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クッキークレーター



 僕はノーと言えるタイプであり、信頼とか忠誠とかいうものを少しばかり柔軟に考えている。

 なので敬愛するステラ様には婉曲的に、表現豊かに、なるべくの礼節と時間を尽くして、

「いいから領主としての仕事をしろよ軌道に乗ったばかりだろ馬鹿じゃないですかね」と慇懃に僕は伝えた。

「やること多すぎんですよ財政とか式典とか税制とか福祉とか馬鹿じゃないですかね」とも丁寧に伝えた。

 あとそれから「馬鹿じゃないですかね」って余計な修飾語を使わない直球ストレートにそのまま伝えた。


 諫言耳に痛しに類する、僕にとって都合のいい──おっと、上位者の寛大さと公明さを示すような諺はこの国にもあるのだ。

 使命感と好奇心をないまぜにして、もっともらしい理屈を付けて首を突っ込むようなマネを誰が許すかっての。シアさんには悪いけど、そりゃ暴言のひとつやふたつ吐くよ。

 ……なーんかステラ様にぜんぜん効いてないんだけどさ。


「あなたはいっつも、長々長々と、意地悪なことばかり言うけれど。結局最後には聞いてくれるひとですもの。ふふ。私はわかっているのだわ?」


 わかってねーですけど?

 宿屋でまでこの調子である。ステラ様のひょうきんさにインちゃんは恐縮しっぱなしなのでやめてほしい。


「わたしはどっちかというとご領主様へのお兄の態度がこわいんですケド……」


 ほらインちゃんもこう言ってる。

 控えてほしい。ステラ様控えてほしい。



・・・

・・



 宿屋の窓から夜の闇へと躍り出る。

 肌をちくりと刺すような寒気が、冬至の訪れを感じさせた。


「はあ……。ステラ様にせよシアさんにせよ、どうも僕を誤解してるんだよな」


「きふぃは。やさしい。あまちょろ」


「優しくないよ。甘チョロでもない。まったく嫌な言葉を完全に覚えたな君は……。それ人に向けて使っちゃいけないよ。喧嘩売ってると思われるよ」


「する?」


「しません。お腹をめくるな。こら。服を下ろしなさい。伸びる。破れる。装備してる?知らない。いいからほらゆっくり手を膝に……、よし。そのままね、そのまま。……なんなの? 僕に殴れってこと?おかしいよ? 絶対しないからな」


 手加減してもらわなきゃ喧嘩にならないし、手加減されたらされたで喧嘩にならない。

 自発的に何かを主張しないメリーの希望は可能な限り叶えたい気持ちがあるのだが、喧嘩ごっこに付き合うのは僕の能力を超えてある。……能力が伴ってたってゴメンだ。


「まったく。メリーはズレてるんだから」


「こまる?」


「いいや。困るけど、困ってないよ」


「そか」


 ──実のところ。世界の崩壊とか、僕には割とどうでもいいんだ。

 僕にとっては、それは明日の天気と同価値の瑣末事でしかない。何なら、月隠す叢雲が明日は雨かもよと告げてきている方が懸案事項としては重いくらいだ。メリーを傘に入れるのは大変なのである。まず身長に差があるのと、次に当人が雨でぐっしょりになるのを全く気にせずふらふら歩くから。……はあ、憂鬱だなぁ。


「はらす」


「その握りこぶしでなにをする気なんだい? いいよ言わなくてもわかるよ雲を破壊するんだろ。やめようねー。そういうのは僕の都合で変えちゃダメなんだよ。雨の方が都合がいい人だっているんだから。そもそもそんなのやったらいつか異常気象とか起こるだろ」



 カティア──魔人スノーホワイトの言葉を聞いた僕の素直な感想は「またか」だった。


 世界の崩壊。……ワンパターンなんだよ。知るか、そんなの。

 ああもちろん、メリーと僕が気を許せるひとたちには、そりゃ一秒でも長く幸せな日々を過ごしてほしいさ。だけどそれだけだ。その先は別段どうでもいい。クソつまらない夢のお告げを聞き流しつつ、いざという時に逃げる準備をするくらいは考えてたけど、その程度だ。

 その程度でしかないんだよ。

 崇高なる目的さえあれば、あらゆる手段が正当化される? その理屈はシンプルで、対話が不可能で、度し難く愚かしい。

 二言目にはそれを唱える連中は、どいつもこいつもそういった思想をお持ちなのだ。そんな頭のおかしい誇大妄想狂の連中には近寄るべきじゃない。そうだろ?



