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閑話・王都タイレリアの一幕



 王都タイレリアは混迷の最中さなかにあった。

 王宮内部の法衣貴族たちは、人斬りによる無差別殺人によってその実務能力を大きく落とす一方、タイレル王国の各領主に送った檄文に応じた王党派貴族たちは続々と王都へと参じ、彼らの穴を埋めるように活動を始める。


「10万の軍勢と、それを指揮するは歴代最強の騎士団長殿! されば、いち早く旧都攻略を終えるべきであろう!」


「「「然り!」」」


 10年という歳月は、楽観論を醸するには十分な期間だった。

 彼らは地獄と化した旧王都を知らない。

 それを知る者たちは、既に死んでいる。




「招致したお歴々のご意見は実に参考になりますねえ、陛下?」


 近衛騎士のレスターは、彼らの様子を冷ややかに見ている。

 どうやら自分の血が流れるという意識がない。勲功を得るためのイベントか何かだと思っているようだ。


 その態度は、彼にとっては都合がよかった。


「……より万全を期すべきではないのか?」


 タイレリアの女王ヤドヴィガの目元には、白粉では覆い切れないほどの深い隈がある。

 旧王都から逃げおおせたあの日から、彼女は眠ることを許されていない。

 目を閉じると、四方八方から耳を摘み裂くような国民たちの悲鳴が聞こえてくる。生きたまま地面に塗り込められた100万の民が、耳元で金切り声を上げ続けている。



「万全なんてあり得ねえですよ。あの団長殿が逃げ帰ることしかできないような死地だ。ま、どれだけ期間を長く取ったところで、参加させる10万人の多くは肉の盾にもならんでしょうな」


 ──そして、更に10万を足そうとしている。

 冒険者として活躍してきたレスターの予測には、楽観も迂遠さもない。

 自分のような醜女に面白がって愛を語ってみせる無礼な男を傍に置くのは、一皮奥にあるその冷徹さにあった。



「……余は、愚王として歴史に名を残すのだろうな……」



「さあ。そいつは、俺からはなーんとも言えませんね」


 自嘲する女王ヤドヴィガを眺めながら、レスターはその影響を冷静に見積もる。


(……いいや? そうはならない。姫様の味方面したあの連中が、逃げ道をくれたからな)


 王党派を名乗る連中は、女王ヤドヴィガを『敬愛すべき女王陛下』としか見ない。その立場が赤の他人とそっくり入れ替わっても、女王陛下への敬意を示すのだろう。

 我が物顔で王宮を闊歩する連中が、レスターには腹立たしくて仕方がない。


(確かに、お歴々の態度は正しいっちゃ正しい。こういう算盤ってのは、目的を達成するより前に弾いておくべきだ)


 ──だから、戦後のあれこれは連中にひっ被せよう。

 ついでに、途中で死んでくれりゃもっと都合がいい。



「『竜を殺した直後の敵は、さっきまでの仲間』ってな」


「レスター? 何か言ったか」


「いいえ? 姫様の可愛らしいお耳に入れるようなことは、何も言っちゃあいませんよ、俺ぁね」


「……姫、ではない」


 適応を重ねたレスターは、大切なモノ以外に向ける良心をあまり残してはいない。

 非戦派の近衛騎士どうりょうライオネルが殺されたという報を聞いたときは、思わずよくやったと口走りそうになったほどだ。



(この慈悲深く、高潔で、お美しい姫様を侮辱する奴は、舌ぁ串刺しにて口縫い合わせて、二度と嗤えねえようにしてからブチ殺してやるって決めてんだ。

 いつでも、どこでも、誰でもな)


