舞踏会は終わる、されど仮面は今も
諸般の事情で仮面舞踏会はお開きとなったので、いち早く僕らは地下から抜け出した。
ステラ様の言葉は聞こえなかったことにして。
夜空の向こう側が黄色く滲んでいる。どうやら、随分と時間を食っていたらしい。
「……あのまま留まっても、大した情報は得られないでしょう。そして、彼らの言葉が正しいという保証もありません。……困りましたね」
それぞれがそれぞれで自分勝手に定めた目的のために行動しているからね。
というか、連中は所詮、どっかの灰髪の雑魚ひとりに王都を追われて、前領主様に無自覚に取り込まれたクソ雑魚匿名集団共だ。それでも個別にインタビューしたいなら、三年分の転居記録を確認するだけで済む。
「ええ。予想していたよりも、ずっと複雑で厄介ね……」
ま、これでステラ様たちも理解ったろ。
考えてもしょうがないことを考えたってしょうがないってさ。
同語反復ってのは時に、これ以上ないほどに正確な表現になる。
夜明けよりも少し前、薄明差し掛かる路を歩く。
家々が隣り合う石造りの街並みが薄らと色づいている光景に、僕はすぐにでも燃やせそうだなという感想を抱いた。
たぶん、多くのものは、見た目よりもずっと脆くできている。
「だから私は、この景色を護りたいの」
そうです?そりゃあ尊いことですね。ま、大切だって気持ちを尊重しなくはないですけど。
僕の心には、呟くような小さな声がぜんぜん響かなかった。薄情だからね。ここら辺に暮らす9割9分の人間は、僕にとっては赤の他人か敵のどちらか。あるいは両方ってこともある。
そんな相手の幸せを無条件に喜べるほど、僕はまっとうな人格をしていない。
「ねえ」
眠い目を擦りながら、僕は改めてステラ様と対面した。
ステラ様の瞳は、今なお、紅色の宝石のように煌めいている。
「渡しませんよ」
君はなにかを勘違いしているようだけど。
責任だとか使命だとかいう尤もらしい理由で、誰かから勝手に押しつけられた荷物はさ、いつ捨てたっていいんだよ。
生きる意味は誰かに勝手に定められるようなものじゃない。
自分の娘を魔人なんてモンに換えちまうなんてふざけた思いつきに、さっさとくたばった死人の妄執なんかに、付き合ってやる義理はどこにもないだろう。
「勘違いをしているのはあなたでしょう。私に、魔人になる気はありません。……カティアが視ていたものを体験したいという気持ちが、ないと言ったら嘘になるけれど」
黄昏色の薄明の中で、その瞳は何物にも侵されない赤色をしている。
灼きつきそうなほどに眩しく輝いている。
「それに。あのひとはああ言ったけれど、多分、私が食べてもおなかを壊してしまうだけだと思うわよ?
だって──今の私は、お父様が知っていた頃の私よりも、ずっとずっと素敵だもの!」
三歳児にすら騙されそうなほど屈託がない笑顔に、僕は毒気を抜かれてしまう。最近はいつもこうだ。
……それでも、はいそうですかと渡す気にもなれない。
「第一、それは当家の資産でしょう。あなた個人が管理するものではないのだわ」
「負債の間違いでしょう。こんなモン押しつけられて、処分しなきゃならないなんてさ。僕がテキトーにやっときますよ」
「……資産であるにせよ、負債であるにせよ、それは家で管理するものです。おまえ一人に委ねるものではないかと」
「シアがいま良いコト言ったわ! そゆことだから、頂戴ね!」
「はあ……」
彼女たちの責任感を、痛々しいとさえ僕は思う。
こんなものは負債以外の何物でもない。
……二人には、逃げ場がない。ロールレア家の38代目の当主様とその補佐様で、大領地デロル領の優しい管理者で、生まれながらの立場から逃げるという選択肢が頭の中に最初から存在してない。
「……逃げても、いいんですよ」
つい口が滑った。
「冒険者としてどこかで暮らしてもいい。……不都合はさせないからさ。君たちの代わりなら、きっと、追放してやった誰かが立候補してくれる」
「……っ、それは……」
「それも楽しいかもしれないわね。すごく、魅力的な提案なのだわ。
でもね? 私はこの街の景色が好きなの」
「……僕は好きじゃないな。この景色の内には、きっと沢山、君たちのご先祖様が遺してった負債が転がっている。今回だって、その数ある負債のひとつでしかない」
「そうかしら? これで最後だったりするかもしれないわよ?」
「……姉さま。それは、些か苦しいかと」
「そうね……、自分でもちょっと思ったのだわ。だけど、キフィナスさんにも好きになって貰いたい気持ちはあるのよ?」
ステラ様はシアさんの手を取って、小走りに駆けた。
そうして、二人でくるくると石畳で踊り出す。
「向こうまで続いている馬車の轍の跡が! 黄金色に輝く家々が! あの日に窓から見た景色が!
