黄昏の王都へ
癪なのだが。
本当に、マジで、心の底から癪で癪で仕方がないのだが、協力することになった。……いや、うん。わざわざ王都まで来た時点で最終的な着地点はそうだよ? そりゃそうだ。そうなるとも。じゃなきゃ、わざわざ王都とか行くもんか。雑多な人混みは気が散るし、ゴミ人とのエンカウント率が高くて気が滅入る。世界というのは、個人の選択の集まりで出来ていて、そこに時々まぶしく感じられることを認めなくはないし真っ直ぐ向き合う人たちを尊敬する気持ちがないとは言わないが、概してロクでもないのだ。なぜなら僕含む人間の多くロクでもないから。そんな世界の中心ということは、世界で一番ロクでもない場所という図式が論理的に考えて成立するし、事実ロクでもない場所という感想しかない。
だけど、まあ、ほんの少しくらいの割合でマシな部分があるからさ。
ほんの僅かなもののためなら、多少の嫌な思いは我慢してやってもいい。
「めりは。きふぃがよいなら。よい」
「キフィ……いえ。当家の家令を無傷で、速やかに当家まで帰すこと。加えて、彼を当家の代表として厚遇し、それ以外の人足をデロル領に求めないこと。以上の条件が遵守されるのであれば、私は旧王都へ参加させることに合意します。
……加えて。参考までに、私の能力を開示しましょう。この魔眼は、この土地の全てを一瞬で凍てつかせ、凍土へと変じることが可能です。どうか、努々お忘れなきように」
メリーとシアさん。二人はこんな感じだった。
もっとも、メリーはいつもの悪癖である無関心さをこんなとこでも見せてくるし、シアさんは内容はともかく眼から青い燐光ぱちぱち瞬かせてなんか怖い。なんなの。
アイリーンさんがマジでうるさいから連れてきた、完全にオマケでしかない帝国皇帝陛下認定をされなかった傲慢なガキ様については『自身も旧王都に参加させること』で納得するとシアさんが教えてくれた。……なにそれ? 一体、なにを考えているんだか。やっぱり自国の民が参加させられることに思うところとかあるの? ……だからって、子どもが危険なダンジョンになんて自分から入ろうとするなよな。
はー……、いくらクソ傲慢で大嫌いなタイプの貴族のガキとはいえ流石に死なせるのはダメだろって、僕の小石くらいのサイズの良心が言ってんだがー。でも彼を納得させるのが僕が参加する条件で、それを認めないと僕は自分の参加条件を自分で潰すことになるわけで……。
なんで? 僕はスッキリした気持ちで参加したいからみんなの納得を条件にしたはずなのに、なんかややこしくなるしスッキリしないんだよね……!?
それにさぁ……ほんと、その程度が条件とか、交渉ってもんをナメてんのかね。
「ひとつ提案なんだけど、直轄領を使って、帝国のひとたちを集めた自治区って作れるかな。
僕自身が辺境の出だから、感じるところがあるんだろうけど。帝国で人生を過ごした人たちは、王国の文化を自分のものだと考えることはないよ。それを王国の民だって矯正することは、歪みを生むんじゃないかな。いっそ、どこかに押し込んだ方が平和だと思う」
「それは、余どもの父祖がお考えになった、帝国建国の理由であるな」
ああそう。数百年前に通った道だったんだ。
「余どもは、世界の中心の長として、帝国の民たちを再び同報に迎え入れる約定を結んだ。故に、安易にその提案を受け入れるわけにはいかぬな」
なるほどね。
なんとも難しいね、政治ってのはさ。
さて。
女王陛下と一応の合意を取って、なんかこのまま旧王都に参加する勢いだったシアさんをなだめすかして家に帰して、アネットさんの家から離れて、裏通りにある湯浴みができることと身分を確認しないこと以外に取り柄のない宿を借りて。
そうして明日が、いよいよ《王都グラン・タイレル回復運動》の開戦日だ。
吟遊詩人の数は日を追うごとに増えて、どの角を曲がっても歌ってるような始末だし、貴族街の方は王国中の領地からの馬車でやたらと渋滞を作ってとにかく騒がしい。しかも生き物である駄獣の管理に──車を牽くのは必ずしも馬だけではない。もっと大型の生物もいるし、貴族というのは珍奇なものを好む傾向にある。よって、飼い慣らせる気性の生物資源なら、大抵のものが今この王都に揃っている──とても困っているらしい。そりゃ困るわ。知らん生き物の世話で責任問題が発生するとか嫌すぎる。
その点で言うと、ウチのゴーレム馬車ってのはやっぱり、結構便利な魔道具なんだなって思わさせられるね。
「めり。めり。めりのがはやい。めりのがつよい。ぜんぶたおせる」
「そうだねー。でも安全性への配慮という面でより大きな課題があるかなー」
「ん。めりのが、より、おおきい。つよい」
「んー褒め言葉じゃないねー。リスクが大きいことはいいことじゃないからねー? ……ちびだからそんなこと思うのかなぁ……」
乗り物と張り合う僕の幼なじみ。もし、将来の夢に『ぶるどーざー』とか言い出したらどうしよう。僕はこの子をどう諭せばいいんだろう……。
そもそも、君にとって『強い』は別に褒め言葉じゃないだろ。そうやっていつも、てきとーなことばっかり言うんだから。
ほんと、メリーは平常運転で羨ましい限りだよ。
「はあ……。嫌だなあ。いよいよだなぁ……」
──僕はと言えば毎日、処刑台の階段を登るような心持ちだったっていうのに。
ああ、そうだよ?あれだけ見栄を張って、いかにも僕らは対等です、なんて顔をしてみたってさ。当然対等でも何でもないのはわかってるし、何より怖いものは怖いんだよ。……だってさぁ? 明らかに危険だと確信できるイベントが、時間と共に、ゆっくり迫ってくるんだぜ? いや、ほんと、気が気じゃない……! 胃がキリキリする……!! 情報を集めても全然役立たないしさあ!