 レスターは獰猛に笑った。

 彼の視界には、仕える主の姿しかない。



* * *

* *

*



 マオーリア家の一人娘という立場は、アネットの心を豊かにはしない。息女として求められる才能の、その悉くをアネットは備えていないためだ。


 そのくすんだ茶の髪は、その血が雷嵐の始祖ベネディクトの継子であることを疑わせる。この雷は、相手の肌、その薄皮一枚を焼くにも不十分な出力だ。

 代々受け継ぎし宝剣《嵐の王》を握ることさえもできない。幼い時分からどれだけ剣を握ろうと、剣の《スキル》は何時までも発現しなかったためだ。

 マオーリアの家の、年に一度の鑑定の時間が、アネットは憂鬱だった。


「……剣は、握っていないのか。アネット」


 鑑定書を眺める父エーリッヒの言葉を、今でも時折、アネットは思い出す。

 手の血豆が潰れるほどに稽古をしましたという言葉は、口にできなかった。

 誰より優しい姉が黙ったまま困った笑みを作ることが、何より悲しかった。



 月日は流れ。

 デロル領の憲兵隊になり、それまで、一度として握ったことのない槍の、その柄に軽く触れた瞬間に。

 アネットは、容易く槍のスキルを得たことを感得した。

 才能と呼ばれるモノが、どこまでも残酷であることをアネットは知っている。努力の多寡も、人格の善悪も、本人の希望だって関係ない。



 馬を駆り王都に着いたアネットは、静まりかえったマオーリアの家に戻った。

 家格には不釣り合いな小さな屋敷の家財は、その多くが埃を被っている。父エーリッヒは、しばらく帰っていないらしい。


「食料品を買わないといけないな……」


 王都におけるアネットは、マオーリアの一人娘だ。

 姉のお下がりの──背の低い自分には似合わないドレスを身に纏い、表通りを淑女らしく歩くことに、憲兵隊としてデロル領を駆けずり回るよりもずっと疲労を感じた。



「薄汚い帝国人が!」


 食料品を買い込んだ時に。

 街の往来で、憲兵隊の一人が暴力を振るおうとする光景を目撃した。


 その時、アネットはちょうど両手が塞がっていて──、



「愛ではありませんね」



 声の主は石畳を割りながら現れて、憲兵隊の拳を手のひらで受け止めた。

 深いスリットの入ったロングスカートが土埃に汚れている。


「何だキサマッ。一般人が、公務の妨げを──なんだこの力は……! 冒険者か! ギルドは何を……ぐっ!」


 アイリーンは、細指で憲兵の拳を握る。アネットのそれよりも綺麗な手だった。

 握られた憲兵側の拳からは軋むような音がした。


「冒険者ではありません。愛です」


「何を意味不明なことを……! 名を名乗れッ!」


「名乗りません。愛ではありませんので」



「えっとぉ……。ご……、ご機嫌よう?」



 その声は、少し素っ頓狂な声色だったかもしれない。

 ──越権行為だ。他領の自治行為に関わるべきではない。アネットの脳裏にはそんな小利口な言葉が浮かび、頭と体の動きが一致しない。

 それに合わせて、さり気なく家紋の入った手拭いを見せるように動いたつもりが、随分ぎこちない動きになってしまった。



「特別騎士ッ……!? し、失礼しました! 今すぐそこのゴミを片づけま──」


「いいえ。この場は、わたしが預かります、……わ。あなたは、巡回に戻ってください……まし」


 ……淑女としての喋り方も、すっかり忘れて久しかった。

 憲兵の一人を追い払った後は、あえて注目を集めたくもないので、アネットは早足で屋敷まで戻った。




「……はあ」


 アネットは一人、溜め息を吐いた。

 立場が人を作る。

 ……制服を着ていない時の自分は、なんて弱いのだろう。


 護るべき市民に対する横柄な態度。

 帝国難民に対する嫌悪による暴力。

 どちらも忌むべきで──なのに、アネットは動けなかった。

 模範としていた姉のドレスを着て、それらしい振る舞いは何ひとつ出来ていない。


 そこに、門をバンバンと叩く音が響いた。随分と不躾な来客だが、父の関係だろうか?

 ……ああ、悩んでも仕方がない。それでも、呼吸は続くんだ。

 アネットは、不要と必要を切り替えられる程度には大人をやっている。



「愛あるアネットさん! ご機嫌よう! 今日も愛ですね! アイリです!」



 そこに立っていたのは、先ほど二言三言で別れた、桃色のアイリーンだった。



「……なんでついてきちゃったの?」


「はい! 先ほどはありがとうございましたっ。

 それと──匿っていただけると助かります! 愛のために!!」



 屈託のない笑みを浮かべるアイリーンは、10数名程度の帝国人を引き連れている。

 その内の一人、どこか高慢な印象を受ける少年と、目が合った。お互いに目を逸らした。


「……ここに?」


「そうですっ。あ、こちらの子は帝国の元皇帝で、ええと……スワンプ?……、愛。愛です。愛が足りていません」


「愛が?」


はい。足りていないのですね。あと、ごはんも。おかねも。足りていないのです」


「そっかぁ……」


「愛の人に、貰っていたはずなのですが。ふふっ。不思議ですね?」


「不思議だなあ……」


 アイリーンの笑みは、どこまでも透き通っていた。

 アネットは頭を抱えた。










「おや。久しいね。貧者の灯火へようこそ。今日は、融資を希望かな? それとも情報を求めに?

 ボクの仕事は希望を叶えることの手助けだ。どちらでも構わないけれど、情報はあまり積極的に取り扱いたくはないね。何せ、無体物は儲かりすぎてしまう」


「貴方が撒いた知識について、その内容と、会話の相手を確認したい」


「第三者に取引内容を開示するというのは、信頼性を失うという意味であまり望ましい行いではないね。

 目的。聞こう、リリ・グレプヴァイン」



「目的は、世界の延命だ。

 ──原初の魔人クロイシャ。貴方が戯れに授けた知識によって汚染された者がいるのならば、それは刈り取らねばならない」


「その対価に足るだけの、君の人生の物語を語ってくれるのかな」


 暗闇の中で、レインコートが陽炎のように揺らめいた。


 

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