わたしは、昔から今まで、ずっとずっと大好きでしょうがないのだもの!」
ステラ様はおどけてみせているけれど。
その表情の裏側を僕はよく知っている。
「……程々にしておきなよ。その仮面は、あまり長いこと着けてると、内側がぐずぐずにふやけて、上手く剥がれなくなるんだ」
少し離れたステラ様には、どうやら、僕の独り言は聞こえていないらしかった。
・・・
・・
・
「……はー。めんどくさっ。渡しませんけど。渡しませんけど、何に使うつもりですかね」
ステラ様は宿屋に戻ってさえ執拗にうるさくて、ついに僕は根負けした。こっちは眠いんですけど? 渡さないけど。
どうも、ステラ様がべらべら喋って相手を言いくるめる話法をマスターしてしまった感がある。渡さねえけど。
渡さねーーけどさ。この話法の弱点は、最初から相手の要求に付き合わないって態度を崩さなければいいってのを僕はよく知ってるからね。
「ふふん。よく聞いてくれました。自分たちのいらないものを、欲しい相手により高く売るのが商売の基本……、でしょう?」
「そうですけど、ステラ様に商人のセンスはないでしょ。だいたい、そんな生ゴミ欲しい奴って──おい、」
「ええ。リリ・グレプヴァインに話を聞くわ。キフィナスさんは休んでいて頂戴」
「承知できるわけないだろ!」
「そう? 私は、べつに悪いひとじゃないと思うのよね」
ステラ様はあっけらかんと言う。
その真っ赤なおめめはガラス玉か?
「……はい。善悪の判断はできかねますが、あの者は、おまえを案じているように見えました。おまえと応対しながら、その意識を仮面の者たちに向けて」
「シアさんの青い目までお曇りらしい。睡眠不足ってのは正常な判断力を奪うんですね。そんなワケないだろ。冗句にしたって笑えない」
「ん」
「……メリーまで……、正気かい? あの女は、君が、この社会から排斥されるべきだと宣いやがったんだぞ?」
「そか」
メリーはこくこく肯いた。何を当たり前のように受け入れてんだ……!
昔からそうだった! あいつの君を見る目は、いつも──違う。今そんなことはどうでもいい。メリーは僕が抱きしめとけば逃げないとして、問題はステラ様とシアさんだ。
「とにかく、絶対あり得ないからな! 安全のために! あいつは合理性の化けモンで、談笑してる相手を一秒後に殺せるような奴で……、ああもう!僕は君らを監視するからな! 今日は休みだっていうのに……!」
勝手に降りてくる目蓋を擦りながら僕はここに宣言した!
くそっ眠気で足下がふらつく……。
少なくとも、休日出勤の手当は貰うからな……!
