コミュニケーション/ディスコミュニケーション
「世界ちうもんに求めるのは、きっと大したこっちゃあない。明日も地面に足がしっかり着いてぇるかどうかってモンです。それが不確かじゃあ困っちまう。
〽 Not very good,
ずんとよいことせぬかわり
Nor yet very bad,
ずるいわるさもようしえぬ
Or it will not go for nought.
そのうちいいことあるでせう
No, it will go to fate.
いいえそのうちすべてごわさん
na, nananana, na na... na nana nana na na...
だってのにしかしこォれが、あたくしの視た未来でサ。荒涼たる灰の大地に、幾重に重なる抉られた痕。なんとか立っちゃアおりますが、足の踏み場もありゃしない。蹴りでも呉れたら崩れっちまいそうな──こいつが、世界の終わりの光景です」
「そう。……これを止めるために、貴方たちは動いているのね」
吟遊詩人が視せた光景は、姉妹の心に確かな焦燥感を与えた。
乾燥しきった空気からは肌を刺すような感覚がある。
直感として──ビワチャの今までの語りが、全て真実なのだと二人は理解した。
「エエ。運命の車輪は回り続けている。そいつが全て轢き潰すのを避けるためにゃ、道筋をチョイっと変える必要があります。変えたその先に、残念不幸な犠牲者がいたっちうだけでサァな。ヒトの命が貴く重いなら、そいつを乗せた土台はもっと重いでしょうよ」
「……それは、無辜の第三者を犠牲とすることを肯定する修辞に過ぎません」
その上で、シアは反駁する。
弱者として切り捨てられる存在の価値を、そのかけがえなさを、今の彼女は知っているためだ。
「左様で。ですが、命を解釈し、意味を与えてやるのもあたくしの生業ですンで。死人に口はありゃせんが、あたくしにゃアそいつを語ることができる。時に面白おかしく、時にお涙かなしくネ」
「……それを、誰が赦すと──」
「赦しなんて、求めちゃあいねんですよ」
詩人はリュートを奏でる。
その音色は優美だった。
「あたくしゃ、歌えりゃあそれでいい。倫理や道徳やら使命やらなんてのは、実のとこ、知ったこっちゃアないんだ。あたくしの歌が、聴いた兄サン姉サン方の、心の奥、その先の先っぽに、ぐりったぁ爪を立てれりゃそいでいいんです。や──すいやせんね? ヒトから魔人になった輩ってエのは、大体どいつもこんな具合だから何ともグアイが悪い。しかしね、あたくしャこれでも、ロールレアのヒトらにゃあ恩義があるんでサ」
「──それも方便でしょう? 私たちに曲を聴かせるための」
「あンら。バレちまいやした?」
ビワチャは人懐っこそうな笑顔を作ってみせた。
その表情も、穏やかな音色も、ビワチャの培った技能でしかない。
「姉さま……!」
「落ち着いて、シア。眼を使う必要はないわ。ちょっと扱いづらいひとなら、普段から仲良くしているでしょう?
ねえ。詩人のビワチャ。デロル領の統治者、ロールレア伯爵家の長である、このステラ・ディ・ラ・ロールレア・ソ・デロルから、ひとつ提案があるわ」
「なんでございやしょう」
「──あなた、当家に仕えてみない?」
そう言って、ステラは悪戯っぽく笑った。
* * *
* *
*
廃屋のドアを蹴り破る。
治安のことを考えると、こういう社会の隙間はない方がいい。……ただまあ、弱者の雨除け、天井のあるセーフスペースって点を考えると、こういうのを全て潰すってのもまた短絡的な考えで……まったく、考えることが多い立場になってしまったものだ。
「君か。キフィナス」
上体だけを起こした女は、上体に血が滲んだ包帯を巻き付けている。
この広範囲に渡る傷は切創だろう。事前に誰かとやり合っていたようだ。この女からはいつも血の臭いがする。
──殺せる。
瞬間的にそう思って、それからメリーが隣にいることを思い出して、今回はそのために来たんじゃないと思い直した。
「標的の機を窺う姿勢はいい。だが、音を立てるのはいただけないな。私は意識を取り戻した。これでは抵抗できてしまう。
手負いの相手は、時に万全の状態よりも厄介となる。自分の命を勘定に入れない攻撃を選びやすくなるからだ」
「……それほど暇じゃねえよ。僕は、あんたと話に来ただけだ」
「話? ……ああ。構わない」
その声音には喜色があった。……この、グレプヴァインとかいう女は、事務的でぶっきらぼうな喋り方しかできないくせに、コミュニケーションというものを人一倍楽しんでいたりする。らしい。王都の頃に本人がそう言ってた。
……僕は舌打ちをした。酷くどうでもいいことを思い出したせいだ。ずっと昔に吐き棄てた痰カスをわざわざ拾い直すような気分だった。
「時間は取らせないよ。聞きたいのはひとつ。あんたたちの、くッだらない妄想を共有する仲良しグループの──世界の崩壊ってヤツの話だ」
「それは、領主館で働いていることの影響か?」
「さあな。あんたには関係のない話だろ」
「そうか。……君が人間で生きる縁を手にしたことを喜ばしく思う。
