらいなら──」 

「……。そうか。《キッドナッパー》」


 僕の両手両足はワイヤーで絡め取られ、そのまま上空の鎖へと巻き付き、そこに吊された。……離せ! 解けよ!

 余計なお世話だって言ってんだろ! そんな義理はどこにもないだろ! 僕は、あんたを殺したいほど憎んでるんだって何度も何度も言ってるだろうが!!


「叫ぶな。動くな。余計な消耗をするだけだ。付近の安全を確保でき次第、拘束は解除する」


 僕は手足をじたばた動かそうとしてみるが、鋼線はびくともしない。まったく力を入れることができないように拘束がされている。

 そしてメリーは、僕の隣にふわふわと浮いてきた。


 目が合う。

 メリーはふわふわしている。


「外してくれない……?」


「ん」


 この「ん」は、否定の意味だ。

 なんでそういう意地悪をするのかなぁ……? 僕が縛られてるのを見るのは楽しいですか?


「みる。みれば。みよ」


 そう言って、メリーは地面を指さした。


 ……腐れ火傷女は両手にそれぞれ一本ずつの鉄杭を携え、次々に襲い来る異形相手に、認めるのが癪でしょうがないが洗練された立ち回りを見せている。


 すれ違いざまに相手の胸に杭を打ち、そのまま蹴り穿ち四散させ、右脇腹から逆袈裟に斬り上げ、脳天を貫き、虚空から次々に杭を取り出しては大型のクロスボウで抜き撃ち連射し撃ち尽くし、異形から吹き出たタールのように黒い血が驟雨のように周囲に降り注ぎ黒く染め上げ、意にも介さず打った杭を引き抜き拳を打ち込み吹き飛ばし、打って打って打って、裂いて裂いて裂いて裂いて裂いて裂いて裂いて、砂状の魔石片を足で広げて描いた魔法陣を励起させ、ついに紫色の酸の大嵐を放った。


 酸の嵐は泡が弾けるような小気味のいい音を立て、触れたモノを溶解させる。辺り一面に多量にぶちまけられた臓物や血液、そして異形の群れを大風に巻き上げ、焼き尽くしていく。


 そうして周囲は、荒涼とした、紫色の酸が何もかもを溶かした、黒と紫の、病のような痕跡だけが残った。



 それから、ばつん、という音と共に、僕の身体が地面へと投げ出された。言葉通り、安全だと判断して拘束を解除したらしい。

 ふざけんな何が安全だよ落ちたら死ぬだろ!? 僕は取り出した《噛みつき草のツタ》を鉄の鎖に噛ませて絡めて、なんとか高空からの自由落下を防いだ。


「やはり《生き縄》はまだ捨てていないな。縄は探索の基本だ」


「殺す気か?殺す気なんだよな?それならもう少し直接的にやれよ。なあ? 随分とまあ、陰険で遠回しじゃないか。それとも何かな。僕をぶっ殺すのにはあんたが言うように無力感を思い知らせるようなやり方で──」


「冷静になれ。まだ囲まれている」


 ……僕は周囲を見た。遠くから、こっちに向かって這いずる大量の影が見える。



「100万の敵を短時間に殺しきるほどの範囲火力は持ち合わせていないし、それで打ち止めという保証もない。

 力ある個は、力なき物量に凌駕されることはない。それがこの世界の真理だ。……が、君はそうではない。君は弱く、一撃でも受ければ絶命するだろう。移動した方が賢明だ」


 そう言って、グレプヴァインは第二層を指し示す。

 鎖の付いた長い鉄杭が周囲に降り注ぎ、鎖に囲われた一本の道ができた。


「メリスが殲滅するというのなら、話は別だが──」


「ふざけんな。メリーがどうするかは、メリーが決めることだって言ってんだろ。わかんねーかなぁ?繰り返すぞ? 間違っても、あんたが、あんただけは、メリーに指示する立場じゃない」


 ──メリーが何もしなくて済むのなら、その方がずっといい。


 がさつで暴力的だけど、別にメリーは暴力がとくべつ好きってわけじゃない。僕は、暴力を振るわせることを好まない。

 それに、髪とか服とか汚してもまったく意に介さないし。洗うの、僕とインちゃんなんだよね。

 だから、してほしくないんだよ。

 メリーが、自分がふわふわしててもいいと判断するなら。それはきっと正しいことだ。



「……危機感を持て、キフィナス。君ができる最善を尽くせ。君の思想を、信念を、私は尊重しない。

 ただ、生き残ることを考えろ。

 ──旧王都グラン・タイレル。ここは死地だ」



 周囲から、鎖を叩く重苦しい音が響く。

 グレプヴァインの言葉には答えずに、僕は第二層に飛び込んだ。










 そこは、逆さまの都市だった。

 天蓋に張り付いた建物群は、ずっと彼方まで広がるようだった。天蓋に? 逆さ? 