* * *
* *
*
「ごきげんよう。リリ・グレプヴァイン」
冒険者ギルドのバックヤード。
高位冒険者が秘匿性の高い情報を遣り取りする個室にて。
そこには三人の人影があった。
「ご機嫌よう、迷宮伯閣下。……キフィナスは? 今日はいないのですか」
「ええ。あなたに会うなって怒られてしまったのよね。監視までするんですって。
だから──うふふ。あのひとが寝ている間に来たのだわ。監視していないのだもの、仕方ないわよね」
ダンジョンでの探索により適応を重ねた姉妹の肉体は、睡眠の必要性が常人よりも薄らいでいる。
キフィナスは昼食までは意識を保っていたが、バルコニーの柔らかな陽光によってついに意識を奪われた。鍵の掛かった執務室にて、抱き枕となったメリスの柔らかな金糸の髪に頭を伏せて熟睡している。
ステラとシアは、執務室の窓を伝って冒険者ギルドを訪ねた。
「キフィナスは、護衛役も勤めているのではないですか」
「ああ、雅言はいらないわよ? 昨日の晩みたいにね。シア?」
「……はい。承知しています」
青い燐光と共に、扉に無数の氷の薔薇が咲いた。何条にも伸びる細い銀の蔦は、天井と地面を這い、蜘蛛の巣状に張り巡り、周囲を凍り付かせる。
それを受けて、グレプヴァインの肉体から数粒の紫の光子が零れた。体内に魔力を循環させた、その残滓である。
「ではお言葉に甘えて、常語にて。
私の魔術は、密室であれど自在に透過できる。そして、《麻痺霧》の自動詠唱具を備えている。密室空間においては、優位は私にある」
「手札を明かしていいの?」
「戦力の一部開示により、均衡状態にあることを認識してもらうためだ。彼我の戦力差の見積もりを誤り、暴力という選択肢を選ぶことを避けることを目的としている。
今回の会合の目的は戦闘ではないという認識だが、相違があるか?」
「……あなたを打倒する気はありません、リリ・グレプヴァイン。これは人払いです」
銀薔薇の蔦によって、設置された魔道具を感知することが目的である。
シアはそれらしきものを3点ほど確認し、いずれも氷結粉砕した。氷の飛沫が部屋に舞う。うち1点は原始的な魔石爆弾だったが、その程度の威力では、シアが即座に組み上げた正立方体の氷の小箱を破壊するには至らなかった。
これはリリ・グレプヴァインという人間が狙われていたか、それとも彼女が事前に仕掛けていたか。いずれにせよ、警戒すべき対象であるという印象をシアは強めた。
「そう。誰かに聞かれると、不敬だとかいう讒言が煩いのよ。私は気安いくらいが好ましいのだけれど、困ったものよね」
「身分とは、権力とは、生得的な力とは、その周囲の行動を規定するものだ。己に気安くあれという態度は、向ける相手によっては暴力ですらある。
今代のデロル領主は、戯れに興じるのがお好きなようだな」
「……貴方ほどではありませんよ、リリ・グレプヴァイン」
シアは淡々と語る。その言葉の温度は、氷点の銀薔薇よりも低い。
目前の紫髪のギルド員リリ・グレプヴァインは、先日もキフィを傷つけ、かつてメリスを侮辱した。シアには、領主である姉と違って友好的な態度を取り繕う理由がない。
「……貴方は、合理に基づき行動する人間であるそうですが。
己の顔面の熱傷を治さずにいる理由は、遊興の他にありますか?」
茨のように鋭く短い問いがリリを刺した。
「こちらは手厳しい。……確かに、これは感傷だ。我々の間には、この醜く残る傷の他に、繋がるものがもう残っていないんだよ。
キフィナスは、私の初めての弟子だった。……そんなもの、取る気もなかったのだがな。あの子は灰の髪でありながら、その立場に腐らず、私の教えの多くを吸い上げていった。傷を増やしながら、一歩一歩、少しずつな。そしてついに、ギルド管理区域《白雪の枯れ森》にて、この黒檀の弩弓で山越しの狙撃を果たした時は、自分のこと以上に、心から嬉しかった……」
──だが、あれはもう、私を師と仰ぐことはないのだろうが。
そう言って、リリは言葉を打ち切った。
つかの間の懐古と諦念を、無表情の仮面が再び覆い隠した。
「な、なんて面倒なひとたちなのかしら……」
突如その悔恨を聞かされたステラはと言えば、思わず浮かんだ素直な感想を口に出さずにいられなかった。
メリスという逆鱗に触れたとはいえ、三年経っても恨み続けているキフィナスも、大切な弟子と言いながら逆鱗引きちぎるような言動かましたリリも……、どちらも面倒極まりない。こじれている。何か拗らせている。
何なら妹、シアの態度さえめんどくさい。普段のシアであれば、そのような問いを投げるような真似はしない。彼女の振る舞いに何か特別な感情を感じ取って牽制したようにしかお姉ちゃんには思えない。あとそれから眼が怖い。
──というか、本題はそこではないのだけれど? ぜんぜんそこにないのだけれど? 魔人の遺骸、その利用目的と、提供した場合のリターンにあるのだけれど? ややこしい人の話してると話進まないわよね?
