アイ・ワズ・ボーン・トゥ・
行者のいない馬車はガタガタ鳴きながら、景色を後ろに追いやっていく。
完全なる自動運転らしい。仮に事故が起きたとき、その責任は誰に生じるんだろう。作ったシアさんか、それとも本来馬車を運転をすべきなのに目を離した僕か。いやまあ、そんな自由に街道を行き交うようなこともないんだけどさ。乗合馬車は一日に何本も出るわけじゃないし、貴族だって予算なんかの都合から年がら年中行ったり来たりするわけじゃない。
とはいえ、事故の可能性というのは常に存在する。その時、誰が責任を負うんだろう。うーん……、わかんないな。わかんないが、もし事故ったら隠蔽もあるな。治療してカネ渡せばセーフだろ。タイレルの人間ってば無駄に頑丈だから一発なら死なないよ多分。むしろ相手からしたらラッキーかもしれない。僕は窓の外を眺めながら治安の悪いことを考えた。
「…………」
シアさんは真正面からそんな僕を見ている。睨んでいる、と言い換えてもいい。
形のいい青碧玉のような瞳が、半月状にジト目している。
「……さっきから、所在なく窓を眺めていますね。私の作品が信用できませんか、キフィ」
声の温度が低い。……いや、まあ、ええと、……はい。
まず、魔道工学はステラ様だけの趣味だと思ってましたし。
「……姉さまのお手伝いができる程度の能力は、当然、備えています。私は、領主を代行する存在として生を受けましたので」
「いや……、それは安心材料にならないですけど……。ステラ様は魔石いじってなんか作ったりしますけど、それにしても、専門性とかあるわけじゃないですし。大体爆発しますし。日曜大工みたいなものかと」
「……確かに、趣味の範疇ではありますが。姉さまの作品も、安定性を考慮していないだけで、商品として提供できる質は備えているはずですよ」
「商品としてはだいぶ致命的な欠陥じゃないです? 大体爆発しますし」
「…………。それはともかく。工学系のスキルは備えておりませんが、市販品の模倣や改造程度であれば、私にも数時間程度でできるということです。
スキルがなくとも、人には、元来それだけの能力がある。これは、おまえから学んだことです。
キフィ。おまえは、もっと、自分を大切にしなさい」
「してるよ。……してます。してますよ」
ステラ様はいつも、僕に直接のオーダーは寄越さない。基本的には『よきにはからえ』という態度だ。
それはそれでどうかと思うんだけど──自分を尊重しろという言葉は、数少ない、僕に対する命令だったりする。
してるさ。した上で、僕よりも優先順位が上だってだけ。
僕の勝利条件は、いつの間にか更新されてたんだ。
「おまえは、やはり柔軟なようで、とても頑固ですね」
「そうでもないですよ。僕は譲るときは譲る。いろんなもの譲りますよー。物とか道とか譲ってばっかです。
譲れないいくつかが、あるってだけで」
僕の考えは、君との出逢いで大きく変わった。
「ところで、あの。やっぱり、この馬車。なんか速くないですか?」
「……設定上、最低速度です。あと三段階加速が可能ですが」
いや加速機能いらないですけど……。シアさんも大概スピード狂なんだなぁ。最低速度? 時速100km超えてんじゃないのかこれ。
「……なお、最低速としているのは、周囲の安全に配慮した結果であり、こうすれば、おまえとより長く居られるという意図はありません。勘違いをしないように」
……? はい。そうですか。
意図はないなら勘違いも起こらないような……?
「……いえ。そうですか。では、勘違いをすることを許します。勘違いしなさい。……も、もちろん、そういった意図はありませんが」
ダブルバインド……!? 矛盾した命令AとBをぶつけて部下を混乱させるやつ……!
やっぱり僕の態度が根に持たれている……!?
