止まらない時計の針
街娼の子アイリーンは、父親の顔を知らない。
煌びやかな黄金郷の東、貞淑潔白区には、持たざる者が軒に連なり春を鬻ぐ裏通りがある。
街娼の買い手は、同じく日銭を稼ぐ手段に乏しい同輩か、さもなければそれを嘲笑う上品な紳士だ。
貧民窟のアイリーンは、母親の名を知らない。
王都裏通りの持たざる者から産まれた娘は、生まれながらに人並み外れた膂力を持っていた。
その力は、母となるべき人物に恐怖を与えるには十分だった。
父親も母親も、アイリーンの起源に繋がる相手は、10年前の王都大禍で息を引き取った。
──災禍孤児のアイリーンは、愛を知らない。
大声で愛を語りながら、愛を勧めながら、アイリーンはその実、愛なるものを感得したことはない。
ただ、不器用な身で、不格好な真似事をしているだけだ。
アイリーンの眼は、いつからか他者の感情の輪郭を色彩で捉えることができるようになった。それは彼女が、それを強く望んだためかもしれない。
行き交う人並みを視て、彼女はこう思った。
──想い想われる心は、いつも淡い色をしている。
「わたくしは、そんなひとの力になりたいのです」
そうすれば、何色でもない自分も、そんな色に成れるような気がして。
そうして、僕が気づいた頃にはアイリーンさんは姿を消していた。
斬殺死体もなかった。
彼女と、それから自称帝国皇帝様の二人は救貧院にもいなかった。
というか、救貧院の皆さんは二人のことをすっかり忘却しているようだった。……まあ、アイリーンさんが自室でちまちま作ってた邪神像はそのまま放置なんだけどね。見た目が事件性高い感じだからそれもちゃんと消しておいてくれないかな。後始末を任せるんじゃない。
力とは、いとも容易く自由意志を奪える。
そしてそれは、気安く振るわれるものだ。
……まったく、我ながら油断しすぎたな。
僕は、ふわふわと自分が何をくっ喋ったかぼんやりと理解している。
心にもないことを、正気じゃない僕の口はべらべらと並べ立てていたようだ。
そしてそれを元に、セツナさんとアイリーンさんは何か行動をしようとしているらしい。……なんで? 何を目的にしてんの?
「……ほんと、困るんだよな」
僕の胸ポケットにあったアイリーンさんの書き置きを、僕は一行しか読まずに破いて燃やした。
なんか一行目から謝罪だった。どーーでもよかった。謝られても困る。同意なく他人の内心を暴き立てることが暴力以外の何だってんだ。いやまあ、それを理解してるから謝罪してるんだろうけど? 別に? そう簡単に許してやらないしさ。
僕は謝罪文とかいう文化が嫌いだ。無意味だと思う。時々課されるそれを、僕はあくびをしながらケチ付けられないくらい丁寧な筆跡で書いている。何の意味があるんですかね?