旧王都の生き残りは数少なく、彼らは重い口を開けようとはしない。冒険者ギルドだって、三年前から地図とかの情報は全然備えてないし、そもそも《異界深度計》がぶち壊れたり《鑑定》スキルで危険度が読み取れないようなダンジョンは地図作成が困難だろう。《マッピング》持ちは自分の能力の稼ぎ方理解してるから危険なダンジョン寄らないし。
そもそも、この10年間、命知らずの冒険者なんて王国中に沢山いるはずなのに、そのうちの誰一人として帰ってきていないんだ。
……そんな場所にメリーを連れていくのは、やっぱり抵抗がある。メリーがいくら強くても、万が一を、僕はいつも考えている。……ほれは、僕がメリーの強さを、それが他の人に比べても隔絶しているところを、真の意味で理解できないからなのかもしれない。
そして、その強さが、本当の意味で隔絶していることが明るみに出てしまったら──僕らは最悪、また別の場所を探さなきゃいけなくなる。
この作戦の勝利条件にはメリーの力が必須だけど、その力が完全に露見することは避けたい。勝手な期待を持たれて、勝手に責任を負わされて、勝手に幻滅されるような……、英雄になってしまうことは、避けなければいけない。
ああ、いっそ、時間が止まってくれればいいのに。
僕は非現実的なことを独りごち──、
「とめる? とめる?」 なんかメリーが反応した。
「止めなーい。そんなことしたら君が疲れちゃうだろ? だめだよ、これから危ないことするんだから。体力は温存すべきだ」
「にまんねん。とめれるよ」
「なんなの?何を目的としてるの?」
「とめること。とめれば。とめよ」
「誰に命令しているんだ君は」
メリーとそんなお喋りをしつつ、今日も王都の裏通りで、治安の悪い連中を相手に、気晴らしに放火とかをしている。
僕は身隠しの魔道具を被って、メリーにも悪そうなデザインの仮面を付けてもらった。……うん。これはこれで、結構似合うね。まあ、仮装大会くらいでしか使わないだろうけど。
目が眩むような眠らない都市、あちらこちらに林立する魔石灯がギラギラと眩しい王都タイレリアにも、光が漏れる場所がある。強い光の隣の影が濃いように、ここには、貴族の息が掛かっている後ろ暗めのサービスが色々とあるのだ。どれが虎の尾かわからないから、憲兵隊は裏通りでの仕事はしない。
仮に憲兵隊がここで仕事をするとすれば、そういった裏がないと一目でわかるような──要するに、弱者を見せしめに摘発する。ここは、そういう街だ。
闇夜に煌々と炎が燃える。
それを僕は、ぼうっと眺めている。どうでもいい色をしている。
吟遊詩人の歌に釣られて、侵攻作戦が始まる前に旧王都で火事場泥棒を──おっと資源回収って単語だったな──しようとした冒険者グループがいくつも行方不明になっているのは、この裏通りでも色々噂になっているところがある。
僕の気晴らしの活動は、突発的な非正規雇用労働として、王都中央ギルドでも話題にしていることだろう。いやまあ、寄りたくもないから実際どうだか知らないけど。どうでもいいけど、どうも冒険者がちょこちょこ裏通りで騒いでるから多分やってるんじゃない? どうもー? 僕は、武器を構えた人らにひらひら手を振って挨拶した。
うんうん。僕の気晴らしと、この人らの運動不足の解消を兼ねる。一石二鳥というやつだね。
「ああ、あと二歩ほど、後ろに下がった方がいいですよ。そこだと首が危ない。もう、この辺りには糸が張られてますからね」
こっちを調査した方がワリがいいと考えたり、裏通りのオトモダチが被害を受けた、なーんて動機で、旧王都よりも優先する人もいるんじゃないかな。
ま、ガラの悪い命知らずの冒険者たちが、今から入るダンジョンで死体になってるって考えると、まあ、ちょっと嫌だからね。縁起が悪いし、死ぬなら僕の見えないとこでやれって話なのである。
ダンジョンで見かけた死体を『あっラッキー!罠なしの宝箱だ!』と受け止めるような腐肉漁り的感性は今のところ持ち合わせていないし、今後も備える予定はないのだ。何よりメリーの教育に悪いので。
