オークション・セオリー
デロル領の新領主は、ステラ・ディ・ラ・ロールレアは、得体の知れない存在である。
本日、優美な氷細工の並んだ新領主邸別館に──キフィナスがイベントホールと呼ぶ空間に──集まった商人たちの多くは、目前の可憐な少女を、見た目通りの相手であるとは考えていない。
目的のためなら手段を選ばない、残忍な貴族だ。
「ご機嫌よう。集まってもらえて、心から嬉しく思うわ。ふふ──お屋敷の外にいた頃には、とてもお世話になったわね?」
ステラの穏やかな笑みが、彼らの心をざわつかせる。彼女は残忍であり知謀に長けている。口にする語句の、その一単語にすら何かしらの寓意があるに違いない。
最初期に株券なる紙片を購入したアスタールク商会長もまた、領主ステラをそのような存在であると考えていた。
商人にとって、尋常でないこととは即ち好機である。デロル領で生きる彼らは領主に対する忠誠心を当然に持つが、利益にも聡い。
旧領主邸の爆破事件にせよ、領主オーム伯の帰還に伴う代行位・家令職の追放にせよ、オーム伯の暗殺にせよ。それらの動乱を通じて、銅貨の一枚でも多くを稼ごうとする。
そして──そのすべてが、彼女の都合のいい方向に流れてきた。
あの爆破事件は大量解雇の理由付けとして機能した。加えて、ロールレア家の債権を認める証文の多くは、あの爆破事件の中で無事である。
追放期間中に、財を蓄える我ら商人を対象とする経済システムを構築しようとした。そして、こうして商人が集まっている時点で、十分に機能していると言える。
そこに加えてあの痛ましく都合のいい前領主の暗殺だ。直ちに現場に到着し、その場に同席していた他領の貴族にも大きな存在感を示したことは記憶に新しい。
そして終いには、新年の式典を待たずに、あの女王陛下から伯爵位の継承を認められたという。
一度なら偶然だろう。二度なら幸運かもしれない。しかし短期間にこれだけ重なれば、作為の存在を認めるのは必然だ。
それだけの公然なる秘密を抱えながら、新領主ステラは今も花咲くように笑っている。
「ここに集まっている貴方たちは、こうして集まるために株券を買ってくれている。中には、まだ実績なんてない時期に買ってくれたひともいるわね。本当に嬉しいけれど……、それでは支援と同じだわ。貴族とは、誰かに拠るものではない。いつか還元しなければいけないと思っていたの。
だけど、ただ報いるだけでは面白味がないでしょう? それに公正ではないわ。偶然わたしの目に留まった貴方たちだけが好機を手にするというのはね」
心から楽しそうに話している。
何より恐ろしきは、堂々とした態度を崩さないことだ。
己は一切無謬である。それどころか、自分の行いの全てが正しいと確信しているかのような姿勢に、畏怖畏敬を感じずにはいられない。
「ここ迷宮都市デロルの冒険者ギルドでは、回収した迷宮資源の多くを、オークションという売買形式で取り扱っています。参加されたことはあるかしら? ふふ、愚問だったわね。先日訪ねたのだけれど、観ているだけでも刺激的だったわ。
冒険者ギルドと同じく、私の迷宮公社ステラリアドネも、同じく迷宮資源を貴方たちに払い下げている。
今回の催しを開くにあたっては、先達として大いに参考にさせてもらったのだけれど──」
ステラはそこで一拍置いた。その空隙に、商人たちは頭の中の算盤を弾き直した。
オークションという形式は、運営者側が値を吊り上げることが可能である。冒険者ギルドが許容されているのは、それを承知でなお参加する価値があるためだ。
あの竜鱗には大きな価値が認められるだろう。だが、その目玉商品は、必ずしも必要としていない参加者の方が多い。
商人が値踏みを始めようとした矢先に、
「──ええ。面白くないわよね? だから、私は考えたの。より公正な形で、かつ面白く!あなたたちに価格を決定してもらう方式をね」
ステラは二の句を継ぎ、自分の発案への関心を引き寄せた。
「ルールは簡単よ。入札の機会は、たったの一度だけ。それも、同時に価格を公表するの。購入希望者の中で、提示した値段が一番高かったひとに購入の権利が与えられる。何度も札を挙げるのも楽しいけれど、一度で決めた方がずっと速いわよね? わたしが思うに、参加する気のない、興味のない商品の競売が長引くのはあまり面白くないのよ」
知謀に長ける彼女の言葉には寓意がある。裏がある。
商人たちはその裏を読もうとする。
飾られた氷細工由来でない、背筋の冷えを感じながら。
「それと、支払うのは二番目に高かった値段にするの。ね? ──面白くて、公正でしょう?」
そんな彼らを、新領主は面白そうに眺めていた。
* * *
* *
*
「──それに公正ではないわ。偶然わたしの目に留まった貴方たちだけが好機を手にするというのはね」
……くっ。くくッ。ひひひ!ヒヒひゃはははは!!