 ……黒いレインコートの、忌々しい、凶報女の姿を探す。

 近寄るべきじゃないってことは、それ以上に、僕より迂闊な子に近寄らせるべきでもないってことだからね。

 今日はメリーにも付いてきてもらってるのは、万が一にでもあいつを接触させないためだ。あの時は狙わないと言ったが、あれの言葉を僕は1ミクロンも信じていない。



 拠点の外で宿屋は利用しない。金貨を握らせるだけで口が軽くなるからだ。

 休息が必要な場合は商業区の外れの廃屋を使う。地代を払えず撤退する店舗は、大きい都市なら容易く見繕える。


「このさき」


「ありがと。……メリーは手を出さないで。戦うなら……、殺すなら。僕がやるから」



 雨は嫌いだ。



* * *

* *

*



 街外れに位置する開店休業を常とする宿屋、その二階の客室に貴人が泊まっている。

 その噂がデロル領の大衆酒場で囁かれ始めるようになってから、まだそう日は経っておらず、その声も大きくはない。

 しかし声の主はその噂を辿り、くだんの宿屋二階に位置する客室の戸を軽やかに叩いた。


「やハ、夜分遅くにすいヤせン。脚を長くした秋夜のすさびに、ちょいっトばかり吟じに参りました。何、おヒネりはいただきやせん。れるっちうならいただきやすが、お気持ちばかりで結構でサ」


 手にした木製のリュートが、薄闇の中でぬらりと光沢を湛えている。

 浅い微睡みを楽しんでいたステラは、なるほど宿屋にはそんなこともあるかと一人納得しながら、どこか聞き覚えのある声に、外套を羽織って応対をすることにした。



「あたくしャ盛り場の端ッこで唄うこタ生業としとります、ツマらないめしいですが……エエ、ハイ。お久しぶりでございヤすね、ステラ様」


「あなたは……」


 顔の上半分に覆いを被った黄褐色の人影は、静かに名乗った。



「あたくしは、魔人ビワチャ。フツーのヒトよか僅かに永いこと生きとるくらいが取り柄の──約束された滅びへの解法探る哲学者たちの、一員のその末席にございます」



「……そう。入って頂戴。妹が寝ているから、弾き語りは起こしてからでもいいかしら?」


「勿論でサ。お時間も頂きヤせん」


 詩人は、リュートの弦をぴいんと弾いて答えた。





「……姉さま。どういうことですか」


「見ての通りなのだわ。──チャンスがあっちから来たってコト! 私たちには知る権利があるって言うのに、あのひとったら、一人で黙って行っちゃうんだから! ……ふふっ。私たちの方が詳しいって知ったら。きっとまたぐちぐちとお喋りするわね?」


「……見て分かりかねるので尋ねたのですが。──そこの貴方。何者ですか」


「お初にお目にかかりやす。あたくしは、魔人ビワチャと申します。あなた様は妹君の……シア様でござンしたね。お会いできて光栄でサ。さてはて『ロールレアの二本剣をカタぐは一人』なんて時代じゃアないちうことですかね? 貴き血がなぜ貴いか、そいつァは数が少ないからでゴザいッてな具合。ちょいと前にあろっと(a lot)な具合に減っちまいやしたから、そこの具合を考えなくてよくなりまして──オット! ひとつ前のお客さンの好みの調子を出しちまいヤした」



「……魔人。この部屋の外が辿れないのは、貴方の仕業ですか」


「お時間を取らせるのは、気が引けやしたからね」


 シアは、屋敷や一部の使用人に極微細の氷粒を付着させ、その魔力を常に感知している。ビワチャの入室が許可された時点──魔力のラインが途絶した感覚に目を覚ましていた。



「ここらの時間を、かっと(cut)切り取らせていただきやした次第でサ」


「……隔絶した、魔人の力というものですか」


「大したこっちゃアありャせんよ。あたくしの手妻は、あの全能者にャ小細工にもなりゃしねンですから。

 それに、あたくしにゃ歌以外いらねえんですから。お客サンがいなきゃ、どうにも、その甲斐がない──それだけなんだ。ここに来たのも、仇討ちトカそんなツマラナイこっちゃアありんせん」


