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それぞれの選択


 ──ヘザーフロウ帝国からの移民を受け入れたことによって、この国の治安は悪化した。

 街角で吟遊詩人が歌い、王都の人々がまことしやかに語る風聞であるが、そこには容易く払拭できない説得力を持っている。


 ひとつには、帝国が成立した背景とその文化に由来する。

 例えば、彼ら帝国人が話す帝国語とは『彼らは王国から独立した存在である』というアイデンティティを確立するために作られた人工言語である。

 この世界の多くの言語はタイレル王国を起源とする、タイレル語族に分類されるものだが、帝国語とはあえてそこから逸脱するように意識された、自然言語ではない産物だ。

 言語とは文化と表裏一体である。その起源をタイレル王国への対抗と据え、数百年の間に自国の文化を培ってきた帝国の民は、そう容易く王国にとけ込むことはできない。


 更に、能力の問題がある。

 過酷なる《灰の大平原》を抜けて王国に辿り着くことができた人々のステータスは、王国の民の平均を上回っている。

 多くの同業者組合ギルドは、彼らを一員として迎え入れることを拒んでいるが──冒険者ギルド、パンギルド、石工ギルド等、大規模ギルドには王家より受け入れ要請が出ており、内部で小さな軋轢が生まれている。

 彼らが、今ある自身の立ち位置を脅かす──その危惧を、現実的なものとして王都の人々は受け止めている。


 加えて、帝国難民を名乗りさえすれば能力を問わず誰でも入国できるという情報が、人々の口づてに飛び回り、ついには王国を外界と隔てる壁を容易く飛び越えたこともある。

 王国の外周、壁沿いに形成された細長い宿場町のような集落は、入国待ちの人々が──あるいは追放刑を受けた人々が──コミュニティを作っている。

 女王陛下より『帝国の臣民を自称する者であれば、誰であろうと通してい』という触れが出た以上は、門番たちも彼らを通さざるを得ない。


 故に、先の憲兵隊の横柄な振る舞いは、治安を脅かされていると考える王国民一般の心を慰撫することも兼ねているのだろう。



(……って、トコだろうなぁ……)


 アネットは、一人では広い屋敷に受け入れた帝国の民の顔ぶれを眺めながら、彼らの置かれた状況を考える。

 ──無理だ。アネットはそう思った。


「ええと……アイリ女史? きみは、どこまで理解してるのかな? その、いまの状況とか、わたしの家と帝国の関係とか……」


「どこまで?」


 目の前のアイリーンは可愛らしく小首を傾げた。その眼はどこまでも澄んでいて……、



「……もしかして。きみは、その……」



「ええ、実はわたくし──このかたがたが、何を言っているかもわかりませんっ!」



 どこまでも元気な宣言だった。

 つまりアイリーンは、何も知らずに最善手を──アネットにとっては非常に頭が痛い手を──打ってきたということになる。


「アネットさんのおうち、大きいですね!!」


(そんなに大きくないよ? 家柄や資産に対して、清貧であることを心がけてるよ? ……帝国初代宰相ヒースクリフが、当家の出だから……!)


 マオーリアの家が、帝国難民を受け入れるということが、多くの貴族家にはどう映るのだろうか。

 アネット個人の良心は、彼らを救うべきと言う。マオーリア家の子女としての彼女は、当主である父エーリッヒに確認すべきと言う。……しかし、お父様の貴重な時間を取らせてよいものか。

 ──無能な自分は、この程度のことも判断ができないのか。




「ぐ……うう……」


 胃が痛い。頭が痛い。

 聞こえてくる彼ら帝国民の会話もまた、アネットの心身に痛みを与えてくる。



『陛下! やはり看過できませぬ! 《先見隊として戦わせる代わりに、我らを名誉王国民として認める》などという布告など!』


『うむ。……なんと悪辣な手を使うものだ、王国ッ……!』


 垢と泥濘にまみれた男が、小さな男の子に恭しく傅いている。

 いま言った。いまなんか陛下ってゆった。……ん?