ステラは軌道修正をした。
「彼の話は置いておきましょう。今回の本題は、あなたが回収するつもりだった魔人の遺体よ。その目的を聞かせて頂戴」
「こちらのメリットは?」
「それが妥当な理由なら、私は頑張って説得するわ。当家で管理するようにってね」
ふむ、とグレプヴァインは顎まで伸びた火傷跡に指を当てる。ケロイド状に痛んだ黒い皮膚の上に、白く長い指先が映えた。
「旧王都の奪還のために使う」
端的な答えが返る。ステラは「続けて頂戴」と続きを促した。
「遠征時に、尽きない食糧が保険として必要だ。腐敗しているが、味の問題はスキル《料理》で偽装する。予定する10万人の進行を支えることができるだろう」
「……10万人ですか?」
10万という数字は、このタイレル王国ではかなり膨大な数字である。流入を制限していた迷宮都市デロルの戸籍人口の数倍であり、王都タイレリアの戸籍人口とほぼ変わりがない。
ステラとシアは耳を疑ったが、グレプヴァインは平静を保っていた。
「動員数からして現実的ではないわね……。予定期間は?」
「旧王都の生還者の情報から、内部時間で三ヶ月を見込んでいる。隊商……否、ひとつの移動都市を組織することが計画されている。王国全土から、人員を募ってな。近く、貴族家に対し作戦参加の勅命が発されることだろう」
「なるほどね。食料が必要な理由は理解したわ。だけど、なんの事情も知らない人が魔人になってしまうことも考えられるのではなくて?」
「支配領域の見立てがない時点で、その確率は低い。魔人と成ることが期待できるならば、戦力に計上できる人間が増えて助かるのだがな」
「貴方たちの活動全てを否定する気はありません。けれど、相手からの合意は得るべきでしょう。私を納得させなくていいのかしら?」
「言葉を弄しても仕方がない、と判断した。少しでも勝算が上がるのならば、それを講じない理由はない」
「……それだけの価値が、旧王都にあるとは思えません」
「言ってしまえば、旧王都の攻略なんて王都の感傷よね。それも、何度か失敗している。そこに付き合う貴族が、果たしてどれだけ集まるのかしら? 我々領主が忠誠を捧げるのは、家と領地のためよ」
「集める。──さもなければ、世界が滅ぶ」
その言葉は端的で、やはりステラは続きを促した。
「旧王都には、未回収のまま残された、世界を破滅に導く迷宮災禍が数多遺されているのだ。自我を人類の絶対的敵対者へと変質させる《緋の研究石》、悪辣なる《指輪》、狂える呪医マレディクマレディコが封じた自我持つ感染型呪毒《堕落之穢血》、《嵐の王》の兄弟剣……、いずれも、持ち主の不注意で容易く人類種を破滅へと導くに足る力がある。
中でも最悪なものは──名前を《神圏ミスラミトラの鍵》という。あの終末装置が励起状態となれば、その破壊規模は地上全土に及ぶだろう。
出力は、低く見積もっても、宮廷魔術師20億人を下らない。タイレル王国千年記、そこに記された歴代着任者を始祖から一列に並べたとしても足りはしないだろう」
メリスの力は、それすら凌駕しうるが。
リリ・グレプヴァインは静かに語った。
「いいこと? あなたたち師弟は、仲直りをするべきなのだわ」
「……領主ステラ。そんなことは──」
「できる・できないじゃありません。すべき、なのです。時間を作ってあげるから、キフィナスさんに謝罪して頂戴。こっちからも色々謝らせるから」
「……姉さま、しかしあの様子では……」
「……別に、私は構わない。頑固なあれが呑むとも思えんが。
しかし、全ては旧王都攻略を終えてからだ。迫る滅びに抗わねば、明日の和解に意味もない」