だって、相手に直接謝らないほど卑怯なことってないだろ。
そりゃ破いて焼き捨てるだろ。……まあ、そのせいで何を目的に動いているのかがわからないんだけどさ。……いや、手紙を見たときはまさかそのまま姿を消すとは思わなかったというか……直接の謝罪と賠償を要求しにいった時に失踪が発覚したというか……。
そもそも暴いてもらったところでナンだけど、別に王都のこととかどうでもいいってんですよ。
自由意志を持ったバカが、バカな選択をするってだけの話だ。選択には責任が伴う。手の届かないところで誰がどうなってようと、それを何とかしようって気はない。
そいつらをどう救ってやればいいんだ? そういうの。神様とか、流れ星とかの管轄だろ。
僕らは人間だ。
失敗するし後悔だって貯めこむ、日々なにかに追われてばっかりの、ちっぽけな人間だ。
「取り急ぎ。洗濯係やってくれる人がいないんだなあ……! ビリーさん……! 誰かに指示をお願いします……!!」
「承知した」
使用人控え室にて。僕は日常に追われている。
いつものように光沢のある燕尾服を身につけた僕は、同じく制服を着た──ちょっと僕とデザイン違うけど。僕の方がなんか衣装がゴテゴテしててあっちの方が着やすそう──同僚の青年に指示を出した。
「しかし、私事で離れるとはアイリ氏にも困ったものだな。……領主に仕えるということは、絶対の隷属を──」
「必要としませんよ。隣領に放り込んだトレーシーさんも、特にそういうのなく辞めましたから」
「始末したのではないのか?」
「しませんが? え、こわ……。王国の人には命の尊さとかないのかな……、つか僕を何だと思ってるんですかね……?無差別に奥歯の一本二本をブチ折るとか思われてるのかな……?あーもうこれだから冒険者って肩書きやだな……。えーとですね。再就職はいくらでも祝福しますよ。ビリーさんだって他に希望があるなら辞めてもらってもいいです。まあ僕はすごい困りますけど。いいですよ。
ただ、事前に連絡はしてくださいね。三ヶ月前くらいだと助かります。引き継ぎとかあるので。しないで辞めるのは許さないですよー」
僕が焼き捨てた手紙がひょっとすると引き継ぎマニュアルだった可能性はある。あるが、少なくとも僕は受領していないんでね。
……ったく。アイリーンさんには直接謝らせて、とっとと連れ戻さないとならない。
いやもうほんっと仕事に穴を開けられると困るんですよねえ……! 領主様のお洋服の生地がいいってだけで盗むような前例が出たので……!!
「ふふ。今日も当家の家令の働きには感心ね」
「ご当主様!」
「あ? 煽りですか? 煽ってますか? 何ですかねぇ……。あげませんよ死体は」
スッとひれ伏すビリーさん。はー。すごいな。
僕もそれに形だけ倣ってみた。あー、これで満足ですかね?
「べつに、そんな仕草ひとつでどうこう言う気はないのだわ。……もう少し考えてみることにしたの。あなたが頑ななのか、私が騙されているのか、わからないもの。
それより、早く執務室に来て頂戴」
「はいはーい。手が空いたら行くので、わざわざ控え室に来なくてもいいですよ。ここはお館様の来ない神聖な場所なんです。ここに来ちゃったら上司様の陰口とか悪口とか気軽に言えなくなりますからねー」
「悪口とか普通に嫌なのだけれど……。そんなの定期的に来ないとダメじゃない。私は好かれたいのだわ?」
「上司の存在ってのはそれだけでストレス源なんですよ。あ、部下だってそう。人格とかそういう人間的なあれこれとか関係なしにストレスが溜まるものなんです」
「それ。あなただけのビョーキじゃないのかしら」
「あえて言わないだけでこの症状抱えてるひとはきっと沢山……」
「……他の者の耳もあります。直ちに執務室に移動するべきです、ご両人」
ビリーさんの目は、僕に『こいつ正気か?』と問いかけていた。
一向に正気である。
僕はウインクで返した。
・・・
・・
・
「……王家より、旧王都攻略について通達が届きました。こちらは全貴族に対して布告されたものです。
タイレル王国・建国千年祭の祈念事業として、10年前の負債を取り除く必要があり、旧王都を攻略するのだと。そして、それに伴う人員派遣の要請です」
「条件は?」
「……はい。『三ヶ月以内に、人足700名以上の参加を求める。内50名以上は、各ステータスが40を超える者を伴うとする』と記載されておりますね」
貴族様の言うところの『参加を求める』とは、即ち人員拠出の命令だ。冷静に考えると求めることがそのまま命令になるっておかしいよね。その希望なんで叶えてやらないといけないんだろ?