「ねえ、アイリ女史。もいちど聞くね? そこの子って、帝国のなんだって?」


「はい? ええ、うふふ。元皇帝らしいですよぅ? すごいですねえ!」


「すごいですね……?」


 そっかぁ。その一言で済ませちゃうんだ。

 アネットは、ひどく羨ましくなってしまった。




『あの。わたし、は、アネット・マオーリアです。貴、国の、ヒースクリフさまの、血縁、です』


 アネットは、たどたどしい帝国語を口にする。

 一度許容範囲を超えると、精神的負荷というのは逆に感じなくなる。疲れた脳は『まずは事情聴取が必要だ』と習慣的な判断を下した。


『なんと! このような場所で巡り会えるとは、これもアザレアのお導きか……!』


『《黒鉄宰相》の縁者とな!? この、すべてが妙な怪力女にしては、なかなかの者と引き合わせたものだ。いいだろう。余に仕え、帝国を再興するために力を貸すことをゆる──』



「アネットさん、喋れるのですかっ!?」


 そこにアイリーンがパワフルに言葉を遮った。空気読んでほしい。


「喋れるっていっても、少しだけだよ。アイリ女史はその……、ちょっと、静かに……」


「はい! 静かにしています♪」


 その後も、わぁ、とか、まあ!とか、アイリーンは大概静かではない。ついには懐から小刀を取り出して、よくわからない木彫りの像を彫りだした。やめてほしい。床に散らかされる木屑を見てアネットは思ったが、静かにはなった。



『当家は、王、国に。忠を、忠誠を、してます。なので、その力には、なる。できない。なれません』


『……そうで、あるか。ならば、敵か?』


『陛下!』


 難民の一人が制そうとするのを、少年は留め、言葉を続けた。



『おまえたち王国は、我らに『王国の民になれ』と言う。闘い、血を流せば、仲間入りをさせてやるという』


「……それは」


 寛大なる女王ヤドヴィガ陛下のご意志は、その実際のところはアネットにはわからない。

 しかし、たとえ不幸な事情があれど、国民として認められるための義務を果たすことは必要なことだと思えた。



『そうではない。此処にいるために義務を果たせというのなら、そうしよう。いま、余らが持てるものは、この身にある力だけだ。

 そうしろ、と命じるのならば、そうしよう。おまえたちの郷愁に、未練に、命を消費してやろう。


 だが、そうではない。そこではないのだ、王国の娘。

 おまえたちは……、言葉を棄て、歴史を棄て、文化を棄て、すべて、王国のものになれという。

 ……我らの積み重ねたものは、どうなる!? 父が、母が! 余に説いた誇りは、どうなるッ!?』



 血を吐くような慟哭が、埃の積もる小ホールに響いた。

 アネットは答えられずにいた。



* * *

* *

*



 面白くも何ともない葬式イベントを一通り見届けて、陽が傾いた屋根の上から降りて、それからメリーとダンジョンをひとつ片づけて。

 その頃には、もうすっかり月が出ていた。



 それから、いつものように食卓を囲んで、いつものように風呂に入って、


「許可しません」


 パジャマ姿の二人に、これからのことを伝えてみると、シアさんの返事がこれだった。




「選択肢は三つあります。ひとつは、王家の要請を無視すること。迷宮都市ここにあれだけの貴族どもがタカってきたことから考えて、すぐに戦争には出来ないはずです。ただし、王家との関係は最悪になるし、ロールレア家の貴族としての正統性は問われることになるでしょう。最悪、領主でいられなくなることだって考えられる。

 ひとつは、要請に応え、今抱えてる黒騎士様と、それからちょっとの数の領民を生贄を送ること。旧王都攻略戦の成否に関わらず、あの人たちじゃ絶対に生き残れない。それは、無実の人間を死刑にすることと何も変わりません。

