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或る愛の終わり



 数多の光源が闇照らす王都タイレリアで、天を焦がす炎熱は一際禍く輝いた。火竜の血を混ぜ込んだ赤黒い燃料は火焔を纏い、大地を覆う黒壇の木杭にて燃え盛る。

 セツナはそれを意に介さない。足袋に大地の熱を移すよりも前にその足を動かせばいい。それだけの話である。

 足下の杭、その幾つかに仕込まれた爆薬が炸裂しても、その理屈は変わらない。

 ──当たらなければよい。その程度、当たりはしない。


「因果には質量があ/」


 声を斬る。声が斬れれば自然、その主も斬れる。

 距離斬り舌斬り頭蓋を斬ると、横一線の斬撃三連に頭部を輪切りにされた十間じっけん先の人体は、火煙ひけぶりに捲かれ燃え尽きた。

 手の内の木棒が鮮血に染まる。達人は道具を選ばないものだ。


「ふん。手応えのない──」


 直後、高空から握り拳大の刃の暗器が計三十二、音よりも速くセツナへ飛来する。


「外れか」


 残心欠かさぬセツナはそれを容易く避ける。地に刺さった小刃は、その刃を八方から空へと伸ばし、周囲の建物に巻き付き食い込み膨張し、枝分かれてセツナを包囲した。

 リリ・グレプヴァインの《飛来式殺傷具(ビザー)()三十二発鎖鋸キラー》。無限に自己増殖する三十二本の小さな刃だ。術者の魔力に反応し、砂利程度の大きさの小型刃が増殖し、空中に何本もの鎖鋸刃チェーンソーエッジの鋼線を作り出す。

 大地は今も燃えている。石畳が炎熱によって泥のように融けている。足を止めれば、その肉は直ちに焼け焦げ、体勢を崩せば囲んだ鎖鋸が手足を引き裂くだろう。

 セツナの足は止まらず、その体勢も崩れない。


 しかし、ただ相手の足を止める、あるいは肉を裂くことのみが目的ではない。

 鋼線が描くは魔術領域円環マジック・サークル

 高度な魔術行使を可能とするための補助線だ。

 達人は、数多の武具の扱いに通暁するものだ。


「重ねた罪科、その重みを知るが/」

「そこか?」


 声を斬られる。喉元を刃が引き裂き、痛み以外は《免罪の供身(エスケイプ・ゴート)》が肩代わりした。

 瞬間的な魔力行使のために、己の空想撃鉄トリガーを叩くための呪文ワード魔術式フォーミュラをリリは幾つも用意している。

 ──因果には質量がある。重ねた罪科、その重みを知るがいい。

 罪狩りのリリ・グレプヴァインは、その二節の成句を軸として、大魔術を行使する。


 魔術とは、己が想念をべて、空想を現象する力である。それを惹起する芯材は、それぞれに異なる。

 個の抱く、世界への認識。世界への解像度がそのまま、己が行使できる力へと繋がる技術だ。


 かくして鎖鋸の円環は、不吉な紫の燐光を放ち──。


「くだらん」


 それを、セツナは三十二本を纏めて斬り捨て、影に融けるリリの身をも斬り裂いた。

 《奇事くじ斬り雀》──刀巫女、つるぎまい神楽かぐらが一。セツナの認知が奇しきと感じたそれを糺す剣は、それらを過たず斬り裂いた。


 しかし、励起した魔術は止まらない。

 その場に倒れ伏し、燃え尽きたのはリリとは背格好の異なる人影。《免罪の供身(エスケイプ・ゴート)》が──事前に用意していた、その死傷のみを肩代わりする罪人が──また一人分減った。