「というわけで。治療用の薬草は、ここに置いておきますね?塗ってもいいし食べてもいい。便利ですよね。僕は使いたくないですけど。ああ、お代? 大丈夫ですよ。僕はこれで、けっこう優しいところがあるって評判ですから」
さて、こんなとこかな。
……はあ。なんでだろ。
昔に比べて、どうにも全然、心休まらないもんだね。
・・・
・・
・
直許状で関所を抜けて、夜を往く。これは持論だけど、ダンジョン探索に当たっては、入る前から集中力を高めていた方がいい。
ダンジョンで一番危険なのは、侵入の直後だ。ダンジョン酔いからの不意打による潰走、なんて事態は容易に起こる。
正規軍として、老若男女の帝国人たちとそれを指揮する近衛騎士と女王陛下の先見隊が探索をするよりも前に、僕らは旧王都で橋頭堡を築かなければならない。かつ、それならメリーの功績が目立たない形になる。
旧王都は、まさしくタイレル王国の中央に位置する。
僕は、王都で拾ってきたダチョウとトカゲとニワトリをオオサンショウウオ足して3で割ったような見た目の珍妙な駄獣の背に跨がり──ピャアアアアア!と鳴く。うるさい。あと20歩に一回くらいの頻度でびょーんと垂直に3mくらい跳ねる。それから口から虹色の液体を吐き散らかす、なんか鞍に紋章が付いている野良の獣だ──旧王都まで駆ける。
乗り心地はおよそ最悪だが、足だけは速い。
流石は貴族様の乗りも──あー、拾得物だ。世話役の管理の手が回っていない生き物は野生動物と認識して差し支えないだろ。懐いてるなら戻っていくよ。ちょっと借りただけだ。
「見えてきたな……」
陽炎のような時空の歪みが、ダンジョンの入り口である。
旧王都は、元1600km²の土地面積、その全体がダンジョンと化している。歪みの広さというのは、ダンジョン内部構造の複雑性や危険度とも関わりがあり、これは明確に、タイレル王国で最大のダンジョンだと言える。
僕は手のひらで謎獣の足をぽんぽんと優しく叩いて、降りる合図をして──。
「キフィナス。放火、暴行、公務執行妨害、奢侈品の窃盗……どれも、軽い罪ではない。軽率な行為は感心しないな。
今の君には、伯爵家の使用人という立場がある。タイレリアの暗殺者は、既に息絶えたのだ。その罪も総て纏めてな」
聞き覚えのある声が、僕の神経を遮った。
「あ? ストーカーかよ……。何の用だ。
速やかに。ここから。消えろ。そこ退けよ。撥ねるぞ」
闇に融けるようにして目前に現れた黒いレインコートの女が、僕の進行を遮った。……邪魔くせえな。
……何やら片腕が、肩の先からそっくり鉄製の義手に置き換わっているようだけど、誰かとの戦闘の影響だろうか。……いや、まあ、どうでもいいが。この女がどこで何と戦ってどんなに傷つこうが、その情報は僕の人生において何ら益をもたらさない。
「これ以上、その獣に乗っているつもりもないだろう、君は。生物資源は環境の変化に敏感だ。地上に適応できる生物だけが、それと認定される。危険な旧王都まで連れていく気はあるまい」
「そうだな。急にその気が湧いてきたところだよ」
「だが、君はそうしないだろう」
「あんたに僕の何がわかる」
「わかるさ。私は、君よりも正確に、君のことを理解している」
火傷女は力強く断言した。
気色が悪い。
「メリー。後ろに」
「ん」
「メリスを狙うつもりはない。私が扱える限りの迷宮兵装に、竜種の吐息を生身で受けて無傷の相手に傷を負わせることが可能なものは存在しない。
そして、その悪癖は感心しないな。敵対する可能性がある相手を前にした時、むしろ君はメリスを盾にすべきだ」
「──ッ! ふざッけんな!」
僕は爆発した。