 そう。

 地面はあっち。天上にある。

 僕の足下なんて、気の利いた場所にはありやしない。


 なのに、僕は落ちていない。


「地形の把握が遅い。1秒以内に対処しろ」


 黄昏色の太陽に向かって落ちようとする僕の裾を、細い杭が、虚空に縫い止めていた。






「ようこそ、貧者の灯──ああ。キミか」


「こんにちはぁ」


 時刻は白昼。

 銀の扉を無遠慮に開けて、暗い店内に間延びした声が響いた。

 声の主は、緑の長髪を揺らす、豊満で女性的な体躯の美女だ。


「先に断っておくが、キミに資金を貸し与えることはない。なぜなら、キミには返済能力がないからだ。そしてキミの人生の物語に、ボクは然したる興味を持っていない。その血液──生物としての骨格・本質の情報にも、一滴も価値を感じていない」


「そうぉ? 残念ねぇ」


 そう言って、客は店主の了承を得ずに、テーブルに着いた。すると、銀のドアが無音で閉まる。

 クロイシャはそれを一瞥すると、手元の書類に戻った。

 明かりのない部屋に光源はない。テーブルの上の蝋燭が、影にどろりと融けて消えた。


「今日は、愚痴を聞いて貰いたいだけよぉ。アナタ、お喋りが好きでしょう?」


「そうと定めた生業をしたまえ」


「そうは言うけどぉ。あの子ったら、昨日から元気ないのよ。だからぁ、しばらく休業になるわねぇ」


「キミが働きたまえ。ボクたちの役割は、何らかの方法で現生人類に恩恵を与えることだ」


 クロイシャは手元の書類から目を話さずに言う。

 己の同族に与える敬意はない。人間のルーツ・アイデンティティを持ちながら後天的に世界の一部となった人工魔人について若干の関心はあるが、揺りかごを共にした相手には、もはや自分を暖める何かを提供できる存在であるとは、一切の期待をしていない。

 特定の情動に対するクオリアしか持ち得ない存在は、世界に対する関心を持たなくなる。そして百年二百年と時を経る内に、反復行動ばかりをするようになるのだ。


 目の前の魔人は、原色が一柱。自身と同じ原初の魔人だ。

 大将官として、現生人類を試すべき役割を早々に放棄し──己自身に名付けを行い、人間社会に溶け込む存在。



「せめて、キミの関心ある、人間の彼女でも連れてきたまえよ。彼女の物語には、その火の粉のような小さな熱は、大きな熱量を得る火種となりうる」


「そう。アナタっていつもそうだわぁ。誰しもに可能性があるようなコトを言って、その実、誰も信じていないのよ」


 クロイシャはその反応に、おや、と首を傾げた。自分の言葉に気分を害するような人間性は、彼女に存在していただろうか?


「キミとボクとの共通の話題は、ボクがつかさどる経済活動に限られる。しかし邸宅の返済も、キミが経営する宿屋の客が、好意から支払ったものであり、そもそもキミは、経営の一切を自分の手では管理していない」


 だが、どうでもよいことだ。

 クロイシャは言葉を続ける。



「貧者の灯火は、キミには必要がない。

 翠玉剣の担い手、暴食の竜ミドリ。赤は既に打倒され、青は今もなお眠る。そして緑は、己に設定された願望──食欲の充足のため、すぐさまにヒトの形を取ることを定めた。

 スメラダ・ギーベ。改めて、今日は何の用かな」



「ええ、ええ。そうよぅ、クロ。

 元を糺せばアナタのせいなのだから、愚痴くらい聞いてほしいわ。

 だってご飯は、家族でとらなければ美味しくないのだもの」



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