 鎖鋸もまた同様に、切断面から八方に伸び、周囲に網のように張り巡らされ、八重やえの円環が刻まれた。その円環に向かい、その周囲の魔力が集中する。

 タイレリアの大通りを照らす街灯、その魔石の悉くが蓄魔機能を失い砕け散り、豪炎だけが周囲を照らす。


「ちいッ……! 小賢しいッ!」


 ──術者と相対するならば、術を止めるが道理である。舌斬り器具斬り頭斬り、間に合わぬならば急ぎ離れよ。

 セツナは低い姿勢で横跳び、鎖鋸の網目、その五寸の隙間を潜り抜けようとする──。


 瞬間。

 鋼線の檻の中に、一寸の隙間無く赤紫の嵐が降り注いだ。


 暴風の轟音が響く。

 嵐が巻き上げた石畳の破片が、空中でそのまま溶解した。

 酸である。

 それは、かつての錬金術師たちが生み出した王水よりも遙かに溶解力が高い。


 高く燃ゆる火焔をも溶かす、酸の嵐が檻の中で吹き荒ぶ。

 硬皮を持たないヒト型生物の殺傷を目的とした一連の攻撃に、対するは人斬り剣鬼。



「なんだ。その程度か」



 檻の外に躍り出たセツナは、炎・鎖鋸・嵐・酸・そして術者、それらを一纏めに、一刀の元に、いとも容易く斬って捨てた。


 夜のタイレリアに、静寂が戻る。

 月明かりが照らすセツナの姿は、五体いずれも健全であった。


 が、闘いはまだ序盤である。

 僅かな時間の内に、剣鬼と処刑人は、それだけの命のやりとりを繰り広げた。そして、どちらかがどちらかを打倒するまで、それは終わらない。

 赤熱する《熔解鉄槍》がセツナを囲むように降り注いだ。タランテラの毒煙が大気を覆った。瓦礫と焼灰が粉塵爆発を起こした。

 しかし、それらはセツナを捉えることはなく、ある物は躱されある物は足場となりまたある物は斬り裂かれ──地面の燃料に再び着火し、炎は再度煌々と燃え上がった。



「何度やろうが同じことよ、雨女ッ!」






 ──そうして。

 時間にして僅か数刻の内に、セツナはリリの用意した魔道具、総数二万三千の内の九割を斬り砕いていた。


「いい加減飽いた」


 既に《免罪の供身》も使い果たしている。

 透明薬も陽炎の幻影も焼灰やきばい写し身(スクリーン)も、それを贋者か否かを区別することなしに、直ちに斬って捨てられた。



 研ぎ澄まされたセツナの剣は、もはや、それが一つの概念であった。

 その一撃一撃はいずれも必殺致命の刃である。物理現象を超えて、対象を切断する力。世界にそう認められた。

 故に、セツナが棒を振るわば、それ全てが達人の斬撃と化すのである。



 終に、リリとセツナは、雲より高く燃える炎を背に相対した。



(想念。世界の解像度。それらに目も呉れず、ただ、己の技術だけでその頂に至った。それは、天性の魔の資質だ)


 リリ・グレプヴァインは考える。

 ──人の世のくびき。文明の段階きざはしを進めることを阻んできた、人界に潜む魔。それに連なるほどの暴威が世界に仇為すのならば、その命脈は絶たねばならない。

 世界の安寧のために。明日に迫る破滅を、少しでも先に伸ばすために。世界の脆さを彼女はよく知っている。

 その為に、手段は選んではいられない。



「手品も仕舞いだ、雨女」


 人斬りセツナは考えない。この女は昔から気に喰わなかった。殺す。殺す殺す殺す。これが死ねば、あやつも──否。余計なことは全て、殺してから考えればいい。

 我が身は一振りの剣となろう。暴力になろう。

 その為に、ここで死ぬがいい。



 その時、セツナの長い黒髪が、ざわりと蠢いたように見えた。

 ──来る。

 手甲に仕込んだ丸鋸バズソーが火花を上げて回転し、セツナの一撃を受けた。

 ──凌いだ、一手。

 厚い丸鋸、その刃は瞬間全て断ち切られ、バラバラと音を立てて崩れる。そこに手甲の虹色火薬を炸裂! リリは己の右手を吹き飛ばしながら、鉄血を散弾としてセツナへと撃ち込んだ。 

 ──二手。地を這うような体勢で避け、胸元まで踏み込む剣鬼。

 セツナは後ろに避けない。殺すために前に出る。そして、目前の敵を殺すのだからそれを妨ぐ攻撃などは当たらない。ここでリリは読み違えた!

 空間を操作し、瞬間、世界から消失する《幻影舞踏》。幻影を斬ったセツナの一撃は、虚像を超えて肉体に及んだ。腹を斬られ腸が零れる。

 ──しかし、三合までなら打ち合える。


「どうした? 自滅かァ? クク、クハハハ!」


 嘲笑しながら、セツナは冷徹に構えた。

 ──必殺剣、雲切り雲雀。

 ただ速く、ただ確かで、ただ鋭い。それだけの技だ。


 故にこそ、今のリリには回避も防御も不可能である。



(だが──)


 だが、リリ・グレプヴァインは知っている。

 戦闘中に発する言葉とは、時に、致命的な隙を生む最大の武器となることを。



「──セツナ。君は、メリスにはなれない」



「 ッここでッ!死ねェッッ!!」


 その言葉が作った隙は、ほんの一呼吸にも満たない──僅か刹那であった。

 しかし、達人同士の闘いにおいて、それは致命的であった。


 セツナの必殺剣がリリの首を捉える。

 それは、剣の天才の生涯で最高の一撃であった。

 ただ速く、ただ鋭い居合い。

 それは終には時間すらも斬り裂き、先に斬られたという結果が確定する。

 頸椎を両断し、首皮一枚寸での時点で──。


「影縫い」


「ッ──!?」


 高空より降る一本の黒壇の矢によって、セツナの影が射抜かれていた。


 ──セツナの能力には、ただ一点、明確な弱点がある。

 腕を振れなければ斬ることはできない。

 これまでの全ては、この一瞬のための布石だった。


 天灼く焔は、光で影を伸ばすために。

 鉄鎖の楔は、立ち回りを縛るために。

 酸の豪雨は、落下物を眩ますために。

 地震も杭も暴風もナイフも地雷も粉塵爆破も槍も雷鳴も毒煙も灰も呪術も影も爆弾も疫病も、308の迷宮兵装と60の罪人の命も、その全てを使い潰した。何もかも、皆、全て布石とした。