 そして、ひとつが──」


「あなたが……、いえ。『メリスさんが参加すること』ね」


「許可しない。と。言いました。おまえが危険を冒す必要はありません、キフィ。いつも口にしているでしょう。痛みも、恐怖も、おまえは嫌いだと。

 その選択は、おまえが望んで選ぶものではないでしょう……!」


 そりゃあ嫌だよ。嫌に決まってる。

 痛いのも怖いのも嫌いだ。自殺志願者になりたいなんて感性は持ち合わせていない。そんなの当たり前でしょうよ。



「ならば、メリスひとりで──」


「怒るよ、シアさん」



 自分でも驚くくらい、鋭い声が出た。シアさんは目を丸くしている。

 ……ごめん、怖がらせるつもりはなかった。ただ……、


「謝罪します。おまえを不快にさせる意図は、私にはありませんでした。

 ですが。許可は、しません」


 シアさんは頑なだった。一歩も譲歩しませんよ、という態度を全身で表明している。

 あのーステラ様? そちらの妹さんがワガママなことを言うんですけど。


「私だって許可はしないわよ? だって、あなたが不安なんですもの」


「え。なんですその理由? ええまあ、確かに?僕は弱っちくて能力のない──」



「「そうではありません」」



 二人の声が重なって、僕の言葉を制した。


おどけるのをやめなさい。キフィ」


「そうよ? お姉ちゃんとして、シアにいじわるをするのは感心しないのだわ」


「……そう言われてもね。別に、僕は意地悪してるつもりもないんだけどな。だいたい、不敬ってならないです?」



「カーテンを閉めましょう。姉さま、そちらの窓を。

 ……これで。月も、星も。誰も見ていませんよ」


 そう語るシアさんの瞳は、魔力の燐光もなしに鋭い光を放つように見えた。




 魔石灯の赤い火が、真ん中からちょうど右半分は整然と整った、もう左半分は雑多で混雑した部屋を照らしている。

 きっちり対称的な非対称という、なんとも不思議な部屋をしている。



「裏切ってもいいわよ」


 一方のステラ様は、そんなことを言った。


「ロールレアの家が偉大であること。領民を統治すること。それらは、確かに、私の家がかつて陛下から賜ったものだわ。だから、旧王都を解放したいという陛下の望みに、伯爵家としては、臣として応える義務があるのでしょう。

 でも、そゆの、ぜんぶ捨てちゃってもいいわよ。あなたの言う通り、たとえ王国の貴族でいられなくなっても……、ええ。きっと、何とかなるでしょう。いっそ、その方が面白いかもしれないわね?」


「……さっき、おどけるなって言わなかった?」


「それはシアの言葉なのだわ。私、あなたの飄々とした態度。けっこう好きよ? そうね、錬金術の次くらいに?」


「やっぱり趣味が悪いんじゃないかな」


「いいえ? 貴族の間では、こういうのは独創的ユニークな趣味って呼ばれるのよ」


 ……伯爵家の当主という重い荷物を大事にしてることを、僕はよく知っている。

 そうやって適当なことばっかり言うものじゃないよ。



「……わたしだって。よく知っているのよ、キフィナスさん」





「彼らを王都に送ればよいではありませんか」


 一方のシアさんからは、そんな提案が出た。


「彼らは、雇用されるに足る能力に満たないにも関わらず、自らが置かれた立場を理解せず、食客であるかのように振る舞っています。そして、貴族家の裔と言えど、後継者の座にある者ではない。器のない、代用品スペアにもなれない相手が被害を受けようと、貴族の家系には影響ありません。

 おまえがかつて言ったように、命には軽重があります。彼らの生命を、私は重いものとは考えません。雇用の際に、旧王都に侵攻する危険性についても、おまえは、丁寧すぎるほど説明をしていました。そして、日々の調練においても同様に、説明を欠かしていません。結果命を落としたとして──それは、彼ら自身の責任ではないのですか?」


「……それは、よくない考え方だよ。命の責任は、選択する個人だけが負うものじゃない。誰かに誤った選択をさせることは、そうさせる上位者には、非難されるべき卑劣さがある」


「卑劣で、構いません。……この世界には、元より、おまえの言う卑劣が到るところにありますよ。貧富の差。能力の差。……そして、身分の差です。貴種として生まれた私は、おまえにとって、卑劣な鎧を常に纏う存在だったことでしょう」


「違う、そういうことじゃ──」


「いいえ。おまえの論理に従えばそうなりますよ、キフィ。権力とは、畢竟、周囲の行動を規定する力です。ただそこに立つだけで、指示をせずとも、相手を動かすことができる」