神妙な顔で聞き入る聴衆を見ながら僕は裏方でゲラッゲラ笑っていた。
いやーステラ様ってば演説上手いな。自分が語ってることが当然で正しいんですよって空気作りが上手い。これ原稿にぶち込んで正解だったなあ!
「……キフィ。その笑い声は控えるように」
おっといけない。笑い声使って威嚇なり挑発なりするのがクセになっている。僕はぐっと堪えた。
今ステラ様がアドリブを利かせまくってるスピーチ原稿を作ったのは主に僕とシアさんなんだけど、ここね。これ、思いっきり主客が逆になってる。すり替えてる。
直前に『支援と同じ』だとか言っておいて、ひと呼吸継いだら『目を付けたのはこっち、支援させてやったんだぞ』って上下関係を取っている。その上で、公正であるべきとかいう言葉がもっともらしさを飾りつけている。典型的な詐術のそれだ。
そう。
今回のこれは、公正がコンセプトだ。
この、第二価格オークションとかいうちょっと回りくどいことやる利点を上げていこう。
まずは、主催者側や関係の良くない相手からの値の吊り上げを防ぐことができること。
ここに出席している商人には、当然得意先とか競合相手とかもいて、そうなるとこのシステムを利用して相手を打撃を与えたりを考えたりするわけだ。僕なら考えるよ。どちらが崖に落ちるかのチキンレースだ。実際王都で何回かやったし。なかなか楽しかった。
それから、どうしても欲しいという人が、相場を若干無視したような値段を付けてしまった時のセーフティにもなり得ること。
参加したことを後悔させるわけにはいかないからね。同業他者の値付けなら、自分を客観視させることができる。このシステムにおいては、他の参加者は必ずしも敵じゃないんだ。
もちろん、あえて低い値段を付けての談合なんてのは成立しない。仲良しグループの外に適正な価格を付ける相手がいれば、それは簡単に崩れてしまう。迷宮伯印の迷宮資源が大変お買い得なんて状況をただ眺めているような参加者はいないさ。
これを防ぐには参加者全員に話を通す必要がある。これだけでも現実的じゃない。その上、株券って名前を借りてはいるけど、誰がどれだけ持ってるなんて情報を公開しちゃいないからね?
自分の評価額以上で買い取ることはない。赤字は出ない。それなら、評価額を正直にそのまま書くことが正解ということになる。
最初の数回で、その仕組みをぽつぽつと理解し始めたようだ。小さなざわめき。静かな熱気を感じる。
「──はい、落札は35番の貴方よ。お値段は金貨4枚、おめでとう! さて、続けていきましょうか。4番、高純度の雷霆の魔石、鑑定証明も付いてるわ──」
軽やかなプライスハンマーの音が響く。
さっきまでのは参加者側の利点だ。勿論僕ら運営側にも利点がある。
まずは進めるのが簡単なこと。こうしてステラ様がサクサク進めているのがその証拠だ。
「それじゃあ、《表裏剥離の粘土板》に記入して頂戴。この砂時計が落ちるのがタイムリミット。それから開票よ」
《表裏剥離の粘土板》というのは、ダンジョン探索用に作られた魔道具だ。見た目は白い板切れで、《表面》と《裏面》の二枚に分かれている。表面に書いた内容がそのまま裏面の方に転写されるようになっている。
本来は分岐路の連絡なんかで使うために作られたものだが──まあ多くの冒険者は読み書きできないので使われないのだが──こうして、回答を共有するのにも使えるというわけだ。
「はーいメモに転載お願いしますねー」
僕はビリーさんに命令した。そしてビリーさんから何人かに指示が出た。まるで非効率……!
