催眠!
店を出る。アイリーンさんはめちゃくちゃな量の荷物を抱えている。その中には、僕が買おうとしたベッドシーツがあった。
結局売ってくれなかったのだ。『当事者同士で話し合え』とかそんなの僕が一方的に不利じゃん。愛がどうこう言い出すじゃん。
実は言いくるめって価値観がわからない相手には大して効かないんですよ。
「譲り合いの精神。それは愛の一側面……。やはり、あなた様は愛なのですね!」
同じ言葉を喋ってるはずなのに、こんなにも何を言ってるのかわからないって普通ある?
愛ってなに?
「愛とは──救いです! ですが時に……! 罪深くもあります……!!」
「ん?僕いま罪深さを糾弾されてる?」
「それもまた、愛の一側面……っ!!」
抽象的すぎる。罪深いことは別に認めなくはないけどさ。
ほんと、いつ会っても人生楽しそうで羨ましい限りだよ。きっと悩みとか特に何もないんだろうな。
「そんな愛の人には、なにかお悩みがあるご様子ですね?」
アイリーンさんは僕の肩をがしっと掴み、鼻がぶつかるくらいまで密着してくる。透き通った桃色の瞳が透き通りすぎてて逆に怖い……。
「お話を聞きましょう!」
「聞かせる話もないですが。あとここ表通りです」
「そんなことないはずです! 聞かせていただけるまで、わたくし、動きませんっ!」
「ここ表通りです。そんなことなくないです」
あの。いいから手を離してください。離して、離っ……力強いなあ!!
め、メリー!助けて! ダンジョンの外に魔獣がいる!
「よい」
何が!?
・・・
・・
・
場所を変えようと連れてこられたのは路地裏の一軒家だった。
長年雨晒しになったのだろう。その扉は薄汚れていた。
「同志セツナ! いくつかのお買い物と、それから愛の人を連れてきましたっ!」
「……女遣いを? 待て。用意をする」
うぎゃあって声が聞こえた直後、
「入っていいぞ」
血塗れのセツナさんが僕らを迎えた。
……いや、背後でなんか武器持った男女がまとめて死んでんだけど。え。白昼堂々なにやってんの。
「我が来たときには既に死んでいたでござる」
嘘つけや。ござらねーよ。
なんで木棒から血が滴ってんですかね。
命の価値が軽すぎる。なんでこんな犯罪者と付き合ってんだアイリーンさんは。
「暴力はいけません。……ですが、同志セツナは変わらないひとですから。あなた様やわたくしとは違うカタチですが、同志セツナのそれもまた、たしかに愛なのです。愛とは、尊重されなければなりません」
「アイリの言は我にもわからぬ。なぜ我がここにいると分かったのかも謎でござる」
「答えましょう。それはすべて──愛です!!」
「そういうことらしいぞ、女遣い」
そっかあ……。帰っていいですか?
「だめですっ! あなた様のお悩みは、わたくしのお悩みでもあるのです。想いを共有すること、それもまた愛なのです!」
「なんか勝手に自己完結されてるとこ悪いんですけどー。別に悩んじゃいないですよ」
むしろ犯行を直接目撃して悩みは増えた。
「見てはなかろう」
同じだよ。……セツナさん、憲兵隊と衝突したら容赦なく斬り捨てるよな……。それで少なくとも、アネットさんはセツナさんが相手だろうと怯まない。困るな……。
というか、サシでセツナさんとやり合える相手とか迷宮都市にいないぞ。こうして為政者の側に立つと、この人斬りセツナって存在本当に厄介極まりないな。なんでまだ生きてるんだろ。僕はセツナさんの生存を疑問視するに至った。
「フン、憲兵どもに気取られねばよいのであろう? 今晩にでも、こやつらの死体はそこらのダンジョンにでもぶち込む。手伝え、アイリ」
「しょうがないですねえ。みんなが寝付いてからですよう」
「餓鬼どもの事情なぞ知らん。月が中天にかかるまでに来い」
証拠の隠滅まで手慣れてるな……。迷宮特区って形で、戸籍持ちの領民の居住区とダンジョンを都市計画の時点でしっかり分ける理由を僕は改めて理解した。
いやそうじゃない。アイリーンさん? ガチの犯罪に荷担してんじゃないよ。死体遺棄でしょ。……ん? あれ、領内法にあったかな……。墓曝きは当然アウトだけど……おや? もしかして遺体を動かすのって明確に罪として規定されてないのか……? 嘘でしょ? この国の法律ってそういうとこあるんだよなぁ……!