・・・
・・
・
爆走するゴーレム馬車には、馬にも客車部にも、よく目立つ位置にロールレア家の二本剣の紋章が刻まれていた。
王都タイレリア城下にすっごい速度で迫りながら唐突に門前で急停止する、奇妙な動きをする車を検めようとした関所番のギョッとした顔が印象的だったよね。
「……相変わらず、この都は眩しいですね」
結局、馬車をすっ飛ばして──安全運転というのはどう考えても嘘か感覚がおかしいかさもなければ両方である──夜更けよりも前に王都に辿り着いた。
至る所にある魔石灯が、赤、黄、橙の光を辺り一面に散らしている。雑多な人混みに紛れる香水の臭いに、僕は顔をしかめた。
「鍍金みたいなものですよ。それに、魔石灯は来月にはウチでも使うじゃないですか」
関所から先の僕らは徒歩だ。だって、王都であんな車乗り回すのは道交法に引っかかるじゃん? ……いやまあ、王国にそんな法律ないんだけどさ。
移動式魔道具の便利なところは、携帯性を持たせることもできることだろう。今、ゴーレム馬車は口の細い瓶の中に入っている。まるで、ボトルシップのミニチュアみたいだ。
「……魔道具とは、便利なものですね。こうして、月や星の光よりも強く、夜道を照らすこともできるのですから」
「いやー、下手なものは安全性とか気にかかりますけどね。冒険者はよく、変なとこで爆発させるんだ。その点、生体由来の加工品の方がまだ安心かなって。工学は……この国にはPL法ないし……」
「……その事例は、内部回路の汚破損が原因でしょう。水や温度などで変形することで、魔力が循環しなくなることが爆発の主な原因だと思われます。勿論、粗悪品を購入した可能性も考えられますが」
シアさんの服装は、長袖で肌が出ない冒険者として動きやすい格好に、頭巾で顔を隠している。こうして街中でぺらぺら気安くお喋りしているのは、お忍びの旅人という設定が活きているためだ。
なんでも、シアさんは数日、王都で休暇を取得するということらしい。休暇制度を振興するに当たって、上司が取得しないと利用しないしね。いいことだと思う。
あと、僕は王都に出張したとステラ様は使用人の人らにしっかり発表してくれる手筈らしいよ。
「……その意味がわかりますか?」
「え? 《ウチの労働制度がようやく石器時代から進歩する》以上の意味ってあります?」
「……おまえの察しの悪さは、自己肯定感の低さから来るのでしょうね……。ええ。わからないのであれば、それでよろしい」
それを聞いたメリーはなんか楽しそうにしていた。え、メリーはわかるの? 嘘だぁ。魔石灯の光でぐちゃぐちゃの髪色になってるような子にわかるわけないよ。
え? 僕も? そうか、僕もか……。そうだね、僕がわからないんだから、君もわからないということになるね? ならない? なるんだよ。なんか悔しいだろ。
「……何を言っているのですか、おまえたちは? 魔石光に中てられましたか。……いえ、平常でしたね。
来月中に導入式を行うので、その時には同席するように」
「いや、それは約束できかねますよ。迷宮深度から、探索予定期間は数ヶ月なんでしょ? 多分それまで帰れませんね」
メリーがよくやる、ダンジョン内の時間経過を極めてゆっくりにするやつは旧王都では使えない。
なにせ、他の探索者が大勢いる。メリーの力を万能だなんて見誤る人間が増えることは、僕としては大いに避けたいところだ。
……見ず知らずの誰かに、無責任に願いを掛けられるほど。厄介なコトないからね。
「〽金の宝殊を盗みし落胤♪ 烙印忘れて幾星霜♪
困ったときだけ親頼り♪ 果てから来たり厄介者♪」
「……吟遊詩人ですか。先ほども、似たような曲を聴きましたね。おまえの方が上手いです」
「そうですか? ……あれ? シアさんの前で歌ったことあったっけ……?」
少し調子のズレた滑稽歌で帝国成立の歴史を説く吟遊詩人。その顔は、僕にも見覚えがあるものだった。……多分、法務卿あたりからこの種の歌を演奏しろという指示を受けているのかな。
要は、吟遊詩人を使った世論誘導だ。憲兵隊が咎めない辺り、帝国の難民を差別させようって意識がしっかり働いているようだ。
まったく、どうも嫌だね。これだから王都は……。小さくため息を吐くと、漏れた白い吐息が周囲の光を受けて赤くなったり黄色くなったりした。
「……統治において。下層民を設定することは、主に治安維持に有効に機能します。余った敵愾心をそちらに向けることができ、戒めとになります。被支配層に等級を設けるという手法を、この国の多くの領地で共有しているのはそのためです。
帝国の難民をどう取り扱うかという問題に、世論を形成することで回答をしようとしているのでしょう」
「ああ、やっぱり気づきます?」
「……先のおまえの報告書の時点で、現在の王都タイレリアに『帝国難民を社会にどう包摂するか』という課題があることは把握していました。同時に、難民の多くがデロルに移動し、コミュニティを形成する危険性についても検討は進めていました」