 ビワチャの細腕が疼く喉をさすった。



「あたくしに石を投げようってハラでも、まず聴いてからで遅くはないでしょう? あたくしのノドが、歌わせろってェ騒いでやしていけない。

 どうか、あたくしのオハコで判断してくだしゃんせ。まずは、ひとつめの曲目タイトル──『辺境走る錬金城』にて。


 ナナヒャク(700)ごじう(50)余年昔、まだ天地あめつちの理が確かなりし頃。あたくしたち哲学者たちの歴史は、その辺りまで遡れるそうで。

 これより語るは、その始原始祖たる者の物語。ちいと(cheat)ばかし頭が良すぎた、カルス・エシェルなる宮廷魔術師の、執念と狂気の物語! 自己複製と改修をいつまで続け肥大化し、地を踏みしめて知を演算する、黒鉄制の小さな地獄!

 錆鉄さてつのメロディを、先ずはお楽しみくださいますれば。


  〽この世に金が多いのは みんな旦那の御陰様

   lu lalu ti ta lalu lita lulaluli lila...♪」


 薄明の中、詩人のリュートが厳かな音色を奏で始めた。



♪♪



「──素晴らしい演奏だったわ、ビワチャ。あいにくと、持ち合わせがなくてごめんなさいね。私たち、お金を持ち歩いてはいないのです。なので、この部屋の物を……、ベッド以外ね、ひとつ持っていくことを許しましょう。次はなにを聴かせてくれるのかしら?」


「……姉さま。情報を得るのが目的です」


「そうだけど、優れた演奏には相応の評価が必要なのだわ。遠慮しないでいいわよ?」


「イエイエ。覚えがめでたくなるだけで十分にございやす」


 部屋には、既にステラの錬金術に関連する物品が所狭しと並べられている。

 ビワチャは物品を換金するという手順を好まない。新陳代謝を止めた魔人ビワチャにとって、貨幣とは己の演奏が評価を得た以上の価値はないのだ。



「……カルス・エシェルなる突出した人物と、一部の信奉者が、世界の崩壊を予期し、その対策のために組織を作ったことは理解しました。

 しかし、貴方の物語には、語られていないことが多すぎる。貴方たち魔人の存在も、そもそも世界の崩壊をどのように予期したのかも曖昧なままです。

 ──そして、貴方たちに当家の当主が荷担していたことも。我々には、知る権利があるはずです」



「さっそく二曲目のリクエストでございやす? そいつァ、冥利に尽きるちうモンですねエ!

 イチの犠牲で百を救えりゃ、それより素晴らしいことはござせん。算数の問題ですワ。あンなた方ロールレア家は、善意の元、明日の社会のため、御尽力なされた。民どものいのちをどう扱うかを選べる立場で、これ以上に賢明なことがありますかねェ?

 生まれながらに活躍できるできないは、いのちの価値は、スキルとステイタスとが示しとりましょう?」



「「それは違います」」


 ステラとシアの声が重なった。


「……逆に、こちらが問いましょう。魔人ビワチャ。貴方は、1の犠牲で100を救うと言いましたね。

 ……しかし、それを700年間重ね続けた成果は何処にありますか?」



「この世界が、今も存続していることですねエ」



 ビワチャは当然のことのように言った。



「……それでは、成果の証明とはなり得ません。貴方たちの正気を誰が保障するのですか」


「シアっ。冷静になって。まだ情報を──」


「姉さま。これを答えられない程度であれば、これを情報源と見なす必要がありません」



「なるほど全くその通り。そいじゃあ、二曲目はもう少し趣向を凝らして──」


 リュートをかき鳴らす/景色が切り替わる。


 大きなクレーターが灰の大地を穿つ荒野に、三人は立っていた。



「ここは、あたくしが幻視した破滅──《クッキークレーターの大地》。

 人工魔人の目的は、セカイと接続して来る破滅を予知するコトにありました。……しかし、なんとも困ったことに! あたくしらが見た景色は誰も彼もが違ったンですワ!」



 ビワチャはリュートを奏でる。



「 〽われらの望みはただひとつ

   すべては世界を救うため

   lita ta lili la...

   Cast the spell,

   唱えましょう

   すべては世界を救うため

   Cut the swell,

   削ぎましょう

   すべては世界を救うため

   Create the stem!

   作りましょう

   すべては世界を救うため

   Close to Cookie Crateror!

   あの破滅へと抗うがため!


 しかして、ああ、これはただ、あたくしが視た一つの結末に過ぎないのであります。

 ──どうやらこの世界は、いささか壊れやすすぎるんで」




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