いやいや。いやいやいやいや! そもそも、法が許しても倫理的に問題だろ。犯人と親しく死体動かすとかアウトだから。共犯者認定まであるから。
「ですが、愛ある頼みごとを断るわけにはいきません……!」
「そんなもんないでしょ」
「フッ、よいか女遣い? アイリはあらゆる頼みごとを引き受けるのだ。便利に遣ってやるといい」
「はい。そこに愛があるのなら!」
ねえよ。ねえよ愛。セツナさんはその全身が殺意の塊だよ。
反社会性の高さを見せつけてくるな……アイリーンさんは領主様のお屋敷のスタッフなんですけど? 自覚とかあります?
「はい! ありますよう。とても、とても名誉なことです。
ですが、わたくしはご領主様の部下である前に、愛のしもべなのですね♪」
そう言って、アイリーンさんは再び僕を拘束した。
吐息が唇にかかるような距離にアイリーンさんの顔がある。近い。
「はぁい。それでは、あなた様のお悩みを話してください。力になります。なってみせます!」
「だーかーらー、別に、悩みとかないです。毎日忙しい僕にとって、多くはどうでもいいことで──」
「しょうがないですねぇ……。それでは、わたくしの眼を見てくださいっ♪ どーんっ♪」
ピンク色の光が瞬く。
僕は意識を失った。
* * *
* *
*
「アイリ。殺すぞ」
「っ……! うふふ……、斬ってから言うことではありませんねえ……。とっても痛いですよう……?」
「貴様でなければ、はじめに首を落としていた。猶予を与えたのは、これまでの貴様への借りだ」
桃色の燐光に反応して、セツナは即座に右腕を斬り裂いていた。
噴き上がる鮮血が廃屋の床を濡らす。その傍らには、先ほどセツナを襲おうとした同業者たちの死体があった。
領主の代替わりにあたり、迷宮都市デロルは今も水面下で動乱が続いている。
暴力を生業とする冒険者を雇い入れ、領内を荒らさせるという手口を用いるのは何も隣領に限った話ではない。前領主オームという軛を失ったことが周知の状況となった今、デロル領への害意は表面化しつつある。
この場で死体と化した男女8名もまた、そのためにデロル領を訪ね、目についた廃屋を拠点とした者たちだった。
大領地を拠点とする冒険者には、時として暴力が求められる。
それは、他領からの害意ある訪問者を抑えることに繋がるためだ。問題ある冒険者を粛清する執行官の活動──冒険者ギルドという組織が備える懲罰制度に対して、多少の力を持つことで気を大きくした厄介者の数はそれよりも多い。
その時抑止力として機能するのは、暴を体現する同業者である。しかし、キフィナスとメリスは彼らとたびたび衝突し、時に暴力で時に弁舌でその面目を潰した。そういった事情から、ここ迷宮都市デロルでは新参者に掣肘しようという冒険者が少ない。
「そこに並べる骸をひとつ増やすなぞ、造作もないことだ」
冒険者ギルドという組織において、暴力の化身とは必要悪である。リリ・グレプヴァインを正面から退けるセツナの存在は、その身に宿す暴がために許容されている。
しかし、セツナの行動には打算や思惑は一切ない。
目についた相手が気に食わなかったから殺した。それだけだ。
「次は舌を落とす。魔術句を紡げぬようにな」
そして、気を許した相手が気に食わない相手に変じるのであれば、躊躇なくそれを殺す。
「ふ……、ふ……。同志、セツナ。わたくしは……、このひとの、力になりたいのです。その気持ちは、あなたと同じですよう」
痛みに喘ぐアイリーンの言葉がセツナを苛立たせた。
──我らは厄介者でありながら、なんたる態度か。気に喰わぬ。もう殺すか?