「…………僕は。そんなものが理由で、君たちに従ってるわけじゃない」


「主人と使用人という在り方。それ自体が、権力によって定められたものでしょう。……真の支配とは、対象には、そうと悟らせないことにあるのですよ。

 ですから、卑劣で構わないのです。非難されることも。軽蔑されることも、私には痛くない。統治者とは、時に悪徳を効果的に用いるものです。代々、そうしてきた貴種ロールレアの血が、私には流れています。ですから、おまえの為ならば──」



「僕のためなら、なおさら嫌だよ」



 そういう小難しくて堅苦しいものじゃなくてさ。

 僕はただ、君たちから貰ったものを返したいだけだよ。


 好きだって言ってくれたことが、僕は、本当に嬉しかったんだ。

 ……きっと、気の迷いだろうけど。それでも。


「だから、君のことを何も知らないその辺のヤツに卑劣だって思われたりしたら、それは、すごく嫌だ。君が自分のことを卑劣だって思い込むようになるのだって、勿論嫌だ。

 痛いとか怖いとかよりも、ずっとずっと嫌なんだ」


 だから、君たちの提案には乗れないよ。

 まるで冴えたやり方じゃないんだから。



「最強の冒険者メリーが参加する。それだけで、苦役の一切が免除されてお釣りがくる内容だ。……どうせ、上の人らはメリーをどうにかして参加させる気だろうからね。それなら、自分から交渉のテーブルに着いた方が、より有利に売り込める。

 メリーは口下手だからね。暴力しか知らない悲しいモンスターなんだ」


「ん。ちから、つよい。つよいよ」


「なんかちょっと誇らしげだけど。間違っても褒めてないよ?」



 まったく。

 こんな具合だから、ひとりにさせられないんだよ。





「ねえ。……他に、道はないかしら。たとえば、ほら。みんなの案の、いいとこどりみたいな!」


「……あるいは。選びたくない選択肢ならば、選ばないこともできるのではないですか」



「それは、言葉遊びでしかないよ。三つの案を組み合わせても悪いとこどりにしかならないし、時間切れは王家の要請への反抗と同じことだ」



 人生とは選択の連続で、生きてる限り何かを選ばなきゃいけない。

 たとえば、今日のごはんのシャーベットの、それが葡萄か桃にするか。そんなちっぽけなものでも、確かに選択によって定められている。

 ただ漫然と、その自覚もなく生きていたせいで──僕らは、手痛い経験をした。……カルスオプトにいた、気のいい小人こびとさんたちを、そのせいで僕は殺したんだ。



「だから。後で後悔しないためにも。僕は選ぶよ」



 痛くて怖くて気が引けて、

 嫌で嫌でしようがなくて、

 それでも冴えたやり方を。






 王都タイレリアには、ゴーレム馬車で行くことになった。

 半透明スケルトンカラーの《プロトオデッセイ》ではなく、普通の石製のやつだ。あれはステラ様専用機らしい。ちょっとズルい。


 貴族の名代みょうだいとして出席するからには、最低限の体裁は必要、ということらしい。正直、感覚としてはいまいち理解できていない。


 石畳の街道を走る馬車は、轍にハマったり乗り上げたりでガタガタ揺れて腰骨周りに細かいダメージを与えてくる。まあ、座椅子が柔らかいことだけが救いだ。冒険者がよく使う乗合馬車なんか、尻の骨が痛くなるような奴だからね。


「……」


 客車の中には、僕とメリーと、それから、真正面にシアさんがいた。

 僕の目をじーっと見つめている。無言で。


「あ、えーっと、御者席に移りますかね? やっぱり馬車なのでー……」


「……ゴーレム馬に御者は不要です。過去の学習を再現するように、私が魔術式を組みました。魔道工学は、姉さまだけが持つ知識でありません」


「え、あ、はいー……」


 そうして、シアさんはすぐさま黙った。

 居心地の悪い沈黙が僕らの間に横たわっている……。


 なんでぇ……? なんで来たのぉ……?

 心から疑問だったが、今のシアさんに真正面からそんなことを訊ねられるほど、僕は勇気というものを持ち合わせてはいなかった。少なくとも、財布やポケットには仕舞っていない。


 怖いのは嫌いなのである。

 こわい。


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