王家の権威があるからだ。わかるよ。それくらい理解してます。でも理解っててもムカつくことってあるよね。
僕は舌打ちを連射した。メリーも真似っこしてきたのでやめた。
「いきなり態度が悪いわね」
「いやー、だってほら。
ウチに負担させる人数も、ステータスとかいう条件も。結構大きくフッ掛けてきてんじゃないですか」
僕にはあまり縁がない数字だけれど、平均40以上というのは、戦うことを生業とする冒険者でもそれなりに上澄みだ。
通常、冒険者は近づいてぶん殴る方と遠くからモノ投げる方との二種類に分かれる。で、ステータスの傾向もそれぞれ異なってくる。
全部満遍なく高いって奴は滅多にいない。近接と魔術を同時にこなすような戦い方は、多くの才能がない人間にとって中途半端だからだ。人間の持つリソースは有限なので、どちらか片方に絞った方が合理的……ってのは、いったい誰の教えだったか。覚えていないが同意はする。
結果、魔獣をぶっ殺しまくって適応が高くなった結果、低い方の数字でも40超えてる、みたいな感じになるのが一般的だ。
戦いとかとは縁がない街の人なら、40という数字はもっと遠い。
「そうね。この数字は、領内に騎士団を有していて、かつそれを鍛えていることが前提の数字に思えるわ」
「ああ、そういえばウチって騎士団ないですよね」
これまで意識してなかったのは、別になくてもいいと思ってるからだ。
騎士団とは? ──貴族様が私財を投じて作るお笑い集団。出典は冒険者のジョーク集より。
お貴族様の契約関係というのはやたら複雑怪奇で、王家に仕えつつ他の家にも仕えたりとか、一部領地を割譲し合ったりとか、姻戚関係を結んだりとか、領内で通じるローカル階級を認めちゃったりとか色々やっている。
騎士とかいうのも、その象徴だと言えるかもしれない。騎士からして一口に言えないのがめんどくさいんだけど、王家のそれに倣って、領内で忠誠を誓わせた武力集団を組織したのが騎士団。帰属様はいつも煩雑さの中で生きているらしい。いやまあ、礼節とかはあえて複雑にすることで敷居を上げるって意図なりがあるだろうけどさあ……。
その点、ロールレア家は資源が豊富で権力も持ち独立性を維持しているので王家との関係だけ考えればいいのでまだ楽だったりはする。貴族社会の不合理の中で、合理的なシステムを構築しようという姿勢が見える部分はまあ、嫌いではない。
……ん? 何の話だっけ。ああ騎士団だ。
なんでウチにはないんだろ、って話だった。
「……王家に仕える騎士家の一角という起源を持つ当家では、領内で騎士団を組織することを避けておりました。それは対外的には王家への私心がないことを示すためであり、隔絶した個人の能力は組織化にはあまり適していないことを、その立場から経験として認識していたためです」
まあ、そりゃそうだ。
一人で山とか崩せる戦力を持っているのに足の遅い相手に合わせて集団行動するのは、大きく効率を損なう。
「……そして、騎士団を組織しても、その役割は僅少です。治安維持には憲兵隊がおります。
……家臣団を解体していなければ、前領主の側仕えの集団はそれだけのステータスを備えていたかと存じますが……」
「もう遅いですねー。まあ、その構造も狙ってたんでしょうけど」
「それじゃあ、いまから騎士団を作る? 騎士団でダンジョン資源の探索っていうのもロマンがあっていいと思うのだわ!」
「どこの詩曲ですかねえ……。聖杯でも探すんです?」
「それいいわねっ!」
よくない。ウサギにでも噛まれてしまえ。
「おどけないでくださいねー。徴兵のために騎士団ってお綺麗な看板付けてバカ集めるのは賛成しませんよ、僕は」
「……ですが、王家の狙いとして、この布告によってスキル《鑑定》による人材管理がどこまで為されているかを測るというものもあるのでしょう。そして、該当の条件が達成できないことを理由に、何らかの要求を受ける可能性が高いかと」
「具体的には──キフィナスさんの参加とかかしら」
……だよねぇ。
はあ……。相手の意図がモロ見えなのが何とも気が引けるけど……。
「私は。聖杯とか探した方がいいと思うのだわ」
「……聖杯はともかく。姉さまに賛同します」
……騎士団、作ります?