 すべては、この闇に融ける一本の矢を。

 一本の矢を通すだけのために。



「では、遺言を聞こう。君と私の仲らしいからな」


 その言葉に、セツナは小さく目を閉じる。

 瞼の奥に浮かぶのは、あの日の、どこまでも愚かな自分であった。



「何もない。敗者は、路に骸を晒すのみよ。

 このセツナは、思うままに生き、そして、思うままに死ぬのだ」



 黒いレインコートが、今夜も血に染まった。



・・・

・・



 セツナの剣は正確すぎた。鋭利すぎた。

 あと、ほんの指一本でも深く斬れていれば。

 あるいは、皮を繋げるほど鋭利でなければ。

 この結果は真逆だっただろう。


 ──だが、まだ生きている。

 立っていたのは、リリ・グレプヴァインだ。


「……ふ、く……! ぐ……」


 辛うじて繋がったままの首に、隻腕のリリは注射器を打ち込んだ。迂闊に声を発せば斬り殺される。これまで理性によって抑えていた痛みに、リリはようやく声を上げた。


 魔人によって生み出された、数多の迷宮資源──薬草とそれに類するものから、その有効成分だけを抽出した薬液を投与することで、どれだけ肉体が損傷していたとしても、意識を失わず、頭部に損傷さえなければ直ちに死ぬことはない。

 これは、世界の解像度を高めることを希求する《哲学者たち》に共有された知見である。


「まだ、死ぬわけにはいかない」


 ……この顔の痕は、残ってくれるだろうか? 不意に浮かんだ言葉があまりにも馬鹿げていて、死ぬわけにはいかないという言葉をリリは繰り返した。

 命を消費する場面は、ここではない。つまらない感傷よりも、優先すべきことはある。


 因果に質量があるとすれば、その積み重ねた業は、意味のない死を許さない。

 リリの足は、リリ個人のものではない。

 因果がそれを動かしている。



「君の行動は、人々に拙速さを与えることになるだろう。故人の遺志という言葉には、破綻すらも強行させる原動力がある。

 十年という年月は、多くの人々から痛みを風化させている。君の恐怖、その一幕は、それを再想起させる切っ掛けになった。

 王都の者たちは、旧王都グラン・タイレル奪還作戦に人々を駆り立てるだろう」


 大嵐に舞う狂鳥のような彼女のことが、リリはけして、嫌いではなかった。



「君は、メリスにはなれない。

 君は、ただ、キフィナスの隣にいてやるだけで良かったんだ」







「……は? 一ヶ月後?」


 やれ政変がどうとか。国民感情がどうとか。故人の遺志がどうとか。

 なんか色々持って回った表現で迂遠に書かれてる手紙を握りしめながら、僕は頭おかしくなりそうになった。


「……おまえも大概迂遠な物言いをしますが」


 うるさいですね。

 設定されたタイムリミットが突然1/3になった時の僕の気持ちを答えよ。評点10。


「結構まいってるわね、キフィナスさん」


「そりゃ参りますよぜんぜん進まないんですから。ステラ様やりますか?」


「いいの? 楽しそうよね、騎士団」


「いいワケないでしょ。バカですか? 空の棺桶の葬式準備が優先に決まってますよねステラ様いないと動かない案件なんだから。あーもう、こういう時、誰かさんが居てくれたら……、ん、いや、疲れてんのかな僕は……?」


 心労で頭がおかしくなった僕は、今どこで何をやってるかもわからない、どこかの頭がおかしい人のことを考えて──やっぱり疲れているんだろうなと思い直した。

 前領主の葬儀に伴う渉外活動の補助、偽領主様が家管理してたときに色々出てきた債権の整理、傷病者年金などの冒険者ギルド巻き込んだ福祉政策……ああもう、やることが多いなぁ……!!


 なんでこう、忙しさというのは徒党を組んで僕を殴りに来るんだろうか……!?

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― 新着の感想 ―
[一言] これは相当な執筆カロリー…! セツナさん、死んでしまったの? いや、しかし、あのセツナがこの程度で…まさか…
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