それは心強い。僕はそういうのも考える必要あるなあと思いつつ、そんなことされたら困るとしか考えてなかった。
冒険者ギルドで稀によく見るけど、出身・文化の違いって本当にトラブルの種だからね。王国出身とそれ以外で、パーティ傾向とかも結構変わってくる。
その仲裁を担当しなきゃなんて、考えただけで頭が痛くなりそうだよ。冒険者と違って、殴り合って立ってた方が正しいってワケにもいかないから困るね。
「……困る、ではなく、現実的に起こり得る問題です。帝国民排斥の世論を形成した後、恩賜として冒険者同様の移動権を与えるだけで、王都は、領地を持つ貴族に対する経済攻撃ができる状態なのですよ」
「帝国難民が確か1万人くらいですからね……。大体の領地の総人口より多いですよね。
なるほど。すると、この吟遊詩人が歌ってる動きひとつで、貴族同士では『そういう経済爆弾がある。さもなければ王党派で活躍しろ』ってメッセージになるってことですね」
イヤな村社会方言だな。
「……ええ。ただし、それは一度しか撃てません。あくまで抑止力として抱えておくことが一番機能する武器でしょう。ですので、それ以外にも、意図があると考えられます。
……これは推測ですが、報酬を作るためでしょう」
「報酬? 何のです?」
「……帝国難民を、旧王都に動員することへの報酬です。他者を効果的に動かすためには、適当な報酬の設定が必要となります。それは、大きすぎても小さすぎてもならないのです。
すなわち、冷遇される相手に名誉国民としての立場を与え、不平等な取り扱いを禁止する法を定めるという筋かと」
……不平等を自分で作って、自分で解消するってこと? え、何そのマッチポンプ。
やり口がえっぐいなー……。茶番にしても、ちょっと笑えない。というか、そんなんでその辺の群衆は騙されてくれんですかね?
「……ええ。民衆は、そこまで愚かではありません。その潮流が上位者によって形成されたものだと、恐らくは無意識的に知覚はしているのでしょう。その上で、それが彼らに都合がいいのならば、それを追認するのです。
そうしていくと、次第に、不利益を被るはずの立場に置かれた者たちも、その社会システムが正当なものだと認識し始めるのです。不平等の原因を自分たちに求め、設定した僅かばかりの報酬を、自分には過大なものとして遜る者が現れ、コミュニティ内部の結束を阻むことができるようになります」
タイレル王国には、約1000年分の支配のノウハウがある。
「……我々は、幼年の時分に『貴族は、領民を支配するために生まれた』と教わりますので」
ロールレア家の代行が、まるで天気の話題くらいの気軽さで語る統治の論理には、洗練された冷血さを感じさせた。
……それを捨てようという決意が、一体どれだけ重いのか。結局のところ、僕にはそれが、実感として理解できていないところがある。どれだけ相手を理解しようとしても、一定の不可能な部分は残ってしまうのだろう。文化を共有していない相手ならば、尚更に。
「……いえ。失礼しました。忘れることを許します、キフィ」
「いやいや。参考になりましたよ。……うん。やっぱり、あんまり気に入らないな。レスターさんたちの思惑にただノるのも癪だな、ってところがある」
うん。
交渉のテーブルには、帝国のことも入れてみようかな。
せっかくだから、気まぐれにね。
「別に、自由とか平等とか、そういうあっちにしかない概念が無条件で素晴らしい、なんて言うつもりはないんですよ。そのために沢山血が流れて、それから、上手くいってたりいかなかったりするみたいですし。
ただ、まあ。有利な立場でやられっぱなしは、気に入らないよね」
「めりは。きふぃの。みかた。いつも。いつでも。いつまでも」
「うん。知ってるよ」
僕は気まぐれに、メリーの長い髪を撫でる。
ふわふわの髪が掌をくすぐった。悪くない。
きっと僕は。
こういう気まぐれのために生きている。
「──愛です!」
アイリーンは怪しげな木像を放り投げて唐突に叫んだ。
強い力で投げられた木像は床に突き刺さり、食虫植物を七段階くらい醜悪にしたようなオブジェがマオーリア家の廊下に設置されることとなった。
(やめてほしい……!)
「アネットさん! 行きましょう!! 愛! 愛がきています!!」
「え、あ、なに、なんなの……? やっ、やめっ……! やめろ゛ぉっ!? 力強いなあ!?」
ぐいぐいと背を押されるアネットは、外套を何とか羽織って表に出た。
外気はすっかり冷えている。……その、大きくスリットの入ったスカートは寒くないのだろうか? アネットは訝しむ。
「愛の人っ!!!」
「あぁ……? アイリーンさん? 何ですかねぇー。一体どのツラ下げてノンキに挨拶なんて──」
「わたくしは、愛のために生まれ、愛のために生きると決めたのです! 過去よりも今! 愛がいま、必要なのですっ! 愛っっ!!!!」
とにかく力が強いなぁ……。
アネットは思った。