「それにぃ……、わたくしがこのひとを傷つけるのなら、その子が黙ってはいませんね」
「否。そこの化生は、既に途を外れている。……あれが少しずつ傷つく様を、目前で見つめたまま、動かなかった。あの日の娘は、そのような眼をしていない」
メリスの金の瞳に、セツナとアイリーンの両名が映る。
瞬きの後に、その視線は虚ろな表情のキフィナスへと移った。
「ぼくは……。とめたい」
「なにを止めたいんですか?」
「おうとの。ひとが、しぬこと」
感応の魔眼──アイリーンの肉体に刻まれた精神操作の魔術により、キフィナスの内心が開示される。
アイリーンの甘い声に導かれるように、キフィナスは言葉を並べる。
「そうですか。王都で何があるのでしょう?」
「だんじょん、に……。ひとを、たくさんつれてく。たたかえないひとも。ていこくのひとも」
「ふむ。口減らしか」
「それは……愛ではありませんね」
「めりーには、たよれない。……きっと、みんなは、めりーをこわがるから」
旧王都攻略──王都を拠点としていた時代から、キフィナスは注意深くそれを避けていた。
それは王国の悲願であり、絶望の象徴であり、もしもメリス個人の力によってその攻略を為し得たとすれば、きっとその時には──かつて辺境を訪ね回った時のように、その力故にメリスが排斥されるのだろうという確信があった。
「ぼくには、なにもできない。……せめて、まわりのみんなだけでも。……まもりたいのにな」
「……ほんの少しの間だけ、素直になってもらいました。こうでもしないと、このひとは、きっと想いを内側に抱えたままなのです。それに馴れてしまっているのです。だれかに手をさしのべてばかりで、さしのべられようとはしない。それは、はあどぼいるどで……少し、悲しい在り方です。愛は、愛とは、互いに支え合う……、支えを必要とせずにはいられないものです。メリス様、同志セツナ。わたくしを、非道だと思いますか」
「…………腕を拾え。傷口に接げば、そのまま繋がる」
「うふふ。……愛ですね? 同志セツナの愛を感じます。うふっ、ふふふ! わたくしも愛していますよ! 同志セツナっ!」
「気狂いが。また斬られたいか。……なあ、キフィナス。ぬしは……、いや、いい。素面の時に訊ねるべきだ」
「愛でっ……ぴっ!?」
「斬ると言った筈だな、アイリ」
「っ……! その愛も、わたくし、受け止めますよう……!」
「我は、しばし離れる。ここの掃除は貴様に任せた。──あの雨女らは、いい加減、この辺りで死ぬべきだ」
早馬が急を告げる。
特別騎士家マオーリアの娘アネットの元に、一通の手紙が届いた。
「旧王都……。姉様が、お隠れになった地……」
アネットはまだ未消化の休暇期間がどれだけかを数えて、それから苦笑した。……五体満足で戻れることを考えているのか。それほど甘くはないだろう。
己にできることは、きっと多くはないのだろう。
マオーリアの落伍者。大嵐の家に生まれた、土色の娘。憐憫と嘲笑にすっかり麻痺して、それでも心は削れて、そんな自分にもできることを探してきた。
「それでも。わたしは、行かないと」
──わたしには、なにもできない。大天才の姉様でもだめだったのなら、わたしなんかには、なおさらに。
だけど、この身は、マオーリア家の娘なのだ。
「……たのしかったなあ。ほんとに」
傍らの三又槍、その石突に幾重に刻まれた小さな誇りをアネットは撫でる。
その華奢な手は、嵐を前に震えていた。