では、私の知る限りを話そう。これは私の判断であり、正しさは保障できない。また、君を多少、不快にさせるかもしれないが──途中で攻撃するのならば、抵抗くらいはさせてもらう」
グレプヴァインは、メリーを見ながら言った。
「ダンジョンの枯渇に伴う食料不足、為政者の暴走、適切な管理の為されない終末装置、均衡破壊者──大小ある世界崩壊因子は枚挙に暇がない。魔人の言によると、進んだ文明とは、生物がそうであるようにこの種の自滅因子をいくつも発芽させるものだそうだ」
「御託はいい。結論を寄越せよ」
「これが結論だ。世界崩壊の原因は単一に絞られることではなく、常に無数に存在している。演算錬金城カルスオプトを始め、究極的な単一の解を導出しようという試みは何れも失敗している」
「……カルスオプト?」
聞き覚えのある単語に、思わず僕はアホなオウム返しをした。
「ああ。君は辺境出身だったか。かつて、鋼鉄製の天突く魔獣を、およそ700年前に作った者がいた。その発明は、結局のところ後世の人間に対する脅威にしかならなかったようだがな。大体はそんなものだ。
先日、君が殺した男のようにな」
僕は糸鋸刃を構える。
「あれを仲間だと思ったことはない。戦闘よりも、今は話を続けないか、キフィナス」
「……薄情だな。ま、そうか。アンタはそういう奴だもんな」
「終末回避へのアプローチを各々で設定しており、それが加盟者同士で矛盾することも珍しくはない。あの男は狂っていた。犠牲は最小限で留めるべきだ」
「なら、いつものようにぶち殺して止めればよかったろ」
「そうもいかない。人工魔人を量産する部会は、為政者からの支持を集めていた。一方、終末装置の回収と破壊を実行する作業部会には、あまり人員が集まらない。あれを殺せばこちらの目的の達成が危うくなる」
「そうかよ。そこでも政治やってんだな」
「人が集まれば必要になるものだからな。共通認識の持つ者同士で協同し派閥を形成し、解決法を模索する活動をしている理由には、別の派閥からの攻撃を抑止するという意図も含んでいる。パワーバランスの均衡によって、戦闘行為の生じない状態を維持することもひとつの知恵ということだ」
「そうか。……なのに、メリーを襲ったんだな」
「全会一致だった。メリスの力は、世界を容易く滅ぼしてなお余りあるとな」
グレプヴァインは顔色ひとつ変えずに言った。
僕は沸騰する感情と指先を抑えた。
「君たちの能力を知っている私は、犠牲を出すだけだと認識していた。戦闘の余波で都市の一区画は潰えるだろうことを勘定に入れながら、私の目的を達成するに都合がいいと判断した」
「野蛮な算盤を弾くことがお得意だな。流石は冒険者ギルドの顔役。ま、その顔に火傷なんてしてやがるけどさ」
「……しかし、実際は、闘いと言えるものではなかった。武断派の多くは、どこかの時点で、忽然と掻き消えた。それが誰であったのか、誰一人、名前すらも思い出せない。ただ、そこに何者かがいたという痕跡だけが僅かに残されている。
何十人という人間の存在を、その始まりから抹消することができる存在は、もはや魔人という括りにも合致しない。……どうすれば、そんなことができる?」
「どうでもいいだろ、そんなこと……! 手を出さなきゃ、メリーは、普通に……、」
「普通に? 位相の違う存在が、普通に生きられるはずがないだろう。君の存在が、メリスを人間へと縛り付けているだけだ」
「それなら、それでいいだろっ! 黙ってろよ!」
「君の周りには、これを指摘する者がいないからな。
かつての君であれば、世界全てを敵に回したとしても、メリスを取っただろう。首都の一角を焼き払ったように──しかし、今の君にそれができるか? 世界が白と黒の二分で分けられる、単純な構造ではないと知った、今の君に」
「知るかよッ!」
感情にまかせるまま、廃屋の大テーブルを蹴飛ばした。
ぐらぐらと揺れただけだった。
「くっっだらないんだよ! 世界がどうとかさあッ! どいつもこいつも!! くだらないくだらないくッッだらない!!時間の無駄だったッ! 行くよ、メリー!」
僕はメリーを抱き寄せて、廃屋を後にした。
メリーはいつものようにずっと無言だった。
「……これでいい」
濃紫の髪の女は、来訪者の遠ざかる足音に小さく溜息を吐いた。
顔に残る火傷痕が熱を持ち疼く。包帯からは鮮血が滲んだ。
幻影をセツナに斬られた際の創傷が──切断の概念が空間を貫通し彼女の上体を幻影のそれと同じように裂いた──グレプヴァインを苛んでいる。
「まだ、殺されてやるわけには……、いかない」
グレプヴァインは回復魔術には頼れない。
魂の元あるかたちに戻ろうとすれば、この火傷痕も消えてしまう。
これは戒めであり、残った弟子との繋がりであった。
師を名乗る資格も、あれが己を弟子と思うこともなかろうが。
(……ああ、いかんな。旧王都に未だ残る終末装置について、伝え忘れていた)
目前に迫る世界の危機があるとすれば、恐らくあれだろうと。
そう思いながら、弟子への意地で繋いでいた意識の糸が切れ、彼女は再び意識を失った。