ここで管理するのは、1ゲームごとの参加者の番号と提示した価格すべてだ。53枚を管理するのは頭数揃えた方がいい。流れを覚えてもらうためにもね。
主に僕らの作業のタイムリミットを示す小さな砂時計は、観客席を覆うように張られた氷のレンズで金砂の一粒までくっきり見える。
「それじゃあ──金貨3枚、5枚、4枚と銀3枚、金貨6枚と銅貨3、ああ、銅貨はダメよ?銀貨からね。金貨12枚、金6枚と銀2……。 はい。落札は7番、うふふ、よほど欲しかったのね? お代は金貨6枚と少し。お買い得だったわね。では5番に行きましょう」
入札の金額を見ながら、僕は笑いを堪えた。
この方式の最大の利点は──商人が考える公正な相場というモノを、親切な彼らから教えてもらえることにあるんだよなぁ!
この国には定価価格というシステムは存在しない。食料品とかの生活必需品で暴利を貪ろうとしたらその時は社会的にブッ殺すけど、そうでなければ値段というのは付ける側の自由裁量だ。気に入らない相手に高く売りつけてもいいし、常連だからと値引きしてみてもいい。
そんな風に毎日算盤を弾いている彼らが、自分の立場で買うならここが適正だろう、ここまでなら払えるなと悩んでくれるんだ。
僕らがこれからも商売をするにあたって、これ以上の教材はないだろ?
オークションの値段が決定するのは、結局のところ、二番目に高い値を付けた競争相手次第という構造である。その構造自体は変わらないのだから、この方式を採用したからといって利益の大きな取りこぼしはない。
あえて熱狂させて散財させたり、潰すべき競争相手として貶めようってハナシならまた違ってくるけど、どうやら、お優しいステラ様はあまり好きじゃないらしいからね。
「それじゃあ、このオークションの最大の目玉! あなたたちも待っていたでしょう? 番号19番、討伐したドラゴンの右手っ! 血抜きをして、冷凍保存しているわ! 鱗や骨もそのままよ!」
使用人が3人掛かりで太く重い赤紫の腕を運ぶと、参加者の空気が大きく変わる。
ステラ様謹製のガラクタを混ぜたりして、ある程度参加者にルールを理解させたタイミングで、本命を出すことは決めていたのだ。
うまくハマってくれたらしい。
「砂時計は──無粋よね? たくさん悩んで、望む金額を書き込んで頂戴。欲しくなければ、そうね……銅貨1枚とでも書けばいいんじゃないかしら?」
僕は大きな欠伸をした。
ステラの視界の端に、裏方のキフィナスが眠そうにしている姿が見えた。
傍らのメリスの頭に顎を置いて、もたれ掛かるようにぐったりとしている。いつも飄々とした態度だが、この舞台を数日中に整えることは流石の彼も疲れたらしい。
しかし、ここは執務室ではない。部下の目がある。その態度が、成功を確信したキフィナスなりの信頼なのは理解しているが……、だから誤解されるのだ。
(ほんと、困ったひとね)
意識的に、あるいは無意識にキフィナスを真似るステラは、領民から誤解されている己が身を棚に上げる。あるいはそれも、優しい彼の真似のひとつであったかもしれない。
そして、ステラには目覚ましの用意があった。
「──42番。哲学者さんの招待状。これは、ふらりと訪ねてきた盲の吟遊詩人から貰ったものよ。私にとって、とても価値があるの」
驚愕する彼を見て、ステラは悪戯っぽく笑った。
「あなたたちは、どうかしらね?」
あの下品な笑顔だけは真似すまいと思いながら。