やだなぁ……。何が嫌って僕らの事情にロールレア家自体を巻き込むのが嫌だ。
「普段の言動あんななのに、妙なところで遠慮しいよね、あなた」
「……はい。それに、最初に巻き込んだのは我々でした」
「そうね。いっつもイヤミと文句ばっかりだけど、ずっと着いてきて、私たちを引っ張ってくれました。
私たちだって、あなたたちの力になりたいのよ?」
「……隣の、大切なひとを戦わせることを望まない気持ちは、私にも理解できるつもりです。キフィ」
……だってさ、メリー。
「そか」
「反応が薄いなきみ……!」
「めりは。どうでもよい。たたかってもよい。たたかわなくてもよい」
「……そうだね」
メリーは、多くのことに関心がない。
僕らはちょっと、どうにも、無関心に馴れすぎているようだ。
きっとそれは悪癖なんだろうなと、シアさんたちの目を見て僕は思った。
「それにしても、相手の考えが分かり切ってるのに、それに乗らなきゃいけないってのが腹立たしさ極まりないですね」
「……貴族の立ち回りとは、そういうものです。キフィ」
「そこを呑み込んで利を重ねていく必要があるのよ。騎士団の有用性だってこれから考えていきましょ?」
有用性ねえ……。僕は腕っ節だけの、力こそ正義みたいなの。あまり好きじゃないんですけどねー。暴力集団を組織するっていったら……、ほら……。僕にはちょっとひどい心当たりが色々とあるからさ。
「そういう連中を監督する人は必要不可欠でしょうね。何をしていいのか、何をしたらまずいのか。後は……まあ適応を高めたり資源回収したりするから、その立ち回りも覚えさせないといけない。あとそれから……」
僕は何しなきゃいけないかを指折り数えた。
はは、なんかもうめちゃくちゃ大変そうだなー。しかも騎士団だぜ騎士団。流石に同情するよねー。
犠牲者誰になるんだろ? 慰問とかしちゃうよ。
「あなたが適任じゃないかしら? デロルの騎士団長」
「……口頭で出された案にしては、一定以上の具体性があるかと」
「は? ……はぁー!? そんなの誰でも言えますよ!? 僕が!? 嫌です! 嫌ですよそれ!!」
僕がローカルお笑い集団のトップに!?
ほんとに本気でマジで心からめちゃくちゃ嫌々嫌々嫌すぎるんだがぁ!?
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■《騎士団》
王家がその身分を保障し、近衛として仕える特別騎士と、各貴族によって叙勲される騎士には、その権力にも立場にも明確な違いがある。ロールレア家が騎士および騎士団を置いていないのはそれなりに特殊な事例である。本文中では言及されていないが、領内に徹底した管理主義を敷く上で、武力集団を配置することによるデメリットを避けたところが大きい。
(戦闘力を持つ個人は登用しているため、騎士団という形で表立って組織化はされていないだけで戦力は十分にある。旧伯爵邸のダンジョンのように、冒険者ギルドに通知していないものを維持・管理できる戦力は常に整えている)
貴族によって組織される武力集団としての騎士団の役割は、この世界の資源がダンジョンから産出されることに起因する。
各領地の運営者はダンジョンを探索し、資源を回収できるよう方策を検討する必要がある。
冒険者ギルドは古くは王家によって王国内の全領地に配置された機関であり、迷宮資源の円滑な流通を支えるという役割が期待されていた。しかしながら、そこに所属する冒険者個人は、実入りのいい拠点を選考しようとする。冒険者に対して自由な移動を認めたこともあり、都市によって過疎と過密がはっきりと分かれている。
即ち、活動する冒険者が少ない領地では、迷宮資源の回収を公的なサービスの中に位置づけざるを得ない。
騎士団を組織しなければならない領地とは、冒険者にとって魅力が少なく力に乏しい。
王都では、領地を持たない法衣貴族が騎士団を組織し、度々冒険者とトラブルを起こしていた。
(冒険者は学がないので近衛騎士とそれらの騎士もあまり区別していない。酒場に居合わせたレスターによる刃傷沙汰が時折発生する)
基本的に冒険者より弱い。
だから冒険者は彼らを仲間内でバカにする。