全身が引きちぎれそうなほど目の前の女を殺したいと思った。しかし頭は冷やせそのためには考えろ。考えろ考えろ。考えろ考えろ考えろ! この周囲には糸は張っていない戦闘になれば僕が不利だ。勝ち目はあるか。ない。遭遇戦で使える手札は少ない。後ろにメリーがいる毒煙も炎も有り得ない。だから余裕面で声を掛けてきやがった?僕が弱いからか?挑発した。許せるか。許せない許せないから考えろ。武器はあるか。ない。細工はできるか。弱い。概念瓶のストックは。《死の否定》くらいだ。
──目の前の火傷女の全身を即座に輪切りに変えるための武器を、僕は用意できていない。
「賢明な判断だ」
「どの口が!」
「冷静であること。そして苛烈であること。無能の君が冒険者として立ち回るにはそう在るしかない。しかし、苛烈さに流されてはならない。戦略的に──」
「どんな立場で説教してやがんだよッ!」
「……ああ、そうか。そうだったな。では、要件だけを話そう」
リリは、小さく呟くと僕に改めて向き直った。
「──君を護りにきた、キフィナス。
君が原初の黒から受け取った迷宮核の破片を散逸させることは、危険であると判断した」
……何の話だ?
唐突にわけのわからないことを言われて僕は困惑した。まず、原初の黒って何。迷宮核の破片なんてものも心当たりがない。それとも、そういう因縁の付け方かな。よくあるよな、有りもしないもの要求して、出せねえならってヤツ。
適当な名目で僕に近づいて、メリーを後ろから不意打ちしようってことね? させるかよ、そんなこと。
「あれの知識は、極めて危険だ。地上に持ち込まれた迷宮核が、何を目的に、何を引き起こすものかが分からない」
「あ? だから、何の話をしてるんだよ」
原初の黒とかいう大仰な名前がいったい誰を指しているのかは知らないし興味もない。あんたら冒険者ギルドは、そうやって適当な名前を付けて、誰かの自尊心をくすぐるのが癖になっている。
「貧者の灯火。自らに名付けを行い、自己を規定することで人間社会に適応した魔人クロイシャだ」
知ったことじゃない。同名の他人かもな? 仮にそれが、僕の知っている誰かさんだったとして、特別な何かを貰った覚えもない。
特別なモノとしたらせいぜい──いつかの、株券の代金の代わりにと寄越された100円玉くらいだ。……え? なに?
つまり、100円玉のためにコイツはこんな真剣な表情してんの?
うわ、馬ッ鹿馬鹿しぃー……。ちょっと笑えるな。
「…………ほらよ。これでいいのか。僕は、それ以外の心当たりはないぞ」
僕はコインを親指で弾いた。放物線を描いて顔面めがけて飛ぶ硬貨。僕はそれを目眩ましに深淵蜘蛛の縦糸を滑らせ──、
「悪くない手だが、私の方が速い」
奴お得意のワイヤートラップの魔道具が、僕の糸を絡め取った。
僕は舌打ちをした。後ろにメリーがいることを考えると、これ以上の無茶はできない。
「これは……、貨幣か? ──まさか。あの魔人は、この国の貨幣に、己の核を混入させていたのか……!?」
100円玉には、そこに書かれているとおり、100円分の価値しかない。結局のところ、それがタイレル王国ではどの程度の価値になるかが定かでなかったが──どうやら、価値どころか負債だったらしい。
いつの間にか、僕の影に木製の矢が刺さっていた。
「キフィナス。これは君が持っているべきだ。……それは貴重品ではあるが、唯一品ではない。君はどうも、あの魔人に気に入られているようだからな。魔人の権能、その破片は、これからの探索において、君に利する可能性がある。私が持つよりも、君が持つ方が効果的だろう」
動けない僕の手に、毒蜘蛛の脚のように細いリリの手が絡み、今しがた捨てた100円玉を握らせてくる。
「ふ、ざ、けッ……!」
「グラン・タイレルは、私の生家があった地でもある。この知見は、君の探索にも役立つだろう」
「誰が! あんたの力を借り──」
「りり」
メリーが、クソ女の名前を呼んだ。
「きても。よい」
…………。
僕は。君がいいなら、いいけどさ。
そうして、旧王都に侵入した僕らが最初に目にした景色は。
金色に輝く黄昏の空に、黄金の花が咲き誇る穏やかな花畑だった。




